いつもの丘の上で

いつもの丘の上で



よいしょ、よいしょ、よいしょ。
おこじょの ハルは、きょうも いっしょうけんめい
ちいさいからだで おおきな おかを のぼります

よいしょ、よいしょ、よいしょ。
ハルは、おかのてっぺんへ つきました。

おかのうえには、すっかり おおきくなった
きがありました。

そして、その木に手を置き、丘のてっぺんから街の風景を見つめている私。
街並みはいつもと変わらない...
でも、私たちの関係は変わってしまった...

いつからだろう。
絵本を出版したときからかな?
もう一度、四人であの丘に集まることを願っていたのは...
もしかしたら、気づいているかもしれない。
そう思って、私は毎日丘を登り続けた。
おこじょのハルのように...

来るあてなんて、ないのに。
絶対来る保障はどこにもないのに。
でも、もしかしたらという不確実な気持ちが、私を衝動に駆り立てる。

これで、十日目。
もう、次の絵本の打ち合わせも始まっている。
みんなに気づいてほしくて書いた絵本。
次の絵本が出たら、この絵本のことも忘れられてしまうのかな?

孝之くん、どうしているかな?
水月、今頃、どうしているのかな?
平くん、どうしているのかな?
茜はアテネオリンピックに出場したことを知っているのかな?

風が気持ちいい...
そろそろ戻らないと、編集の人に何を言われるかわからない。
振り返ると、下り坂。
私の家へと続く下り坂。

でも、降りていこうとは思わなかった。
え?なんで?
私が今望んだものが目の前にある。
だったら、なんで驚いているの?
だったら、なんで涙が出てくるの?

私は見つけたよ。
ハルと同じ、「ほんとうのたからもの」を。
私にも見つけられたんだ。
今、やっとここで。


                  ―「いつもの丘の上で」 終―


あとがき
 某掲示板の書き込みを見て書いてみました。
 某掲示板に書き込んだので、知っている人もいるかもしれません。
 これは、アニメ版「君が望む永遠」の最後で、遙が泣いているシーンを想定しています。
 しかも、一人称で書くのは初めてです。
 感想を頂ければ、嬉しい限りです。



管理人から
 遙の描いた『 ほんとうのたからもの 』のおはなしですね
 この絵本の解釈は、人それぞれだと思っています
 この絵本を描いた理由、人に寄っては『別れ』の意味を持っていたり
 将来の希望を盛り込んでいたりとさまざまです
 そして、登場キャラクター達もそれぞれの解釈があります
 茜を抜かした4人とか、孝之は木でそれに集まる4人と言う解釈もあるようです
 まぁそれらはそれらでご自分の納得いく答えなら良いのではないでしょうか?

 今回、maoshuさんは初めての一人称、遙視点での作品です。
 色々と思い入れのある作品だと思います
 何か思うお琴がありましたら、一言だけでも感想を残していただければ幸いです
 

  

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