haunted heart
4.19: 「天才が努力したらすごいものができるのに」とよくいうが、実際には違うのだろう。凡才が努力できるかわりに、天才は努力ができない。結果、到達する地点 は同じということだ。「天才が・・」などという言葉がある自体、それを物語っている。
つまり人間には限界があるのだ。しかし自然、つまりこの世界に有り得るものには限界がないかもしれない。それは一人の人間と底知れぬ井戸のようなものだ。
ある所に井戸があってそこを覗いてみるが暗くて見えない。手を伸ばしてみるが底には触れない。一生懸命に伸ばすが、手はそれ以上は伸びない。人間には 「底」があるということだ。もしかしたらあとちょっと伸ばせば、底につくかもしれないが、届かない以上は底がないのと同じだ。
そのちょっと先にすごいものがあっても、一人の人間には届かないのだ。知的なる探求には限界がないのに。
しかしそれは「個としての人間」の場合だ。だから「種としての人間」ということを考える。アルスによる自然の全的記述というアリストテレス哲学の発想を考 える。
私には届かなくても、次の世代には届くかもしれない。だから我々はその先のために今探求する。
底知れぬ井戸の中に手を伸ばした私の手をつかむ、もう一人の手がおぼろげに見えてくる気がする。そしてだれかが底に到達するかもしれない。

 などということを今日ぼけっと仕事をしながら考えていたのは、多分昨日の酒が残っていたせいだろう。
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