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ヤマコウのパチンコ・ミニバブルのお話


平成7年の年末に、それまで勤めていた小さな電気部品製造会社を退職しました。
別に仕事が嫌だった訳では無いんですが、製造拠点を中国に移していて、そこの製造担当をやって欲しいと言われました。
何年後に戻ってこれるか判らない状態でしたので、自分なりに考えて中国へ赴任するのは、断りました。
必然的に、業務命令無視と言う事で退職...

仕事を探している時に、友人からショッキングな事を言われました。
「お前は雇用促進住宅に住んでいるよな〜。俺の友達も同じ所に住んでいて、無職になったら管理人から、出て行ってくれと言われて、出て行ったよ」

何で!!
理由はすぐに判明。当時私の住んでいた団地は「雇用促進住宅」といって雇用保険を払っている、サラリーマンの仮の宿と言う団地だったのです。
入居の申し込みも、職安(今はハローワークでしたっけ)に行って申し込んだ記憶が甦りました。
無職となった今、雇用保険を払うどころか、もらう立場にいる私に出て行けと言うのは、当たり前の事でした。
今出て行く訳にはいかず、勤めている振りを余儀なくされました。月曜から金曜まで朝8時に家を出て、5時半に帰ってくる生活が始まり、これが辛かった〜。

「何をして時間を潰そう?」
田舎ですので、時間を潰す手段は何もありません。
「パチンコでもやるか〜」と思い、パチンコ屋に入ってビックリ。学生の頃やっていたヒコーキ台なんて影も形もありません。
デジパチ全盛期で、ちょっとやってみましたがみるみるうちにお金がパチンコ台に吸い込まれていきます
しかし、一台の名機にめぐり合いました。
「フィーバークィーン」保留玉連チャンに加えて、そのアクションが気に入り、ラッキーナンバー制でしたが
比較的条件が良い店を探し、再就職するまでの半年で、トータル5万程儲かりました。(少ないって(^^ゞ)

再就職しても土日は、パチンコに通いましたがさすがに土日は客が入り、いい台は取られてしまいますので、なかなか勝てず半年で儲けた5万が底をついた時に、きっぱりと止めました。
しかし、この時にデジパチというパチンコを覚えました。

再就職したのは、いいのですが何分にも給料が安くて生活していけず、2年後に三交代勤務の現在の
職に、転職しました。
今度は平日休暇が多く、「暇だな〜パチンコ屋でも行って見るか」と、条件の良いパチンコ屋探しをしていたところ、ありました、ありました。開店9時から1時間で大当たりを引くと、以後のプレイは持ち玉が無くなっても無制限と言う店を探し当てました。
格好の条件です。ラッキーナンバー制でのボーダーギリギリの釘でも、一時間で大当たりを引いて無制限に、してしまえば楽々ボーダーは越えます。
案の定、無制限を引けば、勝つ確立が格段に上がり、パチンコ貯金もどんどん増えて行きました。

打ったのは、もっぱら現金機。CR機全盛でしたが、せっかく大当たりを引いても単発では、うれしさが
半減し、大当たりの時の喜びが無くなるような気がしたからです。
それに大当たり確立が1/300を越えると当たる気がせず、又、カードで玉を買う事に抵抗がありました。
ひたすら、じみーな現金機を打っていました。

今度は前のように朝一番から夕方まで粘る必要はなかったので、勝ちに拘るパチンコを打つようになりました。
わたしは釘が読めませんので五百円毎に何回デジタルが回るかを、その台を打つ間ずーっと数え続けて、毎日毎日データとして残しました。大変な作業ですよ〜。
田舎ですから、釘は毎日変える訳では有りませんので、回りの良い台を見つければ一週間はそのままの状態でした。

自分なりの掟を決めてパチンコを打つようになりました。

○9時から10時の間に大当たりが引けなかったら、すぐ止める。
○常に今いくら勝っているのか、負けているのかを把握しておく。
○1日の勝ちの目標を1万5千円に定める。
○目標を超えたら、確立分だけデジタルを回し、当たらなければやめる。
○常に回転数を数え、データとして残しておく。
○何回転で大あたりになったか、全て記録し、ハマリの予想をたてる。
○パチンコの財布は別にして、15万は資金として残す。20万になったら好きな物に5万を使う。

これらの事を実行し、まるで機械のように回転数を数え、記録を取り、
「いかにその日の最高の儲けの時に止めるか」を心掛けてパチンコを打ち続けたところ、
平均月5万を勝ち続けました。

こうなったら、セレナにどんどんパチンコで勝ったお金をつぎ込み始めます。
ディーラーでのやり取りはこんな感じ

私 「工場長、ニスモのマフラー 57,300円だったよね。税込み5万にならない?」
工 「ニスモはちょっと負けられないんですよ〜」
私 「じゃあこの5万、明日パチンコで使っちゃおー。どうせパチンコで勝ったお金だし。」
工 「ちょっと待って下さい。店長と相談してきます。」
工 「5万でやります。」
私 「じゃあ5万先払いね。月末だから売り上げに協力しますよ〜。持ってても使っちゃうし。」
工 「ありがとうございます。」
一事が万事この調子でした。

しかし、そう良い事は続きませんでした。
都会で流行りだした、高換金率・全台無制限・持ち玉移動可の波が田舎へも押し寄せ、どの店もボーダーラインを下回って勝てなくなり、私のパチンコ・ミニバブルは、2年で終わりを告げました。

きっぱりとパチンコを止めた後、随分の間、葛藤と戦いました。
「まだ、パチンコが続けられれば欲しい物が買えるのに...」
その葛藤と、別れを告げるのに半年掛かりました。

いまでは、クワ貧乏なオヤジになっています。
たま〜に思うんですよね。
「あの時中国に行っていたら、ホーペを現地で採取できたかな?」   甘いか...


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