遙の卒業式

遙の卒業式



〜第1章 企画〜
「それじゃ、次はね……」 「風土記」 「もう、孝之くん。問題言う前から答えないでよ」  遙は少し恨めしそうな表情で孝之を見つめた。 「古事記、日本書紀ときたら、次は風土記だろ。遙の出す問題は、いつもワンパターンす ぎるよ」 「もう……」  遙は孝之のほうを見ながら、手元にあった参考書を取った。 「だったら、ワンパターンになっていない問題いくね。え〜っと、後漢の光武帝が倭王に 金印を授けたという記録がある歴史書の名前は?」 「え?」  突然、孝之はとまどった。 「え〜と……なんだったかな? 魏志倭人伝は邪馬台国だし……ここまで出てるのに思い 出せない……」 「もう、孝之くん、受験で一番大事なポイントだよ、ここ。後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)、覚えといてね。 それに、魏志倭人伝は歴史書の名前じゃないよ。三国志という歴史書の中の一部にあるん だから。本番で間違えないでね」  遙からの思わぬ指摘に、苦笑いを浮かべる孝之だった。  あれから、もう五ヶ月。  受験生は夏休みが勝負という時期を既に過ぎていて、おまけに勉強していない三年間と いうブランクもあった。  そのため、遙が退院してすぐに、二人は大学の受験勉強をやり始めた。  目標は、三年前に二人が目指していた、白陵大学という名門の大学である。  遙は、学力は大丈夫のようだが、孝之はついていくのがやっとだった。  また、孝之は受験勉強という名目で、週3回の夕方にバイトのシフトを変更してもらった。  勉強場所は、遙の部屋だった。  三年前は、二人にちょっかいをかけてうるさかった遙の妹、茜は水泳の練習で忙しく、 昼間は家にいないことが多かった。おかげで二人は、集中して受験勉強が出来ていた。 「今度は俺が問題を出してやるよ」 「うん、いいよ」 「それじゃ、問題。浮雲を書いた明治時代の作家は誰?」 「え〜っと、二葉亭四迷(ふたばていしめい)かな?」 「正解! 遙なんかくたばってしめい!」 「もう、孝之くん、ふざけないでよ」 「ごめんごめん、ここに書いている『おまえなんかくたばってしめい!』というフレーズ がおもしろくてさ。なんでも、二葉亭四迷の本名は長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)といって、親父から作家 になることを反対されて、『おまえなんかくたばってしめい!』って言われたところから きてるんだから」 「もう、そんなどうでもいいウンチクを言われても……」  二人は、こんな感じで受験勉強をしていた。  さすがに、本番まで残り一週間を切ると。勉強というよりは最後の確認を行っていると いったほうが正しいようだった。      その日の夜。  孝之は、今夜はバイトがないため遙の家で夜になるまで勉強していた。  茜は既に家に帰ってきていたが、練習疲れということと受験生の二人を気遣って、遙の 部屋にはあまり入らなくなり、姉妹で会話することも少なくなってきていた。  孝之は、バイトがない日の夕食は涼宮家で食べていくのが、もはや習慣になっていた。  遙を再度恋人として受け入れたことで、両親のほうも孝之を本当の家族のように扱って くれていた。 「ところで姉さん、来週の日曜日の件はもう言った?」  夕食の席で茜が珍しく遙に向かって聞いてきた。 「え? でも……それは、そ、その……」  遙は何か言いたそうだが、言えないでいることを全員が実感していた。 「今のうちに言っちゃったほうがいいよ。何しろ、受験が終わって初っ端のデートがいき なりパーになるんだから」  孝之のほうは、茜の言葉に驚きを隠せない。  デートがパーになるってどういうことだ…… 「遙……」 「孝之くん……」  意を決したのか、遙は立ち上がった。 「孝之くん、ごめんなさい。なかなか言い出せなかったけど、実は来週の日曜日は高校の 同窓会があるの」 「高校の同窓会?」 「うん、事故に遭ってから話していない子達も多いから、だから、ごめんね」  遙は、話し始めてから席に座った。 「同窓会か……それなら仕方ないか……だったら、その日は受験疲れを癒すために一日中 寝てようかな」 「バイトのシフトを入れてもらったら? 日数減らしたから、生活費が大変なんじゃないの」 「茜!」  思わず、遙が声を荒げる。 「ところでさ、お兄ちゃんには同窓会のハガキは来てるの?」  いきなり、話をふられて孝之はとまどっていた。 「え? 確かハガキサイズのものは、みんなDMだと思って捨てたと思う……」 「もう、大事なお知らせとかだったら、どうするの?」 「そうだよ。もし、同窓会のハガキが紛れ込んでいたらどうするつもりなの?」  涼宮姉妹に責められて、思わず苦笑いを浮かべる孝之だった。    家に帰った孝之は、ゴミ箱の中身を探していた。  さっき、遙が言った何気ない一言がどうしても気になったからだ。   高校の同窓会と遙は確かに言っていた。  だったら、自分のところにも来ているはずだ。  そう感じた孝之は、家の中を探し回ったが、結局見つけることは出来なかった。 「おかしい、なんでないんだ? もしかして知らずに捨ててしまったのかなぁ……」  あいつのところには来てるんだろうか……  そう感じた孝之は、思わず電話の受話器を手にして、短縮ボタンを押した。 「もしもし、孝之か?」  すぐに、相手は電話に出た。 「慎二か、今大丈夫か?」  電話の相手は孝之の友人で、現在白陵大学に通っている平慎二である。 「どうしたんだよ、慌ててるみたいだけど、なんかあったのか?」 「いや、ちょっと確かめたいことがあってだな。慎二のところには同窓会のハガキって来 てるのかなって思ってさ」 「同窓会のハガキ? 来てないよ、そんなもの」  かなりあっさりとした答えが、慎二から返ってきた。  「おかしいな、遙のところには来てるのに、どうして俺や慎二のところには来てないんだ ろう……」 「ハハハ、当たり前だろ」  孝之をバカにするような慎二の笑い声が、受話器の向こうから聞こえてきた。 「高校の同窓会って、三年のときのクラスだけでやるんだから、涼宮とクラスが違う俺や 孝之のところに来るわけないだろ」 「え? そうなのか?」 「そうだよ。もしかして涼宮と一緒に同窓会に行きたかったのか? 来週は白陵大の受験 だろう?」 「なんで、慎二が受験日を知ってるんだよ?」 「来週は受験のため休講って掲示板に貼ってあったからだよ。そんなことより、受験のほ うは大丈夫なのか? 俺はそっちのほうが心配だけど」 「まぁ、遙のおかげでなんとかな。合格する自信はないけど、最後の追い込みのほうはな んとか頑張ってるよ」 「そうか、ならいいけどな。ところでさ、涼宮とはちゃんとうまくいってるのか?」 「うん、遙とはうまくいってるけど……ときどき胸が痛むことがあるんだよな」 「胸が痛むって? どういうことなんだよ?」 「例えば、先月に外出したのがたまたま成人式の日で、そのときに振袖着た人がいて、そ れを見た遙が、私もあんな振袖を着て、みんなから祝われたかったなあって羨ましそうに つぶやいているのを見たときは、どう声をかけていいのかわからなかったよ」 「そのときは、涼宮って昏睡状態だったからな」 「そうだよな、遙はあの頃の時間を失っているからなぁ……形だけでも成人式をしてあげ たかったな」 「そうだよな」  慎二はしばらく黙ってしまった。 「だったらさ、やってみないか?」  そして、突然興味ありげな声で話していた。 「何を?」  対して孝之は、興味なさそうに聞いてきた。 「涼宮の失った時間を取り戻してあげるんだよ。さすがに成人式までは無理だと思うけど、 学園に頼めば、卒業式くらいならさせてもらえるんじゃないのか?」 「卒業式か……遙は高校の卒業式にも出てなかったもんな」 「だからさ、やってみないか?」 「おもしろそうだな。でも、俺は今は受験だからそれが終わってからだな」 「わかった。学園のほうには俺が交渉してみるよ。もちろん、このことは涼宮には内緒で な」  こうして、慎二と孝之による遙の卒業式を行う企画が始動した。
〜第2章 計画〜
 それから、一週間後。  二人の受験は終わり、後は結果を待つだけになった。  でも、すべり止めは受験していないと決めていたため、受かっていなければ、もう一年 浪人をしないといけなくなる。  そのため、結果が来るまでは緊張の毎日を二人は過ごしていた。  遙は毎日が落ち着かずにソワソワしていると、この前の電話で言っていた。  そんなとき、孝之の部屋に電話の音が響いたので受話器を取った。  静かな部屋に、突然大きい音が鳴り響く電話の音にも思わずビクッと体が反応してしま っているのを感じていた。 「もしもし、鳴海ですが」 「おっ、孝之か。受験のほうはどうだった?」  相手は、慎二だった。 「わからんよ。出来たかもしれないし、出来なかったかもしれないし……とりあえず、マ ーク問題だったから、穴は全部埋めたけどな」 「そんなんじゃ微妙だな。それよりいいニュースだ。涼宮の卒業式を学園が認めてくれ たぞ」 「本当か?」 「ああ」 「やったな!」  孝之は、本心から喜んでいた。 「よし、俺も受験終わったからな。手伝わないとな。何をすればいい?」 「卒業式まで、もう時間がないからな。とりあえず、学園まで来てくれないか」 「学園って、白陵柊のほうか?」 「当たり前だろ。先生に呼ばれて今、俺はそこにいるから。で、おまえも呼ばれているん だよ。学園に着いたら三年D組の教室に来てくれないか」 「わかった」  電話を切ると、孝之は急いで学園に行く準備を行った。  先生に呼ばれている……ってどういうことだ。  具体的な打ち合わせでもするのだろうか。  孝之は、その事が気になっていた。  三年ぶりに行く学園はどこか懐かしい雰囲気があった。  休日でも、クラブ活動を行っている運動部……  時刻を伝えるチャイムの音……  ただ唯一違っていたのは、一年中使用可能な室内用の温水プールがあることだった。  孝之が高校を卒業したときは、まだ建築中だった。  その完成した温水プールを見たときに、孝之はかなりの時間が経ったことを改めて認識 していた。  そして、三年D組の教室に向かう。  辺りから漂ってくる、学園独特のにおいが孝之を懐かしい気持ちにさせていた。  三年D組の教室。  中からは声が聞こえていた。  ドアを開けると、そこには慎二と遙の妹の茜、そして茜を冷ややかな視線で見つめる女 性が一人いた。  茜は、何度も頭を抑えて悩みながら何かを原稿用紙に書いていた。 「よっ、孝之!」  孝之に気づいた慎二が声をかけた。 「え? お兄ちゃん?」  茜のほうも気づいて、孝之を見上げた。 「あら、妹を心配して様子を見にくるなんて、さすがはお兄さんね。涼宮くん」  女性のほうも鋭い目つきを孝之に向けながら、声をかけてきた。 「あの、夕呼先生……なにか勘違いしてません? この人は鳴海さんっていうんですよ」 「あ、そう。そんなことはどうでもいいじゃない。ほら涼宮、時間はないのよ。今は手の ほうを動かしなさい」  夕呼は茜の突っ込みをさらりと聞き捨てていた。 「ところで茜ちゃん、こんなところで何やってるの?」 「卒業式で言う答辞を書いてるのよ」  茜の代わりに、夕呼が孝之の質問に答える。 「そうか、茜ちゃんが言うことになったのか。ということは、もうこの学園を卒業するの か……」  孝之は切なさそうに独り言をつぶやいていた。 「全く水泳の練習で書く時間がなかったっていう、クソつまんない言い訳をしてたから、 水泳の練習を無理矢理中断させてここに監禁してるってわけ。涼宮、卒業式の答辞と水 泳の練習、今はどっちが大事かわかるわね?」  夕呼は、茜がここにいる経緯について、ストレスを発散するように孝之に説明した。 「もちろん、水泳の練習ですよ。今が一番大切な時期なんですから」 「あ、そう。なら、あの事を水泳選手実業団の人に言ってもいいの? 知れ渡ったらスキ ャンダルになることは確実、下手すれば選手生命は終わりになるわね」 「もしかして、あの事ですか?」  茜の声はかなり震えていた。  その震え方から考えると、かなり知られたくないことなのだろう。 「それは、あんたの想像にお任せするとして、とにかく今は書きなさい。あんたが書き終 わるまで、水泳関係者の活動はずっと冬眠したままだから。わかったわね?」 「はい」  茜は脅迫めいた夕呼の行動に、しぶしぶ従うしかなかった。 「あの、冬眠って……いったい……」  思わず、慎二が夕呼に質問する。 「聞かないほうが身のためよ」  にやけた表情で夕呼が答える。 「そ、そうですか……」  夕呼の無表情な口調に、慎二の表情が引きつる。 「あ、忘れるところだった。そういえば二人に話があるの。そのために、首謀者一味を呼 んだわけだけどね」 「話ですか?」 「それに、首謀者一味って……」  孝之と慎二が交互に口をそろえる。 「ここじゃ、涼宮の邪魔になるから、物理準備室にでも行きましょう。時間のほうは大丈 夫よね」 「はい、大丈夫です」 「それじゃ、あとはしっかりやるのよ、涼宮。逃げたらどうなるかわかってるわね」 「はい」  夕呼に完全支配されている茜を残して、三人は上の階にある物理準備室に向かった。 「全くとんでもないことをやってくれるわね! 涼宮さんのお姉さんの卒業式をやるなん て、いったい何を考えてるの!」  物理準備室にもうひとりいた女性が、二人に向かって怒りを滲ませていた。  二人を怒っていた女性は、神宮寺まりもといい、夕呼と同僚の先生である。 「どうして、とんでもないことなんですか? 俺はただ涼宮の……」 「あなたが、もし逆の立場だったらどう思うの?」  反論する慎二の声を遮って、まりもは話し始めた。 「え?」 「大勢の人の前で、場違いな人間が一人だけで壇上に歩いてゆくのよ。あなたは、涼宮さ んのお姉さんにこんな恥ずかしいことをさせることが望みだったの! それで、涼宮さん のお姉さんが、本当に喜ぶと思うの?」  まりもの熱弁に思わず、黙ってしまう孝之と慎二だった。 「確かに、もし俺がそういう立場だったら恥ずかしいよな。みんなにジロジロと珍しい視 線を浴びながら卒業証書を受け取るんだから」 「こんなことをさせて遙が喜ぶわけないよな……」  二人は弱気な声でつぶやいていた。 「あんた達、他人の意見で自分の考えをコロコロと変えるようじゃ、まだまだね」  今までこの様子を黙って見ていた夕呼が、口を開いた。 「実はね、学園側は最初は反対してたけど、あたしが校長にある意見を出したらそれが通 っちゃって、結果的に学園側が認めちゃったのよ」 「どういうことなんですか?」 「え? ちょっと、夕呼、どういうこと?」  慎二とまりもが同時に声を上げる。 「言った通りよ。つまり……」  夕呼は、簡単に自分の出した案を話した。  学園側が認めたというその案を。 「本当ですか?」 「もし、これが出来たとなったらすごい」 「ちょっと夕呼、こんなことして大丈夫なの?」  三人はそれぞれ声を上げたが、夕呼は無表情で様子を見つめていた。 「どう? これなら、涼宮の姉に恥ずかしい行為は抑えられるし、最高の卒業式を演出で きるはずよ」 「でも、よく学園側がOKを出してくれたよね」  つぶやいたまりもが、夕呼の顔を見ると一瞬だが右目が光ったような気がした。 「夕呼、あんたまさか……」  まりもが険しい表情を見せても、夕呼はただ無表情で笑うだけだった。 「あたしが、あんた達を呼び出した理由は二つあるの?でも、その前に……」  夕呼は、まりもに向き直った。 「まりも、二人に謝りなさい。このままじゃ、二人は怒られ損よ」 「ちょっと、夕呼。あんたが始めから言ってくれたら、私も何も言わなかったわよ。なん で、教えてくれなかったの?」 「有明の口実をつくるため……といったらわかるわね……ただ素直に謝るか、有明か…… ふたつにひとつね……」  夕呼の言葉に、今まで怒っていたまりもの表情が急に氷河期が来たように、凍りつく。 「そ、それだけはやめて〜!」  まりもは、夕呼に向かってすがりついた。  もはや、まりもには今まで怒っていたときの貫禄は、どこにもなかった。  孝之と慎二は、この様子を呆然としながら見ていた。 「あの……有明って……」 「ごめんなさ〜い〜! 申し訳ありませ〜ん〜! 勝手に怒ってすいませんでした〜!」  慎二の声を遮って、まりもが情けない口調で二人に向かって謝る。  まりもは、何度も頭を下げて、今にも土下座をしそうな雰囲気だった。 「あ、あの〜! お、俺達そんなに気にしてませんから……あ、頭を上げてください。」  まりもの表情の急激な変化に、慎二の口調も思わず引きつっていた。 「ま、いいわ。今日は着ぐるみだけで許してあげるから」  夕呼の口調にまりもは、表情を変えないまま言葉を交わさず物理準備室を出て行った。  いったい何があったんだ、と二人の関係が気になった孝之と慎二だった。 「さて、邪魔者がいなくなったところで、今日呼び出した理由をいうわね。まず概要説明 が一つ。そして、もう一つは……」  そう言うと、夕呼は物理準備室のドアを開けた。 「3年D組の教室に行けばわかるわ」  教室に行けばわかるという話に、二人はお互いの顔を見合わせた。 「先生から聞いたんでしょ。本当、最っっ低っっ!!」  物理準備室から教室に戻ってきた三人は、茜の怒鳴り声によって迎えられていた。  茜は孝之と慎二を睨みつけていた。 「涼宮、あたしが考えた企画はもしかしてイヤだっていうの?」  茜を睨みつける夕呼の右目が光ったような感覚を孝之は感じていた。 「いえ、なんでもありません」  慌てて、茜が言い訳をする。 「あの、もしかして茜ちゃんが、今やっているのって……」 「平さんの考えている通りです」  夕呼の代わりに茜が、慎二の質問に答える。  茜は卒業式の答辞を書き終わり、今は別の文章を原稿用紙に書いていた。 「じゃ、茜ちゃんももしかして」 「今朝、夕呼先生にいきなり呼ばれてこの通りです。確かに姉さんの卒業式に参加できる ことは嬉しいですけど、時期というのをもう少し考えてくださいよ。今、水泳の練習で忙 しいんですから」  茜は再度二人を睨みつけながら、話していた。 「え? で、でも、これを考えたのは全部あの先生なんだし」  孝之は顔を引きつらせながら、慌てて言い訳をする。 「涼宮、今の言葉、あたしへの挑戦と取っていいわね……」 「いえ、こんなことに協力できるなんて嬉しい限りです。夕呼先生が納得するまで私は頑 張ります」  今度は茜のほうが引きつらせた表情で、言い訳をする。  その様子を見て、二人は茜がだんだんと哀れに思えてくるのを感じていた。 「これでわかったでしょ」  今度は、孝之と慎二のほうに顔を向けた。 「あんた達の為だけに、学園も涼宮も、そしてあたしも協力しているのよ。それなのに、 お礼のひとつもないのは、いったいどういうこと?」 「えっ?」   夕呼の言ってることが全く理解できない二人だった。 「あの、ここは堪えて先生にお礼のほうを言ってください。でないと後で……あ、後で何 されるか……わ、わかりませんから」  小声で囁いた茜の言葉には、明らかに恐怖という表情が滲み出ていた。  後で何をされるか知りたい気もするが、二人はとりあえずお礼を言うことにした。 「ありがとうございます」 「ありがとうございます。これで、遙が喜べる卒業式が出来ます」 「そうでしょ、そうでしょ。あたしはただこの卒業式さえ出来れば、本物のほうの卒業式 なんかどうでもいいのよ。フフフフフ……」  怪しい高笑いを上げる夕呼を見て、この人に任せて本当に大丈夫なのかと少し心配にな る孝之と慎二だった。
〜第3章 卒業式〜
 そして、一週間後。  茜の、そして遙の卒業式を行う日がやってきた。  慎二との電話をしてから、二週間が経っていた。  具体的な説明は夕呼から聞いていた。  予行練習は行えないということで、一発本番ということを聞かされた。  そして、様々な準備のほうも、夕呼ひとりだけで行ってきたので、本物の企画者二人は 完全に蚊帳の外だった。  それでも、二人はお礼として、茜の卒業式の手伝いは自ら進んで行っていた。  その間、夕呼に会い、どういう段取りなのかを聞くことが出来た。  そして今孝之は、遙や茜、姉妹の両親と一緒に学園へ向かう道を歩いていた。 「卒業おめでとう、茜」  白いスーツ姿の遙は、笑顔でお祝いの言葉を言った。 「あ、ありがとう、姉さん」  緊張している表情を覗かせながら、茜が答える。 「孝之くんもおめでとう。」 「ああ、ありがとう、それを言うなら遙もだろ」 「え? あ、そうだね、これで今年の春から一緒に大学生だね」  数日前、孝之と遙の元に一通の封筒が届いた。  あて先は、二人が受験した大学からで中身は、入学の手続きに必要なものが一式入って いた。  孝之は、全く自信がなかったが、この封筒が来たときは激しく喜んだ。  そして、遙も茜も慎二も、孝之が合格したことを素直に喜んで祝ってくれた。  だが、今は大学のことよりも、どういう展開になるか想像もつかない、もうひとつの卒 業式を前に孝之は、動揺を隠せないでいた。  高校の体育館を改装した卒業式の会場。  自分達も手伝ったこの会場の保護者席に、孝之と遙、両親は座っていた。  孝之の左隣には、学園で待ち合わせた慎二が座っている。  孝之は、普段着慣れていないスーツを着ているせいなのか、それとも緊張しているせいな のか、なにかと落ち着かない表情で卒業式が始まるのを待っていた。  孝之は、気分を紛らわそうと辺りを見回した。  周囲からは、誰かのうるさい話し声を合わせた騒音が嫌でも耳に入ってくる。  遙の両親が座っているすぐ側の通路は、卒業生が入退場する場所になっている。  紅白の垂れ幕の隙間からは、明らかにその雰囲気からは似合わないバスケットのゴールが 顔を覗かせている。  司会の席には、まりもがいて紙を見ながら誰かと打ち合わせをしている。  壇上では、中央にマイクがひとつある。  壇上周辺では、卒業式のプログラムが書かれている。  卒業生の席では、誰も座っていない椅子が寂しそうに置かれている。  来賓席には、中年の男性が何人か座っている。  在校生の席には、何人かの生徒が座っていてお喋りをしている。  右隣には、両親と話している遙の姿がある。  左隣には、あくびをして退屈そうに卒業式が始まるのを待っている慎二の姿がある。  辺りを見回した瞬間、余計に緊張してきた孝之は隣の慎二としばらく話していた。  そして、約五分後。 「卒業生が入場します。皆様、拍手でお迎えください」  まりもの声の後に、吹奏楽部の演奏が始まる。   周囲の拍手と共に、胸に花のピンを付けた卒業生が入場する。  しばらくすると、茜が笑顔で入場してきた。  茜は遙が座っている席のところまで来ると、後ろを振り返って、遙にウインクをした。  遙も無言の笑顔で茜に答える。  なんで、茜がウインクをしたのかは、遙は知る由もないだろうと孝之は感じていた。 「これより、平成十三年度、私立白陵大学付属柊学園の卒業証書授与式を行います」  学長の挨拶、来賓の祝辞と続くと、さすがに眠たくなってくる。  ふと隣を見ると、既に寝ている慎二の姿が孝之の目に飛び込んできた。  反対の方向に座っている遙と両親は、マイクから聞こえてくる声に耳を傾けている。  遙が寝てないんだから、俺も眠るわけにはいかない……  そう、自分に言い聞かせる孝之だったが、穏やかな雰囲気と少し暖かい体育館の中では、 睡魔はすぐに襲い掛かってきた。  来賓の祝辞の後の在校生と卒業生が歌っている校歌も、まるで優しい子守唄のように聞こ えてくる。  そして、だんだんと意識は遠のき……  孝之が何度か気づいて目を開けるたびに、自分はいつの間にか寝ていたのかということを 嫌でも自覚させられる。  何か、目を覚ますほどの大きなショックでもなければ、また夢の世界に逆戻りだ……  孝之がそう思い始めたときだった。 「皆勤賞授与」  その声に目が覚める。  マイクからは、ひとりひとり皆勤賞授与者の名前が呼ばれ、突き出た棒のように卒業生が 立ち上がる。  だが、立ち上がるといっても、だいたい五、六人程度である。  その中には、茜も入っていた。 「卒業生代表、涼宮茜」  茜は返事をしただろうが、遠く離れた保護者席までは聞こえなかった。  皆勤賞を取る人は、三年間無遅刻無欠席が条件だが、放課後に皆勤賞授与者同士でじゃん けんをさせられて代表に選ばれたということを面倒くさそうに話していたのを孝之は思い出 していた。  でも、茜が壇上にいるということは、孝之にとってはいい眠気覚ましになっていた。  茜が皆勤賞の証書を全員分と副賞の綺麗に包まれた正方形の物体を受け取ると周囲から拍 手が上がった。  孝之たちが拍手をすると、隣からぎこちない拍手をする音が聞こえてきた。  拍手の音で起きた慎二が慌てて手を叩いている姿を、孝之は呆れながら見ていた。 「卒業証書授与、卒業生代表、榊千鶴」 「はい!」  真面目そうな少女が卒業証書を受け取りに壇上に上がっていく。  その少女の返事は、先程の茜とは違って保護者席まで聞こえていた。 「なあ、慎二」  その様子を見送った孝之は、目が虚ろな状態になっている慎二に声をかけた。 「なんだよ〜」  いかにも嫌そうな声で慎二が答える。 「高校の卒業式ってひとりひとり受け取ったりしないんだな」   「当たり前だろ。高校って生徒数が多いんだから。そんなことしたら日が暮れてしまうぞ」  面倒くさそうに慎二が答える。  そして、拍手が再度上がった。  さっきの少女が、卒業証書を受け取ったからだ。  拍手の音に気づき、慌てて二人は手を叩いた。  そして、在校生が読む送辞に続き、茜が答辞を読む。  恐らく先週、茜が原稿用紙に書いていたものが、今読まれているのだろう。  茜が読む文章は、卒業式ではありきたりなものだった。  あとは、卒業生が選んだ卒業の歌が終わり、卒業生が退場……  ある意味あっけなく、卒業式が終ったかのように感じる孝之と慎二だった。  卒業生の保護者の人も体育館から外に出て行く。  遙も外に出ようと立ち上がったが、孝之や慎二がやたらと話しかけてきた。  孝之と慎二は、在校生の席に密かに茜が座っていることを遙に悟られないようにしてい た。  両親も退場せずに、その場に残っていた。  いつの間にか、体育館の保護者席に残っていたのは遙と両親、孝之、慎二の五人のみと なった。  在校生は退場せずにその場に座っている。  そんなときだった。 「卒業生が入場します。皆様拍手でお出迎えください」  司会進行役は、まりもから夕呼に変わっていた。 「え? 卒業式はさっき終ったのに……どういうことなの?」  遙はその言葉を聞いて、ただ驚いていた。  
〜第4章 もうひとつの卒業式〜
 吹奏楽部の演奏に合わせて、体育館の入り口から何人かが入ってきた。  そこに歩いているのはスーツを着たり、私服だったりと様々な格好をしていたが、全員 の胸には花のピンが付けられていた。  呆然とその様子を見続ける遙。 「え? なんでそこにいるの?」  遙は近くを歩いていた女性に気づいて声を発したが、まだ状況が飲み込めていない様子 だった。 「ほら、ここ、遙のいる場所だよ」  女性は、遙に向かって前の場所を指で指し示した。  遙が見ると、その女性の前には一人分のスペースが空いていた。 「卒業おめでとう、遙」  女性は遙の胸に花のピンを付けながら言った。 「ほら、早くしないと後の人が歩けないでしょ」 「ちょ、ちょっと、いったいどういうことなの?」  訳がわからぬまま、遙は女性に腕を引っぱられて孝之の視界から遠ざかっていった。 「孝之?」 「わかってるさ」  その様子を見送った孝之と慎二は、ふところに持っていた花のピンを胸に付けると、歩 いている列に割り込み、そのまま一番前の席に移動した。  通路を挟んで左側には、遙が動揺した表情で孝之を見続けていた。 「ちょっと、どういうことなの? なんで同窓会で会ったばかりの子達がいるの? 知っ ているなら教えて、孝之くん」 「まあ、すぐにわかるよ」  孝之のあっけらかんとした態度に、遙はかなり怯えていた。 「これより、平成十年度、私立白陵大学付属柊学園の卒業証書授与式を行います」 「え? 平成十年……卒業式……ってどういうことなの……」  まだ、遙は全ての状況が飲み込めていないようだった。  壇上の側にあるプログラムの文字は、平成十三年度の三の字が和紙で隠され、来賓者の 席にも違う人が座っていた。 「最初は、学長の挨拶です」  夕呼の紹介で学長が周りに礼をしながら、壇上に上がる。 「え〜皆様、お忙しい中お集まり頂き、ありがとうございます。こんなことを行うのは、 なんとも初めてなことですが、やむを得ず卒業式に参加出来なかった一人の卒業生に対し て、ぜひとも卒業式をさせてあげようと考えた、この学園の卒業生二人に深く感銘し、協 力させて頂くことになりました」 「孝之くん……」  孝之のほうを向いて、遙は涙を流していた。  ようやく、遙は全ての状況が理解できたようだった。 「後遺症もなく無事に退院され、大学にも合格したということを聞き、私はすごく嬉しく 思っております。ぜひ、この日が何かのきっかけになることを祈り、挨拶とさせて頂きま す」  学長は最後のほうは、遙のいる方向を向いて話していた。 「続きましては、来賓者の祝辞です。来賓者を代表してバカ姉もとい、市立総合病院の脳 外科部長、香月モトコから祝辞の言葉を頂戴致します」  バカ姉という言葉に周囲からは、笑い声が聞こえてくる。  しかし、遙は笑わずに両手を口に当てて、驚いていた。  彼女が驚くのも無理はなかった。  その人は事故に遭ってから退院するまで、遙の主治医を担当していたからである。  退院して以来、久しぶりに会う主治医が壇上にいる。  孝之や、慎二も驚いていた。  遙が入院していた頃に親しくなっていた主治医の妹が、あの夕呼だったからである。 「え〜、涼宮さん、退院して以来お久しぶりです。その後も元気にしているということで、 元担当医として嬉しいと思っています」  モトコは、遙と目を合わせながら話している。 「鳴海くんも、平くんも久しぶり。それから、涼宮さんの妹さんも。今回は、このような 形で出席しましたが、私達も一緒にこの卒業式を見守っていきたいと思っています。以上 を祝辞とさせて頂きます」  モトコは、今度は壇下にいる夕呼を見つめていた。 「それから、これは私の私情ですが、夕呼! こんな席で私の事をバカ姉とか言うんじゃ ない!おまけに、私の名前を呼び捨てにまでして! そうとう痛い目に遭いたいみたいね!」  周囲から爆笑が巻き起こるが、夕呼は無表情で自分の姉を見つめ続けていた。  モトコは、その捨てゼリフを吐き捨てると、自分の席に戻っていった。 「校歌斉唱!」  続いて校歌斉唱へと移っていく。  校歌は流れるが、卒業生が座っている席からは歌声は聞こえてこなかった。  孝之も慎二も、遙も歌声が途切れ途切れだった。  卒業から三年も経っているため、校歌を忘れている人が多いのがほとんどだった。  歌声が聞こえていたのは、在校生の席と前に座っている先生の席からのみだった。  そして、卒業式はどんどん進行していったが、孝之や慎二、遙にとっては、ゆっくりと 時間が流れているように感じられた。 「卒業証書授与! 卒業生を代表して、涼宮遙!」 「は、はい!」  夕呼の声に遙が驚いて返事をする。 「た、孝之く〜ん……」  遙は心配そうな表情で、孝之を見つめていた。  孝之は、何も言わずに笑顔になり顔を壇上のほうに向けていた。  孝之の笑顔を見て安心したのか遙は、壇上に向かって歩き出した。 「す〜ずみや! す〜ずみや!」 「え?」  周囲からは、涼宮コールが沸きあがり、驚いた遙は後ろを振り返った。 「みんな……」  この場にいる者全員が、自分の卒業式を祝ってくれている、そんな気持ちを感じた遙は いつの間にか目に涙を浮かべていた。  階段を上がり壇上で向かい合う、遙と学長。  そして、校長が内容を読み上げていく。 「……ここに卒業したことを証明します。平成十一年二月二十六日……三年遅れましたが ……おめでとう……」  遙に向けて、卒業証書が渡される。  そして、大音量の拍手が遙の周りを優しく包み込んだ。  遙の瞳は涙で溢れていた。 「……あ、ありがとう……ございます……」  遙は涙を流しながら、自分の席へと戻った。 「おめでとう、遙」 「おめでとう、涼宮」  孝之と慎二が遙に祝いの言葉をかける。 「た、孝之くん……平くん……」  涙を見せた顔で遙は孝之たちを見つめていた。 「え〜、卒業生代表の涼宮さんには、卒業証書の授与と副賞として、卒業式が終りましたら、 校庭のほうに出てきてください」  夕呼の説明に、再度周囲から拍手が沸きあがった。 「そんな話、聞いてないけどな」 「何があるんだ? いったい」  孝之と慎二は副賞という予定外のことについて首をかしげていた。 「そして、卒業証書授与者がもう一名……鳴海孝之!」 「え?」  突然、夕呼に名前を呼ばれて驚く孝之だった。 「え〜、三年前の卒業式に出席していなかったヘタレの鳴海孝之、いるなら返事をしなさい!」  周囲からは、笑い声が聞こえていた。 「は、はい!」  孝之は、半ばヤケクソになって大声で返事をした。 「卒業式番外編として、彼の卒業証書授与も行いたいと思います」  夕呼の声に周囲からは、拍手の他に口笛も聞こえて湧き上がっていた。 「ヘッタレ! ヘッタレ!」  壇上に向かう孝之に、卒業生から今度はヘタレコールが上がる。  孝之は、恥ずかしい気持ちをこらえながら、壇上に続く階段を上がっていく。  そして、学長と向かい合う孝之。 「え〜、以下同文ということで……おめでとう」  遙とは対象的に学長は、事務的な口調と動作で卒業証書を孝之に手渡す。  顔を赤くしながら、孝之は卒業証書を受け取る。 「卒業証書の受け取り方が間違ってるぞ、鳴海孝之!」  夕呼の突っ込みに周囲が爆笑する。 「ヘッタレ! ヘッタレ!」  そして、再度巻き起こるヘタレコール。  孝之は、卒業証書を脇に抱えたまま、足早に席に戻った。  遙は孝之のほうを向いて笑っている。  慎二も腹を抱えて笑っている。  孝之は、二人の様子を見てどう対応したらいいのかわからずに、顔を赤くしながら下の ほうをしばらく向いていた。 「え〜、続きまして在校生送辞。在校生代表、涼宮茜」 「はい!」  後ろの在校生席から茜の返事が聞こえてくる。 「え?」  自分の妹の名前を呼ばれて、驚く遙だった。  茜は、マイクが置いてある場所まで静かに歩いた。  そして、ふところから、蛇腹状の紙を取り出す。 「え〜卒業おめでとう、姉さん。このような卒業式を用意してくださった鳴海さんと平さ ん、そして、学園には本当に感謝しています。三年前に姉さんが事故に遭った連絡を聞い たとき、私は本当に深く落ち込みました。だからといって、今やってる水泳を休むわけに はいきませんでした。姉さんが目覚めても大丈夫なように、一生懸命頑張りました。そし て、卒業後はアメリカ留学するほどまでに記録を伸ばすことができました。でも、頑張っ たのは私だけではありません。鳴海さんも、平さんもそして、水月先輩もこの三年間それ ぞれ辛いことをこらえて過ごしてきました。だから……だから……」  茜の声がだんだんと涙声になっていくのが、その場にいた全員が感じ取っていた。 「目覚めたときは……ほ、本当に涙が出るほど……嬉しかったのを……お、憶えています…… 恐らく……本日参加した方の中にも……私と同じく……う、嬉しく思った人が大勢いると 思います……そして、姉さんを祝福するために……今日この場に参加してくれたのだと思 うと……改めて、あ、改めて胸がこみ上げるような気持ちでいっぱいです。大勢の人に祝 福されて……姉さんは、本当に幸せだと思います……それが、一年経とうが、三年経とう が関係ありません。三年遅れただけ……ただそれだけなのです……失った思い出は後から でも……同等なものとして……取り戻すことが出来ると……信じています。私はこれから も……姉さんを出来るだけ支えていくつもりです……私はアメリカに行きますが……気持 ちはひとつだと……思っています……そして……これからも……姉さんが……社会で活躍 することを願って……送辞とさせて……頂きます。平成十四年二月二十二日。元在校生代 表。涼宮茜」  涙声が混じった途切れ途切れな口調で、茜は送辞を読み終えた。  茜がふところに送辞を書いた紙をしまったときに、周囲からは大きな拍手が送られた。  茜は涙を浮かべながら、自分の席に戻っていった。  卒業生の席からも、何人かすすり泣く声が聞こえている。  孝之は、すぐ近くからすすり泣く声を聞いていた。 「茜……ありがとう……すごく……すごく……嬉しいよ……」  隣を見ると、遙が涙を浮かべていた。  茜ちゃん、ありがとう……俺も少し感動したよ……  孝之は、心の中で茜に感謝の言葉を送っていた。  恐らく、あのとき、孝之たちが物理準備室に戻った後に、書いていた文章がさっきの送 辞なんだろうと孝之と慎二は考えていた。 「え〜、続きまして卒業生答辞。卒業生代表、速瀬水月」 「はい!」  孝之が座っている後ろから、水月の声が聞こえる。  水月は半年間、孝之達と音信不通だった。  これには、さすがに孝之も遙も慎二も、そして後ろに座っていた茜も驚いていた。  水月はマイクまで歩いていくと、ふところから紙を取り出す。 「遙、久しぶり。孝之も、慎二くんも久しぶり。そして、後ろに座っている茜も。半年ぶ りだね。その他の人とは三年ぶりだけど。まず最初に学園側には、迷惑をかけました。勝 手な都合で水泳をやめてしまって、なんとお詫びしたらいいか……今、私は隣町で水泳の コーチをしています。同時に体育大学にも通って、将来は学園の体育教師になろうと頑張 っています。この半年間勉強して、春から体育大学に通うことになりました。遙も孝之も 大学に受かったということで、おめでとう。お互い、大学生同士になるね。ほんというと、 この卒業式に呼ばれたとき、最初行く気はなかった……です。一度この町を離れると決め た以上、再びここに戻ってきていいのかなって思っていたから……でも、将来の目標も見 つけたし、今目先のものが見えてるなら、少しはいいかなと思って戻ることにしました。 こんなこと考える自分は、完全な甘えがあるのだと思っています。だから、水泳の道を諦 めたのかもしれません。今日、この卒業式に参加できて本当によかったと思います。再び 元気にしていたことがわかっただけでも、私は嬉しいです。いつか、こんな時もあったね と笑いながら言える日が来ることを願って答辞とします。平成十四年二月二十二日。元卒 業生代表。速瀬水月」  そして、水月がふところにしまい終える前に拍手が再度沸き上がる。  水月は自分の席に戻ろうとせず、遙の側にやって来ていた。  遙の隣は、いつの間にか席が一人分空いていた。  水月は、その空いている遙の隣に座っていた。 「水月〜!」  既に涙を浮かべていた遙は、水月の胸にすがりついて泣き始めた。 「水月〜! 水月〜! 水月〜!」  何度も水月の名前を呼びながら、遙は周囲の視線を気にもせずに泣き始めた。  水月は何も言わずに、笑顔で遙を優しく抱きしめていた。 「遙……」 「涼宮……」  二人は、その様子を黙って見つめることしか出来なかった。 「え〜それでは、卒業生に送る歌を在校生から送らせて頂きます。曲は……『君が望む永遠』 です」  在校生の歌が聞こえてくる。   遙や孝之だけに限らず、その場にいた卒業生全員が在校生が歌う歌を静かに聞いていた。 「以上で卒業証書授与式を終ります。卒業生起立」  夕呼の声で卒業生が立ち上がる。 「卒業生が退場する前に、この卒業式の主役の涼宮遙さんに、一言感想を頂きたいと思い ます」  そして、夕呼は遙のいる方向に歩いていき、まだ泣いている遙にマイクを手渡した。 「遙、無理しないで」  なんとか、立ち上がろうとする遙を水月は心配する。  水月に支えられながら遙は立ち上がると、マイクを自分の口の近くに持ってくる。 「水月、孝之くん、平くん、茜、病院の先生、学園の先生方、それからみんな、私のため に……本当にありがとうございます……こんな……こんな形で……卒業式が……出来て…… 本当に嬉しい……です……本当に……胸が……いっぱいです……ありがとう……ございま す……」  遙は、涙声が混じった途切れ途切れな口調で話した。  周囲から拍手が沸きあがったが、遙は水月の胸の中で泣いていた。 「私も、そして学園側もこのような形で卒業式が出来てとても嬉しいです。心から涼宮さ んの今後の活躍を期待しています。それでは、卒業生が退場します。拍手でお送りくださ い」  吹奏楽部の演奏によって、卒業生が退場を始める。  遙も水月に支えられながら体育館を後にした。
〜最終章 卒業写真〜
「水月、久しぶり」 「久しぶりだな、速瀬」  孝之と慎二は、久しぶりに再会した水月に声をかけていた。  茜は担任との最後の挨拶に出席するため、今は教室にいる。  遙は水月の側でまだ泣いていた。 「みんな、久しぶり。本当に久しぶり……」  水月は再会した喜びに涙を流していた。  先に始まった卒業式のほうは、夕呼のクラス以外は担任との最後の挨拶が終っていた。  そのため、校庭には最初の卒業生と後の卒業生が集まっていた。  最初の卒業生は、一緒に写真を撮っていたりする人が多いが、後の卒業生のほうは、同 窓会という感じで、何個かのグループが出来ていて、久しぶりに集まった者同士でいろい ろと話し合っていた。 「なんとか終ったな」 「ああ、遙も喜んでくれてこの卒業式をやれてよかったよ」  慎二と孝之は、この卒業式が無事に終わり胸をなでおろしていた。 「あ、いたいた」  校舎のほうから茜がこちらのほうにやってきた。 「姉さん、先生が呼んでる……」  茜の視線の先には夕呼の姿があった。  遙は水月に支えられながら、夕呼のところに向かった。  もちろん、孝之や慎二、茜もそれに続く。 「ごめんなさいね。今クラスと最後の挨拶をしてきたとこなの。さて、涼宮のお姉さんね。 はじめまして」 「は、はじめまして……こんな状態で……すいません……茜が……お世話になっています。 先生……私のための……卒業式を……ありがとうございました」  遙は、涙声が混じった途切れ途切れな口調で夕呼と話した。 「喜んでもらえて私も嬉しいわ。でもね、卒業式はまだ終ってないのよ」  その言葉に、孝之と慎二が驚く。 「言ったでしょ。卒業証書授与の副賞があるって」  そういえばそんなことも言ってたな、と孝之と慎二はつぶやいていた。  夕呼は、一枚のアルバムを取り出して茜に渡した。 「これよ」 「なんですか、これは?」  遙の代わりに孝之が質問する。 「詳しいことは、涼宮から聞くといいわ」  それだけ言うと、夕呼は職員室のほうに向かって歩き出した。  茜がアルバムの真ん中あたりをめくった。 「これって、私達の卒業アルバム」 「察しがいいですね。水月先輩、これは姉さん専用の卒業アルバムです」 「どういうこと? 茜?」  遙が涙をハンカチでぬぐいながら質問する。 「姉さんが卒業アルバムを見るたびに、クラス写真に私だけが写ってないとか寂しそうに 言っていたじゃない。今日の卒業式にせっかくみんなが来るんだから、そのときに姉さん 専用の卒業アルバムも取ったらどうだろうと思って先生に相談したら、OKされちゃって。」 「茜……」  遙の瞳から涙が再度溢れてくる。 「遅いかもしれないけど……今から失った思い出を取り戻そう、姉さん」 「うん……嬉しいよ、茜」  涙目で茜に答える遙。 「早く来なさい」  校庭から見える正門のほうから、いつの間にか移動していた遙を呼ぶ夕呼の声が聞こえて くる。  夕呼の近くには、まりもがいた。  恐らく、職員室に戻った理由はまりもを連れてくるためなんだろう。  正門のほうに孝之たちが行くと、遙は驚いていた。 「みんな……それに……先生まで……」  そこには、遙が同窓会で会ったクラスのみんなと遙の担任だった先生がいた。 「これで、みんな揃ったわね。じゃ、並んで」  夕呼の声で、話し声がだんだんと静かになっていった。  正門に面している道路には、カメラの調整をしているカメラマンの姿があった。 「え? 先生……これって……」 「見たらわかると思うけど、卒業アルバムに載せるクラス写真を今から撮るのよ」  夕呼の言葉に遙は両手を口に当てて、驚いていた。 「先生……ありがとうございます」  遙の目から大粒の涙がこぼれていた。 「それじゃ、用意はいいわね」 「あ、ちょっと待ってください」  遙はそう言うと、孝之達のほうに向き直った。 「孝之くん、平くん、水月、茜、それから先生も一緒に入ってください」 「遙……」  遙の言葉に一瞬、孝之たちは呆然としていた。 「フフフフフ、仕方ないわね。それじゃ、みんなも入って」  怪しい含み笑いを浮かべて、夕呼、そしてまりもは並び始めた。  そして、前列中央に遙、両隣に茜と水月、さらに両隣に孝之と慎二、一番外側に夕呼と まりもが並ぶ形となった。 「用意はいいですか?」  カメラマンの合図と同時に一同に緊張が走る。  そして、目の前にフラッシュがたかれる。 「もう一枚、お願いします。」  一同は、また緊張感を持ちながらフラッシュがたかれるのを待った。  そして、またフラッシュがたかれる。 「お疲れ様でした」  クラス写真の撮影が終了した。  ようやく、一同安堵の表情が伺える。 「よし、涼宮を胴上げだ!」  どこからかそういう声が聞こえてきた。 「え? キャッ!」  遙が気づいたときには、周囲から既に取り囲まれていた。 「そーれ、そーれ!」 「キャーッ! こわ〜いよ! おろして〜! キャッー!」  一同はその様子を楽しみながら見ていたが、遙のほうは胴上げに怯えながら、悲鳴を出 し続けていた。  遙の胴上げを終えたときは、遙の瞳には恐怖を感じたせいか涙が溢れていた。 「よ〜し、もうひとりの卒業生、ヘタレも胴上げだ!」  そして、孝之も周囲から取り囲まれる。 「や、やめろよ。お、俺はいいって」  孝之の遠慮する声は、誰の耳にも届かなかった。 「ヘッタレ! ヘッタレ!」 「や、やめてくれ〜! ほ、本当にこえ〜!」  周囲からのヘタレコールを受けながら、悲鳴を上げた孝之の胴上げが続いていた。  もちろん、この二人の胴上げの様子はカメラマンによって撮影されていた。  その後、茜が持ってきたスナップ写真で、遙と孝之、遙と水月、遙と茜といった組み合 わせのツーショット写真をはじめ、四人だけのグループ写真を取っていた。  久しぶりに再会した五人は、それぞれの卒業式を楽しんでいた。  そして、三年後。  久しぶりに再会した四人の丘の写真へと結びついていく……  辛い思い出も、いつの日か笑い話になる日を信じて……                                 ―「遙の卒業式」 終―


あとがき
 放課後に皆勤賞者同士で集まり、じゃんけんで卒業式の代表者を決めたことは、事実です。
これって、どうなんでしょうか?
 はっきり言って、皆勤賞は就職の面接でも自己アピールに使えるほどの名誉なことですが、授与者から見ると
ある意味、恥ずかしすぎることだったりします。
 特に、代表者に選ばれると。
 ちなみに、自分はじゃんけんで負けてほっとしました(笑)
 当たった人は「最悪や〜!」と言ってましたが、そこに先生の冗談が炸裂してきます(笑)
 ちなみに、皆勤賞授与者には、賞状と副賞(アルバム)が贈呈されますので、対象の人は頑張りましょう。

 え〜、その話は置いといて、今回は卒業式をテーマにしました。
 今回は、茜の教室を確認するために、「アカネマニアックス」をやったりしました。
 こういう遙の卒業式を行うようなSSはどこにもなかったので、書いてみましたが、
ある意味新鮮だったのではないでしょうか。
 感想を頂ければ、嬉しい限りです。
 できれば、辛口でお願いします。

 あと、たくとさんから辛口批評を頂きました。
 簡単ですが、誤字脱字矛盾系統は直しました。
 たくとさん、ご指摘ありがとうございました。





  

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