記憶
著:TAMAKI
   いつからだろう。

   私の中の「記憶」が消えてしまったのは。

   あの日、病室で目覚めて、始めに見た名前・・・。

   その「琥珀」という名前すら、自分のものだと思い出すのに、時間がかかってしまった。

   それを思い出すと同時に、ひどく何か、嫌なものを思い出したように、否定したくなった。




   その日の昼過ぎ、「ヒスイちゃん」という女の子と、「しきさん」という男の子がやってきました。

   それで、そのとき、初めて、自分に妹・・・「ヒスイちゃん」がいる、ということが解ったのです。



   翡翠ちゃんは、優しくて、私を温かい気持ちにしてくれます。

   退院して、大きな屋敷に帰ったときも、一晩中、そばにいてくれました。

   それで、記憶のない私は聞いたのです。







   「私が子供の頃、どんなことをしていたのか、






    どんな人だったのか・・・?」







    ───と。

    翡翠ちゃんは、一瞬、ほんの一瞬だけ、息を呑んで、微笑んで言いました。





    「七夜姉さんは、優しくて、いつも、私を守ってくれたのですよ。」





    ───と。

    何度か、私は、翡翠ちゃんに喜んでもらおうと、昔の自分を思い出そうとしました。

    でも、思い出せないのです。

    大きな、黒い幕が、私を、過去とを遮ります。

    その幕を、取り去ろうとしても、

    幾重にも、重なって、私の記憶を隠し続けるのです。





    「七夜」、という名前を、付けてもらった時、ひどく優しい、愛しい響きで、

    嬉しかったのです。

    だって、この記憶を失くした自分が、「受け入れられた」ような気がしましたから。

    そして、帰ってきた日から、屋敷で、働いています。

    だって、そうしていた自分、翡翠ちゃんが好きでいてくれた自分でいたいじゃないですか?

    だから、私は、そうして、働いて、屋敷にいたときのように、生活します。
   
    でも、志貴さんも、翡翠ちゃんも、そんな私に「無理しなくていいから」

    と言ってくれます。





    ときどき不安になるのです。

    二人が大切にしてくれているのは「七夜」という女性で、

    もしも、ある日突然、私が記憶を取り戻して、前の私に戻っても、こんなに

    笑いあっていられるのだろうか、

    



      ─────と。







    いつも、朝、目覚めると、記憶が戻っていないか、考えてしまいます。

    そして、戻っていないことに安堵しつつも、不安で仕方ないのです。

    だって、翡翠ちゃんとの二人でいた「時間」を思い出せないのですから。

    そうやって、私は、いつものように矛盾した考えを抱きながら、目覚めるのです。

    でも、翡翠ちゃんの顔を見ると安心して、そういうことも忘れてしまうのです。





    そうやって、毎日を過ごします。

    それは、ある意味、退屈、というのかもしれません。

    それでも、私は、志貴さんや翡翠ちゃんと一緒に居られるのが嬉しいのです。

    



    




    今日も、そうやって、朝から、過ごしていました。

    今日は中庭の掃除の日です。

    いつもは、中庭の鉢植えの辺りだけでいいのですが、そこから離れた辺りの草が少し、

    目立ってきたので掃除をしようと思います。

    



    しばらく掃除をして、鉢植えの辺りの掃除を終わらせてしまいました。

    いつもよりも、スムーズに済ませて、中庭の中ほどまで掃除しました。

    それで、この屋敷で、一際大きな樹のところにきました。





     ドクン




    
    「え?」

    体から、力が抜けていく。

    そう、底なしの沼に、沈んでいくみたいに

    意識が沈んでいく・・・。








    ───ここは、その樹の下・・・。

    倒れているのは・・・、私みたい。

    でも、今日じゃない。だって、今日の志貴さんの服の色とは違うから。

    ということは・・・、




    ズキリ、と胸の奥が痛んだ。

    なぜか、このままでは、私が私でいられなくなるみたいで、私は

    目を背けようとした。

    でも、出来なかった。

    なぜなら、






      そこに、本当の私がいたはずだから。






    また、ズキリと、今度はこめかみの辺りが痛む。

    ふと、思い出す。

    私の、夏の出来事を・・・。

    復讐という糸の存在を・・・。
 
    そして、『琥珀』という名を。    

    それは、翡翠ちゃんや、志貴さんを裏切って、

    二人を悲しませる物語だったから。






    「姉さん!!!七夜姉さん!」

    「七夜さん!」

    ───七夜・・・、誰だったろう・・・でも、私に向けて言葉が投げかけられている。

    私の名は・・・・。

















    気がつくとベッドの前だった。

    志貴さんと翡翠ちゃんが私の顔を心配そうに覗いていた。

    その隣には、時南先生。

    「あ・・・れ?私、どうしちゃったんでしょう?」

    志貴さんが答える。

    「七夜さんは、中庭で倒れていたんですよ?翡翠が見つけて、俺がここまで

     運んできたんです。で、そのあと、時南先生に来ていただいて、診てもらったんですが

     ただの貧血だそうですよ。七夜さん。」

    ───七夜、、、あ、そうか、私は七夜なんだ。

    あぁ、もう琥珀という女性の居場所はないんだ。

    でも、七夜は私なんだ・・・。

    「どうしたのですか?姉さん」

    心配そうに翡翠ちゃんが聞いてくれる。

    「大丈夫よ。翡翠ちゃん。」

    志貴さんと翡翠ちゃんは安心したように、顔を見合わせる。

    ふと、考える。

    私は琥珀の記憶を取り戻した。

    でも、これは、志貴さんや翡翠ちゃんには、どれほどのものだろう。

    喜んでもらえるかもしれない。

    しかし、さっきの記憶からいけば、いい思い出ではない。





    それならば・・・





    ずっと







    七夜、という女で生きようと。






    そうすれば、志貴さんや翡翠ちゃんも笑っていられる。

    




    だから、気付かれないようにしよう。






    「あ、もうこんな時間じゃないですか。志貴さん、晩御飯のリクエストはありますか?」

 




    そう振舞う、

    それが、私の今の役目だから。
END
あとがき
 今回は琥珀さん、もとい七夜さんです。
 翡翠ノーマルエンドはある意味いいですが、琥珀さんのだけ納得いかなかったので、こういうカタチで書きました。
 思い出したのを気付かれないようにする、という、アドバイスをくださった、ゆき猫氏に感謝です。
 ただ、書いていて、結構、暗い話に見えて、うなってしまいました。

 では
 また別のSSで