10.28制作 コラムNO.1



佐山さん。
 佐山聡。
 このホームページにはこれからも多く登場するであろう人間である。80年代にはタイガーマスクとして全国のチビッコから大人までを熱狂の渦に叩き込み、猪木以上にテレビの視聴率を上げ続けた。そんなタイガーマスクを突然「生き恥」と断じ、前田日明、藤原喜明らとともに新興団体UWFにおける格闘技としてのプロレス構築にまい進、画期的な、格闘技として体系化されたルールを施行するものの前田達がさすがに現段階での完全格闘技移行に尻込みし(どちらかというと誰にも相談せずにルールを決める佐山に不満を持ち始めたんでは?)、UWFから撤退。親日引退後に設立していた道場「スーパータイガージム」を拠点に新格闘技シューティング(修斗)を設立、アマチュアを底辺とした打・投・極による完全な「総合格闘技」を設立するべくプロ化への道を模索していく。
 が、93年のアルティメットの誕生、94年のヒクソン・グレイシーの招聘が彼の予定を狂わす。開催した「バーリトゥード・ジャパン94」で修斗勢はことごとくヒクソンに惨敗、それ以前に単なるアメリカのよくわからないような選手にすら負けてしまう有り様となる。佐山は変節的で、昨日やってたことは間違いでした、と平気でいえる人間。アッサリこれまでの修斗の技術体系に柔術を組み込もうとするも、シューティングの中からはそんな佐山に付いていけなくなる人間が増えてくる。結局はUWF時代と同じく、96年には佐山の居場所は修斗にはなくなっていた。功労者としての席すらないような状態であった。佐山は引退後により格闘技に近いプロレスを設立しようとするアントニオ猪木と再会、あの伝説のUFO設立に関わり、小川直也を指導することになる。
 だが思った通りで、佐山は金儲け大好きでだんだんUFOを気にしなくなって来た猪木と対立、単身飛び出した彼は今度こそ独自の考えによる、最先端の格闘技として「掣圏道」を開始、2003年に「本掣圏道」として完成………となっている。

 いやはや、彼の人生とは作っては壊し作っては壊しの繰り返しである。80年代に「ケーフェイ」なんて本を作ってプロレスを批判しまくり、新日本に出稼ぎに出れば「芝居をやってきました」と言い放つ(まあ、実際そのとき佐山がやったのはエキシビジョンですが)ほどのプロレス嫌いになっていた。しかし、変節は彼の得意とする所。90年代末から自分で「布キレ」と言い放った虎のマスクをつけるようになる。すでにUWFを離脱して以来競技者としては、何故かは知らないがリタイア状態であった佐山。すっかり贅肉のついたボディは、だがしかし不思議なまでに当時と同じくらい動けたものであった。
 今でも、佐山のタイガーマスク時代のビデオは鮮烈な驚きとなって目に映る。まるでゴムマリのようにポンポン跳ねるのだ。そして鋭い蹴りとスープレックス。関節技が本格化してくるのは、UWFでのスーパータイガー時代からであるが、当時から彼の放つオーラは、既存のどのレスラーとも違うものであった。事実、プロレスを知らない人に見せるものとして、タイガーマスクのビデオほど適したものは無い。ボクの友人は「誰だ、コイツ。すげぇ」と言っていた。もうプロレスファントしてはしてやったり、である。
 格闘技としての視点で見れば、もっとすごいのがスーパータイガーになるのであろう。UWF時代の彼と藤原との試合はビビっちゃうほどの刺激に満ちていた。普通のプロレス空間には無いもの。それを求めていたファンのニーズに、あの瞬間佐山は確かに応えたのだ。如何せん、UWF自体を理解してから見ないとツラいものがあるのだが。
 今年佐山が“あの”トラのコスチュームで復活した。あの甘味王がジュニア時代にまで減量できるものだろうか。それ以前に50近いんじゃなかったか? と思ってしまったが、試合経過を読む限り、やはり佐山は常人には及ばない所にいるのだろう。
 UFOを辞めたあたりから、行ってることが思想的というか右翼的というか。「暴走族は撃ち殺せ!」とおっしゃって選挙にも出た虎。彼のやることはいつも人の度肝を抜くものである。というか、ハズレが無いのだ。何かしらツボを点いたことをやってくれる。そうなのだ、彼は面白い。だから言ってることも、やってることも見たくなってしまうのだ。しかしボクには佐山を見に東京まで行く余裕は無い。あ〜、北海道までは来れないのか! 金がないから。ぜひとも完全に引退する前に、ナマで動く彼を見ておきたいのだ。ここは一つ、全日本よ頑張っておくれ。



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