私にとっては毎日が大げさに言えば闘病しているようなものかもしれない。
先日、四週間毎の内科外来で先生に話したことは、
「回復するプロセスでは些細な変化もしっかり感じることが出来て、よくなっているよくなっていると歓喜するけど、悪くなっているのではないかと言う感じはキャッチしにくいですね」
「そうだね」
「最近、少し頭痛を感じることもあって、再発の予兆かしらと思うけど不安という程のものでもないかなとも思いますが」
定期的に診察を受けているし、自称優良患者はいつだって正直に具合を話しているつもりだから、
(なら検査をしてみようか)と先生の方から言ってくれるものと思っている。

「発症の時にMRIをとって以後は全く検査はやってないです、二年以上ですかね」
「心配だったらMRIとって見る?お金掛かるけど」
「いや、先生が特にその必要は今のところ無いんじゃないかというのならいいです、またにします」

私A型だから大切なことはめっちゃ几帳面にするところありで、日々の生活は患者として過ごしている。療養という言葉が服着て身体を動かしていると言って過言でない。家族はそのわがままにあきれるだけ。すべてが『再発防止』と葵の御紋、いや合田家はカタバミだったか印籠を示しふんぞり返っている。
土日は半日ボランティア水曜日は丸亀へ伯母
のお見舞いに。(そんなに動いて大丈夫?)
自分としては体力気力の範囲内でしているつもり。
行動した翌日は休養したいと印籠に変身。
当然しわ寄せは家族に行きます。

「よその心配もエエけど家の心配は?」
「ヘッ、皆健康ジャン、今日は疲れた」
と答え、家事は大儀なのに家具を一人で位置換えしたりしてストレスを残さないように努めている。

伯母の見舞いのことは後記していますが、現在肺炎を起こしCCU室に入院中です。
何もしてあげられない、ただ枕元で筆談やら耳元で短く話し、伯母はうなづいたり首を振るだけのこと。
健康なときの私なら、やってられないと不足タラタラだが、
今の私はそんなことで役に立つことがうれしくて、生きている価値を実感できる瞬間なのです
衰えつつも生きる伯母から教わっていることの何かが
、後になって分かるのでしょう。

脳梗塞に限らず、発病以後さまざまに苦しんでいる方、
生きるって自分自身から始まっていることを再認識してください。
周りに助けられながらだからこそ、発信基地は自分であることを肝に銘じて情報を発しまくったらいい。
中継基地や受信者がいっぱいいることを知り、元気が出ます。

出かけることが今の私にとっての心の開放の手段です。こもりがちな人、
とりあえずケータイ持ってメールでもしてみたら?。
80歳からメールを始めた大阪の叔母から最新機器を使う楽しさを教えてもらうなんて、アー私って遅れてました。今からでも遅くは無いぞとケータイを新機種に替え、丸亀で伯母の表情を写し大阪へ送信。【元気そうで安心した、見入っていたら魚を焦がしてパーです】の返信が程なく届いた。

   闘病中の方、自分っぽくがんばって。
    周りの方、ご理解とご協力をなにとぞよろしくお願い申し上げます。


                                                       お見舞いへ

闘病記といえるかな