Preludio



「卒業証書、授与。3年B組、涼宮遙」
「はいっ!」
 返事をして、校長先生の役を買って出てくれた、香月先生の前に進む。
 退院から半年、今日、みんなが私のための卒業式をやってくれた。
 もちろん学校じゃなくて、定期検診の後の病院の一室でだけど、・・・すごく、嬉しいの。
「右の者を、白陵大学付属柊学園高等学校の全過程を修了したことを証明する。
 平成11年3月1日、柊学園校長代理、香月モトコ」
 そう、今日だけは、今この場所だけは、何もなければ卒業できていた、平成11年3月1日。
 孝之くん、平くん、お父さん、お母さん、茜・・・。
 あの時と同じ、白陵の制服まで着て私を祝ってくれている。茜なんて中学の制服だよ。
「卒業、おめでとう」
「ありがとうございます」
 拍手が聞こえる。
 振り向いて、深くお辞儀をする。
 みんなの、笑顔。嬉しい・・・でも。
「え〜と、続いて・・・え? 祝電披露?」
 え? 祝電なんて来てるんだ。そっか、来てることにして、とか。あはは、凝った演出だね。
 香月先生が読み上げる。でも、どうしたのかな。誰から? と言いたそうな顔。予定と違うのかな?
「・・・ソツギヨウオメデトウ、マタアイタイデスネ、ソノトキヲマツテイマス・・・?!」
 先生の顔が、驚きで引きつっている。どうしたの?

「・・・ハヤセ、ミツキ」
 えっ?!





君が望む永遠SS
ここが僕らの帰る、まちver.2
原案・maoshu  作・taka



Atto:1 動き始めた、時間

「遙、大丈夫か?」
 いきなり駆け出したからだろう、まだ本調子には程遠い足が悲鳴を上げていた。
 ふらつく遙を抱きかかえるように支えながら、慎二とともに車へと戻る。
 一体、どれ程の時間そうしていたか分からない。俺も、慎二も、そして遙も、ただ・・・泣いていた。
 嬉しいはずの退院の日、あれほど待ち焦がれた時・・・それなのに。
 車中を無言が支配していた。運転する遙のお父さんも、お母さんも、茜ちゃんも、
 そんな空気を察してか、誰も口を開こうとしない。
 ・・・これでは、いけない!
「遙、良かったな。やっと退院できたんだぞ、ほらもっと嬉しそうな顔しろ」
 俺自身、涙の跡が残る顔で、全く説得力のない強がり。・・・でも、俺が言わなければ。
「・・・うん、そうだよね。ありがとう、孝之くん」
 今は取り繕いでも構わない。強がりだけでも構わない。
 今の俺たちに出来るのは、再び与えられた幸せを大切にして、前へ進んでゆくことだけだ。
 それが、そんな俺たちのために身を引いてくれた水月への恩返しだと、自分に言い聞かせながら。
 ・・・3年の時が刻まれた病院の風景が、少しずつ小さくなり・・・車窓から消えた。
 もう、振り返ってはいけない、と諭すように・・・。

 やがて6人を乗せた車が遙の家に到着した。
「遙、ほら、つかまれ」
 車高のあるRV車だから、少しだけ手を取り降ろしてやる。
「う、うん。ありがとう」
「平君も少しばかり上がっていくかね?」
 遙のお父さんが先に降りていた慎二に尋ねる。
「そうですね。折角だから、お邪魔させて頂きます」
「ははは、そんな他人行儀にならなくてもいいよ。平君、いや慎二君と呼んでもいいかな?
君も、遙の大切な友達なんだからね」
 初めて名前で呼ばれた慎二が、少し照れ気味の表情を浮かべながら、後に続く。
 遙にとって、3年ぶりの家。
 やっと、帰ってきたんだ。

「そうですか、速瀬さんが・・・」
 リビング兼用と思われる応接風の客間に通され、皆でテーブルを囲みながら俺は、
 先ほどの出来事について話した。俺たちが迎えに来る前に遙と水月が会っていたこと、
 そこで心情を遙にだけ打ち明けたこと、それぞれの携帯にメッセージを残したこと、その全てを。
「突然、車を停めてと言いだすわ、治りきってない足で外に飛び出すわ、後から追いかけた皆が皆
泣き出すわと、一体、何事かと思ったが。そうか、親友・・・だったね、君たちの」
 ・・・親友、その言葉の指す意味は、今の俺たちにとっては余りにも大きく、重い。
「・・・ええ、親友です。だった・・・ではなく、今でも。かけがえの・・・ない」
 遙が顔を伏せている。そうか、今日、水月と直接顔を合わし、話もしたのは遙だけだったよな。
 それに遙は、俺と知り合うずっと前から水月とは友達だった。
 俺に遙のことを紹介したのも、水月。自分の想いを閉ざしてまで俺たちを応援してくれたのも、水月。
 遙の事故で絶望のどん底にいた俺を救ってくれ、寄り添うように俺を支え続けてくれたのも、水月。
 そして、目覚めた遙とともに再び動き出した俺たちの時間を、寂しさとともに認めてくれたのも、
 水月、お前・・・なんだよな。
 思えば、俺たち4人を繋いでいたのは、他の誰でもない、水月だった。・・・それを。
「君たちの間に何があったか、私には分からない。今のこの時のためにどんな痛みがあったか、
どんな苦しみがあったか、本当なら察するべきなのでしょう。ですが、今の私には再び見ることの
できた娘の笑顔こそ全て。薄情とお思いでしょうが、それが親というものなのです」
 そうだよな、これは俺たち4人の問題。お父さんにしてみれば、やっと訪れた娘の退院の日。
 喜び、祝うのが当然の日だ。だから、俺たちが水を差すわけにはいかない。
「あ、すみません。おめでたい日にこんな話になってしまって。そうそう一応、自宅療養ですけど
たまにはリハビリ兼ねて外、連れまわしてもいいですか? その方が体動かすことになりますし、
遙も早くちゃんと歩けるようになりたいだろ? それなら・・・」
「鳴海君、無理しなくてもいいんだよ。まずは自分のことを考えなさい。先ほどの、私のようにね。
弱さを認めるのは決して恥じゃない。そうやって自分を大切にし、そこから全てを始めるんだ。
私はいつだったか、君にそう話したことがあったね。・・・だから、無理しなくてもいいんだよ、今は」
 精一杯の強がりを見透かされたかのように発せられたお父さんの言葉に、思わず口をつぐむ。
「す、すみません・・・って、さっきからこればっかりですね」
 自分を誤魔化しても仕方がない。遙とずっといっしょにいようと決めたのは、俺自身。
 そのために、それまで支えてくれた水月と別れることを決めたのも、俺だ。
 そのために傷ついた心、傷つけたと嘆く心、それを癒してくれるのは・・・。
「・・・しばらく、時間が必要なのだろうね。お互いに」
 ふぅーっと息をつきながら、お父さんが静かに話す。
「・・・ええ、そうですね。香月先生の受け売りですけれど、残酷なまでに流れ続ける時間にしか
傷ついた心、傷つけたと嘆く心を癒すことは出来ない、と」
 ・・・時間が一番残酷で、優しい。
「だから、俺は待ちつづけます。あの時、水月のメッセージに涙した俺に、遙が言ってくれました。
いつか、きっとみんなで笑える日が来る。その日をただ夢見るだけでなく、叶うことを信じよう、と」
「・・・孝之くん」
 遙がそっと俺の手を包むように握りながら、優しく微笑んだ。
「強くなったね、鳴海君。いや、孝之君」
「遙のおかげです。もちろん慎二も、茜ちゃんも、そして・・・水月も」
 この気持ちに、嘘偽りはない。みんなの支えで俺は、ここまで来れた。
「さて、しんみりしていてもそれこそ仕方ないな。お母さん、そろそろ始めようか」
 重い空気を打ち払うように、お父さんが両のひざをポンと叩き、声を上げた。
「ええ、そうですね。皆さんもどうぞ、召し上がっていって下さいね」

 再び動き始めた、幸せな時間。
 だから、その日が来ることを信じて、生きてゆこう。

Atto:2 誰もいない、まち

「・・・せい! もう、先生!」
 少し苛立ったようなその声に、意識が引き戻される。
「もーっ! ちゃんと見ててくれてたんですかぁ?」
 あ・・・ストップウォッチもそのまんま、いっけなぁ〜い。
「ごめん、ごめん。ちょっと考え事しちゃってた。もう一本、お願い!」
「ええ〜〜〜!」
 黄色い声と文句のコーラスを奏でながら、しぶしぶプールに入る女子部員たち。
「ハ〜イ、スタート!」
 掛け声とともに一斉に泳ぎ始める。
 ・・・・・
「う〜ん、ちょっとストロークに無駄が多いわね。こう、自然に体を伸ばすように。
無理に力入れ過ぎると逆に数が多くなって、最後までもたなくなるわよ」
 水から上がったばかりで肩で息をしている部員たちに向かって、熱弁を振るう。
「よぉ〜し! 5分休憩の後100のアタックもう一回やるからね! 気合入れなよー!」

 ここは陽光学園。創立5年の新設校で、私立ということもあり、スポーツに特に力を入れている。
 実際、ここのサッカー部は既に地区大会の上位常連、プロ傘下のクラブから誘いが来るほどだ。
 水泳にも力を入れていて、実力的にはまだまだとは言え、有力コーチを招いての指導も行っており、
 あと数年もすればインターハイ級の選手が出るかも、と期待を寄せられている。
 水泳から身を引いて3年にもなる私をコーチとして招いたのは、かつて行くことを諦めた実業団で
 コーチをしている恩師だった。本来なら体育系の教員免許とかがないとコーチ就任はできないはずが、
 そこは私立、どうやらコネがあったらしく、非常勤扱いでのコーチとなったわけだ。

「それにしても、さすがはかつての高校水泳の記録保持者。見事な指導ぶりですね」
 水泳部顧問の北島先生だった。顧問といっても男子専門で、女子の方は私に任せっきり。お世辞や
 リップサービスの一つも言いたくなるのだろう。見事、ね。ここに来てまだ1ヶ月なのにね。
「は・や・せ先生ぇ〜!」
 黄色い声が館内に響く。もう、先生はやめてって言ってるのに、あの子たちは。
「こぉら! さぼってんじゃない!」
 声に驚き、ペンギンの群れのように慌ててプールに飛び込んで行く。
 苦笑しながらも、好きな水泳で身を立てている今の自分の充実ぶりを思う。
 ・・・充実、しているよね? 今の・・・私。

 一日を終え、やっと通りなれた帰路をたどり、これまたやっと住みなれたマンションへと戻る。
「ただいまぁ〜」
 返事なんてないと分かっていながらも、つい口にしてしまう。
 ・・・よお、遅かったじゃないか。
 え?! もちろん誰もいない。
 そ、そうだよね、ここに孝之がいるわけないよね。何考えてるんだろ、私。
 いつものように食事をし、いつものようにシャワーを浴び、体の覚えたことを繰り返す。
 いつもと同じ時間、いつもと同じ風景、いつもと・・・同じ。
 ・・・違う!
 ここには、私一人しかいないじゃない! 
 ・・・ここはどこ?
 この町には、私しかいないじゃないの!
 テレビの上のフォトスタンド、何も入っていない・・・ううん、裏返してあるだけ。
 だって、見たくないもの。
 見てしまうと、涙が溢れてくるから・・・。
 ・・・でも、捨てられない。
 だから、裏返してあるの・・・。
「・・・遙、慎二君、孝之、・・・たかゆき、たかゆきぃ!」

 ・・・やっぱり私、ダメ・・・だよ。
 一人で生きていけそうになんて、ないよ。
 ひとりぼっちの町は、イヤだよ。

Atto:3 流れゆく、時間

「くぉら! ちちくり! 客が待ってるぞ、早く行かんか」
 でぇぇい、うるさい! この凶暴生物め。
 あ〜あ、やっぱりこんなトコロに遙を連れてくるんじゃなかった。
 奥のテーブルでは遙と慎二が、肩を小刻みに震わせて笑い、茜ちゃんはいつもの冷笑・・・。
 後悔しても後の祭り。玉野さんはまだいいとしても、大空寺・・・。やっぱ、フリーザーに
 閉じ込めておくか? ヤツがそう簡単に凍死しないことは確認済だしな。まあいい、とにかく仕事だ。

「それじゃ、お先に失礼しま〜す」
先に待たせてあった3人と一緒に店を出る。
「あ〜、面白かったぁ〜。もぉ、孝之くん笑わせ過ぎだよぉ〜」
 いや、意識して笑わせたつもりは毛頭ないんですが・・・。
「すごいトコロだろ? だから連れて来たくなかったんだよな」
 そう、遙が俺の職場(アルバイトだけど)を一度見たいと言ったので、おごりついでに連れてきた
 のだ。退院から早1ヶ月とは言え、まだ不安は残っているので、茜ちゃんが付き添うのは仕方ない。
 ところが、遙がうっかり慎二に口を滑らしたものだから、俺も一緒していいだろ? となってしまい、
 結果、二人足す一人。つまり3人にまとめて笑われることになってしまったのだ。・・・はぁ。
「まあ、しかしあれだな。全然変わってないな、あそこも」
 あれ? 慎二はここに来たことあったっけ。ああ、そういえば一度・・・水月と。
「うん? どうした、孝之」
「い、いや何でもないさ。そうだよな〜、あれでよく店員が務まると思うよ、大空寺のヤツ」
 一瞬、顔に出かかった寂しさを振り払い、笑いながら答えた。
「そういや孝之もこの店、長いよな? そろそろ正規採用の話が来てもおかしくないんじゃないか?」
 正規採用、つまりは正社員。店長と同じ立場、店長と・・・!
「そ、それだけは勘弁してくれ、あそこの店長になんてなったら神経もたねぇよ」
 大空寺と玉野さんに振り回されている店長の姿が浮かんだ。
「お前って、昔から余計なトコだけ繊細なのな」
「余計な、が余計だ。遙ぁ〜、フォロー入れてくれよ」
 甘えて擦り寄るように、遙の肩に頭を乗せた。
「あはは・・・」
「あの、鳴海さん? お姉ちゃんにそういうこと期待するだけムダですから」
「あ、ああ・・・茜ぇ!」
 雑談を交わしながら帰路につく。遙の足を気遣いながら、いつもよりゆっくりと。
 それもあってか話にも花が咲く。・・・こんな、なにげない時間が、本当の幸せなんだと思う。
 こうして心を許せる大切な仲間とともに、笑いあい、語り合う。
 ・・・だから、水月。いつでも帰ってきていいんだよ。俺たちは、待っているから。

 季節は廻り冬、12月も中旬を過ぎた。
 早いもので、遙の退院からもう3ヶ月余り。
 バイトのシフト休みの日曜日、遙から自宅に来て欲しいと電話があり、昼前に訪問した。
「え? また、入院ですか? ひょっとして、どこか」
 俺の狼狽ぶりに驚いたのだろう。まあまあと手で制止しながら、お父さんが口を開く。
「いやいや、検査を兼ねた短いものです。長くて1週間位だそうで」
 ほっと、胸を撫で下ろす。
「もぉ〜、お父さんがいきなり入院なんて言うから、孝之くん、びっくりしちゃったじゃない。
ごめんね、孝之くん。心配させちゃって」
 片手でお父さんの袖を引っ張りながら、もう片方でごめんなさいの仕草をする遙。
「いや、悪い悪い。まあ、そういうわけでね。入院予定日が21日なのだが、実はその日私は
東北の大学での出張講義が入っていてね。茜も年明けの大会に備えての合宿中ときている。
つまり、付き添いがいないんだ。それで、無理を承知で孝之君に頼みたいと思ってね」
 ならお母さんがいるだろうに、と考え始めて、意図に気付いた。ははぁ〜ん、遙?・・・と、
 何も言わず遙に目を向けると、とたんに顔が赤くなる。図星か、隠し事が苦手なのは相変わらずだ。
「ええ、構いませんよ。俺で良ければ」
 もう一度見ると、遙がうんうんと首を縦に振っていた。・・・まったく。

 その後、近くの公園まで足を伸ばし、二人並んでベンチに腰掛けて話をした。
「まあ、でもあれだな。検査とは言っても、入院か。まだ少し抵抗あるな」
 その言葉に反応するように、遙がぎゅっと俺の腕をつかんだ。そっか・・・不安だったんだな、遙。
 そっと後ろから手を回し、やわらかな髪をたたえるその頭を、抱き寄せた。
 大丈夫だよ、遙。いつまでも、一緒だからな。

 入院予定の21日。
 少し早めに迎えにいったつもりが、もう準備を終え、タクシーまで待たせてあった。
「うわっ、遅れちゃったみたいですね。すみません」
「いいえ、こちらこそご無理を言ってしまいまして」
 お母さんと頭を下げあいながら遙とともに後席に乗り込み、病院へと向かう。
 欅町総合病院。遙は定期検診で2度ほど訪れているが、俺には3ヶ月振りになる。
 一通り手続きを終えた後、病室で香月先生を交え、3人での話になった。
「なるほど、それで鳴海君が付き添いというわけね」
「そうなんです。それにしても、検査で入院ってのも何か・・・」
 どうして? と訊こうとしたのが、逆に不安を誘ったかと思い口をつぐんだ。
「そんな深刻なものじゃないわよ。だって、例えば人間ドックなんて立派な検査のための入院でしょ?
それと同じで、数日をかけての検査が必要だからって、その間毎日病院に通ってもらうよりも、
短期間の入院をしてもらった方が、本人への負担が小さい場合もあるの。まあ、そうは言っても
入院には違いないからね、不安になるのもしょうがないけれど。特に涼宮さんは、前回がああいった
形で、しかも3年に及んだわけだから」
 話を聞きながら、ベッドに腰掛けている遙の髪を優しく撫でる。
「いえ、すみません。だそうだ、遙。安心したか?」
「う、うん。ありがとう、孝之くん」
「そう言えば、皆さんはお元気? お友達とか。妹さんは一度付き添いで見かけたけれど」
 そんな話より、と香月先生が話題を変える。
「ええ、慎二も大学生活楽しんでるようですし、茜ちゃんは茜ちゃんで高校生活最後の大会に
向けて頑張ってるみたいです。まあ、俺だけぼちぼちな日常ですけれど」
「・・・速瀬さん、からは? なにか連絡・・・とかは」
 躊躇いがちの質問に、俺たちに対する気遣いが込められていた。
「・・・ええ、結局どこへ行くのかも訊けずじまいでしたし、無理に捜すわけにもいきませんしね。
 あれから3ヶ月が長いのか短いのか。先生が言われたように、今は時間が必要なんでしょうね」
「・・・そう」
 傷を癒すための時間、どれほど必要なんだろう。
 俺たちはいつでも待っているよ、水月。俺の部屋のあのイルカのカップ、俺のタコのやつと一緒に
 ずっと置いてあるんだよ。お前でなく、遙を選んでおきながら、今更、友達として戻ってくれなんて
 都合良すぎるかもしれない。・・・だけどさ、やっぱり俺たちには、お前が必要なんだよ。
「・・・でも、きっといつかみんなで笑える日が来るよ。ね、孝之くん」
 遙が、少し目を潤ませながらも、俺の手をしっかりと握りながら言った。
「ああ、俺たちが信じてやらなきゃ、どうしようもないもんな」
「うん、そうだよ」
 俺と遙を見つめる香月先生の目が、優しく暖かな光に満たされていた。
 大丈夫みたいね、と語りかけるように・・・。

Atto:4 おもいでの、まち

 早いものでこの町に来てもう3ヶ月。12月も半ばを過ぎた頃。
 温水プールや屋内施設の充実で、今や競泳の世界に季節は関係ない。
 年明け早々の大会に向けて練習もヒートアップ。私の怒声もそれに比例、嫌だなぁ。
「ほらほら、もう1ヶ月しかないんだよ!なにチンタラやってんの!」
 最近の私。どうやら“年増の鬼コーチ”として通ってるらしい。鬼はともかく、年増はないでしょ?

「え?! 今、何て」
「いや、だから、例の大会。柊町の総合スポーツセンターで開催だって」
 戸惑いの口調で訊き返す私を不思議そうに見ながら、北島先生が話を続ける。
「別に意外でもないだろう? 確かにここからは少し遠いが、あそこはここら一帯では最高の設備が
 整っている。それに聞いたところでは、高校時代の速瀬さんの活躍が、その原動力と言うじゃないか」
 原動力、か。確かに白陵のころの私は“超高校級スイマー”としてもてはやされた。
 その後、当確だった実業団へ行かずに水泳を止めた私。そんな私を再び水泳の世界に呼び戻して
 くれたのも、かつての私を知る人からの誘いだった。今の私の原点が、あそこには確かに、ある。
 だけど、あそこには、あの町には“おもいで”がある。
 今はまだ振り返ってはいけない“おもいで”が・・・。
「どうしたんだい? 急に黙り込んで」
「え?! べ、別に何でもありません、けど」
 そうよね、これは私だけの問題。私だけで解決しなければならないんだから。
「今回はチャンスだよ。ほら、あそこにはかの“フォレックス”の本拠があるじゃないか?
いい結果を残せれば、目をつけてもらえる。あそこに入ることはイコール、五輪強化指定選手だからね。
まあ、ウチの今の実力では優勝はムリだろうが、上位は十分に狙えるはずだ。期待は出来るぞ」
 フォレックス、五輪への最短距離、かつてしつこいくらい言われた言葉。
「上位ですか。栗本美奈実と岩橋朋子あたりなら、確かに狙えるかもしれませんね」
「ああ、だが問題は白陵組だ。特に3年生の涼宮茜。君以上の逸材だという評判を耳にしている」
 ・・・白陵。
 ・・・涼宮、・・・茜。
 どうして? どうして、私の“おもいで”を掘り起こそうとするの?
 今はまだ、振り返りたくない“おもいで”を。
 だめ!今は余計なことを考えては、だめ。
 今は、今の私に出来ることに打ち込むしか、ない。打ち込む・・・しか。

 迷いを振り払うように・・・。
 振り返ってはいけない“おもいで”を打ち消すように・・・。
 指導の怒声に更に力が入る。鬼コーチの呼び名が日ごとに高まるが構わない。
 ・・・気が付けば年が明け、1月も半ばを過ぎ、大会まで1週間を切っていた。

「一体、何があったんだい? そりゃ彼女らの必死の頑張りが実を結んだのだろうけど、
ここのところの君の鬼気迫る指導がなければ、ここまでタイムは縮まらなかっただろうからな」
 北島先生の言葉はもっともかもしれない。確かにこの1ヶ月で彼女らのタイムは飛躍的に縮まった。
 これなら上位どころか、優勝だって狙える。・・・でも、それは。
 ・・・自分の心の迷いを打ち払うために、彼女らに当たり散らした。
 ごめんなさい。ひどい、先生・・・だよね。
 記録はついてきたけれど、それを感謝する素振りは、今の部員たちからは感じられない。
 それどころか、指導力はあるけれど、怒鳴ってばかりの最低のコーチ、との陰口も叩かれているらしい。
 ・・・何が、面倒見が良く人望のあるコーチよ、ただのシゴキ魔じゃない。
 ・・・記録保持者かどうか知らないけど、エッラそうにしちゃってさぁ!
 ・・・何か、オトコにフラレた腹いせに、私たちに当たってるみたいよ?
 高校水泳の名選手がコーチ就任! ふふっ、聞いてあきれるわよ・・・ね。

 そして、迷いを打ち払えないまま、私は陽光学園の水泳部の一員として、
 誰も慕ってくれなくなったお飾りのコーチとして、大会へと臨む。
 ・・・“おもいで”に満ちたまち、ここ、柊町で・・・。

Atto:5 進み行く時間、取り戻したい時間

「ただいま〜。はぁ〜、やっと解放されたぁ〜」
 帰宅した茜ちゃんが、スポーツバッグを抱えてリビングに入ってきた。
「って、何で鳴海さんがここにいるの?」
 ここ家だよね? みたいな怪訝な表情で訊いてくる。
「あ、茜、おかえり。私もちょうど帰ってきたところなんだよ」
「ちょうどって、ああそう言えば検査入院してたんだっけ。ふぅ〜ん、それで鳴海さんなんだ」
 変な納得の仕方だけれど、まあいいか。・・・遙は分かってないようだし。
「おつかれさま、10日間だっけ? 大変だよね、毎日水泳漬けなんでしょ?」
「そうだよぉ〜。ほぉ〜んと、容赦ないんだから、ウチのコーチ。死ぬかと思った」
 投げ捨てるようにバッグを置き、よいしょとソファに座ると、愚痴交じりに話出した。
「年明けに大会なのよね? 茜は結構いいところまで行けそうなのかしら?」
 お茶を淹れにきたお母さんが、茜ちゃんに訊くと、
「お母さん、茜に失礼だぞ。ダントツの優勝候補に決まってるだろ? な、茜」
 と、声のした方を見上げながらお父さんが、今度は茜ちゃんに向けて・・・ウインク?
 もう親バカなんですから、と口に手を当てて小さく笑うのはお母さん。遙まで一緒に笑っている。
 幸せな家族だなぁ〜と心の中で苦笑しながらも、その輪の中にいられる自分が幸せに思えてくる。
「えへへ、でもそう簡単には行かないだろうな。強敵が結構いるし」
「へぇ〜、俺、水泳詳しくないんだけど、どのあたりが強敵なんだい?」
 ちょっと興味が出たので話に交ぜてもらうことにする。
「う〜ん、まず何と言っても、橘東の二人組。ともっぺ・・・あはは、下原友美と小村真理恵かな? 
あと、欅二高の麻宮沙希。スタートダッシュで離されたらまず追いつけないよ。このあたりかな?」
 あの茜ちゃんが言うんだ、相当な選手なんだろう。
「ああ、そうそう。後ね、今までノーマークだったんだけど最近、メキメキ実力つけてるのが
桜ヶ丘町の陽光学園。何でも有名コーチを招いて猛練習してるって。お正月も返上ってウワサだから
相当なもんだよ、ウチのコーチでさえ呆れてた。もう今の段階では反復練習よりは、大会に備えて
コンディションを維持する方が大事なのに、何古臭いことやってんだーって」
 うえぇ〜、正月も返上とは、まだ茜ちゃんは幸せってことなのか? 体育会系ってすごいよな。
「それにしても、桜ヶ丘町からも大会に参加ってことは、かなりの大会ってことなのかな?」
 桜ヶ丘町と言えば、俺たちが住む柊町を含む安寿市とは、湾を挟んだ反対側に位置する。
 新興住宅地の多いいわゆるベッドタウンで、ここからは直線距離でも約30km。よほどの用事、
 例えば知り合いが住んでいるとかでもなければ、そうそう足を運ぶことはない。
「まあ、ここのスポーツセンターって世界レベルの設備持ってるし、全国的にも有名なかの
“フォレックス”の拠点でもあるからね。何でも、今度の大会は秘密選考があるとかないとか」
 戦々恐々といった面持ちで話す茜ちゃん。
「つまり、優勝か好成績なら、そこに入れるかもしれない、と」
「そういうこと、私はもう陵成大のスポ薦もらってるけど、行けるものなら行きたいしね。
なんてったって、あそこに入れば、オリンピックだって夢じゃなくなるもの」
 陵成のスポ薦だけでもすごいのに、大したもんだよ、茜ちゃんは。

「進学で思い出したけれど、茜ちゃんも3年生。もう卒業なんだよなぁ」
 本当に時間が流れるのは速い。ついこの間まで「おにいちゃん」なんて呼んでたと思ったのに。
「卒業・・・かぁ」
 遙が、ちょっと寂しそうに遠い目をする。・・・あ。
「・・・そっか、そうだよな。遙は卒業式、出られなかったんだよな。ごめん、無神経だったよ」
「ううん、いいの。だってちゃんと卒業はできてるし、卒業証書だってあるんだし」
 遙の卒業証書。それを届けたのは、俺だった。
 制服で受け取れなかった卒業証書。一人だけ離れた卒業写真。
 ・・・やっぱり、寂しいよな。
 卒業式・・・か。
「・・・! そう言えば、遙。定期検診って大体1ヶ月に1回なんだろ? 今度はいつくらいだ?」
「え? う〜ん、先生からは月1回くらいは診させてねって言われてるから、2月とか3月、かな」
「じゃあさ、3月の診察を1日にできないかな?」
 どういうこと? みたいな不思議そうな顔。
「3月の、1日?・・・孝之くん、ひょっとして」
「ああ、卒業式をやろうよ。香月先生にもお願いしてさ」
 本来の卒業から3年も経っているから、さすがに学校では無理だろう。
 だけど、病院でなら、仲間内だけのささやかなものなら・・・。

「へぇ〜、お前にしては気の利いたこと考えるじゃないか」
 これは慎二の弁。
「ふぅ〜ん、いいんじゃない? 君にしては随分マシなこと考えるのね」
 これは香月先生。
 ・・・一体、俺って普段どんな目で見られてるんだよ。
 兎にも角にも、3月1日の診察の後、病院の一室で卒業式を開けることになった。
 参加者はもちろん遙、それにお父さん、お母さん、茜ちゃん、俺と慎二というささやかなものだ。
 そして、校長先生の役は、なんと香月先生が引き受けてくれるそうだ。

「ええ〜っ! 中学の制服着るんですかぁ?」
 案の定、茜ちゃんが騒ぎ出す。
「時間を3年前に設定してるからな。いいじゃないか、俺たちだって白陵の制服着るんだし。
茜ちゃんのことだからちゃんとしまってあるんだろ? 俺も慎二も借り物だぜ?」
「で、でも今更中学の・・・。ひょっとして鳴海さん? コスプレの趣味あるんじゃ・・・」
「ない、ない!」
 相当疑われてるな、俺って。
「な? 頼むよ、遙のためにさ」
 最高の殺し文句。
「・・・もぉ〜、仕方ないです。姉さんのためですから」
 最後にはしぶしぶ頷く茜ちゃんだった。

 ・・・そんなこんなで、喧騒に満ちた1月も半ばを過ぎ、
 茜ちゃんの出場する、冬の大会の日がやってきた

Atto:6 再会の、まち

「え?! 会場で、水月を見たって?」
 大会終了後、優勝打ち上げパーティーと称して、涼宮邸に集まった俺たちを驚かすに十分過ぎる、
 それは、茜ちゃんからの話だった。水月は、茜ちゃんと最後までデッドヒートを繰り広げた、
 陽光学園のコーチをやっていたと言うのだ。
 そうか・・・あいつなりに頑張ってるのか。だけどその話の続きは、そんな俺たちの考えを
 吹き飛ばした。
「水月の評判が良くない? それって、どういうことだい? 茜ちゃん」
「だって、陽光学園の栗本さん、準優勝とはいっても嬉しいはずですよ。それだけの結果が出せたなら、
コーチや顧問の先生に飛びついたっておかしくないじゃないですか。だけど遠目に見ても水月先輩、
何だか浮いているようで、先輩の周りには誰一人、集まってこないんです」
 おかしい。白陵のころから、水月は後輩たちの面倒見も良く、慕われていたはずだ。
「さすがにライバル校だからそれ以上近づけなくて、そしたらともっぺが近くを通りがかったんで
訊いてみたんです。ともっぺってデータ派だから、こういうことに詳しいかな、と思って」
 ともっぺとはライバルでもある橘東の下原友美さんのことで、水泳以外でも仲がいいそうだ。
「そしたら、あそこのコーチと選手の関係は最悪だ・・・って」
まるで調教師が動物に芸を仕込むような、血も涙も無いスパルタぶり。確かにタイムが縮んだ選手は
いるが、それを一緒に喜んだりもせず、部員たちに親身に接することもない。とりあえず結果が欲しい
学校側としては、別に体罰とかの問題があるわけでもないのでこれまで目をつぶってきたが、
 さすがに新たな人選を考え始めたという。
 ・・・そんなはずは、ない。あの水月に限って、そんな、はずは・・・。

「おじゃましまぁ〜す! ども、お待たせ」
 見ると、慎二が大きな袋を抱えてリビングに入ってきた。そうか、買出し頼んだんだっけ。
 荷物を下ろし、ソファでくつろぎながら話に交ざった慎二も、そんな! と顔を曇らせる。
「まさか、速瀬が・・・」
 慎二の驚きはもっともだ。白陵時代はもとより、遥が眠っていた3年間だって、慎二と水月は
 行き違いもあったが、親友関係が崩れたことはない。それは俺が一番知っている。支えられたんだ、
 そんな二人に・・・。
「・・・そのことなんだがな、俺の同級生に後輩が陽光に通ってるヤツがいて、そいつの話だと、
どうやらこじれだしたのは最近らしいんだ。新コーチが来たのは4ヶ月くらい前で、その後輩は
厳しいけれど、面倒見が良くて部員からは慕われてるって、言ってたらしい。それがここ1ヶ月で
急に、ほとんど豹変と言ってもいい位に変わったって。まあその話はそれきりだったから、そのコーチ
の名前とかまでは訊かなかったんだが・・・。まさか、それが・・・速瀬だったなんて・・・」
 躊躇いがちに話す慎二。・・・そうだよな、信じたくないよな、そんな話。
 1ヶ月、一体お前に何があったんだよ・・・水月。
「・・・1ヶ月、12月の半ば。・・・あれ? そんなころじゃなかったかな?」
「どうしたんだい? 茜ちゃん」
 何かの糸口になるかもしれない。身を乗り出して訊く。
「い、いえ。それほどのことでもないと思うんですけど、大会の開催場所が安寿中央体育館から
柊総合スポーツセンターに変更になったのって、そのころだったかと」
 ・・・・・!
「まさか・・・、柊町・・・、白陵・・・」
「孝之」
「孝之くん」
「鳴海、さん?」
「あ、ああ」
 ・・・時間を置くことで、拡がってしまう傷もある。
 水月、お前、本当は・・・。

「うん? どうしたんだい? えらく深刻そうな雰囲気だが・・・」
 遅れて入ってきたお父さんとお母さんが、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「い、いえ、何でもないですよ。・・・何でも」
 これは俺たちだけの問題だ。この場の雰囲気を崩すようなことをすべきではないだろう。
 遙と慎二、茜ちゃんに今はやめよう、と目で合図する。・・・今は、茜ちゃんの祝賀パーティーだ。
 だけど、どこかぎこちなくなる。お父さんもお母さんも、どこか気を遣ったような感じ。
 どことなく気まずい、笑顔が貼りついただけのような祝賀会が、終わった。

「あの・・・鳴海、さん」
 一人庭先を眺めていた俺に、少し寂しそうな表情で茜ちゃんが話しかけてきた。
「水月は・・・ひとりぼっち、なのかもな」
「え?」
「遙から聞いたんだよ。あの日、俺たちが迎えに行く前、遙、水月と話したんだ。そこで、言ったんだ。
気持ちの整理ができるまで、一人でやってみる。俺も遙も慎二もいないところでって」
 本当のところは直接話をした遙本人にしか分からないだろうと思う。気持ちの整理、間違いなく
 俺に対するそれだ。そして遙に対してでもあるだろう。そのために一人になることを選んだ、水月。
 誰にも心を開けず、それでも必死に頑張っていたのだろう。そんな水月をあのころに引き戻すのに
 十分だったはずだ、「柊町のおもいで」は。
 明日へ進もうとする足取りと、おもいでに振り向かせようとする力。
 その相克と葛藤、そして苦悩。
 ・・・それが、水月を・・・壊してしまった、のか?
「あの、鳴海・・・さん」
「ん、なんだい?」
「い、いえ。何でも・・・ありません」
 それ以上、俺は何も、訊かなかった。

 時間によって変わるもの、変わらないもの。
 時間によって解きほぐされるもの、そうでないもの。
 時間によって癒されるもの、それでも残る痕、拡がってしまう傷。
 時はまた流れ行く。
 ・・・そして、3月1日。
 遙の、卒業式の日が、きた。

「う〜〜、やっぱり変だよ今更」
「あらあら、良くお似合いよ涼宮さん? いえ、あ・か・ね、ちゃん!」
「もう、香月先生!」
「でもホント良く似合ってるよ、茜。私も着てみたいなぁ」
「その言葉、よぉ〜く覚えておきますからね、お姉ちゃん」
 まるで姉妹漫才だ。苦笑しながら俺も準備をする。と言っても上着を替えるだけなんだが。
「おおい、そろそろいいか?」
 慎二が呼びに来た。
「ええ、いいわよ。さ、行きましょか。・・・あら? 涼宮さん、それ何?」
 香月先生が茜ちゃんの手元に目をやる。何だろう、折りたたんだ紙というか封書というか、
 強いていうなら、昔風の電報か。何かを持っている。・・・複雑な表情で。
「え? た、大したものじゃないですよ。そんな、大したものじゃ」
 何企んでるの? みたいな顔をした先生だったが、それ以上は訊かずに会場へと向かった。
 会場は講演や会議に使われる多目的室。おあつらえ向きに教壇風のお立ち台もあり、その前に開いた
 少し広めのフロアに椅子が一つ、遙がそこに腰掛け、その後ろの座席に俺たちが座った。

「卒業証書、授与。3年B組、涼宮遙」
「はい!」
 白陵の制服で受け取る卒業証書。平成11年と読み上げられる日付が、あの時間を少しでも
 取り戻せた、と感じさせる。・・・よかったな、遙。
「え〜と、続いて・・・」
「あ、あの香月先生。こ、これ・・・」
 茜ちゃんが声を上げ、先ほどの紙を先生に手渡す。
「え? 祝電披露?」
 そんな予定、あったっけ? と隣の慎二を見る。慎二も分からないと首を振る。何だろう?
 祝電を読み上げる香月先生の顔が、驚きで引きつる。
「・・・ハヤセ、ミツキ」
 ・・・・・!
 それを聴くが早いか、俺と慎二は壇上に駆け寄った。
 そして、一歩遅れてきた遙の両親とともに、全ての視線が茜ちゃんに集まる。
「茜ちゃん、これは・・・どうしたんだい?」
 視線に耐えかねるように、茜ちゃんが重い口を開く。
「・・・昨日、届いたんです。私、宛に」
 どうして、茜ちゃんに? そもそも遙の卒業式をやることを、どうして水月が。
 ひょっとして、茜ちゃん?
「あの大会で見かけた後、私、みんなに内緒で水月先輩に会いに行ったんです。休みの日に
陽光学園まで。ライバル校の生徒だから見学拒否されるかな、って思ったんですけどすんなりOKで・・・。
プールサイド、一人で座ってました。私を見つけ、とりあえず外に出よう、と。そして、人目がない
ところで急に・・・泣き出して。私より先輩なのに、私より年上なのに、子供みたいに泣いて・・・」
 胸が痛む。・・・水月、水月ぃ。
「私、一言だけ伝えました。・・・みんなはずっと待っているよ、先輩が帰ってくるのを・・・って。
そして、今日のことを教えたんです。水月先輩に・・・」
 水月・・・。ポケットの携帯に手が伸びる。あのメッセージ、ずっと残してあるから・・・。
 え? 携帯の画面にくぎ付けになる。・・・着信あり?
 ・・・待っています。
 それだけが表示されていた。番号も出ていない。
 遙と慎二の携帯も見せてもらうと、同じだった。
「孝之!」
「孝之くん」
 俺の結論は一つだった。
「あの・・・丘だ!」
 何をすべきかも分かっていた。
「すみません、これで切り上げていいですか?」
「え? ちょ、ちょっと鳴海君?」
 お父さんの方を振り向く。
「すみません、俺たちを白陵まで連れて行って下さい。お願いします!」
 尋常ではない迫力に気圧されるようにお父さんが頷き、俺たちは飛び出すように会場を後にした。
 お父さんの運転する車に乗り込み、白陵へと向かってもらう。・・・到着するやいなや駆け出す俺たち。
 どう見ても高校生に見えないのに制服姿の俺たちに、奇異の視線が浴びせられるが、気にせず、走る。
 ・・・目指すは、おれたちのとっておきの場所。“おもいでの丘”だ。

Atto Fine おかえり

 俺たちは、走る。
 あの丘に向かって。
 遙の手を引き、息が上がるのも構わず、走りつづける。
 慎二が心配そうに横目で見てくれたが、遙は小さく首を振り、走り続けた。
 最後の急な斜面を登りきる。
 穏やかな春風の中、あの大樹が俺たちを待っていたように枝を揺らす。
 その木陰、やわらかな木漏れ日を浴びて・・・それは、いた。

 人影が一つ・・・。
 緑陰から姿を現した、顔。
 忘れられるはずのない、顔。

「・・・速瀬」
「・・・水月」
「・・・みつき」

 少し伸びた髪。
 潤んだ瞳。
 震える口が、静かに開く。
「・・・ごめんね。あたし、やっぱり我慢・・・出来なかったよ。
たった半年しか、一人で暮らせなかったよ。ごめん・・・ごめんね、みんな」

 俺のとなりに遙、遙のとなりに慎二。それぞれが肩に手を回し、
 俺の左手と慎二の右手が、そこに抱こうと、駆け寄る水月に向かって大きく伸ばす。
 ・・・3人が描く半円にひとりが加わり、俺たちは・・・輪になった。

「おかえり、速瀬」
「おかえり、水月」
「おかえりなさい、みつき」

「う、うわぁぁぁぁぁ〜〜〜!」
 輪の中で、堰を切ったように水月が泣き出した。
「私・・・ダメだよ、一人なんて・・・イヤだよ。みんなのこと・・・忘れられないよ。
ウソついて・・・辛く当たって・・・嫌われて・・・避けられて・・・最低・・・だよね、私」
 俺たちは言葉も無く、泣きじゃくる水月を抱き寄せる。
 ・・・言葉なんて、いらない・・・よな?
「・・・いいの? こんな私でも、帰ってきて・・・いいの?」 
 泣き濡れた顔を上げた水月が、嗚咽まじりに口を開く。

「そんな、寂しいこと・・・言うなよ」
「そうさ、お前がいないと俺たち・・・寂しいんだよ」
「そうだよ、みつき。私たちずっと、友達・・・でしょ?」
 
 俺も・・・泣いていた。遙も・・・泣いていた。慎二も涙を浮かべていた。
 ・・・いつかきっと、みんなで笑える日がくるよ。
 そう、いつかきっと・・・。
 だから、今日は・・・泣いてもいいよな?

 そうさ、俺たちこそ、お前がいないと・・・ダメなんだよ。
 お前が寂しかったように、俺たちだって寂しかった。
 だけど、ひとりぼっちだったもんな、お前は・・・。
 もう、もういいんだよ水月。俺たちは4人でひとつなんだ。
 誰一人欠けたって、俺たちは・・・。だから・・・。
 
「おかえり・・・水月」

 ここが君の帰る、まち。
 そして、ここは俺たちの暮らす、まち。
 ・・・そう、ここが僕らの帰る、まち・・・なんだ。






≪あとがき≫

孝之たちのもとを去った水月が戻ってくるまで半年間。短すぎるようですが、私としては
水月自身に言わせたように「我慢できなくて、一人でいることに耐え切れなくて、みんなのいる
場所へと戻ってきてしまった」という解釈なので、こうなりました。孝之たちをことさら楽しそうに
面白おかしく描いたのも、水月の孤独ぶりを強調したかったからです。
異論はか・な・りあるかと思いますが、私の思い描く水月像ってこうなんです。・・・弱い、
ひたすら弱い。孝之並みかそれ以上の(以下、自主規制)。水月ファンは怒るでしょうね。
私ですか? 遙たん萌えです(爆)。・・・しかし、遙の卒業式がなんか付録扱いになってしまって、
maoshuさん、ごめんなさい。一応、それを含む「遙エンド後日談」ということで・・・。
 え〜、またしても加筆・修正。私の好きな作曲家、ブルックナーも真っ青の改訂魔ぶりです。
きちんと見直しなさいよ! とのお叱りがきそうですが、すればするほどドツボに・・・。
とりあえず、今作についてはこれ以上、修正することはない・・・と思います(をい)。






  

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