2002.11.24 登米かっぱマラソン ハーフ 1時間42分54秒   −
2002.11.17 村田菅生マラソン フル 4時間17分44秒   −
2002.11.10 わたり鳥の海マラソン 10キロ 45分51秒   −
2002.11.03 阿武隈リバーサイドマラソン ハーフ 1時間47分53秒   −
2002.10.27 泉市民マラソンin仙台 20キロ 風邪のため不参加   −
2002.10.20 岩手北上マラソン フル 風邪のため不参加   −
2002.10.14 松島ハーフマラソン ハーフ 1時間56分53秒   −
2002.09.29 一関国際ハーフマラソン ハーフ 途中棄権   −
2002.09.22 秋田100キロチャレンジマラソン 100キロ 12時間18分 完走記3
2002.09.15 田沢湖マラソン 20キロ 4時間01分58秒   −
2002.06.29 名取閖上100キロチャレンジマラソン 100キロ 13時間12分50秒 完走記2
2002.05.26 錦秋湖マラソン 30キロ 2時間35分30秒   −
2002.04.29 郡山シティーマラソン 10マイル 1時間21分33秒   −
2002.04.21 気仙沼つばきマラソン ハーフ 1時間47分07秒   −
2002.03.24 荒川市民マラソン フル 3時間52分33秒 完走記1
2002.02.17 名取市愛島クロスカントリー 10キロ 53分13秒   −
2002.02.11 茨城県勝田全国マラソン フル 風邪のため不参加   −
2002.01.13 名取市閖上新春マラソン フル 3時間52分35秒   −
1月 記録無 4月 記録無 7月 139キロ 10月 100キロ
2月 記録無 5月 記録無 8月 356キロ 11月 記録無
3月 記録無 6月 記録無 9月 289キロ 12月 記録無

H15の練習距離
平成15年の    大会参加記録
完走記1
(2002.3.24 天候:晴れ 荒川市民マラソン:フル)

 昨年に引き続きSさん、今年新たに参加したKさんの3人で出かけてきました。
 23日(土)、16:46の新幹線で仙台からで大宮へ、それから高崎線(東北本線)で浦和に移動しました。昨年同様JTBから新幹線とホテルがセットになっている旅券を購入しました。

 朝は7時にホテルを出て7時過ぎの電車で赤羽(高崎線または東北本線)に向かい、駅を降りて直ぐ送迎バスに乗り会場へ向かいました。
 会場では、東京から参加したY部長と合うことが出来ました。

 帰りは、やまびこ19号(大宮発15:30)の指定席をとっておりましたが、大宮駅に15時前に着いたので駅内の喫茶店でビールを飲んで時間調整をしました。

完走記1
(2002.6.30 天候:晴れ 名取市閖上100キロチャレンジマラソン)

 6月30日、宮城県名取市閖上の「100キロチャレンジマラソン」に参加してきました。昨年が第1回目の大会でしたが、自分もどれくらい走れるか初挑戦をしてみましたが80キロ止まりでした。
 今年はサロマ湖大会と日程が重なったこともあり、参加者は15人程度で昨年(25人程度)よりも少ない人数ということでした。大会当日は暑くもなく、雨にも合わず天候的にも恵まれた大会だったこともあり、スタッフの方々のご支援により何とか100キロを13時間13分で完走する事が出来ました。
 昨年は、スタートしてキロ6分ペースで走ったこともあり35〜45キロで疲れてしまいましたので、今回はスローペース(キロ6分30秒程度)で走り出しましたが、それでも速いペースだよスタッフの方からアドバイスされました。
 たまたま同じペースの方が3人おり、お話をしながら走り出しましたが、3〜4週目(4キロの周回コース)辺りからはエイドステーションでの所要時間が各人違うこともあり、バラバラになってしまい1人で走ることになりました。
 自分としては、50キロ〜70キロ辺りで足首が重苦しくて一番辛かったような気がします。これは、5月に山形での単身赴任生活から仙台の職場に戻り、4キロほど体重が増えたためであると反省をしております。
 残り20キロ位からは、スタッフの方が作業が一段落したので練習のため走っているのに後を付いて、お話をしながら走ったのでそんなに苦痛とは思いませんでした。
 今回はスタッフの皆様のお陰で完走できたことにより、ウルトラへの路が少し見えてきた様な気もしましたが、筋トレを全然していなかったこともあり、腹筋、背筋等も合わせて練習をしなければと思った次第です。
 なお、9月22日に秋田で行われる100キロマラソンの締め切り日が過ぎてしまったのですが、これから申し込みをしても良いか問い合わせをしたところ、間に合う旨の返事を頂いたので早速申込みをしたので今年の夏は走り込みが必要と考えております。

完走記1
(2002.9.22 天候:晴れ 秋田100キロチャレンジマラソン)

 6月30日に開催されました閖上100キロチャレンジマラソン(4K周回コース)へ参加をして、スタッフの方々の暖かいご支援により何とか13時間15分で完走できたのと、スタッフの方から秋田100キロマラソンへの参加を勧められたので思い切って参加してみました。
 9月21日(土)9時30分頃自宅を出発して、高速自動車道の仙台南IC〜北上JC〜大曲IC経由で11時35分過ぎに高速道を下りました。前日受付場所である角館広域交流センターに向かう途中に昼食を済ませ、会場には13時ちょっと前には到着しました。駐車場は、受付会場(スタート地点と同様)の目の前に十分な空き地があり、何の問題もなく駐車することができました。

 13時30分からの前日受付を済ませて、15時からの競技説明が始まるまで車の中で休んで、15時からの角館広域交流センター屋外での競技説明を聞きましたが、15時30分過ぎには終了しました。16時からは前夜祭が予定されており、そば等の夜食が振る舞われようでしたが、明日の朝が早いため早くホテルに戻って休みたいと思ったので自家用車で大曲まで戻り、チェックイン後に夕食を済ませて早めに休みました。何故かというと、角館では宿を確保できなかったためやむを得ず「大曲シティホテル」に宿泊しました。
 大会当日は2時に起床して、おにぎりを2個食べてから若干のストレッチ運動を行い、トイレを済ませて3時過ぎにホテルを出発しました。当日受付会場の角館広域交流センターには3時30分頃到着し、昨日と同じ駐車場に車を止めて受付を済ませてからスタートの準備をしました。預ける荷物は、中間地点での着替え用は白いビニール袋、ゴール地点まで運んで貰う荷物は黒いビニール袋に区分けして荷物を預けました。なお、最初からバックを2個用意していたのでバックをビニール袋に入れただけで済みました。
 5時に花火が打ち上げられ、スタッフや応援の方々の声援に送られて参加者全員が元気良く鷹巣までの100キロ完走を目指して一斉にスタートをしました。5キロ過ぎ辺りから、一緒に走っている方々とお話をしながら走りましたが、完走を7回もしている40代の女性から完走の秘訣は1キロを前半は7分、後半は8分ペースで走れば30分のお釣りが来るよと教えて貰いました。なるほどと思い、自分もそのような結果になるよう心懸けて走ることにしました。また、先週の田沢湖マラソンに参加してフルを走ったので疲れが摂れているかなあと言ったら、この辺を走っている人達も先週の田沢湖を走ってこの大会に参加しているが、調子が悪くて完走出来ない時にはその性にしたいよねえと返事が返ってきました。
 たまたま自分のゼッケン番号が「1234」だったこともあり、追い越していく方から良い番号ですねと数人から声を掛けられました。よって、どうもありがとうございます。ゼッケン番号の通り12時間34分の完走を目指しますのであなた様も頑張ってくださいと返事をしました。
 中間点では着替えをしようと思っておりましたが、そんなに汗びっしょりというわけでもなかったので、靴と靴下だけを取り替えました。取り替える必要も無かったのですが、折角用意していたので取り替えることにしました。
 80K過ぎ辺りから右足の人差し指が痛くなり走るのが苦痛になりましたが、エイドステーションで椅子に座り、足を伸ばしてかかとを地面に付けて、足のつま先を上方に向けて休みました。各エイドステーションでは色んな物を取り揃えてありましたが、自分は水、スポーツドリンク、バナナ、オレンジ、ナシ、おにぎり(寿司のネタ無しごはん)を食べましたが、前半は楽しみだったのですが後半になってくるとさすがに飽きてきました。しかし、ボランティアのスタッフの方々から温かい思いやりで激励されたり、エアーサロンパスを両足全体にスプレーしてくれたりと献身的な対応に十分に元気づけられ、感謝をしながら走り続けました。
 休んでから1〜2キロ位は痛みは治まるのですが、その後は再び痛み始めました。ところが、今度は左足の人差し指も痛くなってきましたが、次のエイドステーションでの休憩を目標に走り続けました。
 その頃から、スタートの時から大体自分と同じようなペースで走り、東京から参加している方とお話をするようになりました。その方からも、イーブンペースで走っているゼッケン番号「1234」を目標に走ったので、ここまで引っ張っていただき大変ありがとうございましたと感謝されましたが、自分としては何と答えたら良いのか分かりませんでした。その後も、ゴールまで一緒に頑張りましょうとお互いに励まし合い、二人揃って目出度くゴールすることが出来ました。幸いにも1日中天候にも恵まれ、何と言っても沿道の皆さんの応援が凄かったからと思いますが、住宅街では子供からお年寄りまでが純朴な声援を参加者全員に送ってくれたことでしょう。特に、ゴール近くの鷹巣町の商店街では「お帰り」と殆どの方々がお店から出て声援を送ってくれました。また、応援の方々からもゼッケン番号が「1234」と良い番号だから頑張れと声援を送ってくれました。
 ゴールして直ぐに、ボランティアの方から毛布を掛けてもらい、足をアイシングする場所へ案内され、靴を脱いで両足を子供用のプールに入れて冷やしている内に寒気がしてきました。90キロ過ぎ辺りから少し寒いなあとは思っていたのですが、おそらく疲労と冷たい飲み物だけを口にしていたからと思いました。最後のエイドステーションでは暖かい麦茶をご馳走になりましたが、もう少し早めに飲んでおけば良かったと反省しております。
 預けた荷物を受け取り、直ぐに着替えをしてから事前に宿の手配や完走後の迎えをお願いしていたNTT秋田支店の友人に電話を入れました。その方には、自宅から100キロ以上も離れたゴール地点まで向かえに来てもらい、森吉の宿まで送っていただき一緒に泊まることにしておりました。携帯電話で連絡すると直ぐ向かえに来てくれて、着替えの荷物を車に運んでくれました。自分は、まだ寒気がしており早くお風呂に入りたいと言いました。
 車で30分ほど走り、18時過ぎには宿に着き直ぐにお風呂に入りましたが、体を洗おうとしたら気持ちが悪くなり吐き気をもようしてきたので、短時間で風呂から出ました。
 本来であれば、ここから完走祝賀会となるところでしたが、風呂上がりのビールもコップ一杯飲んだだけで飲む気が無くなり、食欲も無く体調も優れないので食事時間を出来るだけ遅い20時30分まで延ばして貰い、布団で横になって少し体を休めました。
 食事の時間になったので、食事の会場に向かいビールを一口飲んだのですが、やっぱりダメでコーラを飲みながら料理を少しずつ食べ、味噌汁にご飯を少し入れて何とかお腹に入れました。その後は部屋に戻り、テレビのニュースを見て11時過ぎには床につきました。翌朝には、6時30分頃に起きてお風呂に入り体調も大夫回復してきておりましたが、7時30分からの朝食はあまり無理をせずに済ませました。
 8時過ぎには宿を出発して、スタート地点の角館広域交流センターの駐車場へ向かう途中で、阿仁町の「道の駅」で舞茸、なめこ、わらびをおみやげに購入しました。角館広域交流センターの駐車場で自分の車に荷物を積み替えて、それぞれの車で大曲まで向かい、自分は大曲ICから高速自動車道に乗り自宅には14時頃到着しました。
 最後に、友人がゴール地点まで迎えに来てくれていたので大変助かりましたが、自分1人だけで行動するのは大変難しいと感じました。しかし、来年も是非チャレンジしようと自分自身に誓いました。