孝之は全てを失った。
彼女も、友達も、将来も。
失ってから初めて気づくものがあるというのは、よく聞く話だが、それでは遅すぎる。
そこから、気づいてもすでに遅すぎてしまうことのほうが、ほとんどだ。
孝之は、いつものようにベッドの片隅で泣いていた。
そのとき、孝之はドアを開く音を聞いたような気がした。
「気がした」というのは、今の孝之にとっては、周りのことなど、どうでもいいと感じて
いたからだ。
「あら、随分な落ち込みようね。」
声の主は、その場の雰囲気に似合わないような、明るい口調で言った。
そして、孝之の肩をたたいた。
「あんた、あたしの実験に協力する気はない?」
孝之は、そんな言葉など耳には入っていなかった。
「事前にあなたの事をいろいろと調べさせてもらったわ。」
孝之は、そんなことなど、どうでもよかった。
「単純に言うと過去を変えてみないかって事よ。あたしの実験に協力すれば、あのような
出来事などない未来にすることができるかも。」
孝之は、その言葉にかすかな聞き耳を立てた。
「鳴海くん、だったかな?もう一回聞くけど、あたしの実験に協力してくれる?」
そのとき、孝之は、その声の主に振り向いてOKした。
彼女の名前は、香月夕呼といい、普段は、高校の物理教師をしている。
しかも、孝之が今年卒業した白陵大附属柊学園の教師をしているというのを聞いて、
驚いていた。
「そして、学会に発表できるような、こんな怪しい物理実験もしているのよ。」
夕呼が言ったことを一言でいえば、マッドサイエンティストである。
孝之は、彼女の研究室に入り、組み立て式の椅子に座った。
「これから、簡単な説明を始めるけど、その前に最後の意思表示を確認するから。」
そういうと、夕呼はホワイトボードに「物理学」と「心理学」と「実験」という言葉を
マーカーで書いた。
「鳴海くんは、あたしの物理学と心理学の実験に協力する。それは、大丈夫よね。」
彼女は、書いた文字をマーカーで指しながら、質問する。
孝之は、彼女の呼びかけに、ああと答えた。
「それじゃ、本人の同意が得られたから、いよいよ本題に入るわ。」
そういうと、夕呼は近くにあるカプセルのようなものを指でさした。
「これは、カプセル型のいわば、タイムマシーンね。今から、鳴海くんはあのカプセルに
入ってもらうわ。」
「これ、本当にタイムマシーンなんですか?」
うさんくさく思ってしまった孝之は迷わず、彼女に質問する。
「もちろんよ。学者が誰も知らないところで、未知の物体を製造しているのは、よくある
話よ。分単位の動物実験で成功したから、後は物理的法則の実験の正確なデータが欲しい
だけ。」
それでも、孝之が感じているうさんくささは解消されなかったが、今は少しの希望を信
じて彼女の話を聞いた。
「で、このカプセルには、ダイヤル式の日付設定機能がついているの。行ってもらう日付
は、去年の西暦1998年8月27日の13時15分。事故が起こる1時間前にセットするから。それ
でいい?」
彼女の呼びかけに孝之は、ああと返事した。
「で、やる事はただひとつ。この日の14時15分頃に起きるはずの事故を防ぐこと。それに
よって起こる物理的変化と心理的変化のデータの採取。それが、実験の内容よ。わかった
?」
「物理的変化というのは、わかりましたが、心理的変化というのは何ですか?」
「それは...」
夕呼が言いかけたところで、ドアがまた開いた。
「夕呼、ごめんなさ〜い〜、寝坊してしまって〜。」
情けない声が部屋中に響いた。
「まりも、寝坊するなんていい度胸ね。有明って言葉、忘れてないよね。」
「ひぇ〜ん、それだけはお願いだからやめて〜」
孝之は、二人の行動を唖然とした表情で見つめていた。話し方からして、二人は親しい
間柄というのがわかる。
「ごめんなさいね。助手が寝坊してしまって」
彼女の名前は、神宮寺まりも。夕呼と同じ高校で英語の教師をしている。
二人は、同じ白陵大附属柊学園を卒業した腐れ縁の関係で、まりもはいろいろと弱みを
握られているらしい。
有明ってその事かと思ってしまった孝之だったが、今はそんな話に興味はなかった。
「彼女、まりもが心理学の担当ね。途中までしか言ってなかったけど心理学変化はさ
っきの物理的変化、事故を防いだ事で、脳にどのような変化が起こるのか、つまり精神的
変化のデータも合わせて欲しいのよ。あっ、脳に後遺症が残るとかそういう実験じゃない
から、この点は大丈夫よ。人間を送り込むのは初めてだし、それに相対性理論ではまだま
だ未知数の分野が多いから、その部分は一個一個手探りで集めていくしかないのよ。」
「はぁ。」
なんとなくしか、わからないので孝之は、間の抜けた返事しか出来ない。
「内容はわかったみたいだから、後は具体的な計画だけね。とりあえず、タイムマシンで
去年の8月27日の13時15分に送る。鳴海くんは、去年のこの病院に着くから、カプセルを
どこかに隠して、病院から事故が起こる現場の柊町駅に向かう。ここから、電車で30分く
らいだから、間に合うでしょう。彼女を事故から助けたら、カプセルの置いてある場所に
戻り、現在の日付と時刻にセットして、カプセルの中にあるスタートボタンを押すだけ。
時間が合っていれば、ここに戻ってくることが出来るから。後は、戻ってきた君からデー
タを採取するだけ。わかった?」
「わかりました。」
「ここまでで、何か質問はある?」
「いえ、大丈夫です。」
実感はわかないが、これで、遙は助かると確信した孝之は、彼女に返事した。
「実験開始はキリがいいから20分後の14時にしましょう。それまで、トイレとかはすませ
といてね。」
そういうと、夕呼は部屋を出て行った。
「鳴海くんだったかしら。もしかして、緊張してる?」
孝之の側で脳波計の点検をしている、まりもが話しかけてきた。
「いや、すごすぎて、もう何が何だか、未だに実感が沸かないだけです。」
「そう。ところで、鳴海くんの彼女ってどんな娘なの?」
「はい、ちょっと天然なところはありますけど、優しくて俺のことを一途に思っている娘
です。」
「そう。鳴海くんにとっても、大切な人なのね。」
「はい。」
「でも、そんな大切な人が事故に合ったという、辛い現実は受け止めないといけないけど
、そこから逃げ出すのはどうなんだろうかって思うの?」
「え?それってどういう...」
「それが、もし...」
言いかけたところで、夕呼が入ってきた。
「はい、おしゃべりはそれまでよ。鳴海くん、準備はいいわね。」
実験室にある時計を見ると、14時になっていた。
「はい、お願いします。」
孝之は、カプセルへと目を向けた。
カプセルの蓋が開かれる。
「最終確認よ。時刻はさっき、合わせた1998年8月27日の13時15分。あとは、カプセルの
中に入ったら、蓋を閉めて、内側にあるボタンを押すだけよ。いい?」
「はい。」
孝之は、カプセルの中に入り、蓋を閉めた。そして、すぐ側にあるボタンを押した。
すると、カプセル全体が回転を始め、だんだんと回転速度は上がっていった。
あまりの速さに、目が回り、孝之は気を失った。
気がつくと、カプセルの回転は止まっていた。
蓋を開けると、その部屋には誰もいなかった。
部屋にある時計を見ると13時20分を指していた。
「(5分間も気を失っていたのか。それにしても、本当にここは1998年なのか?)」
部屋は、先程と位置関係があまり変わっていない、夕呼の実験室なのは間違いなかっ
た。おまけに、この部屋は誰もいないせいか、クーラーを入れていないため、かなり熱か
った。
「とりあえず、本当かどうかは途中で確認するとして、まずは柊町駅に行かなければ。」
カプセルをその部屋に残し、孝之は駅へと向かって走り出した。
最寄りの駅に着いた孝之は、柊町駅までの切符を買い、ついでにキヨスクでスポーツ新
聞を覗いた。
ここが、本当に1998年かと疑っていた孝之は、スポーツ新聞の日付を見て確認しようと
していた。
日付を見てみると、1998年8月28日金曜日(27日発行)と書かれていた。
間違いない、去年の8月27日に戻っていると確信した孝之は、急いでホームへと向かう
。
ホームの時計を見ると13時30分を指していた。
事故が起こるまであと45分である。
ここから、柊町駅までなら、20分もあれば余裕で着ける自信がある。
孝之がそういう事を考えていると、ホームから電車がやってきた。
孝之は柊町駅に着いていた。
時計を見ると13時47分。
孝之は、とりあえず、去年の待ち合わせ場所まで急いだ。
待ち合わせ場所には、遙はまだ来ていない。
念のために、周りを調べてみたが、事故が起こったような跡はどこにもなかった。
しばらく、孝之は、ここで遙を待ち続けることにした。
遙が来たら...
事故現場から別の場所に誘導して...
事故をやり過ごす...
それだけで、過去は変わる...
時刻は13時56分。
待ち合わせの時間まであと4分。
そろそろ、遙が来る時刻である。
過去を変えるという期待と不安で緊張しながらも孝之は、遙を待ち続けた。
「孝之くん。」
突然、背後からなつかしい声が聞こえた。
孝之が振り向くと、そこには、バッグを肩にかけた、白いワンピース姿の遙が立ってい
た。
「はる...か...?」
まだ事故に遭っていない遙を見た孝之は、思わず、たどたどしい口調になる。
「どうしたの?孝之くん、大丈夫?」
このまま、少し話しただけでも、孝之は涙が出そうになったが、なんとか我に返った。
時刻は14時1分。
あと、15分程で二人が立ってるこの場所にトラックが突っ込むことになっている。
今は、なんとしてでも、この場所から離れることが先決だった。
だからといって、このままデートに行ったのでは、去年の自分の立場がなくなってしま
う。
どうしたらいいのだろうか。
「大丈夫?孝之くん。」
遙が心配そうに孝之の顔をのぞきこんだ。
孝之は、過去を考えることに頭がいっぱいになって、目の前にいる遙の存在を忘れてい
た。
しばらく、考えた孝之はある方法を思いつく。
時刻は14時5分。
「大丈夫だよ、遙。」
遙は自分のことを気分が悪いと思い込んでる。
これを利用して駅の改札口まで遙を連れてきた。
「ちょっと、トイレに行ってくるから、遙はここで待ってて。」
「うん、あんまり無理しないでね。」
改札口の駅員に、事情を説明した孝之は、駅の中に入っていく。
トイレの近くにある角に孝之は身をひそめた。
こちらの様子は遙からは見えない。
時刻は14時10分。
あと、5分。
孝之が、考えた方法。
改札口で遙を待たせていれば、事故をやり過ごせる。
ここで待っててと言った以上、事故現場に戻ることはしないだろう。
あとは、遅刻してもうすぐここにやってくる、去年の自分と遙を合流させればいい。
そうすれば、去年の自分の立場もなくならずにすむ。
そのときまで、孝之は遙の様子に目を光らせつつ様子を見ることにした。
遙は、改札口で待っている。
時刻は14時15分。
孝之が時計を見たそのときだった。
突然、大きな衝突音が駅の中に響き渡った。
さっき、いた場所にトラックが激突した音だろう。
遙は、改札口で身を震わせながら事故現場のほうを見ていた。
おそらく、さっきまでいた場所にトラックがぶつかったことを知ってショックを受けた
のだろう。
とりあえず、遙は事故に遭っていないのだから、これで過去を変えた事になる。
遠くから、去年の孝之が慌しく改札口に切符を入れようとしたとき、自動改札の反応が
働き、左右の黄色い枠が横から突然現れているのが見える。
去年の孝之が慌てて、自動改札を通りすぎたとき、近くで待っていた遙とぶつかってい
た。
その後、なんとか丸く納まっていた二人の様子を確認した孝之は、夕呼の実験室に戻る
ことにした。
時刻は14時41分。
孝之は、夕呼の実験室にいた。
近くには、カプセルがあり、その側面には、行き先の日付と時刻が表示された文字盤が
あった。
「ええと、元の日付と時刻をセットすればいいんだな。」
孝之は、文字盤のダイヤルを回して、元の日付と時刻にセットした。
1999年6月20日14時05分。
日付と時刻が間違っていないことを確認した孝之は、カプセルの蓋を開いて、中に入った
。
蓋を閉じた孝之は、スタートボタンに手を伸ばす。
カプセルの回転でまた目を回すのはいやだなと思いつつ、孝之はボタンを押した。
カプセルは徐々に回転を始め、ついには高速で回転し、孝之は気を失った。
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