さくら道270Kmウルトラマラソン 守 信夫 湖底に沈む運命にあった樹齢450年桜の老木を移植し見事に花を咲かせのに感激当時この路線の国鉄バス車掌していた佐藤良二さんが太平洋から日本海まで桜木で繋ごうと、一人で植え始め「志」半ばにして他界したが多くの人達に引き継がれ。毎年見事な花を咲かせ人々を和ませてくれる、名古屋、金沢間266キロを走ろうと、この大会は順位表彰が無く自分で食糧、着替え、雨具、懐中電灯等を背負い地図を見ながらの共走である。今年で10回目を迎え500名以上の申込みから300名に絞られ宮城県から宮城U.M.Cメンバ−女性4名、男子3名の申し込み全員が参加出来た。 私以外は夜間走や100キロ以上のレ−ス更に、着替えなど自分で背負って走るなど全員が未経験なので3月末に夜間12時間走の練習会を行なったが、更に未知の土地地図を頼りの走行は、おそらく不安を抱えてのスタ−トだったろう。48時間以内の制限もあるJR東海バス名古屋営業所28日午前7時に各人思い思いのペ−スで、遥か金沢に向ったまずは名古屋城を左に見ながら外周し、27キロ地点の一宮市辺りから27度前後に暑くなり岐阜市街地からは軒下の水道を借り頭から水をかぶり、コンビニで飲み物を口にし横目に路面電車を見ながら、私設エ−ドでは腰を下ろして一息ついて。 余り無理すると二日目に響いて来るなと、5分歩き30分走りのコンビネ−ションランに切り替えたが、95.5キロの郡上八幡駅前のエ−ドには11時間で23番目到着とか。やはりオ−バ−ペ−ス気味であった、腰を落ちつけお握り、豚汁,漬物等で満腹にし夜間走に備えロングタイツ、長袖、更にヘットランプを燈して車のライトが眩しい道路へ大和町のエ−ドでは5年前に初めて参加した時に、皆の世話をするのが楽しみと言っていたオバアチャンが今回も嬉々として世話をしてくれた。 夜道へ115キロ地点から本道を離れ急坂1キロ程登り佐藤良二顕彰碑をお参り下がった所が白鳥町のエ−ドで大会前から痛みを感じていた骨盤の痛みが増して来たので、常駐中の整体師にマッサ−ジを受け腰の歪み等を矯正してもらい、足が少し軽く成り本道へ難所となる標高900メ-トルのひるがの分水嶺まで23キロ間で500メ-トルを真っ暗な山道を登り次第に気温も下がりウインドブレ−カ−を着手袋し、車も時折通るだけで空を見上げると正に満天の星が輝き最高の眺めだが、ふくろうの鳴き声も耳に入り心細く成りながら如何にか最高点へ29日に変わり「うどん」で身体を温めて山下りへ、歩きと走りを繰り返しで180キロの白川郷にまだ観光客がまばらな8時30分到着までは良かったが、其の後は完全に歩きオンリ−で千メ-トル以上のトンネルが続けざまに3本.4本とあり、祝日の為かオ−トバイ.ツ−リングがひっきりなしに通過の為騒音が物凄く、ホコリ等で拷問を受けなが通り抜けであった。 橋を渡る度に富山県、岐阜県と何度も出たり入ったりして五箇山へ、残り60キロだが初日100キロ以上に思え、あと40キロで二晩目となり後から来たランナ−に付いて行けず夜道の一人旅となり石川県に入ってから兼六園まで長かった事、何で金を掛け遠くまで来て一銭にも成らない事に足や身体中の痛みに耐え、何をやって居るのだと自分を罵りながらも早く楽に為りたい一心で 歩を進め、30日午前2時31分に感激では無く是以上歩かないで良いのだとの安堵が先に立った。時間内完走者135名前後で私は40番位でゴ−ルした様である。 会員では出口進、香夫妻が完走を果たした、特に香さんは夜半から降りでした雨に耐えて制限9分前にゴ−ルテ−プを切った。西田文夫さん(52歳)が途中から膝の痛みに耐え210キロまで頑張、本多峯子さん、工藤秀子さん、丹野京子さん、も其々に24時間は楽しんだそうである。 |
2003年さくら道270Kmウルトラマラソン 完走記 出口 香 1. スタート 午前7時にJR東海バス名古屋営業所を、約300人の同志と共にスタート。緑豊かな官庁 街、早朝の爽やかな空気が心地よい。気が付いたら、最下位集団に。無意識に林さんの アドバイス通り、「ビリでも良いから、ゆっくり行け」になっていた。 2.〜裁判所前(27.3キロ) 官庁街を抜けてからは、工藤秀子さんと一緒で心強かった。早くも陽射しが強く、暑くなり そう。天下のキリンビール工場前「私設エイドをして、ビールぐらい出してくれても良いのに」 と、文句を言いながら通り過ぎる。朝食が早かったので、すでに空腹・・・。裁判所前でバタ ーロールをほおばる。最高齢参加者渡辺実さん(76歳)と一緒になる。前向きなチャレンジ 精神に、頭が下がる。 3.〜ローソン(40キロ) 12時が過ぎ、私のお腹は限界に・・・。耐え切れずヤマザキへはいるが食料ゼロ。後ろか らきた4回目のエントリーという女性2人組が、「少し先にローソンがあり、そこはたくさんあ るから大丈夫」と教えてくれた。やっとおにぎりとプリン(工藤さんの消化の良くて甘い物と 言うアドバイス)の昼食にありつく。 4.〜関(59.1キロ) 7回エントリー昨年は完走しているという、温泉川清志さんと一緒になる。自然観察をして、 メモをとりながら走っている。時々横道にそれていなくなり突然現れる、変幻自在ユニーク な人。3人で走っていたつもりだったのに、いつに間にか工藤さと離れ離れに・・・・心細く なる。食料豊富な関の私設エイドで、ソーメン・パン・イチゴを食べ出発しようとしたら、ジャ ーンスイカ登場。慌てて引き返し大きいところをパク・・・・甘くて美味しかった!「よ〜し一人 で頑張るぞォ」 5.〜美農市役所(66.4キロ) ず〜っと遥か先を行っているはずの、出口進の姿を発見!私の姿を見ると、急にスピ−ド アップする・・・・不思議な人。おかげで元気回復したのでは? 6.〜ミニパーク下田の渡し(78.4キロ) 故障している左足に少し痛みが出てきた時、グッドタイミング!ボランティアでマッサージ とアイシングをして貰った。しかもラッキー、一番ハンサムなお兄さん(ヤッター)長い道中 だから、ほんの些細な事に楽しみを見いださないと、やってられないもんネ。17時過ぎこ れから徐々に暗くなるので、出発前に地図を確認していたら、女子最年長の中江つぎ江 さん(66歳)が、「地図を見ながらより、コースを知ってる人の後を着いて行く方が楽だよ」 とアドバイスしてくれた。10回連続エントリーしている千田虎峰さんが出発するところだっ たので、着いて行かせて貰う。 7.〜郡上八幡(95.8キロ) 楽しみにしていた郡上牛乳。お腹が気になったが、美味しかったので2本飲んでしまう。 冷えてき た体に熱々のおじやが、とてもありがたかった。 8.〜おくみの農協大和南支店前(105.1キロ) スタートの向かえが会社だという、初エントリーの広瀬幸男さんと一緒になる。部下の 威勢の良い若者2人が、車で応援してくれていた。(広瀬さんは組長で、2人は組の若い 衆だと後で判明。でも好青年でした)評判のてぬきうどんは、ネギがたっぷりで美味しか った。手は抜かざるを得ないけど、心はこもってるからね。 9.〜民宿さとう前(117.5キロ) 外灯も無く真っ暗なきつい上り坂だが、白線で矢印を書いてくれている。「でも雨の時は、 消えちゃうんだよ」と千田さん。満天の星空も綺麗だし、晴れていてラッキーでした。上り 切る手前で、折り返して来た出口進と再び遭遇。私に会ったから、また張り切るでしょう。 やっとたどり着いた「佐藤良二君顕彰碑」は、真っ暗でほとんど見えない。ここだけは、 ライトアップして欲しかった。大会側で設置してくれている、唯一のエイド。しばらくは私設 のエイドもないので、おにぎり・豚汁(しょっぱかった)・果物・フルーツゼリーetcしっかり とお腹に詰め込んだ。左足にお医者さん?からテーピングして貰った。 10.〜ひるがの分水嶺(140キロ) 千田さんと一緒なので、夜道も地図なしでOK!夜中に駅舎で早朝にバス停で、それぞ れ30分ぐらいずつ仮眠をした。少し寒かったがあまり冷え込まなかったので、何とかしの ぐ事が出来た。ひるがの分水嶺では、すっかり明るくなっていた。ツーバーナーで焼いて くれた熱々のたこ焼きは、すきっ腹にありがたかった。胃を痛めてしまった清野久子さん は、「大好きなのに食べられない」と残念そう。私も気を付けなくっては・・・・。 11.〜荘川桜(154.7キロ) またマッサージをして貰う。今度はハンサムなお兄ちゃんじゃなく、ちょっとがっかり。 (愛嬌のある顔してました)順番だから仕方がない。ずっと淡白な物が続いていたので、 ここのカレーライスは嬉かった。(守さんは、カレーうどんにしたとか。ん〜それも良いね。 来年は私も・・・・って、また出るの?) 12.〜平瀬・田口建設(168.2キロ) 2回も仮眠しているのに、どうしても瞼が重くなる。枯葉の上にパーカーを敷いて、また 30分程仮眠をした。(千田さんは待っていてくれると言ってくれたが、先に行って貰う) 歩道が無く大型車もすれ違えないような、悲惨なトンネル。壁にへばつくようにしてよう やく抜けたら、千田さんの姿が・・・・。「少し休んでたんだ」と言ってたけど、きっと待って いてくれたのだと思う。昨日初めて会ったばかりなのに、ありがたい。また着いて行こう としたのに、左足が重くってだるくて動かない。歩くのもつらくなってきた。左足を見たら、 膝の後ろからかかとまで紫色に・・・・。「え〜これどうしちゃったの?」自分でも原因が 分からない。「もしかしてテーピングの上から、マッサージしたから?」思いあたる事は それしかないので、慌ててテーピングを剥がしてみた。少しずつ楽になり、何とか走れる ようになった時には、千田さんの姿は見えなくなっていた。今度こそ本当に、一人旅・・・・。 お粥と果物をいっぱい食べて、「よ〜し、一人でもがんばるぞォ」と気合を入れ直した。 13.〜白川郷合掌集落(179.5キロ) みたらしだんごと五平餅を、絶対食べよう・・・・と思っていたのにすごく並んでいて、仕方 なく諦める。がっかり(並んででも食べれば良かった・・・・と後悔。来年は必ず・・・・) 晴天のゴールデンウィーク、多くの観光客で賑わっている。皆楽しそう。「それなのに私は、 リュックを背負って汗だくになって、何をやってるんだろう?」ちょっと投げやりな気持ちに なった時、「金沢まで行くの?へ〜凄いね。頑張って」と観光客に励まされた。「そう! 私は何としてでも、金沢まで行くんだ」再び闘志が湧いてきた。 14.〜道の駅「上平」ささら館(197.3キロ) お腹がペコペコでささら館まで我慢出来るか・・・・と思っていた時、御夫婦でやってくれて いるエイドがあった。(飯島トンネルを抜けた所)しかしお腹にたまりそうな物はアンパン だけ。贅沢は言ってられない、ムシャムシャと美味しそうに食べさせて貰った。御主人が 「ここでこれだけ食欲があれば、あんたは大丈夫完走出来る」と言ってくれた。食欲と関係 あるのかな・・・・と思ったが「よし、その言葉を信じよう」いつまでもしつこく食べていたら、 前田昇さん、石井元治さんと一緒になる。奥さんが、「去年前田さんと後半一緒に走ったら、 5分前にゴール出来たから着いて行けば良いよ」と嬉しい情報を教えてくれた。短かった 一人旅、ここで終了。これから暗くなって来る。また地図なしで行ける・・・・感謝!アンパン だけでは物足りなかったので、うどんを食べてパーカーを着て夜に備えた。 15.〜下梨(209.2キロ) 時々直立不可能になるぐらい、強風が吹く。天気予報通り雨が降るのか、冷たい風では なく暖かい風。私達が時間内完走のギリギリのラインらしく、エイドもしまう寸前。これから 最大の難所、五箇山の坂を上る。温かい卵スープをしっかり飲んで頑張るぞォ。ここの トイレは広くて綺麗、お勧めです。 16.〜大鋸屋(223.1キロ) 最大の難所と一番長い3キロのトンネルを過ぎて、ほっと一息をつく。マッサージボランティ アには誰も並んでない、やってもらいたかったが、私達には時間的に余裕が無い。丁重に お断りする。これからは下りなので、少しペースを上げて走った。 17.〜福光町役場前(230キロ) 遠くに街の灯りがみえる。やっと山の中から、街の中に来たような気がしてきた。「これから が、長いんだよ」と前田さん。まだまだ油断せずに、頑張らなくっては・・・・。 18.〜森本T字路(252.1キロ) やっと県境も過ぎた。冷え込みもあまりないので、ゴールの事を考えてパーカーを脱ぎ Tシャツになる。やっぱりゴールする時は、「南仙台走友会」が見えなきゃねッ。計算上は、 ギリギリセーフのよう。前田さんが「余裕を持ちたいので、少しペースを上げよう」と言って スピードアップした。何とか着いて行きたいけどとても無理。あっという間に姿が見えなく なった。ラストはやっぱり一人か・・・・と思っていたら、ちゃんと待っていてくれた。エイドで 時間がないので、休憩しょうかどうかまよっていると、「こんなに遅い自分達の為にやって くれているんだから、休ませて貰おう」と言う。何て心の広い人なんだろう。この直後、 私に天罰が・・・・。突然のドシャ降り、横殴りの強風。ゴールシーンを思い描いた私は、 罰があたったんだ。きっとウルトラの神様が、「甘く見るな」と怒ったんでしょう。 19.〜兼六園・佐藤桜(258.7キロ) 神様に怒られて、目が覚めた。急に足が軽くなりドシャ降りの中、前田さんと猛ダッシュ。 ところが、石井さんとまた一緒になった千田さんが着いて来れない。「時間がない、時間が ない」私は焦って、ハラハラしていた。でも前田さんは、「ここまで一緒に来たのだから、 待ってよう」と何の迷いもなく言う。前田さんの、人間としての大きさを思い知った。 20.〜二口町(262.5キロ) 7回エントリーしている前田さんでも、毎年街並みが変わり迷ってしまうらしい。「あれ、 あれ?」と右往左往していたら、後ろから千田さんの「武蔵ヶ辻を曲がる」と言う声が 聞こえた。助かったこれで間に合うかも・・・・。 21.〜ルネス金沢(ゴール) 7時20分前・・・15分前・・・刻一刻と時間が過ぎて行く。最後の直線は、どこにそんな 力が残っていたのかと、自分でも信じられない程のスピードで駆け抜けた。前田さんと 一緒に、感動のゴールテープを切った。すぐ後から石井さんと千田さんもゴール。海宝さん と握手しながら、「嬉しい!嬉しい!」を連発してしまった。 4月30日(水)6時50分 所要時間 47時間50分 ★ 出会ったランナー達 ・No14 山田 忠三さん 68歳 神奈川県 スタート直後「去年秋田100キロでいたよね」と言われる。「走り方で分かったよ。秋田 の時に、後半ずっと一緒に走らせて貰いました」え〜知りませんでした。「秋田11時間 なら、×4で44時間でゴール出来るよ」と言ってくれたけど、そんなに甘くはなかったです。 ・No17 石井 元治さん 43歳 愛知県 巨人軍団会員No2(斉藤親分の次)最初はウルトラをしていなかったが、大会の時に 海宝さんと同じ宿になったのが運のつき。ウルトラに引きずり込まれてしまった。 ・No125 渡辺 実さん 76歳 山口県 参加者最年長。時間内完走目指していたけど、残念ながらリタイア。でも、チャレジ精神 に拍手! ・No153 清野 広美さん 53歳 神奈川県 今回も仲間達と、楽しそうに走ってました。秋田100キロでは、毎年夫婦で完走する。 本当の「おしどり賞」 ・No154 清野 久子さん 52歳 神奈川県 途中胃を痛めたのにもかかわらず、後半見事に復活。粘り強い精神力に脱帽です。 ・No144 前田 昇さん 52歳 神奈川県 後半ず〜っと引っぱってくれた。私にかまわずに一人で走ったら、もっと余裕でゴ−ル 出来たのに。「完走請け負い人」を命名させていただきます。「ありがとう。感謝」の 一言です。 ・No246 温泉川 清志さん 50歳 東京都 ひょうひょうとしていて、ユニークな人。ハーフタイツを忘れて来て、走っている途中で に買って、公園のトイレではきかえた。「スーパーマンは、電話BOXで着替えるだけど ・・・」だって。岐阜に別荘を所有してるとか・・・・。もっと親しくなりたい、お友達になり た〜いね。 ・No266 中江 つぎ江さん 66歳 栃木県 女子最年長者。とても60代には見えません。50代だと思ってました。北海道縦断レース に出場して、完走しているらしい。 ・No286 広瀬 幸男さん 51歳 愛知県 ○ ○組の組長。組長の趣味がマラソンだって良いよね。体力より気力が切れて、若衆の 車に乗ってしまたようです。私が完走したの知って、「よ〜し俺も絶対来年完走するぞ。 また一緒に走ろうや」とリベンジを誓ってました。ゴールドのネックレスをしてるけど、 「てんごの夢」(佐藤良二さんの唄)を聞いて目をうるうるさせてました。人情があるんで すね。いろんな意味で心強い仲間が出来ました。 ・No292 千田 虎峰さん 64歳 愛知県 今回、一番お世話になった人。10連続エントリーしているだけあって、会うランナー、 ボランテアスタッフは皆知り合い。顔の広さにびっくり!昨年「台原森林公園10時間走」 でフルを走り、百回楽走会の国盗りを達成。だから秋山さん、芳野さんとは知り合いでした。 それで私の事を、引っぱってくれたのかも。やはり「ありがとう。感謝」の一言です。 ・その他、Noを忘れてしまった人もたくさんいます。出会ったすべての人に「ありがとう。 感謝」しています。また絶対必ず会いましょう! ★ 自己チェック ・ ボランティアマッサージは、並ぶし時間をかけて丁寧にしてくれるので、かなり時間ロス になるが、疲れも痛みもとれて足が軽くなるので、絶対にやって貰った方が良いと思う。○ ・ 何でも美味しくムシャムシャ食べられて、食後にすぐ走れる強靭な胃腸が不可欠。 心のこもった、すべてのエイドを制覇出来て大満足。ただし、通過するのが遅かったり ドシャ降りになると、閉めてしまう事もあるので要注意! ◎ ・ 地図なしで走れたおかげで、景色を眺めたり標識を見たりしていたので、 直射日光で目をやられてしまった。(2日間共日中は晴天、最高気温26〜27℃) 30分ぐらいずつ3回も仮眠したのに、瞼が重くなったのはそれが原因のよう。 サングラスをすれば良かった。 × ・ 唇が日焼けでヒリヒリ、ガサガサ。リップクリームは必需品。 × ・ 100キロの時いつも喉を痛めるので、イソジン・紙コップ・喉ぬーるを携帯した。 喉ぬーるを途中で塗ったが、頻繁に飲み食いするので、とれてしまい効果があったかは 疑問。イソジンで時々うがいをしたからか、100キロの時よりスピードがゆっくりで ハアハア息をしないせ いか、食事に支障がでるほど痛くならなかった。△ ・ 前日の守さんのアドバイスで、リュックの肩ひもにタオルを巻いた。(安全ピンでとめた) おかげで肩に痛みはでなかった。 ○ ・ リュックが当たった腰のところがすれたが、すぐハーフパンツの後ろにタオルをはさんだ ので、大丈夫だった。最初からはさんでおけば良かった。 △ ・ ゼッケンベルトの金具の所がすれた。先輩参加者のように、洗濯バサミが良いかも。× ・ 地図は一枚ずつビニールに入れた。ラストドシャ降りになったので濡れずに見る事が 出来た。◎ ・ 名古屋市街地、ひばりがたくさんいた。その中に少し大きめの、きじに似た野鳥を発見。 コジュケイとか・・・・?温泉川さんが地元の人に聞いて、わざわざ教えてくれた。 ◎ ・ 体重はほとんど変化なし、体脂肪率は2kgぐらい減ったが、2〜3日後に戻っていた。 ○ ・ 100キロの時より筋肉痛はないが、足がだるくて帰りの電車の中は少し辛かった。 △ ・ 足がむくむので帰りは、大きめのシューズorサンダルが良いと思う。 △ ・ 左足の甲が腫れた。ひどくなると、疲労骨折するらしい、左のシューズの紐をゆるくして おけば良かった。 △ ・ レース3日後の練習会3日(土)、ゆっくりなら練習会コース(11キロ)を走る事が 出来た。 ○ ★ エイドベスト5 ・ 1、カレーライス 2、たこ焼き 3、お粥 4、てぬきうどん 5、スイカ 次点 郡上牛乳とフルーツゼリー ★ 感想 ・ 「秋田100キロ」の時よりも、かなり走り込み不足で臨んだ、初エントリーの「さくら道 270キロ」。勿論完走はしたいけど、絶対に無理だと思っていた。楽しめて行ける所まで 行けば良い。いや、時間外でも良いから、ゴールまで行きたい。そう思いながら、ずっと 走っていた。でも素晴らしい人達にめぐり会えたおかげで、奇跡の時間内完走を果たす 事が出来た。 100キロとは違った、新しい世界の扉を開けてしまった・・・・それも今まで出会った事が なかった、ステキな夢のような世界・・・・。こんな世界もあったんだ・・・・嬉しくて幸せで、 身震いしてしまう。この世界に招待してくれた、守さん、林さん、この世界を作り上げて くれた海宝さん、この世界で出会ったたくさんのウルトラ狂ランナーとボランティアスタッフ の皆さん、一緒に参加した西田さん、工藤さん、本多さん、丹野さん、温かいエールを 送ってくれた南仙台走友会とU・M・Cの仲間達、見送りに来てきれた松岡さん、心から 感謝しています。本当にありがとう! しばらくは、良い人でいられそうです。来年も行きたい〜よォ☆☆☆☆☆☆☆☆! |
2003年さくら道270kmウルトラマラソン 完走記 出口進 T.大会概要 ◆開催日 2003年4月28日(月)、29日(火)、30日(水) ◆スタート 4月28日(月) 7:00 名古屋・JR東海バス名古屋営業所 ◆ゴール 4月30日(水) 7:00までに 金沢・ルネスかなざわ ◆制限時間 48時間 ◆エイドステーション 公式エイドは、「荘川桜」(154.7km)1箇所。 その他、サポーターによる、エイドが多数あり。 ◆参加者 男 251名/最高年齢 76歳/最少年齢 28歳/平均年齢 51.0歳 女 51名/最高年齢 66歳/最少年齢 25歳/平均年齢 46.6歳 ★申し込みは、500名近くからあり。 U.服装及び所持品 ウエア : 上 袖が着脱可能なシャツ / 下 ハーフパンツ シューズ : new balance M960J AR 25.5 4E 中敷 : SUPERfeet バッグ : SALOMON fasttrack200 460g 20l ライト : National BF−198 CR123A電池1個使用 MINI MAGLITE 単3電池2個使用 その他 : カメラ Konica RevioZ3 (APSカメラ) 防寒具 薄手のウインドブレーカー上下 手袋(薄手、ゴム各1組) 雨具 ヤッケ/ビニール合羽 着替え シャツ(長袖、半袖 各1着)/ソックス ボトル 500ml サプリメント アミノバイタル・PRO 10袋 痛み対策 トクホンチール テーピング(ひざかんたん)スタートから着用 地図 配布されたA3版5枚の地図と、A3版1枚のコース 案内をアゾンクリアポケット/AZ-595に1枚ずつ入れる。 コース、コンビニ等マーカーでチェック V.スタート〜ゴール 1.スタート 朝7時JR東海バス名古屋営業所をスタート、8分/kmのペースで走ろうと考えていた が、周りのペースが速く7分/kmで走ってしまう。体調も良く、快調な滑り出しである。 2.〜裁判所前(27.3km) 名古屋城前(7km)で給水(スポーツドリンク)し、平坦な市街地を順調に進む。途中、 海宝さんと一緒になり「焦らず、ゆっくりマイペースで楽しんで下さい。」と声を掛けて もらう。エイドがある、裁判所前(27.3km)でパンとスポーツドリンクを補給。 3.〜ローソン(40km) 自販機で、水分を補給しながら行くと、清野久子さんに追いつく「早めの昼食をしてきた。」 とのことで、パンを一切れ頂く。しばらく一緒に走り、オーバーペースに注意しましょうと 話し合う。途中、食事をしようと思いコンビに入ったが、おにぎり、パン等全て売り切れて おりトイレだけを借りる。結局早めに食事をしようと思ったが、12時過ぎに40km地点の ローソンでおにぎりを食べる。 4.〜関(59.1km) かなり気温が上昇してきて(最高気温26℃)水道の蛇口を見つけては頭から水をかぶり ながら走る。関の私設エイドで、ソーメン三杯、サンドイッチ三個、果物を補給。 5.〜美濃市役所(66.4km) 途中、清野久子さんから氷をもらい、帽子に入れて頭を冷やす。疲れと暑さで大分ペー スが落ちたが、まずまずの調子。美濃市役所のチェックポイントで香ちゃんに追いつか れる。 6.〜ミニパーク下田の渡し(78.4km) 登り坂を歩いたりしながら走る。途中、西田さんに追いつく、膝の調子が悪くかなり苦し そう。ミニパーク下田の渡しでマッサージをしてもらう。パンパンに張っていた足をもんで もらいかなり楽になる。マッサージ中、香ちゃんが到着。 7.〜郡上八幡駅前(95.8km) 夕暮れ時の長良川添いを、トボトボ登る。郡上八幡の私設エイドでお粥二杯漬物を頂く、 地元の牛乳を勧められるが、お腹のことを考え辞退する。暖かいお茶をボトルに入れて もらい出発。 8.〜民宿さとう前(117.5km) かなり冷え込んできたので、手袋、上下のウインドブレーカーを着て走る。ほぼ一本道 とはいえ、夜道は走り辛い。ループ橋(115km)で道を間違い後続のランナーに教えて もらう。「佐藤良二君顕彰碑」までの登り坂はかなりきつく、歩いて登る。折り返した所で、 千田虎峰さんと一緒に走っている香ちゃんと会う。民宿さとう前のエイドでおにぎり、 おでん、豚汁を補給。マッサージサービスで、腰をメインにもんでもらう。 9.〜ひるがの分水嶺(140km) 夜道の一人旅となり、地図を度々確認しながら走る。気温も2℃となりかなり寒い。 ひるがの高原で明るくなり、おにぎりと味噌汁を補給。 10.〜荘川桜(154.7km) 145kmで24時間(7:00)となる。下りとなるも、かなり足がだるくペースが上がらない。 やっとの思いでチェックポイントの荘川桜に到着する。3回目のマッサージをしてもらい、 ラーメンとスポーツドリンクを補給。丹野さんと一緒になり励まされる。 11.〜平瀬、田口建設(168.2km) 足がだるく、走れない。とぼとぼ歩いていると、御母衣ダム(162.8km)で清野久子 さんに追いつかれ、一緒に頑張って走ろうと励まされる。気力を振り絞って163.8km 地点のエイドに到着。トイレに寄って、水分を補給。清野さんより先にエイドを出発するも、 2kmもいかないうち、足の甲が痛くなり、道端で休憩。ソックスを履き替えながら、 足のマッサージをし、トクホンチールを塗っていると、前後して走っていた、鈴木力雄さん が立ち寄り痛み止めの薬をもらい、アミノバイタルと一緒に飲む。これで、足、腰の痛み が無くなり、以降ゴールまで痛みを感じる事が無かった。平瀬のエイドまで、快調に走り、 お粥2杯、キムチ、水分を補給。 12.〜野谷橋(171.2km) 鈴木力雄さん、清野久子さん、鈴木誠さんと一緒に快調に走り、野谷橋のエイドに到着。 シュークリーム、煎餅と水分を補給。(ソーメンを用意していたが、強風のため砂が入り ダメになったとの事) 13.〜道の駅「上平」ささら館(197.3km) 鈴木力雄さんと一緒に、白川郷を抜け、飯島トンネル(1873.1m)、加須良トンネル (1038m)、越前トンネル(225.5m)を快調に走る。途中橋の上の強風に苦しみながらも、 ハイペースで、道の駅「上平」ささら館のエイドに到着。お粥、水分を補給。 14.〜下梨(209.2km) ささら館で一緒になった、石原良昭さんに、ペースメーカーとなってもらい、鈴木力雄さんと 三人でゆっくりペースで下梨のエイドに18時30分に到着。清野久子さんに、19時までに 到着すれば、時間内完走が可能と聞いていたので気分が楽になる。お粥、漬物、水分を 補給。 15.〜梨谷トンネル入口(213.5km) 最大の難所、五箇山の坂を登る。かなり急な坂であったが、石原さんと話しながら登った ので、それほどきつくは感じなかった。梨谷トンネル入口のエイドで、暖かいお茶を飲む。 マッサージサービスもあったが、パスする。寒さは感じなかったが、かなり風が強く上下の ウインドブレーカーを着る。 16.〜福光エイド(223.1km) 急な下り坂をゆっくり下り、城端市街を目指す。韓国から参加の崔さんが一緒になり、 ゴールまでの道案内を頼まれる。福光エイドでソーメン二杯と暖かいお茶を補給。 エイドの人に此処でこの時間(22時)なら完走間違い無しと言われ、時間内完走が みえてくる。 17.〜坂上松華堂(231km) ゆっくりペースで、4人で走る。坂上松華堂のエイドでお粥、自家製の行者にんにくの 漬物、暖かいお茶を補給。 18.〜私設エイド(245km〜248km) 崔さんが出来たら5時迄にゴールしたいと言い出したため(ゴール後すぐ帰国する予定の ため)ペースを上げる。県境のアップダウンをマジ走りしたのでかなり疲れる。エイドで お粥、暖かいお茶を補給。 19.〜森本T字路(252.1km) ポツポツと雨が降り出す。石原さんと崔さんに先に行ってもらい。鈴木さんと、ゆっくり 時間内完走できることを確信しながら走る。途中、歩いている田森純子さんと一緒に なる。時間内完走を諦めている様子だったので、絶対時間内完走出来るから一緒に 走りましょうと励ます。これ以降、3人で励まし合いながらゴールまで走ることになる。 20.〜兼六園・佐藤桜(258.7km) 6.6kmの直線コースがやたら長く感じる。途中、ゴール写真を意識してウインドブレー カーと首に巻いていたタオルをしまう。 21.〜二口町(262,5km) 雨が、強くなり再びウインドブレーカーを着る。兼六園下で道がわからなくなり迷う。 雨が更に強くなったが、びしょぬれになりながら、係りの人がいる二口町に到着。 93番目、後3kmと励まされる。 22.〜ルネス金沢(ゴ〜〜ル) 直線の3km。土砂降りの雨の中で我武者羅に走り、鈴木さん、田森さんと一緒に ゴール。海宝さんに出口さんおめでとうと声を掛けられ、がっちり握手。 4月30日 6時07分 所要時間 47時間07分 W.出会った人々 ★ No.87 鈴木 誠さん 35歳 千葉県 清野さんの仲間。御母衣ダムから白川郷まで一緒に走ってもらう。 ★ No.93 松岡 摂子さん 56歳 東京都 スタート直後一緒になり、色々教えてもらう。 02年北海道縦断レース(片道)完走。 ★ No.95 斉藤 安広さん 54歳 神奈川県 ご存知、巨人軍団団長。今回自己ベストの45時間で完走。 「さくら道は、毎年開催されるのがあたりまえと思ってはだめ」 「私設エイドも毎年同じようにあると思ってはだめ、なかったら 今年は、用事があったんだろうと思うこと。」 ★ No.100 竹内 弥富さん 36歳 愛知県 今回3回目の挑戦。昨年の野辺山で同じペンションに宿泊。 ★ No.125 渡辺 実さん 76歳 山口県 男子最高齢者。4回目のチャレンジ。過去1勝2敗。 今回、なんとか五分にしたいと、チャレンジ精神旺盛に語る姿に ただただ感心。 ★ No.153 清野 広美さん 53歳 神奈川県 富士五湖以来の知り合い、今回初チャレンジも楽々完走。 ★ No.154 清野 久子さん 52歳 神奈川県 清野広美さんの奥さん。途中、何度を一緒になり、パンや氷を 分けてもらったり、発破をかけて頂く。 ★ No.163 山崎 峯弘さん 63歳 福井県 10回フル出場。今回も完走、通算9勝1敗。 地元で、ランニング大会を主催する。 ★ No.181 田森 純子さん 53歳 神奈川県 終盤からゴールまで、一緒に走る。 3回目のチャレンジで今回始めて時間内完走。「お陰様で時間内完走する事が 出来ました。」と感謝される。 ★ No.221 鈴木 力雄さん 57歳 静岡県 後半からゴールまで、一緒に走る。 今回2回目のチャレンジ(前回も時間内完走) 痛み止めやマスク(トンネル用)をもらったり大変お世話になる。 ★ No.287 石原 良昭さん 58歳 兵庫県 途中、ペースメーカーとなって頂く。 1週間前にネーチャーラン(250km)を完走。 さくら道の後、萩往還(5/2〜4、250km)更に1週間後トライスロンにチャレ ンジ予定。アメリカ横断、ヨーロッパ横断以外の殆どのウルトラを完走。 昨年は、レースだけで年間1,500kmを走る。はっきり言って、怪物である。 ★ No.302 海宝 道義さん 59歳 神奈川県 本大会の呼びかけ人。今回は練習不足のため、途中リタイア。 「さくら道は競走ではなく共走です。仲間と一緒に楽しく走りましょう。」 「道に迷ったら、皆よりより多く楽しめたと考えましょう。」 ★ その他、名前ははっきりしませんが、沢山の人に出会い助けて頂き、多くの事を 教えて頂きました。 X.体調の変化他 ☆ 途中、アミノバイタル・PROを服用しながら走ったことが疲労回復の元となったと 思う。○ ☆ 足がだるく、腰も痛く苦しい時、痛み止めとアミノバイタル・PROを服用したら、 嘘のように回復しその後快調に走ることが出来た。 ○ ☆ 3度のマッサージで大分助けられ、痛みを最小限に抑えることが出来た。 ○ ☆ 膝は、スタートからテーピング(ひざかんたん)をしていたので、ゴールまで痛く なることが無かった。 ○ ☆ 胃腸の調子は、最後まで良好で殆ど全てのエイドを制覇出来た。 ◎ このことが、ウルトラ完走の絶対条件であると思う。 ☆ 水分は、一度にがぶ飲みせず、ボトルに入れてこまめに補給するようにしたので、 胃への負担を少なく出来たと思う。 ○ ☆ 日差しが強く、水泡が出来たり、唇が荒れたりした。 × ☆ 足の裏のマメは、いつも出来る小指の他、親指、指の付け根にも出来た。 × ☆ 親指の爪が、内出血していた。(走りにはさほど影響無し。) △ ☆ 足は大分むくみ、履いていったスニーカーがレース後はかなりきつかった。× ☆ バッグを背負ってのランニングは、長時間に渡るとやはり腰にきた。 又、腰にあたった所がすれて、皮がめくれてしまった。 × ☆ バッグの肩にあたる所にタオルを巻いていたので皮がめくれたりすることは 無かった。○ ☆ 体重は、1kg弱減少したが、体脂肪率は殆ど変化が無かった。 △ ☆ 47時間、一睡もせずに走ったが、眠くなることは無かった。 ○ ☆ 2日の夜、道路標識や揺れている木々が、人に見えるなど所謂幻影を見た。 △ ☆ レース後は、筋肉痛というより、足全体がだるい感じであった。 △ ☆ レース3日後の3日(土)には、11kmをジョギングすることが出来た。 ○ Y.所感 ●五箇山の坂以外は、うんざりするようなアップダウンは無かった。 ●トンネルが多く、歩道が無い所もあり非常に危険であった。排ガス、騒音にも 悩まされた。 ●夜、一人で地図を見ながら走るのはかなりきつい。 ●一人で走るのは、めげてしまうので、なるべく一緒に走ってくれる人を探して、 話しながら行くのがベター。 ●公式エイドは一箇所だが、多数の私設エイドがある。特に60km以降はエイドで しっかり補給すれば、コンビニに寄る必要が無い。 エイドベスト5 @お粥 Aソーメン Bコーンスープ Cフルーツ D冷たいお絞り ●やはり、イーブンペースで走るのがベスト。 前半6分/km、後半12分/kmで走るのは、9分/kmのイーブンペースで走る のと結果的に同じである。 ※ 今回、運良く完走出来たのは、共走してくれたランナーの皆さん、エイドでサポートして 頂いたボランティアの皆さん、一緒に練習してくれた南仙台走友会及び宮城UMCの 仲間等多数の人達の支えがあったからです。 これらの皆さんに心から感謝の意を表します。ありがとうございました。 |