haunted heart
いつの写真だよ。。
9.20: 再び冬が近づいている。夏の間は、本ばかり読んでいた。沖方丁のマルドゥックスクランブル(全3巻)とマルドゥックヴェロシティ(全3巻)を読み終えて、 今は村上春樹のねじまき鳥クロニクル(全3巻)の1冊目を読んでいる。
この分だと次はスターウォーズかインディジョーンズかバックトゥザフューチャーかロードオブザリングだと思う。
もうマトリックスは見た。全部見終えた頃には、パイレーツオブカリビアンが出揃ってるだろう・・。

そんなことはどうでも良いが、ねじまき鳥を読んでいて思ったのが戦争についてだ。マルドゥックもそんなもんだが、それらの与えるイメージは戦争はとても個 人的な遠足だということ。もちろん戦後世代の本なのでただの空想だといってしまえばそれまでだが、拷問についてこれだけ自由に描けるのは、その経験をまさ に客観視できるからとも言える。
次はどこどこに行くと連れて行かれる。そこはみたこともない景色が広がっており圧倒される。それは精神的に影響を与え、戦いの果て、疲れ果てた精神は内に 向かう。これは先の大戦で戦争の話として出てくるものとは大違いだ。水木しげるや梅崎春生のような作家の本はこの様な個人のことを描いているが、マスメ ディアではよく空襲や原爆の話を中心にする。あれは非常に集団的な話だ。つまり戦争=出征か、戦争=空襲かということ。この見かたの違いでまるで話が変わ る。空襲は受けたものは被害者でしかない。だからおおいに語る。語ることが出来る。しかし出征にいった人達は実際的には加害者でもある。加害者にさせられ たのだ。だからおおいに語るなど出来るわけもないのだろう。
もちろん私は戦争を知らない。でも読み、見て聞いて思うことはある。これは深い論考の末の発言ではない、感じ取ったことだ。結局、経験的に語るのが戦争に はぴったりかと思う。僕はもう少し出征に行った人々の事を知りたいと思う。

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