裁  判  日  誌  29  


2011年12月26日 
 第8回口頭弁論 

日本人の生命を守るという立場にたって判決を
森下・水野さんが本人陳述し、高橋さんの陳述は代読

判決日は3月14日(水)

 2005年1月、提訴した裁判の第2審は、12月26日結審を迎え、午後2時から東京高等裁判所822号法廷で開かれました。開廷後、争点整理や時系列表などについての進行協議経過と準備書面等を確認し、本人の陳述に移りました。
 高橋さんが入院中で、片山弁護士が陳述書を代読し、続いて森下さんが、ちょうど5年前の2006年12月26日、夫・賢一さんが亡くなり、その意志をついで裁判を引き継いだが、日本人の命を守るという立場にたって判決を下してほしいと訴えました。最後に水野さんが苦しい闘病生活の状況を述べると同時に、最後に本人陳述を認めるなど裁判長の公正な訴訟指揮に感謝の言葉を述べました。
 最後に、裁判長が判決日を2012年3月14日午後2時を指定して閉廷しました。

森下・水野原告・岡本弁護士 東京高裁前 作田日本禁煙学会理事長・岡本・片山弁護士

【裁判傍聴記】

 私が第一審横浜地裁での裁判を傍聴したのは2008年10月の第19回口頭弁論での原告陳述以来で、既に2年を過ぎてこの間の皆さんのご苦労を思いました。

 福田剛久裁判長が高裁での裁判経過を整理して、時系列表≠ノは「当事者間に争いが ない」ことを確認した後、本日は控訴人三人の陳述を行って結審とすることを述べました。 その中で裁判長が原告を控訴人、被告を被控訴人と呼んだのが、耳に残り、第2審(高裁)では「原 ・被告」ではなく、このように呼ぶのだと学ばされました。
 本人陳述は入院中で医師の許可が下りなかった高橋是良氏の書面を片山弁護団長が代読 。故賢一氏の遺志を引継ぐ森下玲子さんの陳述に続いて、水野氏が車椅子のまま発言席へ進み、酸素吸入機を傍らに置いて30分に及ぶ陳述をしました。
 初め、15歳から喫煙を始め(周りの大人は誰も止めなかった)、51歳で完全禁煙するまでの半生、40代に発病した肺気腫、喘息と69歳の現在までの闘病生活、29回におよぶ入・退院の繰り返しを詩≠フ形で書いた「人工呼吸器から戻って 」を朗読しました。詩友でもある私は、胸の塞がれる思いで聴きました。
 先日は入院一時帰宅中の転倒で大腿部骨折、この原因は肺炎治療の為にステロイド剤の 大量長期投与による骨粗鬆症だそうです。うち続く壮絶な闘病は、その出発点から今日まで喫煙によるたばこの害毒に発するものであることを、聴く者に十分納得させ得るものだと思いました。 又裁判を始めてから14年間、彼を支え続けて来た妻の龍江さんが入院拒否症候群 とも言える病気に陥ったことを、自身も絶対安静状態を続けていた彼が「妻の病気の原因は僕にあることは明らかです」と労わりの言葉を述べ「僕もいかんともしがたい」と陳述したことに、私は涙の溢れて来るのを止めることができませんでした。人の涙は、悲しみ、怒り、喜びなどの外にその人への共感によっても流れるも のだと改めて思いました。控訴人席で隣に寄り添う龍江さんに、私も心からの労わりの心を届けたいと思いました。 水野氏は続いて、六百万人と言われるたばこ病患者、家族を含めて二千万の苦しめられ ている人々に対し、「国民の生命と健康を大切にする」視点から判決を下してほしいと裁判長に呼びかけ、更に第一審の横浜地裁判決が、原告の禁煙していた1993年には国やJTに有害性認識がなかったとの論拠を示したことに反論して、本人はこの時点で健康被害を受けていたからこそ禁煙し、その後の健康悪化故に2005年に提訴したのだから、もし線引きをするならなぜその年でないのか、ここに国とJTの仕組んだトリックがあると指摘しました。又その30年前、1963年に米国公衆衛生総監が喫煙と肺がん・肺気腫との因果関係を公表しており、厚生省も専売公社もこれを翻訳していた事実を示して、人々の命や健康より国や企業の利益を優先させていたことを厳しく追及しました。そして、@ 基本的人権の名において原告の訴えを容れ、救うべきを救うこと A 司法として国民の生命と健康を守る視点に立つ判決を B 将来の社会を担うべき子ども達を守るため、販売機撤去と販売規制等を求めました。
 結びの言葉として、本人の訴えに真正面から向き合い公正な訴訟指揮をして来た福田裁判長への感謝の言葉を述べた水野氏、苦しいはずの体調を表に出さず、あとに 続く者たちへの期待さえにじませて、悠々と陳述を終えて退廷する友に私は、心からのねぎらいの言葉を送ったのでした。     

荒波 剛(詩人会議会員)記