※環ラスとは
2007/03/22 <22> ▼≪新・宇井純物語≫スタート。逝ってからの宇井さんとの「約束」▼
初めに、弊≪環っ波≫の記事更新を2006年9月に、この“環ラス”めっせーじにいたっては実に2006年2月28日に[ 21 ]以来、怠ってきたことに無条件でお詫び申し上げる。公私にわたり多少の言い訳はあるが、あくまで「多少の」域を出ないし、その主たる要因は「怠惰」以外の何ものでもないからだ。

最後の発表となった「下水道展」で
のプレゼンテーション
=2005年7月28日、東京・有明の
東京ビッグサイトで
そういう状況下で、まるで追い撃ちをかけられた事件が勃発した。そう、まさにボッパツしたのだ。沖縄大学に居られたときから、この約10年、追いかけ、“宇井純の追っかけ”を自称してきた相手、あの宇井純さんがあっという間に逝ってしまったことだ。≪環っ波≫に関心を抱いてくれる人なら100%ご存知だろう、2006年11月11日のことであった。

まったく油断していた。これまで何度も三途の川を渡りかけては戻ってきただけに、「今回も時間はかかるだろうが、なんとか回復してくれるだろう」とマジに思っていた。そうしたら、あれも聞こうこれも聞こうと皮算用していた。しかし、あっという間に逝ってしまった。そうなると、「火」は対岸からこっちへ飛んできた。「あの《宇井純物語》どうなるんですか?」と宇井さんの通夜の席でも複数の人から聞かれた。中には詰問調のものもあった。

後輩同士の結婚披露で主賓あいさつ。
人前に出た最後になった
=2006年5月13日、東京・本郷の
東大「弥生会館」で
実は、亡くなった日の夕刻、なにはともあれ自宅に馳せ参じ、静かに眠っている宇井さんに問いかけた。「もう戻ってきませんよねえ?」。彼は答える。「見た通りだよ。おれはもう君たちとは異次元の世界に旅立ってしまった。会うには君がこっちへ来るしかないよ」と。
そこで誓った。「わかりました。これで踏ん切りがつきました。《宇井純物語》を近い将来、全面書き下ろしの≪新・宇井純物語》として再スタートを切ることを約束します。こんどはちゃんとやります。どこかで見ていてください」。「わかった。あっちへ行ってもやることが多いので、あまり期待しないで待っていよう………」。

「11.11」。弊 “環ラス” の命ある限り忘れ得ない日になろう。

あえて申し上げる。通常の≪環っ波≫を犠牲にしても(すでにしているが)、≪新・宇井純物語≫に全力を傾注する、と。

きょう2007年3月22日、かくして≪新・宇井純物語≫はスタートした。ご覧いただき、忌憚のないご批判、ご指摘をいただきたい。

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