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日本を代表する報道写真家の一人、桑原史成と宇井純は「水俣」で出会った。先に水俣入りしたのは桑原だが、行く先々で駆け出しのカメラマンと詰襟の学生服を着た“東大の宇井”は出会うようになり、いつしかコンビが形成され、ついには「水俣病の原因はチッソの有機水銀廃液」との真実を掴むことになる。いわゆる「猫400号」の追試の写真を“盗撮“したり、退職した細川一病院長の四国の自宅に2人で押しかけ、証言を得るなど、2人のコンビによる業績は小さくない。
そういう付き合いが始まって45年。いま、宇井純を失って桑原は「格が違うけど“戦友”を無くした感じ。宇井さんは現代の田中正造だと思っている。20世紀を駆け抜けた」と独特の表現で話す。
やや残念なのは「宇井さんそのものを撮らなかったこと。その意味ではボクは先見の明がなかった………」と笑う。
≪新・宇井純物語≫のスタートに当たって、今後も全面的にサポートを約束してくれたが、この「桑原史成コーナー」を設け、新たな写真が見つかった際には紹介させていただきたいと考えている。 |
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写真左:
15年間にわたって続けられた宇井純助手の東京大学での自主講座「公害論」が終幕
=1986年2月5日
写真右:
感無量だったのだろう、アップで撮られた顔は涙目だった
=1986年2月5日 |
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写真左:
新潟県妙高の温泉旅館で開かれた「水俣病研究会」で
=1996年
写真右:
水俣病研究に取り組んで40年目の宇井純氏
=1999年1月27日
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写真左:
関西訴訟の最高裁判決の日、集会で環境省にもの申す
=2004年10月15日、環境省会議室で
写真右:
後輩同士の結婚イベントに招かれ多くの出席者を前に講演。この日が奇しくも最後の演壇になった。介護は長女の美香さん
=2006年5月13日、東大・弥生会館で
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【桑原史成 プロフィール】
1936年 島根県津和野町に生まれる
1960年 東京農業大学および東京綜合写真専門学校卒業
[主な受賞 ]
1962年 日本写真批評家協会新人賞(個展「水俣病」に対して)
1965年 講談社写真賞(「韓国」=『太陽』『週刊朝日』掲載)
1971年 日本写真協会年度賞(写真集「水俣病1960〜1970」に対して)
1982年 伊奈信男賞(写真展「ドキュメント二人展」で、英 伸三氏とともに)
2003年 韓国で東江賞受賞
2006年 さがみはら賞受賞
[主な写真展]
1962年 個展「水俣病」 (東京/富士フォトサロン)
1966年 個展「韓国 民族分析の悲劇」 (東京/富士フォトサロン)
1979年 個展「ベトナム」 (東京/銀座ニコンサロン)
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2002年 「激動の韓国」 (韓国/プレスセンター)
2003年 「イムジンガン−垣間見た北朝鮮」 (東京/銀座ニコンサロン)
2006年 「水俣の肖像―公式確認半世紀の節目―」 (東京/銀座ニコンサロン)
2007年 「桑原史成報道写真展」(横浜/桐蔭学園メモリアルアカデミウム)
*2004年 津和野現代フォトギャラリーが「桑原史成写真美術館」に名称変更
【主な著書】
・写真集「水俣病」 (1965年/三一書房)
・写真集「水俣病1960〜1970」 (1970年/朝日新聞社)
・「桑原史成写真全集 第2巻」 (1998年/草の根出版会)
・「イムジンガー―垣間見た北朝鮮」 (2003年/草の根出版会)
………など多数 |
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