五郷の山寺

昭和26年に山寺の和尚さんが修行から戻ったときに 祖母が言った
「お上人様とこ(寺)の子供にしてもろたらの、命を守ってくれるじゃ。形だけやさかのお上人様
に守ってもろたらええじゃ。鬼子母神さんの子供になるんじゃすかの」みちばあの言葉だった。
その子は、身体が弱く病気がちな子だった。その時より 母は、お供えを山寺に持って行って
いた。おかげかどうか分からぬが 元気に育ったものである。それにしても甚だ勝手なことだ
が、祖父の代から天理教を信仰していた。
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まぼろし部落

七色ダムの水没補償をねらった急造バラックが大又川の中州、両岸に
建設されたことがある”ナメラ愛好組合”なるものである
120棟が出現したのである。最終的に対象となったのは、305軒だった。
欲にからんだダム建設の出来事{まぼろし部落」である。
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屁で砂飛ばし

昔は、貧しくて水着など無かった。 その当時は、食べ物は、もっとない時代でサツマイモが主
食だった。 その分オナラがでた。砂山を作っておきオナラがでそうになると そのオナラで砂
山がどれだけ小さくなるかの競い合いである
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山羊

あの時代は、 あちこちで山羊を飼ってました.
私の家でも 飼ってたらしい(小さい頃なので覚えてない)
今は、見かけなくなったが 飼いたい.
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ジイババ石

裕福寺の横にジイババ石は、昔の地震で鼻白山の大岩が落ちてきて
老夫婦がその下敷きとなり生き埋めにされたと言う。
昔は、この岩を通る時は、その岩に花を供え、「ジイババ西国セエー」と岩を
小石で叩き供養したものだと言う。
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五郷の学校の合併

明治の五郷は、貧しくて、寺谷・桃崎両小学校の合併問題が当時の村長から提案されたとき
反対誓願書が出された
1:米がよけいにいる  2:草履がよけいにいる   3:つぎはぎの着物ででやれぬ時代が違
うと、色々だね。
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馬の火

有馬では、昔”馬の火というのがよく飛んで騒がれた
今の熊野病院あたりがそうで フワフワと2つ3つ飛んできて一本松
のあたりで大きな1つの玉となり、パーっとあかるくなって消えた。
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タンタンガマ

昔の井戸町は、花の窟あたりまでが町うちだった。
それが現在青年の家がある近くの石山にタンタンガマという
岩の穴谷があり、死霊の匂いがする気味の悪い場所だったそうな。
井戸側は、それが嫌で なんとかしてそこを有馬に押しつけようとした。
このタンタンガマは、徳川時代の仕置き場だったという
怪談めいた場所である。
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浜街道

浜街道言うたら、あの砂利の上かな思う人がおるみたいやけど
松林の中なんやで。当時は、もっと綺麗になっとったさか
歩きやすかったんやわかえ。稲こきもそこでし~よったしの。
松に生える茸がぎょうさんあったらしいの~。
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有馬の一本松

昭和の40年頃まで 生えとったらしいけどの
大きな一本松が生えとったんやで
全て人間がわりいさか 枯れてしもたけどの
海岸の松もそうやけど 密にうえすぎやで
間隔を空けな 上に延びるばっかで 根がはらんわえ。
へたな人は、関わるないうて 言ったって。
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じいさんの時代

井戸川の下流は、沼地が多かったんやわかい。
その中の野口原の中辻ではの、
昔、草競馬が盛んだったそうやわい!
当時は、農村の娯楽もない時代やさか、わんさと
見物人が押し寄せたんやと!草相撲も盛んで
あったらしいの~
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チョンマゲ

断髪令が出されたのは、明治4年だったけどの、
思い切ってチョンマゲを切るのを惜しんで、大正まで
チョンマゲを守り通した人も居たそうやわい。
”ザン切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。
チョンマゲ頭を叩いてみれば、頑迷固ろうの音がする”
こんなトンヤレ節も歌われた時代やそうやで。
わしのひ~じいさんの時代やがえ。
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ボーレン

昔々の漁師は、夜の漁に出るとボーレン(亡霊)が
出てきて「杓」をクレという。やつが杓をくれと言えば
必ず底の抜けた杓をやらないと船を沈められてしまう
と言われていたそうな。海水を汲んで船に
入れるんじゃと底が抜いてると水をくめんからの
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キ○○マじいさん

大正の頃 磯崎にキ○○マじいさんという、とても
キ○○マの大きなじいさんが居ったわかえ。
このじいさん目が良うての 峰の上で見張り番が
多かったそうな。魚が やってくると真っ先に
このじいさんが村の皆に教えたそうやで。
だがキ○○マは、めちゃ
大きての 当時のふんどしには、入りきらなかったと
その人を知っている古老が言いよったで。