2003.11.30 つくばマラソン フル 3時間59分02秒
2003.11.23 みやぎ北上連邦カッパハーフマラソン ハーフ 1時間48分19秒
2003.11.16 村田菅生マラソン フル 4時間06分14秒
2003.11.02 スポニチ東日本前沢マラソン 30キロ 2時間46分09秒
2003.10.26 泉市民マラソンin仙台 20キロ 1時間42分13秒
2003.10.19 岩手北上マラソン フル 4時間19分15秒
2003.10.12 松島ハーフマラソン ハーフ 1時間46分32秒
2003.09.28 秋田100キロチャレンジマラソン 100キロ 12時間20分 完走記2
2003.09.14 宮城蔵王高原マラソン 20キロ 1時間44分28秒
2003.06.14 鳥海ブルーライン登山マラソン 17キロ 1時間50分08秒
2003.05.25 磐梯吾妻スカイラインウルトラ 70キロ 8時間46分
2003.05.11 野辺山100キロチャレンジマラソン 100キロ 13時間31分 完走記1
2003.04.27 東山マラソン ハーフ 1時間43分30秒
2003.04.13 霞ヶ浦マラソン フル 4時間09分30秒
2003.03.23 荒川市民マラソン フル 4時間25分35秒
2003.02.11 茨城県勝田全国マラソン フル 3時間44分04秒
2003.01.12 名取市閖上新春マラソン フル 30キロでリタイヤ
平成15年の    大会参加記録
1月 234キロ 4月 292キロ 7月 194キロ 10月 167キロ
2月 171キロ 5月 356キロ 8月 360キロ 11月 185キロ
3月 228キロ 6月 173キロ 9月 211キロ 12月 123キロ

H15の練習距離
(2003.5.11 天候:曇り 野辺山ウルトラマラソン)
完走記1

 35キロの着替え地点ではトレイル用の靴とソックスを履き替え、デジカメは負担になるので置いていくことにしました。荷物を預けようとして歩き始めた時に、靴を見たらチャンピオンチップが付いていない!説明会の時にも、「靴を履き替える方は忘れずに必ずチップを付け替えするように」と注意があったのですが、自分が危うく失敗をやってしまうところでした。チップも無事に付け替えてから荷物を預け、最初のスペシャルエイドなので「おしるこ」を美味しく頂き、元気良くゴールを目指してスタートしました。
 デジカメを置いてきたことにより腰が軽いこと、前を走っている人のポーチをよく見てみると、腰に負担が掛からないようにベルトも太くしっかりと腰に収まるようになっているではないか。自分が持ってきたのは小さいので、そのような作りにはなっていない。以前にランナーズから購入したポーチはあるのだが、それは薄型なのでデジカメは入らないと思い自宅に置いてきたのである。
 前半のトレイルは、守さんからのアドバイスもあり4月から太白山の麓で練習をしたお陰で苦もなく上りを走る切る事が出来ました。しかも、35キロ過ぎの下り坂も守さんのアドバイスのように無理をしないでゆっくりと下りたつもりでいました。
 そんな中、フル地点の通過時間が5時間程度で快調な走りが出来ているとその時点では思っており、50キロのエイドではおにぎり1個をお腹に入れて走り出しました。しかし、50キロから60キロまでの10キロの長いこと長いこと、この先の馬越峠の時はどうなるのかと一瞬思ってしまいました。やっぱり、トレイルの上り坂と、その後の下り坂がボディブローのようにダメージが今になって現れてきているのだろうと感じました。
 65キロ辺りから小雨が降りだしましたが、そんなに気になるほどではありませんでした。67キロ過ぎからちょっとした上り坂のため歩いている人が結構いて、自分もつられて歩いてしまい平坦になるとまた走り出すの繰り返しでした。この時、奈良市の方からマイペースでゆっくりでも良いから走った方が早く辿り着けるよということを教わりました。何でも、四万十川とか結構数多くのウルトラマラソンに参加されているということでした。
 71キロのエイドで蕎麦を食べましたが、疲れているせいか美味しく感じませんでした。ローションで両足をマッサージして貰い、気を取り直して走り出しましたが、ついに75キロ辺りでコースは本道から脇道に逸れて馬越峠に突入しました。やはり直ぐに上り坂が待っており歩き始めましたが、急ぎ足で上ろうと思っても体がいうことを利いてくれないため、とうとう頂上の79キロまでの4キロ全てを歩いて上りました。この間、このままではリタイヤしてしまうのではないかと何度思ったことか、その度に一緒に練習をして頂いた走友会の皆さんに合わせる顔が無くなってしまうと一瞬頭を過ぎりました。また、「さくら道」を完走した出口さんには自分も来年参加してみたいと軽々しく言ってしまったことや、今回の野辺山100キロと比較してさくら道の270キロが如何に大変なことか痛いほど思い知らされました。
 下りに入ってから寒く感じてきたのでビニール袋を取り出して被ったところ、暖かいのと下り坂のため息を吹き返したように走ることができました。
87キロの着替え地点では下り坂を快調に走ってきたせいか、うどんを大変美味しく食べれたのと、残り13キロを2時間30分で走れば何とか完走ができそうだと思えてきたので頑張ろうという気持ちになりました。また、着替え用の袋を受け取ったのですが、着替える必要もなかったので開けずにそのまま返して走り出しました。
 90キロ手前からダラダラの上り坂があると話には聞いておりましたが、やはりこれまでの疲労がかなり溜まっているせいか走って上る気力がありませんでした。体の何処が痛いとかいう訳でもないのですが、一生懸命に走ってゴールを目指そうという気持ちが萎えてしまっているなあと思いました。
 ダラダラの上り坂も終わっても、前の人が歩いてしまうと自分も同様に歩いてしまったり、体が冷えてきてやむなく寒さしのぎでゆっくり走ったりを繰り返しながらゴールを目指して進みました。あと4キロとなった所で、もう少しだから頑張って走ろうと自分自身に言い聞かせて走り出しましたがスピードがなかなか出ませんでした。
 ハーフ、フル等どんな大会でもそうですが、残り3キロからが長いこと、長いこと、早くゴールが見えれば良いのにと思うのは皆同じです。あと1キロとなった所で、やっともう終わりだと急に元気が出てきました。ゴールの際には、両手を上げて万歳ポーズでゴールテープに飛び込み、スタッフの方から立派な完走メダルを首にかけて頂きました。直ぐに温かい蕎麦をどうぞと勧められたのでご馳走になりましたが、完走の満足感からか今大会で一番美味しく食べれました。
 預けた荷物を体育館の中で受け取りましたが、着替えるのも面倒なのでそのまま宿に帰り直ぐにお風呂に入りました。その後、あまり食欲はありませんでしたが夜食をお願いしていたので食堂に行き、ビールを飲んだところ飲めるではありませんか!昨年の秋田100キロ完走後にはビールも飲めなかったし、食欲も全くありませんでした。それに、階段を下りるときには手すりに掴まりながら下りるという状況でした。それを考えると、今年から南仙台走友会に入会して皆さんのご指導の元で体力は少しは付いてきているなあと実感しましたが、秋田に向けてもう少し練習をして体力と筋力を付けなければならないと感じました。
 翌日の朝食時には、同じテーブルで食事をした5〜6人で楽しくお話しをしましたが、いろんな方々がいることも知り大変参考になりました。野辺山第一回大会から9回連続で参加して7勝2敗の方は、これまで50数回ウルトラマラソンに参加していることや、大阪の20代女性の方は今回3位入賞したそうで月間500キロ走っていて東京国際にも参加していること、71キロ地点でタイムアップでリタイヤとなり大変残念がっている人等のお話を面白楽しく聞けました。それから、9回連続参加している方に聞いたのですが、サンタの格好をした方は常連さんで以前はウルトラマンの格好をしたり仮装に凝るユニークな方のようで、今回も自分と同じタイム位に元気良くゴールしていました。
 翌日の帰りの電車は、野辺山駅を8時過ぎと11時過ぎしかなく、急いで帰る必要もないと思い11時過ぎで帰ることにしていたので、かなり時間を持て余してしまいました。
 大会会場が八ヶ岳の麓の村で開催されるということもあり、応援してくれる方は少ないですが、エイド等では心温まる大変親切な応対をしてくれてました。特に、後半のエイドでは「来年もまた来てね!」と声をかけられましたが、その時のつらい状況下では来年もだなんてとんでもない!もう二度と来たくないと思いましたが、時間が経つにつれて人情味溢れるこの大会に参加して大変良かったなあとしみじみ感じております。
 最後に、今年から南仙台走友会に参加させていただいたお陰で、色々な大会に連れ行って頂いたり練習方法等のご指導を頂き、少しずつではありますが自分でも進化しているなあと感じており皆さんに大変感謝をしています。しかし、今回は途中平坦な所でも歩いてしまったり、精神面をもう少し強くしないといけないという反省点もありました。また、走っている時に1人で走るよりも、同じようなペースの方とお話しをしながら走った方が疲れも少なく、知らない内に距離も結構進んでいることを再認識させられました。

 10日(土)、仙台駅を9時24分の新幹線で大宮駅、佐久平駅へと、その後はローカル線の小海線で野辺山駅に13時50分頃に着きました。野辺山駅は、JR最高地点として有名なこともあり記念撮影してから受け付け会場の体育館に向かいました。

体育館は駅から歩いて3分程度の近い場所で、13時30分からの第一回目説明会が始まっていましたが、第二回目の15時30分から説明会を聞くことにして、受付を済ませて宿泊する「帝産ロッヂ」へ向かいました。駅から800メートルと書いてあるとおり、歩いて約10分程度で着いたので荷物を置いて再度説明会会場へと向かいました。
 説明会が始まるまで若干時間があったので各ブースを見て回っていたところ、主催者の坂本さんと目が合ったこともあり「坂本さんの本を買います」と言ってしまい、坂本さんから「なぜあなたは走るのか」の本にサインを貰い、直に「明日は完走目指して頑張ってください」と激励を受けました。
 「ひざかんたん」ブースでは、さくら道を完走した南仙台走友会の出口さんから「ひざかんたん」を着けたお陰で膝が痛くならなったと聞いていたこともあり、自分も購入して翌朝のスタート前に着けて貰うことにしました。
 15時30分から説明会が始まり、明日は最低気温も最高気温も6度で、午後からは雨が降る予報なので十分な装備を心掛けるよう注意がありました。また、2〜3日前に大雨が降り崖崩れのため大きな石が林道を塞いでいる箇所があり、村の方々が取り除いてくれたが小石がまだあることや、所によっては残雪やぬかるみがあることも付け加えて注意がありました。
 17時30分からカーボパーティが始まり、飲み物はビール、缶酎ハイ、オレンジジュース、ウーロン茶等がありましたが、自分は明日のことを考えてアルコールは控えジュースとウーロン茶にしました。食べ物の方は、カレーライスは人気があって早くなくなってしまうので早く食べた方が良いと、昨年参加した今野さんから聞いていたので一番最初にカレーライスを美味しく頂きました。その他には、焼きそば、ナポリタン、サラダ、ヨーグルト、牛乳を頂き腹一杯になりました。

 宿に戻って風呂に入り、翌朝の準備をして20時30分頃にはベットに入りました。大会当日は、2時半頃に起きて3時過ぎに食堂へ行ったところ大勢の方が既に食事をしており、自分も食欲がありませんでしたが食べないといけないと思い和食でご飯一膳を食べました。
 4時20分頃に体育館に向かい、入り口の所で35キロ、87キロ地点の着替えの荷物を預けてから体育館の中に入り「ひざかんたん」を着けて貰いました。その後、防寒用に着ていたウエア等を体育館預かりの荷物に預け、外へ出て出発前の記念写真を撮りました。
 天候は曇り、若干ガスがかかった状態でビニール袋を被るほど寒いとは感じませんでしたが、5時のピストル音と同時に全員がゴールを目指して元気良くスタートしました。

 事前に、南仙台走友会の今野さんが作成した昨年の野辺山完走記を読ませて頂き、自分が今回参加するに当たって大変参考となりましたので、真似てデジカメで撮影をしようと思いウエストポーチにデジカメを入れてスタートしました。ポーチは閖上100キロを完走した時に頂いたもので、小さいポーチのためデジカメを入れたらパンパンになってしまいました。この状態でトレイルの坂道を走ったため安定性が悪く上下に揺れて、しかもポーチを付けるのが慣れていないためか腰にかなりの負担が掛かり、ポーチには小さな穴が空いてしまいました。
 守さんからアドバイスがあったように八ヶ岳の景色を楽しもうと思っておりましたが、生憎の天候のため残念ながら景色は良く見えませんでした。トレイルに入りかけた時に、福島県いわき市から参加した方から声をかけられてお互いに頑張りましょうと励まし合った他に、サンタクロースの格好をした方(写真左側の袋をぶら下げた)がいたので、「今日はそんなに暑くなくて良かったですよね」と声をかけたところ、「いやあ服の中は汗びっしょりですよ!」ということでした。ちなみに、昨年に続いて2回目の参加だそうです。

完走記1
(2003.9.28 天候:曇り一時雨 秋田100Kウルトラマラソン)

年間距離 2,694キロ
月間距離   224キロ

 27日、待ちに待った秋田100キロウルトラマラソン参加のため9時30分に仙台市体育館へ集合し、南仙台走友会メンバーの8人が車2台に分乗して一路スタート地点の角館を目指して出発しました。
 途中、昼食のため雄勝の「道の駅」へ立ち寄った際、別グループと行動していた南仙台走友会の守さんと合流して、15時ちょっと前に角館広域交流センターの会場に到着しました。
     仙台市体育館−−>仙台南IC−−>築館IC−−>鳴子
                     −−>鬼首−−>横手−−>大曲−−>角館
 受付を済ませ、時間までランニングシューズ等の買い物をしながら前夜祭を待ちました。
予定通り16時から前夜祭は始まったのですが、来賓の挨拶等で飲食物にありつけたのは20分ほど過ぎてからでした。枝豆、焼きそば、エビチリ、シャケを食べ、ビール、日本酒を飲んで、最後に蕎麦をご馳走になりました。
 それから車で宿(雲沢旅館)に行き、お風呂に入ってから全員揃って宿の食事をいただきました。その後は、次の日朝が早いので走る準備をしてから布団に入りました。
 原田さんは仕事の関係で仙台を午後からJRで出発したために、角館には20時30分頃に遅れて着き、宿で我々と合流しましたが、直ぐに明日朝の走る準備をしてお風呂に入って就寝とさぞや慌ただしかったことと思いました。
 28日の大会当日は朝方2時に起きて、2時30分からの朝食でしたが、宿に泊まっている人の殆どが一斉に朝食なので賑やかで、ご飯のお代わりをする人も多数おり大変美味しくいただきました。3時半過ぎには宿のマイクロバスでスタート会場まで送ってもらい、当日受付を済ませてスタートまでの時間をお話をしながら待ちました。
 5時ちょうどの花火の合図で一斉にスタートし、沿道の声援には「行って来ま〜す」と元気に走り出しました。今回は昨年に続いて2回目の参加ということもあり、前半はマイペースで走り後半にどれくらいの力が残っているのか試したい気持ちで走りました。よって、40キロからの上り坂も歩かないで上り、予定通りの時間で50キロの中間地点に到着しました。中間点では、履き替え用の靴と靴下を用意して置きましたが、履き替えないで栄養剤だけを飲んでゴールを目指して走り出しました。
 各エイドステーションでは、オレンジ、グレープフルーツ、リンゴ、ナシ等の果物を沢山ご馳走になり、のり巻きを出してくれた所もあり、3〜4個を美味しくいただきました。また、60キロ過ぎの施設エイドでは皆さんが楽しみにしていて大変美味しい「しそジュース」を3杯もご馳走になりました。
 70キロ過ぎ辺りから、春に痛めた左膝の辺りに痛みがはしりました。やむなく、ストレッチングをして、騙しながら走り出しましたが長続きしませんでした。歩いたり、ゆっくり走ったりの繰り返しでした。そんな中、突然どしゃ降りの雨も降ってきて体は冷えてくるし、足下はぐちゃぐちゃの道を走らなければならない状況でした。
 幸いにも、75キロ過ぎに森吉除雪センターのエイドステーションでテーピングのサービスをしているのを見つけたので、救われた思いで順番待ちの列に並びました。自分の番まで20分以上は待ったと思いますが、ちょうど待っている間にも2〜3回強い雨が降ってきたこともあり、雨宿りも兼ねられて好都合でもありました。ちょうど雨が上がったところでテーピングも終わり走り出しましたが、長い時間休んでいたので足の甲辺りがちょっと痛く感じましたが我慢をして走り始めました。その後はテーピングが利いてきたのか、これまで痛かった左膝が殆ど痛くなくなりましたが、無理をしないでゆっくり走り続けました。
 80〜90キロは単調なコースで走りにくかったのですが、出来る限り腕を振って走るように心がけました。昨年は、この辺で右足の中指辺りに痺れが出て走りにくかったのですが、今年は南仙台走友会の練習に参加した成果が出たのか何ともありませんでした。
 90キロ過ぎからも、また、ちょっとした上り坂がありましたが、歩かないで何とか走りきることができました。自分では走っているつもりなのですが、他から見た場合には歩いているのと同じと思われるかも知れませんが、それでも歩いている人を抜いていくのですから、自分は走っているのだと自分自身に言い聞かせて頑張りました。
 95キロ過ぎのエイドステーションでは、何〜と偶然にも出口さんご夫妻に合いました。何でも、二人とも足に異常をきたして時間内完走に目標を切り替えたとのことでした。ちなみに、出口さんご夫妻は今年の4月末に「さくら道マラソン(名古屋〜金沢までの270キロ)」を制限時間の48時間内で見事完走した方々です。そのお二人にゴールまで伴走していただき、ゴールでは仲の良いお二人の間に入って3人一緒に手を繋いでゴールインしました。
 早速、荷物を受け取り、マイクロバスで銭湯に向かいました。風呂から上がってから会場に戻り仲間と合流して後夜祭に参加しました。引換券でビール2杯と天ぷらうどんをもらいましたが、ビールは1杯だけ飲んであとはやめました。
 西田さんは大分調子が良くて11時間前半のタイムで、女性のTさんもいつものタイムでゴールした
ようでした。
 ゴールの鷹巣から角館の宿へは、迎えに来てくれた宿のマイクロバスで19時10分頃に出発しました。車中、後夜祭でいただいたビールやお酒を飲んでいる人、疲れて寝ている人、自動車でも2時間以上もかかるところを走ったのだから本当に凄いことだよねと話をしている人等々で21時25分頃に角館の宿に戻りました。
 宿では、ゴールしてからお風呂に入れなかった人がお風呂から上がるのを待って、全員が揃ってから部屋で慰労会を行いました。おかずは、西田さん(親方)手作りの「イカ」と「イワシ」の薫製で、何でも今夜のために仕込みをしていたらしいです。慰労会もあっという間に時間が経ってしまい、23時を過ぎたのでお開きをしてお休みタイムにしました。