3   誤りだらけのダーウィンの進化論

 ダーウィンの進化論は長い間常識として存在してきましたが、調べてみますと、どうやらそれだけでは生命のナゾは語れないようです。学校で習った、教科書にのっていた、専門の教授が言っていたから、という”常識”に我々は弱いものですが、よく自分で判断してみる必要があります。
 ダーウィンの進化論の基本は、弱肉強食や生存競争の中で生き残るために、生物が数千万年から数億年かけて自然に形が変わっていくという考えです。例えば魚が生存のために陸の方へ進出し、何億年後には自然に足が生えてきたという感じです。しかし、いくら競争相手がいるからといって、自然に足や手が生えてくるでしょうか?非常に疑問です。私には何億年かかっても自然に足や尻尾が生えてくるとは思えません。その一方で遺伝子操作でホタルの遺伝子を羊に組み込んで、爪が暗闇の中で光る羊が簡単に登場してきます。ここにヒントがあるのではないでしょうか?
 今からおよそ146年前にダーウィンは、すべての生物は自然淘汰により進化したもの、と発表しました。しかし、人間については言及されていませんでした。人間はほかの動物に比べ進化の時間が異常に早かったのです。当のダーウィン氏も「あらゆる生物の中で、進化論に一番あてはまらないのは人間だ」と述べています。またダーウィンの共同研究者であったアルフレッドウォーレスも「人間だけは自然淘汰の原理がはたらいていない」と述べ、さらにこう言いました。                      
 「ある知的存在が人間の発達を指導、決定した。」
 アルフレッドウォーレスは人間の進化には明らかにだれかの介入があったと分かっていたのかもしれません。またウォーレス氏は次のようにも述べています。
 「人間が猿から誕生することなどあり得ない」
 進化論者によると、進化には信じられないほど時間がかかるようです。ある科学者は、新種の動物が10万年で出現したとすれば、それは「突然」ということができる、と述べています。通常、進化の速度は数千万年くらいといわれています。著名な生物学者のトーマスハクスリーは「(種における)大規模な変化は何千万年もかかって起こり、その中でも本当に大規模なもの(大突然変異)は一億年程度かかる」と述べています。
 しかし、人間はわずか600万年の間に、一回のみならず数回の大突然変異をしているのです。20万年前に出てきたとされる我々の祖先ホモサピエンスは、突如として現われ、脳の容量は1400ccで北京原人より50%増しており、言語を話し、体格、顔つきもより現代人らしくなっています。ホモサピエンスの前のタイプは北京原人ですが、北京原人は言語をもちませんし、脳の容量は950ccしかなく、顔の形も眉の骨が出っぱっていて、大目に見てもホモサピエンスの競合相手という感じではありません。進んだ競合相手がいないのに急激にホモサピエンスのように進化したというのも不思議な話です。これは自然淘汰による進化ではないことは明らかですし、数千万年という時間の中でゆっくりプロセスを踏んでいくとされる進化論に真っ向から反しています。北京原人とホモサピエンスの中間の生物の骨を人類学者たちは賞金をかけて探していますが、まだ発見されていないようです。また人間は脳を数%しか使っていないのに、脳の容量が急激に増えているのもよく考えるとおかしな話です。どうも必要に迫られて増えたという感じではないようです。フランスのセザール島の洞窟から発見されたものから、ネアンデルタール人(古代型ホモサピエンス)とクロマニヨン人(現代型ホモサピエンス)が戦うことなく、互いに近いところで何千年もくらしてきたことがわかっています。競争より協調共存していたのです。このことからも競合して進化したのではなさそうだ、ということがうかがえます。(1)

                      突然変異は欠陥を生む。進化はしない。

 進化論ではある種から別の種が生まれるとき、突然変異が必要であるとよく説明しますが、最近の調べで突然変異は進化をもたらさないことが分かっています。ジョンホプキンス大学で情報理論を教えていたリー・スペットナー博士は突然変異によって遺伝子情報は増えず、逆に減少すると述べています。「突然変異では情報が失われるため、突然変異によってより多くの情報が組み立てられることはあり得ない。企業が少しづつお金を失っていけば、お金を儲けることができないのと同様である。」これはリー博士のみならず多くの科学者たちの出した同様の結論です。

          根拠のない証拠が今だにまかり通っている。サルはもともとサル、人間はもともと人間

 わたしたちは中学や高校の教科書で、サルが猿人に、そして猿人がやがて人間になるというもっともらしい絵を見ます。アウストラロピテクス、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、これらの名前はなんとなく聞いたことがあると思います。
 ところがアウストラロピテクスは、これまでサルとヒトとの中間である「猿人」と主張されてきましたが、今ではサルやゴリラに似た動物の一種で、むかしに絶滅したもの、ということが複数の人類学者の調べで分かっています。最近、リチャードリーキー氏の調べでその耳の構造をcatスキャンで調べた結果、この動物が習慣的に直立していないことが判明しました。アウストラロピテクスは今では四足で歩いていたサルの一種としか見なされていません。
 ジャワ原人も実体のないものであることがわかっています。1891年、進化論に感化された若者ユージンデュボアが発見したとされていますが、その証拠の骨は頭蓋骨と歯と大腿骨の3つだけでした。ユージンは大得意のようでしたが、当時の一流の解剖学者ルドルフバーコウ博士やw・h・バロウ博士らに強く批判されていました。なぜなら頭蓋骨は大腿骨から14メートルも離れたところで発見されていて、歯も頭蓋骨から数メートルも離れたところで見つかっていたからです。これらの骨が同一の生物のものという証拠は何もありません。しかも、のちにその地層をもう一度よく調べてみると、同じ地層から今と同じヒトの遺骨が見つかりました。これではジャワ原人をヒトの先祖と呼ぶことはできないでしょう。
 北京原人は、今ではヒトとサルの骨が組み合わされたものと見る科学者が少なくありません。中国ではサルの脳みそを食べる習慣があり、人とサルの骨がいっしょに見つかることが、とくに北京ではよくあるらしいのです。また北京原人の化石といわれたものは、第2次世界大戦中に失われてしまったので、現在のハイテク技術によって調べなおすこともできません。
このようなあいまいな証拠たちを、今だに「進化の証拠」として教科書にのせているのも、ちょっとどうかなと思います。
サルと人間 左からアウストラロピテクス、北京原人(ホモエレクトゥス)、ネアンデルタール人、ホモサピエンス。前者2匹がサル、後者2人が人間。あなたたち、話題になってるよ。
 ネアンデルタール人は、進化論では前かがみで歩いている猿人のように紹介されていますが、最近ではそれは全くの誤りであることがわかっています。ネアンデルタール人の骨は複数見つかっていて、それらはどれも完全な直立歩行をしていたことを示していたのです。ブリタニカ大百科事典ではこのように述べています。                
 「一般に普及しているこの人類についての概念、つまり前かがみの姿勢、足をひきずりながらの歩行、そして曲がったひざ、これらは20世紀初頭に発見されたネアンデルタール人の1体の人骨の、肢骨のある特徴を誤って解釈したことの産物である」                                                             
 前かがみに解釈されたあるネアンデルタール人の肢骨は老齢で、くる病や関節炎をもっていたヒトのものであったことがわかっています。しかもネアンデルタール人は脳の容積が現代人より多少大きかったとさえいわれています。近年の相次ぐ発見でネアンデルタール人が衣服をもち、死者の埋葬や、献花の習慣まであったことがわかっています。アメリカアリゾナ州の考古学研究調査所ジェフリーグッドマン博士はこう述べています。                  
 「ネアンデルタール人が肩を曲げ、かがんだ形で、あまり賢くない動物だと考えるのは、主に初期研究者たちの先観による間違った固定観念である。」
 クロマニヨン人も同様に猿人ではなく、人間であったことがわかっています。グッドマン博士のコメントです。「クロマニヨン人は、一般に少し頑丈で、また少し筋肉が発達している点を除けば、現代人と区別できない。」
 このようにサルは最初からサルで、人間は最初から人間であったことが今わかっています。サルと人間のあいだの中間生物はいないと考えられます。(2)

                  ヒトとチンバンジーの遺伝子は83パーセントちがうという事実

 知能などで差があるヒトとチンパンジーですが、その遺伝子の配列に約1パーセントしか差がないことがこれまで大きな謎でした。
 しかしそうではないことが最近の研究でわかりました。
 理化学研究所を中心とする日本、ドイツ、中国の国際研究チームが2004年5月の英科学誌ネイチャーに発表した論文によりますと、ヒトとチンパンジーの遺伝子は実は83パーセントちがうという結果が出ています。
 チンパンジーの22番染色体を解読し、対応するヒトの染色体とくらべると、塩基の置き換えによる違いは1.44パーセントでしたが、塩基の欠損、挿入は68000カ所もあったのです。
 両者で比較できた遺伝子231個のうち、全く同じ遺伝子は39個にとどまり、全体の83パーセントに当たる192個の遺伝子にタンパク質のアミノ酸配列にちがいがあり、その192個の遺伝子のうち2割で、タンパク質の構造までもが変わっていたのです。
 遺伝子が83パーセントもちがうことで、ヒトがサルから自然に進化したのではなさそうだということが分かります。
 ほかに考えられることは、科学者が遺伝子操作によって人間を創造した、ということです。そう考えれば、たとえ100パーセント遺伝子がちがっていたとしても、納得がいきます。
 ヒトとチンパンジーの遺伝子が1パーセントしかちがわないと考えられていた頃、その1パーセントに相当する約3千200万対のdna塩基は”長い時間のうちに幸運な偶然が重なって精密な人間の設計図になった”と進化論者は語っていました。
 しかし、そんなナイスな話はありません。100個くらいの部品で組み立てられるプラモデルですらだれかが設計しないとできません。進化論者はよくそのことを、”時間さえあればしまいには偶然100回続けてコインの表を出せる”と説明していました。いかに進化論がけっこういいかげんか分かりますよね。

                  笑っているチンパンジーの子供  ベッカム2002 

                     ウキキ〜とベッカムは違う生物だす

                      三葉虫は突然出現した

 三葉虫、カイメン、二枚貝など新種の生物が海に突然出現したカンブリア紀という時代がありますが、これらの生物はその前の時代の地層に全く前駆的生物がなく、完全な形で突然出現しています。これをカンブリア爆発といいます。三葉虫はなにかの生物が少しづつ進化してその形になったのではないのです。もし少しづつ進化したのなら、その途中の形態の三葉虫らしき生物があってもよさそうですが、そういったものは見つかっていません。また、無脊椎動物から最初の脊椎動物である魚へと橋渡しする、進化途中の生物の化石も全く見つかっていません。そういった前段階の生物や、中間生物が決して見つからないのは、有名な公然事実です。

三葉虫の化石  

わたしがうわさの三葉虫です。おさわがせしております



  

  

                        栽培種はそう簡単には作れない

 植物から見てどうでしょうか。小麦や米、いもなどは野生種から栽培種へと進化してきました。今、わたしたちが食べている野菜や米、果物などは栽培種です。問題は野生種から栽培種へその進化がどうやって起きたのかということです。進化論者は、新石器時代の人が時間と労力をかけて野生種をかけあわせて栽培種を作り出した、と簡単に説明して済ましてしまいます。                                                      
 しかし、野生種から栽培種を作るのは分子レベルでの改良が必要で、野生種の染色体数を何倍も増加させて作ることになります。例えば、小麦の野生種の染色体数は7本ですが、小麦の栽培種の染色体数は42本です。サトウキビの染色体数は野生種が8本、栽培種は80本です。野生種と野生種をかけあわせてもこんなに染色体数は増えるはずがありません。さとうきびは栽培種の染色体数は原種の10倍です。もうちがう生物といえるかもしれません。こういった改良は現代の生物学者にも難しいことです。これだけの生物のドラマチックな進化を石器時代の原始的人間が本当になしとげたのでしょうか?ひじょうに疑問です。そもそも新石器時代の原始人は狩猟生活が主だったのです。彼らが忍耐強く、データをとりながら、品種改良を何十世代にもかけてしたのでしょうか?そうしたところで染色体数は10倍になるでしょうか?おそらくならないでしょう。しかし、より科学が進んだ実験室において遺伝子操作したなら、野菜や果物は簡単に進化し、染色体数も増えていることでしょう。(3)

                  自然進化論に科学的根拠はない。ファーブルさんは知っていた。

 自然進化論は世間の”常識”になるほど広まっていますが、科学的根拠はひとつもなされていません。これは意外に思いますが、科学的に実証されたことは今まで一度もないのです。150年前のこの一仮説は、dnaを知らない時代のものなのです。ダーウィンが現在も生きていたなら、進化論に多少の修正を加えたかもしれません。進化はまちがっていなかったが、自然に進化したのではなく、ヒトによる遺伝子操作により進化したのだと。ふつうに考えてサルから人間へ自然とかたちが変わることはないでしょう。もしそうなら進化途中の中途半端な生き物が現在もいたっていいはずですが、そういった生き物はいません。すべての生物は完璧なシステムを備えています。                                                       

  ファーブルさん

 ファーブル昆虫記のアンリ・ファーブルさんは自然進化論をまっこうから批判していました。その根拠はファーブルさんの研究の結果から出たものです。彼は生き物が生まれたときから完璧なシステムをもっていることを知っていたのです。                                                                    
 つちばちの親は、自分よりも大きなハナムグリ(こがねむしの一種)の幼虫をつかまえると、その腹側の神経中枢を針で一刺しにして、生きたまま麻痺させます。それから、幼虫を地中にひきずりこみ、その腹上の決まったところに卵を一つ産みつけて、飛んでいってしまいます。やがて卵からかえったつちばちの幼虫は、動けないハナムグリの幼虫の大きな身体を自分がかえったその場所から食べ始め、中へともぐりこんでいきます。あわれなハナムグリの幼虫は、食べられながら身動きもできず、生きているのです。結局ハナムグリの幼虫は、皮とわずかなすじを残して食べつくされる最後のときまで生きているのですが、つちばちの幼虫はその抜け殻の中でさなぎとなり、やがて親蜂になります。                                                                      
 そこでファーブルさんは、蜂にかわってハナムグリの幼虫をしばって動けなくしたり、卵の場所を変えてみたり、途中でエサをすりかえたり、いろいろやってみます。そして得た結論は、ほんの少しでもやり方を変えると、ハナムグリの幼虫は死んで腐ってしまい、つちばちの幼虫もそのエサといっしょに死んでしまう、ということでした。針の刺し方、卵を産む場所、つちばちの幼虫が動けないハナムグリの幼虫を食べていく順路など、すべてが正確に行われないと、つちばちは生きていけないのです。
 一番最初にハナムグリの幼虫をエサに使おうと思いついた親蜂が、この手順を知らなかったり、ちょっとでもまちがえたら、このつちばちは子孫を残すことはできません。この一番最初の親蜂が解剖学を心得ておらず、幼虫の集中した神経中枢節の一刺しで全身麻酔をさせられなかったら、もし卵をちがうところに産んだら、もしつちばちの幼虫が少しでもちがった順番でハナムグリの幼虫を食べていったら。それらはすべてつちばちという種の保存にとって致命的であると、ファーブルさんは述べています。(4)

ハナムグリを食べていく、つちばちの幼虫。 無念、ハナムグリちゃん
                                              
 しかし、不思議な話です。どうして最初にこの方法を思いついた親蜂が、ハナムグリの幼虫の神経中枢の場所を知っていたのでしょうか?なぜ卵を産むちょうど良い場所を知っていたのでしょうか?仮にそれらを知っていたとしても、こんな状況は初めてのはずのつちばちの幼虫が、なぜハナムグリを殺さぬよう食べていく順番を知っていたのでしょうか?ファーブルさんはこう言います。                                                 
 「まったく、(ダーウィン主義者がよくいう)獲得された習性というのは奇妙なものである。あるひとつのことが、それができないものによって成しとげられ、同じように無能なものたちによってどんどん立派にされていった、想定するのだ。・・
 ところが、獲得された習性の起源について、そのいろんな可能性を調べてみると、私はただ”ゼロ”という答えしか得られない。
 もしも生き物がその職業を(初めから)根本まで究めていなければ、もしも彼に(さらなる能力の)獲得の必要があるのなら、死ぬしかない。これは避けられないことである。。・・もしも彼が知らねばならぬことをみな知っているのなら、彼は栄え、子孫を残すであろう。しかしそうすると、それは先天的本能だ。覚えることもちっとも要らず、忘れることもちっともない、時を通じて不変な本能だ。」(6)
 つまりつちばちは、生存のための手順を、最初の世代からとことん知り抜いていないと、どうしても次の世代を残すことはできないのです。
 このように生物は、すべての機能をはじめから全て与えられていないと生きていけないのです。
 ダーウィン主義者が”つちばちは長い時間のはてに、偶然こういった方法を思いついた”、と説明することに対し、ファーブルさんはこう述べています。
「偶然! なんて便利な逃げ道なのだろう。・・長い時間という神秘と、生物における未知ということをたくみに操って、あいまいな美辞麗句をつらねていれば、理論なんかすぐ作れる。日頃の苦しい研究にうんざりしているわれわれの怠け心に、それはぴったりのものである。」(6)

                      遺伝子の筆者がいるはずです。 

  スミソニアン協会の著名な生物学者オースチン・H・クラーク氏は、進化論についてこう述べています。
「人間が下等な生命形態から、段階的に発達してきたという証拠はない。いかなる形においても人間をサルに関連づけるものは何もない。人間は突然に、今日と同じ形で出現した。・・」
 このように多くの問題点が指摘されているにもかかわらず、進化論が”定説”として揺るぎない地位を保ってきたのは「力の行使」があったからです。指摘される問題点は、その都度、大勢の力でもみ消し、触れることすらタブーとしてきたことは、知る人ぞ知る事実なのです。
 元東北大農学部教授高橋清博士は進化論者から、創造論者に転向しました。そのいきさつをこう述べています。
「私は長いこと、本当の科学者はそのような会議(創造科学研究会)に入るべきではないと考えて、避けていました。しかしある日、創造科学の視点に立ってこれまでの出来事を見てみました。すると、進化論の主張がトリックに満ちていることが見えてきたのです。」(4A)
 
 2006年、アメリカの遺伝子学者、ジョン・サンフォード博士は、著書「Genetic Entropy and the Mystery of the Genome」において、ゲノム全体が上方に進化することはなく、高度なゲノムは時間と共に退化する、という強い証拠を示しました。突然変異や自然淘汰で人間が自然にできあがった、という進化論のまさに土台である「第一原理」は間違っていることを証明したのです。博士は著書の中でこう述べています。

コーネル大学の教授であるサンフォード博士。天才はよく笑う^^
「近代ダーウィン主義は”第一原理”というものを基礎としています。その第一原理とは、人間は単にランダムな突然変異と自然淘汰の産物にすぎない、という考え方です。われわれの社会の学問界においては、この原理はあらゆるところで教えられ、ほとんどあらゆるところで正しいと受け入れられています。第一原理はすべての大学のキャンパスにおいて、絶えずパクパクとくり返される、マントラ(ヒンドゥー教のお経)です。どの大学にも、この第一原理にあえて(勇気をもって、というべきか)疑問を呈しようとする教授を見つけるのは難しいことです。
 経歴の後半に、私は一コーネル大学の教授にとって考えられないと思われるような、あることをしました。第一原理に疑問を呈しはじめたのです。たいへんな恐怖と身震いをもって、この行動を始めました。これをすることによって、私は現代学問界において、もっとも”神聖な牛”(ヒンドゥーでは牛は神さま)の名誉を勝ち得るかもしれません。もしくは反対に、学問の世界から追放されてしまうかもしれません。」
 このように、今までの考え方の間違いに気づき、それを指摘していく科学者は、まれであり、勇気がいります。仲間の科学者から抵抗をうけたり、無視されたりするからです。サンフォード博士は現役の教授でありながら、リスクを背負って、進化論という信仰の誤りをを主張しています。本当にすばらしいです。
 
 よく進化の話で、魚が陸地にエサを求めてあがってきた、しまいには手や足が生えてきた、とあります。しかし、魚がエサを求めて陸地に上がってくるでしょうか?毎日陸に上がってきたら自然に手や足が生えるとは思えません。努力すると形が自然に変わることはないでしょう。第1章に御出いただいた遺伝子学で世界的に有名な筑波大村上教授はこう言っています。
 「遺伝子の暗号解読というのは、辞書を片手に本を読んでいるようなものです。そこに意味のあるメッセージが書かれているから読むこともできる。だとしたら”筆者”がいるはずです。なんらかのメッセージを伝えようという意志というか、”思い”のようなものがなくて偶然に一冊の本が出来上がることは絶対にあり得ないことですから。」(5)
 今は遺伝子操作により様々な新しい生物が簡単に登場してきます。遺伝子操作で羊とヤギをミックスした動物を造ったように。形は自然に変わるのではなく、遺伝子操作により変わるのではないか、と考えるのは現代人として当然だと思います。地球上の生物は全部で2千万種あるといわれていますが、その2千万種すべてに同じ奇跡、つまり自然進化が起きたと考えるのは、正直むずかしい話です。人だけでも24億9千万個の部品(ヒトの遺伝子の83パーセント)が奇跡でできなくてはいけないのです。自然はなにもしないから、それは無理な話です。しかし、遺伝子操作に長けた科学者たちがいたのなら、2千万種の完全な生命体が地球に存在していても驚くことはないでしょう。




                             



 参考文献      (1)神々の遺伝子 上  アランfアルフォード著         講談社プラスアルファ文庫 

             (2)オーパーツと天地創造の科学   久保有政 著     ムーブックス

             (3)地球史を覆す「真・創世記」     南山宏 著      ムーブックス

             (4)宇宙史の中の人間         海部宣夫 著      講談社プラスアルファ文庫

             (4A)恐竜と共に滅びた文明     浅川嘉富 著    徳間書店

             (5) 複製された神の遺伝子       戸来優次 著      同朋舎 角川書店

             (6) ファーブル昆虫記   集英社


 写真、さし絵        ファーブル         ポプラ社

                 つちばち         ファーブル昆虫記  集英社

                 ベッカム         b-love-almond.jp

                チンパンジー       www.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/

                 三葉虫          wwwpark1.wakwak.com/"bohemiyan/