陶器山の森1212 homeへ
写真の上でマウスを動かすと説明文が出ます。
< 「ツバサの森」は守られた >
宅地開発の危機を回避 大阪狭山市が1億6千万円で購入
(「都市と自然」466号ー2015年01月号)
4年前に署名活動で始まった大阪狭山市陶器山の「ツバサの森」問題は
2014 年10 月28 日(火)十時開廷の臨時市議会であっけなく決着した。
購入議案第73号、そのための補正予算案第74号、第75号が
満場一致で可決されたのである。
1.ツバサの森は守られた
臨時議会の数日前に、「陶器山が議題の緊急議会が招集される」
と言うニュースを耳にして、行方を見極めるべく、
当日は活動仲間数人が9 時に市役所議会事務局で傍聴の手続き。
急転直下の朗報に至るとは夢にも思わず、
ただ市民の重大な関心事であることを示す機会と考えての行動だった。
9 時半開議予定が、約一時間遅れで15 人の市議全員が議場に三々五々入場。
議場での質疑はなく、開場前の会議が半時間では済まず
熱心な討議が行われたと想像する。
西尾浩次市議会議長の開会宣言で
大阪狭山市議会定例会10 月緊急議会が開催された。
吉田友好市長の挨拶に続き担当の都市整備部池田省三部長の議案説明。
当該地は大阪狭山市今熊4 丁目665 番1 、
地目は山林、面積12,243平方メートルで、
今回の買収目的は(仮称)今熊市民の森緑地保全事業用地、
買収予定価格は¥160,383,300である。
地権者は当初2 者と承知していたが、最終的には4 名。
価格の折り合いが難しく時間を要したが、
結果的に当初耳にした3 億4 千万円からすると約半値での購入となった。
交渉の経緯、事情は知るべくもないが、先ずは目出度い。
購入意欲はあっても「小さい行政体で一つの事業に多額の資金投入は
市民の賛同を得られない」と言うのが面会の度の市長の言い分だった。
任期第3 期目のマニフェストにも
「人と自然が共生する環境にやさしいまち」をうたい、
「(仮称)今熊市民の森緑地整備事業」を年度目標に置いている。
折に触れ担当の都市整備部に面会に行き、
地権者との交渉経過状況を打診したが、微妙な問題ゆえ、
軽挙妄動の自制をそれとなく求められた。
先が見通せないまま、「部長、信じてますからね」
の言葉で退去せざるを得ないのが常だった。
長い道程だったが、2011年3 月の今熊市民の森北部地域13 ヘクタールの
逆線引き(市街化区域→市街化調整区域)の合意から始まって、
市としては一応ぶれない姿勢であり、又今回の結論に至るまでの地権者と、
吉田市長と2 代にわたる都市整備部長の辛抱強い交渉努力に深く敬意を表したい。
3. 保全活動への経緯
陶器山は大阪狭山市と堺市を南北に分けて走る低山である。
泉北ニュータウン造成時に堺側は60 メーター幅で緑地帯が確保されたが、
狭山側は多くの地権者が連なる市街化区域で、
行政の力の及ばない開発事業が南から北へヒタヒタと進んでいた。
書類が完備していれば行政は拒否出来ないとの事で、
西山霊園東部から大野台7 丁目西部、今熊4 丁目へと小さい集合体が北へ伸びて行った。
ツバサの森は陶器山丘陵の中央部に位置し、
今熊4 丁目の山林を造成して出来た現あまの台住宅の北にある。
東西に長い山林で第二期造成予定地とされていた。
陶器山1号窯跡がある。
毎朝眠気覚ましのウオーキングでお気に入りの山(?)が
年末も押し詰まった2010 年12月27日。
木の間越しにダイヤモンドトレイルを眺めながら歩いていると、
東の尾根筋で大木を伐採している!
「ウソーッ!止めてよ。」ブッシュを掻き分け、向かいの尾根に上がって聞くと、
「全部伐る」んだと。
海外の山まで歩きに行く山屋にしてはお粗末ながら、
山には私有地があると知った衝撃の瞬間だった。
正月の喧騒が過ぎて山に上がると、山は裸状態になっていた。
今熊4 丁目第1 期造成工事の始まりである。
ア〜あ。
既に造成が始まっている第一期分は止めようもないが、
西室池を含む第2 期分は何としても止めて欲しい。
最初に思いついたのは開発反対の署名活動。
人口58,000の狭山市で13,172人の署名は迫力があると思ったが、
民有地に対するいかなる願いも、行政としては如何ともしがたい
との理解に至るのに時間はかからなかった。
地権者は東京在住の不在地主で、
江戸時代には道を作ったり、水路を開いたりした地域の名士だったことから、
無謀にも、寄付を呼びかけたり、ナショナルトラストを考えたりしたが
微力な市民の手には負えなかった。
どうすればいいのか・・・・
新聞を発行したり、地権者に接触を試みたり、
市議、府議、元府議、大阪府、堺市、近畿中国森林管理局、
などに相談したり・・・・民有地と言った途端、何処も話は頓挫した。
そりゃ〜そうだ。
人の財産権への介入の話には誰だって乗れない。
残された道は結局、地道な活動以外にない。
見てくれるあてもなく地権者を唯一の読者としてのHPの開設。
景観条例や優遇税制の提案、ゴミ拾い、枯れ枝始末、
倒木撤去、草刈り、笹刈り・・・・
造成業者近畿建設が残してくれた、法面十メートルを含む
緑地緩衝帯約20 メートル(現あまの緑地)の植生復元活動。
これがその後の大きな力となった。
粘土質の斜面には近畿建設が折角植えてくれた55本の苗木は育たず、
2年目まで持ちこたえたのはホンの数本のみだったからである。
2011年11月大阪狭山市公園緑地グループから呼びかけがあり、
市議、市民、市民活動団体を含む保全会議が発足した。
昨今流行りの市民協働である。
正式発足後、今熊市民の森保全会議と銘打って、月一の会議と
公有地である今熊市民の森での現場活動が始まった。
初年度は20数名が参集し、造成地に新しく出来たあまの緑地に、
隣接の密生地からのヤマザクラを4本移植したが、
斜面に移植した2本は生きながらえたものの、
底面緑地の二本はあえなく枯れた。
2年間の失敗から、現地の土質の見極めと移植ノウハウを学習。
3年目の移植は30数本/年で略成功。
今年は2月までに植えた38は概ね良好な状態を維持している。
感動は役所が必要資材を供給してくれたこと。
夏場直射日光でカラカラの斜面への水やりに、
水場のある四阿(あずまや)から50数名のウオーカーが
ペットボトルで水を運んでくれたこと。
「好事家の守る運動」から「市民運動」へ昇華したと実感した3年目の夏であった。
3.これからの保全活動
北部の岩室から南端の天野山金剛寺までの
10数キロメートルに及ぶ天野街道の内、
あまの街道と称する3.5キロメートルの遊歩道の快適さは
単に緑のトンネルと言うだけではなく、
目障りな看板なし、ゴミなし。笹刈り、枯れ枝・倒木始末など
「陶器山が好き」と言う勝手連のちょっとした心遣いによるところが大きい。
外来種の混入率10%以下と言う良好で多様な植生と
不明種22を含む約500種のキノコと、
それに依存する八十種に及ぶ鳥類の多様さ。
森の懐が深くないため哺乳類は少ないが、
今年、ノウサギ、イタチの撮影に成功している。
(参照;HP陶器山の森 http://www14.plala.or.jp/tokiyamanomori/ )
陶器山がかつて里山として機能していた頃、
当たり前に見られたと言う可憐な花が今は希少種として細々と命脈を保つのみである。
ツバサの森が民有地から狭山市所有の緑地帯として位置づけられた今、
「守る会」としての役割は終わったわけであるが、
市民活動に昇華した私たちの保全活動は、これより些細ではあるが、
様々な種の絶滅に知らずの内に加担してきたこの時代に生きる者の、
せめてもの後世への償いとしてそうした昔の植物たちを復活させる事、
そのための環境を維持改善する、本来の保全活動に向かいたいと思う。
4年間コケの頑張りで猪突猛進。
達成感はあるが、白髪も増えた。
残りの人生、次は何をしようか・・・・
因みに3億4千万円から1億6千万円まで気前よく歩み寄ってくれた地権者は
一族が塾員と言うおまけがついている。
(おわり)