■データ 6■
高木基金助成報告集原稿
天草の海からホルマリンをなくす会
事務局長 松本基督
【助成事業申請テーマ】
@ホルマリン由来の反応生成物に関する調査・研究
A魚類養殖場周辺の底質調査
〜魚類養殖産業の薬物使用問題を考える〜
【問題の背景と経過】
1970年頃より水産行政による「獲る漁業からつくり、育てる漁業」の強力な推進体制と養殖魚のエサとなるマイワシの世界的な豊漁とが相まって魚類養殖産業が急成長した。
魚類養殖漁場では、海面の使用効率を上げるためにイケスが数百も並べられ、1つのイケスに数千尾のハマチやタイを押し込み、少しでも早く育つようにと毎日数百kgのエサを投入する。
当然の結果として、エサの食い残し、飼育魚の排泄物で漁場が急速に汚染されてゆく。
過密飼育、水質・底質の悪化は魚病の多発に直結する。同様の問題は畜産産業でも指摘されているが、魚類養殖の場合その歴史もまだ50年に満たないため技術的な対応、指導体制、法整備などすべての面で未熟な段階である。
また、全国的な生産過剰による魚価の低迷、安価なエサであったイワシ漁獲量の激減による餌料の暴騰で経営状態が悪化して、さらなる過密飼育〜魚病の多発〜薬物大量投与という悪循環に陥っている。(図1:主要養殖魚の飼育密度の推移参照)
その結果、多発する魚病を予防・治療するために抗生物質・抗菌製剤などがその危険性を顧みることなく大量に使われ、漁網交換の手間を省くために猛毒・有機スズ(TBT)入り魚網防汚剤が広く用いられることになった。
ここでは主としてTBTとホルマリン問題に関して、問題の背景と経過、現状、改善のための方策について考えてみる。
【TBT問題】
《TBTが使われる理由》
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【図2宇和海漁場環境調査検討報告書より抜粋】 |
通常、魚類養殖は子割式と呼ばれるイケスを用いて海面で行なわれる。
イケスの漁網は養殖するうちに海藻や貝などが付着して潮通しが悪くなる。
放置しておくと、イケス内の水質悪化や酸素欠乏を引き起こし、飼育魚の生育不良や死亡の原因となるために、代わりの網に交換することが必要となる。
しかし、網交換は養殖の作業効率を悪化させるだけでなく、魚体表面が網と擦れることによって商品価値の低下や新たな魚病の発生や死亡につながる恐れがあるため、養殖業者にとって防汚効果が長持ちする塗料は非常に魅力的な存在だ。
その点、猛毒・有機スズ(TBT)入り魚網防汚剤の効果はその毒性ゆえずば抜けていた。
有機スズ化合物は中枢神経系の障害を引き起こし、免疫能への影響を及ぼすことが知られている。さらに最近、環境ホルモン作用も確認され、有機スズ汚染は海洋生物のみならずヒトの健康や生態系への影響を及ぼすことが危惧されている。
環境省のHPには「国内においては、14物質のTBT化合物が化学物質審査規制法の対象となっており、これらの製造・輸入は行なわれていない。また、船舶用防汚塗料向けのその他のTBT化合物は、製造・輸入ともされていない。」などと書かれている。
しかし、「TBT化合物は環境中に広範囲に残留しており、その汚染レベルは底質においては概ね横ばい傾向」とも記され、汚染状況が改善されてないことが分かる。
TBT汚染が改善されない要因は未規制国・地域からの船舶の出入港などによるもの、などと報道されている。
しかし、魚類養殖が盛んな愛媛県で1999年にTBT入り漁網防汚剤の不正輸入が発覚したこと、「宇和海漁場環境調査」には「魚類養殖海域では表層ほどTBTが富化しており、最近までTBT防汚剤の使用が続いていたことが窺われた」との記述があり、依然としてTBT漁網防汚剤が秘密裏に使用されている可能性が強い。(図2参照)
《調査結果》
そのため、各地の養殖イケス近くの海底泥や網染め施設の塗料などを採取・分析を行なった。結果は表1の通り。
環境庁などが実施した調査によると、底質では2年間で242地点中130地点で検出され(検出率54%)、濃度範囲ND(<0.1〜22)〜218ppb、算術平均8.0ppb(NDを0で換算)であった。これに対して、表のNo.6〜8の値は極めて高く、現在も漁網にTBT入り防汚剤が使用されていることが窺われる。
また、No.10・11は防汚剤中のTBTが直接検出されたものと推定される。
今後、網染め作業中の状況を観察してさらに詳細な実態を調査したい。
表1 海底泥、網染め施設のTBT分析結果 (濃度表示はppbに統一)
No |
採取日 |
分析日 |
採取場所 |
TBT濃度(ppb) |
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11 |
03・11・15
03・11・12
〃
03・11・15
〃
05・3・20
〃
〃
05・3・21
05・3・19
02・6・17
|
04・2・16
04・6・17
〃
〃
〃
05・4・12
〃
〃
〃
〃
〃
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天草郡魚網洗い場下
天草郡魚類養殖イケス下
天草郡真珠養殖筏下
長崎県魚網洗い場付近
長崎県真珠養殖筏下
大分県魚類養殖イケス下
大分県湾港内
愛媛県魚類養殖イケス下
高知県真珠養殖筏下
大分県網染め施設下土壌
長崎県網染め施設内の塗料
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100
40
20
70
(ND=20) ND
490
340
200
50
553,000
11,500,000
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【ホルマリン問題】
《問題の経過》
ハマチ・タイ養殖は魚類養殖の主流であるが、餌料価格の高騰や生産過剰による価格低迷のために採算性が悪化。1990年代頃から多くの業者がより高価なトラフグ・ヒラメなどを飼育するようになった。
ところが、寄生虫による疾病などで飼育が困難とされていたトラフグ・ヒラメ生産急増の背景には、寄生虫駆除に安価で高い効果を発揮する消毒剤として、発ガン性が指摘されている劇物・ホルマリンがその養殖現場で大量に使用されていることが判明した。
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【写真1:ホルマリン投入の様子】 |
私たちは1996年の結成以来、養殖魚へのホルマリン使用について@海域汚染、A食品安全性の観点から重大な問題があるとしてその解決のために活動してきた。
そして、私たちの調査やトラフグ養殖場の実態を描いたテレビドキュメンタリー番組放映などによって、ホルマリンの無登録販売や複数の魚類養殖産地での度重なる不正使用などが判明した。(写真1参照)
《反応生成物に関する調査・研究の必要性》
ホルマリン使用問題が発覚する度に行政の担当部署や業界は魚体や海水のホルムアルデヒド残留濃度を分析して、濃度が極めて低いか検出されないことをもって「安全である」「汚染されていない」と説明してきた。
ホルマリンは生物標本の固定などに用いられてきた物質であり、他の物質と極めて結合しやすいという性質を持っている。
私たちのこれまでの調査・研究では通常の海水中ではホルマリンは速やかに検出されなくなることが分かっている。
また、ホルマリンが大量に使用され、流されてきた海域ではホルマリンが検出されなくとも海藻の枯死や貝類の大量死などの異変が起こっている。
そのため、私たちは『海水や魚体の残留ホルムアルデヒド濃度は汚染の有無や安全性の基準とはなり得ず、ホルマリンがタンパク質など他の物質と結合してできる反応生成物の特性や毒性について調査・研究を行なう必要がある』と主張し、県の関係部署や省庁にきちんとした対応を申し入れてきた。
しかし、行政は相も変わらず、ただ海水や魚体内のホルムアルデヒドの残留の有無や濃度を検査するだけで、ホルマリン反応生成物に関する公的な調査・研究は行なうようすは一切ない。
そこで、私たちはホルムアルデヒドの免疫毒性などに詳しい旭川医科大学の吉田貴彦教授(環境医学、毒性学)に研究を委託してホルマリン反応生成物の免疫毒性についての実験を行なった。
また、私たち自身も2003、2004年とアコヤガイを用いたホルマリン反応生成物に関する実験を行なった。(※一連の活動は高木仁三郎市民科学基金の助成を受けて行なった。)
その実験成果は2004年11月に天草で成果報告会を開催し、2005年4月には水産学会にて発表を行なった。
概要はおよそ次のようなものである。
《ホルマリン減衰実験》
煮沸海水にホルマリンだけを入れた場合にはその濃度はほとんど減衰せず、キートセロスを入れた場合には経時的に減衰し、7〜8日後にはほぼ消失した。これはキートセロスとホルマリンが結びついて新たにその反応生成物ができたことを示している。(図1)
キートセロス:アコヤガイなど2枚貝のエサとなる珪藻プランクトンの1種
【図3:ホルマリン減衰実験】
《実験A−アコヤガイ飼育実験》
沿岸海域に多く見られ、アコヤガイの餌料としても一般的に使用されている珪藻プランクトン、キートセロスにホルマリン処理をして、その反応生成物を作成し、アコヤガイに摂餌させその影響を検討した。
作成した反応生成物は遠心分離した後、新鮮な海水に再浮遊させることによって残留ホルマリンを除去した。コントロールには無処理キートセロスを同様に遠心し与えた。
その結果、中腸線の顕微鏡所見において、無処理キートセロスを与えたコントロール群では一定の厚さの管腔構造が見られたが、ホルマリン処理キートセロスを与えた群では管腔壁が薄くなり構造が破壊され、間質部分の浮腫が観察された。(写真2・3)
実験アコヤガイの中腸腺の顕微鏡所見
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【写真2:無処理群】 |
【写真3:ホルマリン処理群】 |
※処理群の管腔壁が薄くなり、管腔構造の破壊と間質部分の浮腫が見られる。
免疫学的所見においては、@血リンパ球総数、ANBT還元能、B遊走能に有意な差が見られ、免疫能の低下が確認された。(図4参照)
【図4:有意差が見られた免疫学的項目】
《結果》
今回観察された現象はホルマリンによる直接的な影響ではなく、ホルマリン処理
したプランクトンを摂取したことによるものである。
これは先行して行なわれたホルマリンを直接曝露させた時より顕著に現れた。
中腸線構造の傷害は外界に接する物理的バリアーの破壊である。
また、免疫能の傷害は外的すなわち病原体の侵入と増殖を許してしまう結果となり、感染抵抗性の減弱をきたし、いかなる病原体による感染も起こりやすくなり(日和見感染症)、大量死の原因となる可能性がある。
《実験B−マウスへのホルマリン処理飼料投与実験》
実験Bでは、@陰性対照群として無処理飼料・無添加飲料水、A陽性対照群として無処理飼料・ホルマリン添加飲料水、B曝露群としてホルマリン処理飼料・無添加飲料水の3つのグループについて50日間飼育し、ホルマリン処理飼料食餌の影響を調べた。
具体的には、口から摂取された飼料は胃、腸を通過するため腸内の菌への影響を考え、排出糞便中の大腸菌群数および嫌気性菌群数を測定した。
《結果−ホルマリン処理飼料食餌の影響》
その結果、Bのホルマリン処理飼料を与えた群のマウスの腸内細菌数が低容量・高容量ともに大きく減少した。Aのホルマリン添加飲料水を与えた群でも減少が見られるが、これは摂取された無処理飼料に口や胃内部で飲料水中のホルマリンが結合し影響を及ぼしていることが考えられる。(図5参照)
実験から排出糞便塊中の細菌数が明らかに低下し、外来微生物の進入阻止の門戸となる肝臓の防御機構が狂う、など消化管内の常在細菌叢バランスが崩壊していることが明らかになった。
このことから、ホルマリン処理をした飼料に何らかの問題があることが分かる。
《総合考察》
この2つの実験に共通しているのは、ホルマリンそのものよりもホルマリンと結合させたエサを摂取した時により大きな影響が現れることである。
現段階ではそれがホルマリン反応生成物自体の毒性によるものか、消化管内で何らかの反応が起きるためなのか、明らかではない。
しかし仮に、出荷までに何度もホルマリンを曝露したトラフグなどの養殖魚の体表あるいは体内にホルマリン反応生成物があるとすれば、それをヒトが食べた場合に果たして安全といえるだろうか?
養殖魚のホルマリン問題に関して、ホルマリン薬浴を行なった魚体や海水中からホルムアルデヒドが検出されないことをもって「安全である」としてきたこれまでの対応には根拠がないことになる。
【改善のための方策】
魚類養殖業が「薬漬け」と呼ばれた理由は他に抗生物質などの多用の問題がある。
20年以上前から問題が指摘されながら事態が改善しないのは、過密養殖からくる魚病の多発、養殖業者の無知に付け込んだ水産用医薬品販売業者の売上至上主義的な姿勢、不正使用防止のための監視体制や法規制の不備などがあると思われる。
例えば、抗生物質などを入手するためにはヒトや家畜の場合、医師や獣医師の処方箋を必要とするが水産用はその必要はなく、しかも購入・使用に関する報告義務もない。
水産庁から入手した資料によると、任意で報告された抗菌性水産用医薬品の使用量は回答率が50%程度とはいえ、薬品メーカーが報告した生産量の1/4ほどしか上がっていない。(表2参照)
表2 抗菌性水産用医薬品の生産量と使用量(2000・2001年)
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2000年
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2001年
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生産量(d)
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1,706
|
1,484
|
使用報告量(d)
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468
|
324
|
生産量に対する
使用報告量の比率(%)
|
27
|
22
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※使用量の報告は義務付けられていないため、報告は任意で回答率は約50%
食品衛生法は食品中の抗生物質などの残留を禁止しているが、抜き取り検査されるのは流通するほんの一部だ。
魚類養殖では多くの場合、抗生物質などはエサに混ぜて投与されるが、エサの食い残しや飼育魚の排泄物に残留する抗生物質などが海中・海底の微生物相に与える影響に関する調査・研究は皆無に近い。
このように見てくると、漁場環境や食品安全性に配慮して飼育された養殖魚とそうでないものを区別する仕組みや見分ける方法は何もないことになる。
つまり、「正直者がバカをみる」構造そのものだ。
このような魚類養殖の「薬漬け」状態を改善し、漁場環境への負荷軽減と食品安全性を向上させるために、次のようなことを提言したい。
@水産用医薬品の使用報告を義務化すること
A1999年より施行されているが、ほとんど成果の挙がっていない持続的養殖生産確保法を改正すること。
(底質・海水についてCOD、硫化物等既定項目に加えてTBT濃度、微生物相など養殖に使用されてきた薬物の影響に関する項目を盛り込んだ漁場環境調査を実施するなど)
B養殖業者へのホルマリン販売規制、ホルマリン使用に対する監視体制の整備
C優良生産者に対する優遇措置(正直者がバカをみる現況の改善)
私たちの会は、魚類養殖場への現場調査を重ねることによって公的調査では使われていないはずのホルマリン使用の実態をあぶりだし、薬事法の改正によってホルマリンなど未承認動物用医薬品の法規制を実現することができた。
活動費も少なく、公的な調査権限もない市民団体としては大きな成果を挙げることができたと考えている。これもひとえに、高木基金などの助成事業という支えがあったからこそである。
今後はホルマリン反応生成物の存在確認に関する調査・研究、養殖現場におけるTBT使用の状況調査などを行なっていきたい。
*発表先:「2002年度高木仁三郎市民科学基金事業報告書」(2004年9月14日)
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