富士五湖を走る        

1991年にタレントの間寛平さんが、ギリシャ.スパルタスロン(246キロを36時間以内で走る)
大会に出場を目指しトレ−ニング.コ−スとして、富士五湖全てを回ったのが大会の始まりとかで
15回目となる、最長の117キロに318名「本栖湖」手前で折り返す100キロに513名
離れた山中湖を除く4つの湖を回る77キロに331名がエントリ−し宮城県から8名の名が
載っており、私が所属する「宮城U.M.C」から117キロに本多賢次.峰子夫妻、河合洋介さん
と私の4名、100キロには北村冨子さん、工藤秀子さんの6名が参加し。富士吉田市の
北麓公園を快晴の元まだ夜が明けきらない4時30分に117キロの部が、真正面に白く大きく
浮び上った富士山目がけてスタ−ト1キロほど上ってから、一気に忍野八景で有名な忍野村へ
下る、村を流れる小川は湯気が立ち上り、屋根や樹木が真っ白になっており、ランナ−
全員が防寒姿での走りとなる。村内はカメラマンの姿が多く最高の瞬間を切り取らんと
カメラをのぞき、更に湖毎に富士山が良く見える所には多くの人達がカメラを構えていた。
1時間程で山中湖へ、湖面に映った逆さ富士に見とれデジカメ持参したので
早速パチリ、その後はタイムを気にしながらの撮影となった。
昨年富士登山マラソンの時通り抜けた浅間神社前を経由し河口湖へ、桜が満開の
時期でさくらと富士の組み合わせに感激し、一瞬足が止まりそうになった。
51キロ地点の着替えポイントへ、ゴ-ルタイムを12時間としキロ6分を目標に15分の
余裕で到着したが、一週間前の霞ヶ浦でのフルマラソンを走ったばかりで疲れは抜け
切れなかったのであろう、長袖から半袖へ着替え、エ-ドで水や食料を補給するのに
腰を下ろす様になっては、時間が過ぎて行くばかりである。
西湖から精進湖に行く道路は青木が原樹海を抜け、両脇は苔むした樹木が続き
しばしアップ.ダウンでの疲れを忘れて最後の本栖湖へ、湖一周道路が開通前で先端での
折り返しとなる。後半は5時スタ−トした100キロの人達や8.00時出発の77キロの
人達も一緒になり賑やかに為った。大会規則で観光道路の為交通量が多いく、信号順守走行
が義務付けられ、運が悪いとかなりの待ち時間を強いられて、前半はカリカリして待っていたが
後半になるに従いホットする気持ちに変化し現金なものである。
最低でも100キロ地点で、ある大会参加資格のため10時間30分は切りたいと多くの人達が
歩いている中、我慢して走り続け何とか10時間23分でクリア−。
残り17キロは長い上り坂が有り、歩きと決め込んで結局午後5時過ぎに12時間40分で
ゴ−ル完走者154名中45位と8年前の57歳の時より23分も短縮した。
同クラブでは河合さんが13時間49分で余裕のゴ−ル、100キロ部の北村さんは制限時間4分前の
13時間56分でネバリの走りで見事完走を果たした。
完走できなかった方々も快晴の中富士山を眺めながらの走りをエンジョイ出来たのでは。