haunted heart
9.25: 前回の続き。多摩ニュータウンは広い。原武史によると、「小田急沿線の多摩ニュータウンは完全に戦後的な空間を生み出すことができ、それにくらべ西武鉄道 沿線は、沿線の郊外が帯びる独特の陰影まで消し去ることが出来なかった」(『滝山コミューン一九七四』206p)とある。では今はどうかというと、実際に 行ってみると「暑い」というのもあるのだろうが人はあまり歩いてはいなく、公園のブランコは色が剥げ、木がめくり上がっており、違った意味で影のようなも のを感じる。だが、寂れているというのは違うかもしれない。単純に古い物件が新しい物件に客を取られるように人が自然と減っただけという感じ。近くのテニ スコートでは中年の男女が汗を流していた。子供は上の3人だけだ。

そもそも私は廃墟好きの傾向があり、<うら寂れている=すてき>という感覚があるのだけれど、ここはちょっと違う。団地の中の木々はもはや太く大きくな り、生き生きとそそり立っている。それに対し団地は区画としては今もきちんと整備され、車も多い。周囲の公園と森だけが取り残されたようになっている。中 途半端 な雑木林にくらべ蚊もいなく涼しい。

それにくらべると多摩丘陵のはずれにある小山内裏公園はバードサンクチュアリのある比較的大きな公園だが、森はフェンスで囲われ(それがサンクチュアリ= 聖域ということなのだろう)不自然で薄暗い。蚊も多い。蚊はより大きな虫がいることで普通は減るが、そういった環境になっていないということなのだろう か。
灯台下暗し、人が住んでいる地域の管理されていない自然は豊かに育ち、管理されている公園は不自然になっている。なんとも不思議な状況なのだ。
意外と団地は自然にやさしいということなのだろうか。もしかして除虫剤が大量散布されてるだけだったら・・と思うとちょっと怖いが。
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