陶器山よもやま話 
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< 陶器山を歩く(下)>
(「都市と自然」449号ー2013年8月号)

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泉北ニュータウン造成時、細長い陸の孤島のような森林域が残されたのは、
考古学者にして狭山の名誉市民たる末永雅夫氏が
存命だった事による奇跡としか言いようがない。
ごくありふれた里山が、千年昔の一大窯業(須恵器)地帯の東限域
としての位置づけを持っていたからである。

2010年末、突然伐採が始まり、間伐かと思う間もなく
年末年始の慌ただしさが明けるや
金剛山の眺望を遮っていた谷向こうの山一帯が禿げ山になっていた。
「エーッ!何するの!折角気に入って歩いている山やのに!」
谷を下り、ブッシュを掻き分け、伐採業者に聞きに行くと、
間伐や、植林ではなく造成だと言う。
エー!丸腰のジョッギングウエアの此方に対し、
複数の相手は重機やチェーンソーを持っている!
勝ち目はない。怒りは市役所に向かった。

尤も後に市街化区域の街道沿い13fが
地権者20家と逆線引きの合意に達したり、
造成地の東北端6,611uを購入して緑地宣言したりと、
市の緑への姿勢は見えてきた。

市民の声を、市民の力を見える形にしよう、
と山で始まった署名活動は然し遅々として進まない。
原因は後で徐々に分かってきた事だが、
当該山域が「私有地」であり、
ウオーカーも近隣山域の地主や「ご近所さん」が少なくなかったから。

署名活動を地域、街、堺市、友人知人に広げることにした。
山歩きをしない人たちには、「新聞だ!新聞を出そう。」
素人細工の「陶器山ニュース」の発行に及んだ。
写真の材料には事欠かない。
見知らぬ者同士が、署名活動を通じて仲間になり、
当該地域を、地権者の名前を勝手に借りて
「ツバサの森」と名付けて活動を始めた。

人口58,000人の狭山市で13,000余名の署名が集まった。
有権者6割として投票率4割なら14,000人か・・・
充分迫力ある数字ではないか。
だが甘かった。
その後の行政の動きに何ら反映されることはなかったからである。
要望書、署名簿、嘆願書・・・・金剛コミュニテイ(新聞)も取り上げてくれ、
市長面会には読売新聞社も取材に来てくれたが、
「そもそも狭山は全市が市街化区域ですよ。」
と言うシラーとした反応が何度目かの都市整備部との面会の場であった。
こりゃアカン!

諦めるには然し、陶器山はあまりに美しい。
小なりと言えど、陶器山。
矢張り、せめてこの儘、守りたい。
第一この景観が壊れたら、毎日歩く私の楽しみが・・・・!
何か方策はないものかと、
林野庁(近畿・中国森林管理局)、大阪府庁、堺市役所にも行き、
元府議の知恵も借りに行ったが、
矢張りネックは「私有地」であることに尽きた。

行政を動かす近道は市議会か。
解決策として考えられる限りの項目を書いて提案書を提出し、
議会で取り上げてもらえるよう市議15名と市議会議長にアプローチ。
しかし、こんな小さい町の市議は利害錯綜する後援者の目を意識せざるを得ない。
特に地権者同士の誼もあり、また当の市議が地主の立場であれば、
私有権の保護は死活問題でもある。
結局、実質的な協力も得られず、
「幹事長会議の結果、継続審議」決定。
それでも、返書には「・・・・(通称ツバサの森)の保存に関して・・・・」
と地権者の名前を付けた当該地域名を地番と共に併記してくれるまでにはなった。

新聞は月刊で4号まで出したが、
配布の労力とコストが結果を伴わないことで、
2011年5月1日付で発信ツールをホームページに切り替えた。
(http://www14,plala.or.jp/tokiyamanomori/  陶器山の森で検索) 
NPO時代の掲示板が陶器山に残されており、
ホームページの記事を日々切り取って、印刷・掲示。

時代は市民協働。
退職しても元気な市民を放っておいては何かと喧しくなる。
現役時代の能力を活用することで、
健康保険料も抑えられるという知恵が働いて
日本全国、市民協働はトレンドである。
何度か市役所通いをしているうちに、
当該地域を含む市有地の山域の名前を冠した「今熊市民の森保全会議」が結成された。
構成員は市民、市会議員、南中円卓会議、
あまの街道と陶器山の自然を守る会。

この5月で既に19回の寄合を重ねているが勿論、
保全会議では当初の問題解決には至らない。
月一回の保全会議の活動では片付かない、草刈り、笹刈り、倒木・立ち枯れ始末、
間引き、枝打ち、ゴミ拾いなどはほぼ毎日。
2年足らずで一帯はあまの台と言うニュータウンに変貌したが、
街道沿いの斜面は裸同然。

冬場、隣接地に密生していたヤマザクラ30数本を、
夏場は朝日の直射厳しい地獄通りに移植した。
既に私たちは居ないであろう10年後か20年後のいつか、
元のような緑のトンネルが復活することを願って・・・・
せめて雑草だけでも育ってくれればと昨夏、
大勢のウオーカーがペットボトル水やり作戦に参加したが、
この夏はどうだろうか?

これだけ喧しい市民の活動を受けながら、
ツバサの森は依然私有地である。
「地権者の思い一つ」の運命は変わらない。
12,243uの「購買意欲はあり、交渉は継続しているが
金額的な折り合いがつかない」と市役所は言う。
地権者は江戸時代には私財を投げ打って道を作り、運河を掘った名士の家系だとか。
市有地に出来ないのなら、せめて金持ちの地権者が、
その名を愛しんで「ツバサの森」の永遠を許してくれないものか、
と経済音痴の夢見るおばさんは思うのだが、
何かいい知恵はないものか〜〜〜?