日記もどき随筆もどき
 (エセ日記エセエッセイ)
何故「もどき」なのか  自分では自分を非常にバランスのとれた考え方をする人間―ナンセ天秤座ですからねえ、―と思っているにも拘らず(否だからか?)子供の頃から少数派。時には、過激だ極端だと言われたり。だから、本音は或る程度仕舞っておかないとエライ目にあったりしちゃうのよね。比較的当り障りの無い例で言うとM崎某のアニメ、あれが大っ嫌いなのがばれると、泣かれたり脅されたりする事がありもーうんざり!あんなものでさえこのテイタラク、本質的なことに関する本音は不特定な場ではねえ・・・エシュロンなんてのもあるし。だあれが相手にするもんかって?そりゃそーだ、でも反米分子シラミツブシ作戦は激化の道を辿る一方、あーあ、やんなっちゃった、驚いた。(牧伸治さん、ご健在なんですね)
では、何故、公開するか?そりゃあアナタ、少数派だからですよ。発言しないと「0」ということでしょ。でもすれば「1」。もし、現在1万対1の1の側に加わって見なさいな、倍増ですよ、倍増!楽しいではありませんか。
  同時掲載!(リサイクル) 2008年1月 ZEK3九州ツアー報告第一弾!
その1.宮崎編(初っ端三日間は宮崎でした。)

第一夜、宮崎LIFE TIME

12:00羽田集合だったので、目覚まし2つかけ、戦々恐々、 なれど、無事遅刻せず着きました。尊敬するピアニスト、Oさんの、 「全員の航空券持ってるのに、間に合わなかった」轍を踏まずに済み、 まずはホッ。でも、出発ロビーに上がったら、先を歩いてた二人、 何の前触れも無くすーっと正反対の方向へ分かれて行った・・・ 一瞬驚いたが、そうそう、この人達とタビってこういう感じなんだった、 とすぐ思い出し納得。
私は、真っ直ぐ進んで、コーヒー買って、休憩。
機内では前半爆睡。後半うとうとしてたら、ベースの米氏が、 トイレ?、席を立ったまま、着陸態勢に入っても戻ってこない。
これは、トイレの窓から大空に吸い出されたか、後方の空席で 寛いでいるか、だな、帰りだったら前者でもナントカなるが、 行きだから困る、などとウツラウツラしながら思ってたが、 どうやら後者だったようで、ホッ、の2回目。
はい、宮崎到着!空港には、LIFE TIMEに出演している、 ヴォーカルの香月さんが迎えに来てくれました。そんな方が、 わざわざ、と思うと緊張しましたが、お会いしたら、可愛らしく、 優しそうな方なので、3度目のホッ。グズの私は荷物受け取って、 遅く出てきたが、後の二人の姿無くキョロキョロ。香月さんが、 「お二人は煙草吸いに行かれてます」あ、なるほどね。 さあ、いよいよLIFE TIMEに到着、
までで、 書くの疲れちゃった、三日分書こうと思ったに。
というわけで続きは後日。
ZEK3九州ツアー、その2の筈が宮崎編その2
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で、無事LIFE TIMEに到着。 LIFE TIMEの全国的名物オヤジ、草野Ken坊と、 看板娘、みんなのアイドル、アサイさんと久々の再会。
ここを訪れる遠来のミュージシャンが開口一番口にするセリフを 私も早速・・「ねえねえアサイさん、今度は何やってくれたの?」
そう、彼女は前回登場のO氏に勝るとも劣らない伝説メーカーなのだ。
「ふふ、それがね・・」と、いつもの素敵な笑顔で上機嫌に話し始めた と思ったら、急に不機嫌になり突然「K安(某ベーシスト)、あいつ 大っ嫌い!」と叫びだした。ど、ど、どーしたの?
12月にK安君が来たんだと、で、やはり開口一番、 「ね、ね、アサイさん、今度は何やったの?骨折だったりして」と のたまわったそう、しかも、アサイさん、本当に骨折してたんだと。 それを知ったK安「うれぴー」と言ったそうな。なんてやつだ!
・・もう、この話は止めましょう、そして今日の分も・・

あらら、当初一日で宮崎三日分の予定が、まだ、 ホテルにチェックインもしておりません、どーなることやら・・
(千夜一夜物語になっちゃいそう)
宮崎編 その3(に突入)
で、まずはホテルにチェックイン。
LIFE TIMEからは一回曲がるだけの場所だし、 何度か来ているので、超方向音痴の私も流石にわかる・・が、 珠氏、ゴシンセツに「曲がり角の目印は〇〇だからね」
はいはい、どうせ、一回曲がるだけの場所から迷子になった前科は 数知れませんよ、だ。

11月に名古屋のLovelyへ行ったときの事。
あそこは、現地集合が常識だが私はいつも誰かに連れて行って もらってる。で、古い付き合いの米兄ぃを拝み倒して引率をお願いした。
その代わり、絶対に今度こそ行き方を覚えるという条件で。
2度と金魚のフンはゴメンだとばかり、名古屋に着いたら 前を歩けと言う。そして「ほら、地下鉄〇〇線探して!」 なんとか表示見つけても、右にも左にも矢印・・・まさに右往左往 。「ほらほら、よく見て!」と、叱られ通しで・・・でも、 アタマ真っ白、途方に暮れて振り向くと大抵くすくす笑ってんのよね。

なんとか辿り着き、サウンドチェックを終え、ホテルへ向う。
私が「えっと、この公園を・・」とかブツブツ言ってると、 珠氏が「ほら、あの大きな河合の看板を目標にすればいいんだよ ホテルはあの隣だから」
あ、超デカイ、目立つ!「なあんだ、楽勝!」と喜ぶと
「でも夜遅くは電気消えてて見えないけどね」と、米氏、珠氏、爆笑
ホ〜ントッ、二人とも意地悪なんだからー!!!

・・・・って宮崎編の筈が名古屋の話で終わってしもた。
一体、宮崎の日はいつ暮れるのやら・・・
燃え滓
 だいぶ前になるが、友人が、とある人物と交わした往復書簡の載ってる雑誌を、立ち読みか、図書館で見て感想聞かせてくれ、と。企画の段階で、話を聞いていて、その時点で、なあんか結果予想ついちゃってて、ははあん、慰めて欲しいんだな、と思ったものの、面倒くさいから放って置いた。が、ひょんなことから件の雑誌が手に入ってしまった。でその往復書簡(合戦?)とやらを読み始めたが、あまりに不愉快でつまらないので、すぐ閉じ、友人にメールを送った。「ああいう手合いは相手にしないに限るよ、精神衛生に甚だ悪し。百害有って一利無し。人を不愉快にさせるのがカッコイイと思ってる連中ってのが、いてさ、それの猿山のボスみたいなもんじゃない、・・・氏は」って。同じ事思ってるとの返信、なあんだ、わざわざ少しとは言え、読むほどの事は無かったか。
 実は、その雑誌、高校の頃は結構愛読してたのですよ、自分が知的になったような錯覚を起こさせてくれる、私のような万年ガキには丁度いいアクセサリーだったりして。で、一抹の懐かしさもあり、他をちょっと拾い読みしてみたら、カナシーのサビシーのムナシーの木枯らしヒューなのって。数年前観た横浜トリエンナーレを思い出した。両者とも接すると、形骸だの残滓だの燃え滓だの、そんな類の言葉しか浮かんでこない・・なんて書いてると、気が滅入るばかりなので、ちょっと元気出して言うと「うっそー!まだこんなことやってんのお?信じっられっな〜い」といったとこか。
最近、ここ見た、とよく人様に言われるので見てみたら、一年もほったらかしてあったんですねー。
今日の新聞にコイズミナントヤラの靖国参拝、「信念の快挙か、浅慮の暴挙か」なあんて書いてあるけれど、そんな立派なもんかなあ。こーゆーの「いたちの最後っ屁」って言うんじゃない?と言ったら鼬に失礼か。
 2005年8月12日は、私たち夫婦の20回目の結婚記念日でした。我が家は、家族の誕生日はお互い、極力仕事を入れないようにして祝う事にしておりますが、結婚記念日は、どうも祝えません。・・・そう、お気づきの方もあるでしょうが、日航機が落ちた日なのです。
 何故こんな事を書くかと申しますと、先程大きな地震がありまして、その後テレビを見ていた息子が「すごい、他チャンネルは皆、地震情報を放送しているのに12チャンネルだけやってないよ」と言った事から妙な事を思い出したのです。
 届を出した日、おとーさん(夫さん)は仕事があったので、夜、私は一人で家で留守番しておりました。なんとなくテレビを見ていましたところ、日航機が行方不明、との臨時ニュースが入ってきまして、その後暫くすると、どのチャンネルもそれに関連した放送になりました、と思ったら、12チャンネルだけは、黙々と?「アンタッチャブル」を放映しておりました。その時思ったものです、12チャンネルは夜はきっと、おじいさんが一人でお留守番していて、スイッチ入れたり切り替えたりしているだけに違いない、と。
I さんの母上

I さんの母上が、I さんを枕もとに呼び、最後に贈った言葉は、「明るく楽しく、優しくね」 だそうです。
真夏の焚き火

 今日は午後、焚き火をして過ごした。東京の自宅では初めての事である。
今年はまだ一回も山荘へ行っていないせいかもしれない。山荘の風呂は薪だし、台所があるにも拘らず、ご飯は飯盒、その他も七輪、バーベキュー炉(上越ジャズクラブの常谷さんお手製)等で外で煮炊きするから、火を焚くのはお手の物である。初めの頃は、火を熾すのに、マッチ一箱も使ったものだが、今ではマッチ一本。
 火には、人間を無心にさせる不思議な力があるように思える。炎を眺めていると、心が安らぐ。
 現代社会においては、火を焚くという行為はどんどん縁遠いものになりつつあるが、その事と、人の心の荒廃が無関係では無いのでは?とふと思った。(まるで、つまらんTV番組か、つまらんコラムのお仕着せのマトメみたいだな)
 余禄は、焼芋と茹で芋でした。
まだ3月
「ご贈答用御好みあられ」は滅んで欲しいの巻
 
 連れ合いと息子は煎餅が好きである。私は菓子は甘いものが好きだが、煎餅も家族の影響でかなり好きになった。我が家で大不評なのは、御贈答用お好みあられである。熨斗紙剥がして、包装紙破いて、紙箱開けて、その中にきちんと並んだ紙の小袋(ポリエチレンとかアルミ箔とかで内張りしてある)を破るとやっと出てくるプラシチックのトレイに数個いろいろな小賢しいかたちで鎮座ましましているアレ、である。別に「御贈答用」とか何処にも書いてないが、アレ、もらった事ある人っていっぱいいるだろうけれど、自分で食べるように買った事ある人っています?殆どいないだろう、という事で、我が家では「御贈答用」と敬称をつけている。そしてアレが送られてくると一家揃ってシュン、とする。しかし、何故あんなに不味いんだ?スーパーで売っている一袋198円とかの煎餅の方が遥かに美味い。そのくせ、「職人の技」だの「巧みの技」だの「味を極めた」だのと抜け抜け書きおる。笑止千万腹立ち千万!
 とは言え、食べ物は捨てない、という暗黙の家訓のある我が家。泣く泣くいやいや食べるのである。最後の一袋に辿り着くと、安心感からかなかなか手がつかない。よし、ここは私が犠牲になろう!と頑張って食べ終わったところに、「宅急便でーす」ってまさか・・・その「まさか」だったりする。ヒドイと2〜3箱たまっちゃったりする。(正直に告白すると、少しだけど捨てたこともあります、ごめんなさい)という訳で、「御贈答用お好みあられ」とネオコンには、是非滅んで欲しいのである。
付記  これを読んだ方でウチに手土産の機会がありそうな方は、我が家は全員、1箱3000円の高級あられより一袋198円の煎餅の方を1000倍喜ぶって覚えておいてね。
3月
 似たような業種の人たちで、音楽日誌の類をつけている人が多いようなので、今日はちょっと真似事をしてみようかな。
 数日前、横浜のAへ、久しぶりに行った。御無沙汰の間に出来た地下鉄「みなとみらい線」に初めて乗り、馬車道駅で降りた。実は私は中学高校の6年間、近くの学校に通っていたもので、地上に出れば庭みたいなものよ、と何も確かめず上に出た。が、・・・・甘かった。全然分らない、でも少し歩けば見覚えのある風景になるであろうと歩き出した。ますます甘かった。歩けば歩くほど未知の世界へと迷い込んで行く。そうか、昨日の事のように思える中高時代って、よく考えたらン十年前か!さあ困った。道行く人に訊こうにも何て訊く?Aはどこですか、なんたって余程のジャズ好きでもなければ知らないだろうし、そんな人に行き当たる確率は限りなく低いであろう。わ〜ん、困った、真っ青・・・・と、その時ある店の前にバッタリ出た。外に出してある黒板に「本日の出演 ピアノ T木某、ベースK原某」(因みにこれは、この日Aにて共演のサックスプレイヤーT橋さん流匿名表記法である)。お、やったー、とばかり店に駆け込み、T木さんにWay To Aを教わり、無事辿り着いたのである。あー恥ずかしかった、が正に地獄に仏であった。
もう2005年3月。
 昨年末から今年にかけてはもう、それはそれは人災天災目白押しで、軽口ばかり叩いている私としては、何も書けなくなってしまいましたね。人間は、こう酷いことが続くと知りたくない、という気持ちが強く働くのでしょうか(だから酷い事ばかりしまっくているテロ超大国、某A国国民は異常なまでに無関心なのか?)、そして新聞等も所詮は商売、お客の気配を察して紙面を調整するのかどーでもいーよーな話が主流になってくる。しかも、そんな事しておいて、コラムで「日本中がゲーム感覚で某出来事に夢中だ」などと書きおる。冗談じゃない!アンタと一緒にしないでよ、アタシャ、某テレビ局がどーなろーが全く興味ござんせん、と噛み付きたくなる。それより、今、世界で何が起こっているのかちゃんと我慢強く伝えてよ、と言いたくなる。人災も天災も知ることが防ぐ事の第一歩なんだから。それにしても不思議なのは、天災のほうが防ぐのは遙に難しそうなのに、こちらはすぐに、対策を講じる動きがでる。がしかし、人の手になる残虐行為は人の手でどうにでもなろうというものなのに、我が国は助長までしているではありませんか。こんな事あっていいのかな。
と、言いつつ殆どヤケクソで、こーなったらどーせどーでもいー話なら、超マイナー版、超少数派版を書いてやる、と再開の意、表名。しつこいよーだが、テレビ局がどーなろーと知ったこっちゃないと思っている日本人だっているのだぞ、覚えておけ、新聞記者君!
10月上旬

 編曲に追われ、9月下旬が書けなかった。って別に1ヶ月を3つに分けて、なんて決まり作ったわけじゃないけど。
 2日は編曲の犯人、ZEKオーケストラでした。やっぱり変な名前!今明かす真相。30周年でアケタさんから、「清水くるみオーケストラ」をやるように言っていただいたものの、自分の名前が大嫌いなので、オーケストラをやらせてもらうのは嬉しいけれど、そんな名前では死んでもやりたくない、と思い、苦し紛れに急いで捏造したというわけ。が、変なものが好きな小生としては、決して気に入ってないわけでは無い。
 で、どうであったかといえば、クドイようだが、音を言葉で表しても仕様が無いので、お陰様で大盛況でありました、とだけ述べておこう。ここでは、その後。打ち上げ話を。
  
 なかなか波乱万丈、出席者も早川正子さん、杉浦英伊さんなど飛び切り素敵な方たちもいたりして、詳細は書き切れないので、感銘を受けたことを一事項だけ記しておこう。
 それは、男の世界と言いましょうか、天才の世界と言いましょうか・・・を垣間見てしまった事。
 
 宴も酣の頃?天才ギタリスト、イッシーさんと天才ドラマー、〇ヤさんが、暴走族話で盛り上がり始めた。イッシーさんと言えば、知るひとぞ知る元暴走族のアタマ(この世界ではカシラと読まないらしい)。セロニアス・モンクをガンガンかけながら走っていたという・・・・・(ね、天才のする事って不思議でしょ)。まあ、これだけの経歴の持ち主ですからね、すっかり先輩風吹かせ、おい、〇ヤ、おまえは走らせた事あんのか?と。〇ヤさん、オレは無いけど、少年ジャンプなんかに載ってた通販のステッカーとかが大好きだった・・・みたいな話になってくると、うちの愚息までが、あああれ、あれね、と。私にはさっぱりわからないなりにも、何となく聞き覚え・・と言うよりは、街中のでっかい落書きで見覚えの名前がどんどん出てくる。途中イッシー様の、あ、それ俺が潰した、の御発言あったりしてコエー!コエーといえば、ミナゴロシとまあ世にも怖い名前が筆頭に挙ってましたが、それなど漢字で書くのに「皆殺し」ではなく、どなたかが創作された、カッコイイ漢字であらわすのだそうです。いっしー様「だいたいステッカーなんてあんなもんは、家内工業でしこしこ作るもんなんだ!、俺もいっぱい作ったもんだ」息子「まめですねえ」私「それを通販したの?」いっしー「してねえよ!」
 すっかりゴキゲンになった〇ヤさん、イッシーさんのグラスに「かんぱ〜い」と御自分のグラスを当てられたところ、な、なんと!イッシーさんのグラスは粉々になってしまいました。これが極め付けでしたかねえ。

付記 佳奈ちゃんに、こういうシーン目撃したの何回目?と訊いてみましたが、初めてだそうです。
付記その2 私事(ですが) 差し入れにワインをたくさん戴き、幸せに浸ってしまった私、ちゃんと打ち上げ会場からも忘れず、死守して持ち帰ったのはいいのですが、その他諸々をピットインに忘れ物してしまったのであります。翌日ピットインに電話した途端、「ははは、思いっきり忘れていきましたね」と笑われました。
9月中旬

 夜更かしが続き早く寝ようと思っていた矢先に寄りによって、1週間位全く見ていなかったTVにはまった。しかも、2つ続けて。

 最初はアシュケナージが語るスターリン体制化での、ショスタコーヴィチ、エイゼンシュタイン他、芸術家達の話。しかし、何故何故何故、こんな事が「実際」に起き、そのずーっと以前から起こり続け、しかも今なお起こり続けているのか、ごく単純にしか物事を考えない(考えられない)私には到底、理解不能。
 詩人、文学者への弾圧は、まだ解らないでもない(勿論根源的な意味では解らない事、あってはならない事だが、独裁者のリクツとして)が、難解な音楽書いたら、収容所だ流刑だって・・・一体なんなのさー?「フリージャズ」関係の皆様、「現代音楽」関係の皆様、ど、ど、ど、どーします?大体こんなに線引き曖昧で主観的すぎることでねえ・・アタシナンザア、所謂Jポップとやらが一番難解に感じられますがねえ。
 しかし、自分は少なくとも音楽に対してだけは、真面目に向きあっているつもりだけれど、彼等の置かれた状況下と、その中で毅然と振舞った生き方を思うと、アマ〜イアマイ、カル〜イ、カルイ、恥ずかしい。

 次に始まってしまったのは、時々見かけるが、ヒトカドノモノになった人が出身小学校を訪れ、俄か授業を行うというアレ。今まで見かけた限りではナンカ、カル〜イノーという印象だったが今回重かったなあ。ずうん、でしたね。(作りはカルかったけど)
 今回は写真家長倉洋海。まず、子供達を2つの展示室に案内する。最初の部屋は、戦争の悲惨を訴えた部屋。(因みに長倉氏は「行く前は、その国の人たちにも多少責任があるのではないかと思っていた。でも行って見てわかったのは、戦争を一番止めたがっているのは、戦争をしている国の人達だという事」といった主旨の事を述べていた)
 次の部屋は、戦時下或いは飢餓の中での笑顔の写真集。
もうこの先、番組がどう展開していったか、などどーでもいいくらいの「事実の重み」。全てが実際に起きた事ですからねえ。
 この種の事実を突きつけられた時、人はどうするか。まず、長倉さんだの、イラクで人質になった人たち(バッシング事件も奇奇怪怪理解不能だったなあ・・って煽動者、洗脳者は割れているか)のように、「ちゃんと」行動を起こす人々。それから不肖私めのように「こんな事してていいのかなあ」、と考えながら考えるだけで日々が過ぎ去ってゆく人々。そして、突きつけられないよう、危険回避して逃げてっちゃう人々。逃げて行く先は大抵、一見楽しげに作られた、でも、折角人間として生まれてきて、こんな事楽しいのかなあ、「楽しい」の範疇に入るとしても、心底楽しいとは思えない、といった人工的事物と相場は決まってる?と、ここまでは、生き方人其々だからなあと、私には思える。人道に悖ると思うのは、極力使いたくない言葉だが「許せない」と思うのは、ケビン・カーターを死に追いやったような人々。彼等は、潜在意識下で、現に今、世界で起こっている事を、そして自分達の物質的に豊かな生活が多大な犠牲の上に成り立って入る事を認めたくないだけなのに、それに気付かず、御自分では正義の鉈を振るったつもりなのだろう。(私、大多数のアメリカ人ってjusticeという言葉でスィッチ入っちゃって、片手胸に当て直立不動になって、お目目うるうる、という偏見持ってます。でもまあ、アチラさんの偏見に比べればカワイイもんでしょ?)1万歩譲っても、彼を批判できるのは、「その場」へ行った事がある人間だけだと思う。まあ、世の中こんな様なことだらけだけれど。
 
 兎に角、「こんな事してていいのかなあ」とあらためて思わされた深夜のひと時でした。
 米、中、露、の現状、欧州の極右の台頭、翻って我が国の〇〇大本営、もうこりゃあ、レミング現象ですかねえ。だとしたら、子供、かわいそうだなあ。こんな世界情勢で子供を作ったらかわいそうとおっしゃってお子さん持たなかった永井路子夫妻は、先見の明があったのですね。
 
9月上旬某日

たまには音楽の話  ハシゴした。飲み屋ではない。ライヴ。まずピットインでケイ赤城トリオ+峰厚介。ケイさんを聴いた事なかったし、峰さんゲストだし、佳奈ちゃんも来てるというし、小川さんとイッチョマエにちょっと打ち合わせなんぞもしたかったし、条件整いすぎ。佳奈ちゃんがケイさんはミラクルな感じと言ってたけど、ピットインに駆け込んだ時、丁度1曲目が始まったところで、Dolphin Dance をなな、なんとなな拍子で演奏していた!う〜んすっげえー、確かにミラクル!音楽の内容を文章にしてもしょうがないので、あとは、全員の出している音が面白かったとだけ言っておきましょう。楽しみました。
 
 途中、MCでCD販売の事に触れ、「僕のCDの他、峰厚介が渋谷アツシさんと・・・」と言ったときは佳奈ちゃんたちと吹き出してしまった。これから、アツシさんって呼ぼうっかな。一昨日、浅川マキさんに、「いやあだあ、くるみちゃん、渋谷さんの事、おとーさんなんて呼ばないでよ」ってシカラレタし?
 
ところで私はカナリ誤解されている。着いた早々、佳奈ちゃんが「カシスソーダでも飲みます?」ちょっとしたら小川さんが「焼酎飲む?」カウンターの所に居ただけで藤村さんが「何か飲みたいんでしょ」。大体私は、家族全員全く飲まない家庭に育ったのだ!峰さんに「はい、熱燗」て言われる前に退散し、おとーさ・・違ったアツシさんの新生トリオが演奏するアケタに向う。
 
 ここでも心躍る空間が展開されていた。空間と言ったのはですね、ある人が「1,2,3,4」の無いベースと言ったグズラさんと、「1,2,3,4、が無い」ことならグズラさんの比ではない外山さんの醸し出す、茫洋と鋭さが同居した摩訶不思議でスリリングな空間の中で、煽られるでもなく澄まあして楽しそうにピアノを弾くおとーさん・・・あ、言葉で表そうとしちゃってる、無理無理無う理、やっぱり聴きに行くしか無し。ところで、因果は巡る、おとーさんが昔、メンバー紹介の時、松本ヒロシって紹介しちゃった松本治君が遊びに来てました。(相変わらずいい音でした)
付けたし  ふふふ、突然思いついちゃった。 渋谷毅ワーグナー説。
9月初旬某日(秋の初め)

バカ話 その1. アケタを終えた後、バカ話をしていた。その日は「利口系」と言うのが、何となくキーワードになっていたからか、理系のやつは意外と機械に弱いやつが多い、という話に移って行き、そこからコレちゃん、山ちゃんが理工学部、という話になり、その周辺にもバカ話がたくさんあって、大笑いしていたのだが、その辺は長くなるので、割愛。で、何が言いたいかというと、翌日目が覚めてふと、気付いた。そーか、考えて見たら、あの人たち、「バカダ大学リコウ学部」か、と。ハイ、お粗末様でした。

腹立ち話  アホ息子がアホテレビを見ていた。TVでよく見かける空虚な感じの人たちが、喧喧諤諤を装ってへらへらと国旗国歌についてあーだこーだと。途中某知事が「オカミに従わんのは教育者としての責任を放棄した事」と言うような事を抜かしておったが、それ、逆だろが。昔から、教育者としての責任を放棄したやつらが、へいこらとオカミの言いなりになって来たのは歴史が証明してるじゃない。
だいたい、色彩とかデザインとか音楽とかそういったものの嗜好を強制的に支配するって、そんな無茶苦茶な話ありますかね。小学生で歌わされた歌の「ああうつくしきにほんのはたはあ」の件には子供心にええー?って思ったものだ。ファッショイ、ファッショイ、ミコシを担げってか?感覚を強制すると言えばその後、余計なお世話的野球話をしていたようだが、その中でTシャツを着ているので、誰やらが胡散臭いという発言があったが、それにもえっ?その人のしていた背広ネクタイ姿の方が余程胡散臭く感じたしその時対極として語られていたナベツネなる人物がそれこそ胡散臭いの親玉みたいで・・・・誹謗中傷めいた事はよくありませんけど、人を誹謗中傷しているヤツ見ると、ハムラビ法典的思考回路に入っちゃうのよね。

バカ話 その2.  夜更け、おとーさんとHPにプロフィール書くの気恥ずかしいよね、という話をしていて、私が「偽プロフィール」作ろうかと思っていると言ったら「そういうのって、余程、ウソとわかるようにしておかないと信じちゃう人いるからねえ・・・あ、某年某月某日某所生まれってどうかな?」そこから2人でノリノリになっちゃって、某幼稚園だ、某大中退だ、某バンドだ、某楽器だ・・・・最後に私が「で、某年某月没ってしちゃおうかな」そこからもーひたすら笑い転げた。ずっとシラーっとしてた息子に言われた「あーあ、ばかな両親持っちゃったなあ」
 
今月(04 8月)の総括
 おとーさんからPCを配られてから早3年位。結構高級機種らしいが、猫に小判、豚に真珠とは正にこの事か、電話嫌い筆不精の小生は電話代わり葉書代わりに、Eメールしか使用していなかった。が、な何を思ったか(そ、自分でもよーわからんの)突然HP作りを思い立つ。しかし、お絵描きソフトにはハマりましたねえ。もー全然使い方わからん、いつもならPC関係は同居人達が教えてくれるが、お絵描きソフトはインストールとショートカット作りまでで、その先はきゃつらもよく知らないのであった。だから、機械操作を覚える幼児さながら、そこいらじゅう開きまくったり押しまくったり・・・PCと格闘の日々という具合でしたね。でも、始めは手描きの方が遥かに早いと思われた目次の扉の絵も、だんだん手描き並のスピードになって来て、もうすぐ手で描くよりずっと早く描ける様になりそう。悪戦苦闘したチラシ作りもようやく「レイヤー」とやらの事が解って来たし。とまあ、ちょっと音楽の事をオロソカにしてしまった今月でした。さあ大変。
 
その他・・・唐突ですが「ヤカモト」を検索してみたら1600件以上あった。
 最後に新聞ネタから軽〜いヤツを選んで。1.「栄養費という名目でもらった」まではいいとして、「栄養費」として一部使ってしまった・・って使い道の想像するとスッゴクオモシロイ。(誰かこのネタ、乗ってこないかな)2.チンプブッシュがプードルブレアにイ戦争のコーセキタタエテ勲章あげるよって何回も電話してるが・・・って、やっぱ家来だったのか、でも家来じゃないもんてダダこねてるんだかか、次の御主人様の顔色窺ってるんだか。・・って話題にするのもケガラワシカッタか。
 オリンピック、高校野球などは百家争鳴でしょうから、最後の最後に・・
暑かったあ
8月某日
 10月のZEKオケの選・編曲に取り掛かり始めたが、ある曲を2通りのアレンジ、どちらにするかで、ずーっと悩んでいたのが突然閃く、そーだ、両方いっぺんにやってしまえばいいのだ!と。あっはっは、こりゃいいや、現在素晴らしいサウンドが頭の中いっぱいに鳴り響いている最中です!
8月某日
 あろうことか、生まれて初めて競輪場へ行ったぞ!きっかけは、どこかの駅でもらったティッシュ。それが競輪場の宣伝だったと言うわけ。調布から1駅で行けると知ってびっくり。おとーさんは嘗て、競輪で身を滅ぼした過去があるくらいだから、喜ぶだろうな、と思って「ねえねえ、こんな広告がティッシュに入っていたよ」―当然とんとん拍子に話はまとまり、競輪場へと向う。京王多摩川駅の改札に着いてまず驚いたのは、入ってくる人も出て行く人も全員同じ雰囲気だと言う事。我等夫婦、ア・キ・ラ・カ・に浮いてる。キャップの人多し。しかも前後ろに被ってるヤツ皆無。釣りベストをお召しになっている方も多かったな。あと、スキンヘッド一歩手前の方々。(髪型だったり、単に薄毛だったり)

 競輪場に入ってびっくりしたのはおとーさん、「わあ、随分変わっちゃったなあ。」昔は殺伐としていたそうだが、そこここに青や黄色の電飾、ナウい(←わかります?このニュアンス)BGM、ガラス張り3階建ての近代的(高い方の)観客席。これについては後から合流した息子が「おう、バブルの遺物」と言っておった。フィールドもなんかゴーカ。これら全てが、レースの結果以外、全く興味無しオーラを出している大半のお客さん(或る意味、こんなストイックな人達ばかり集まっているところも珍しい?)に負けていて却ってうら寂しさを醸し出している。ただ、安い観客席は昔ながらか、剥き出しのコンクリートに剥げかけたような鉄の手摺、雰囲気バッチリです。ここに立つと、高村薫は競馬場のスタンドに立った途端、その脳裡にレディ・ジョーカーのあの壮大な物語を一瞬にして浮かび上がらせたのではないかと言う錯覚を持ってしまう位、あの場には人生の重み(重荷?)を感じさせる何かがありますね。
 
 次に驚いたのが表彰式。7レースと10レースの後にあり、ちょうど7レースから見たので2回遭遇したのだが・・・もーみんな殆ど無関心。次の馬券、否、輪券?買いに行くのか、席を立つか、座っていても紙に何やら一心不乱に書き込んでいる。優勝選手の入場時、インタヴュー後、ウイニングランの時、と3回も盛大な拍手を求めるアナウンスがあったが、いずれもどこか遠くでパラパラ。10レースの後なんざ「これから表彰式を・・」のアナウンスの中皆ゾロゾロ帰って行く。何だかかんだかの決勝レースですぜ!ああこれは、スポーツ観戦でなくギャンブルなんだ、と思い知りましたね。
 終わってから小規模ながら、花火ショーがあって(実は私のお目当てはこれだったのでした)満足して帰途に着きました。

 ところで「あの2人」、競輪新聞見ながらもりあがって、券買ってたけど不安だなあ。トンデモナイものに誘っちゃったかな。家なし家族になりませんように。
’04 8月某日
 何故かいきなりスポーツネタ。あはは、どーだ、当り障り無い事この上なし!
 なんと、神奈川出身のせいか高校野球、割りに見るのですよ。(多数派じゃないかって?ま、ここまではね)高校時代に神奈川全盛でね、ほら、ドカベンのキャッチフレーズ「神奈川を制するものは全国を制す」ってやつ。昔から見る度驚くのは、球児!の方々がオッサンに見えること。(なのに、監督は大抵、子供らなどとおっしゃるのでもっとびっくり)「えっ、この人達私より年下なの?」と毎年思い続けているうちに、年下どころか、自分の子供と同じ年に・・・そう言えば、親方だの解説者だのになった「年下の」もとお相撲さんがたの立派な風体にも驚かされるが。ここで1句ならぬ1説。「スポーツ選手は早く大人になる」ってのはどう?(一応お断りしておきますが、私は鏡を殆ど見ない人間です)
 あと、オリンピックてのやってますねー。スプリント以外はあまり興味が無い・・のに、何となく見てしまうんですね、これが。前の冬季五輪で息子が始めた競技の物真似(ジェスチャー)、これ結構笑える。スピードスケート、カーリング、モーグルとかね。で、体操を「これは物真似絶対無理だね」と話しながら、息子と見ていたのですが、どちらからとも無く「あ、吊り輪ならできる」。それからは技の応酬。息子、はっと我に帰り「夜中の4時にこんな事やってるうちないよな・・・いや待てよ、みんなやってるかも」。私「そーだよ、少なくとも1千に1個の家庭くらいはやってるよ、だから何万人、何10万人の人が今まさにテレビの前で吊り輪ごっこしてるよ」 ― やってた方います?