2004.1.20より



NO.15:LAUGHIN’ NOSE 『LAUGHIN’COMPLETE AA TRACKS
        
 DREAM DISC                            HAPPY DISC
1.A BOMB WILL NEVER DIE(LIVE)  1.(YOU’RE)PARADISE
2.NO WAR(LIVE)                 2.PISS’ EN ASS
3.GET THE GLORY               3.OUT OF MONEY
4.PERDITION                    4.DRINK AND DRUNK
5.DEATH TRAP                  5.PANTIE&COWS
6.RUSSIAN ROULETTE            6.PUSSY FOR SALE
7.NO WAR(LIVE)                 7.GIMMIE JOB
8.HOW TO KILL(LIVE)             8.SO FAT
9.SATISFACTION                  9.LASTIN’ MEMORY
10.I CAN’T TRUST A WOMAN      10.I CAN’T TRUST A WOMAN
11.SCENE DEATH                11.GET THE GLORY
12.M.O.J(LIVE)                 12.戦争反対
13.DEADLY ORDER(LIVE)          13.HELL HOME
14.DISTORT IN YOUR MIND(LIVE)   14.WHEN THE LAUGHIN’NOSE GO
                                               MARCHIN’ INN!
                               15.TEENAGER
                               16.NEVER TRUST WOMEN
                               17.NO WAR
                               18.COULD BE SO LONELY
                               19.WHEN THE L・NOSE GO 
                                               MARCHIN’ INN
                               20.TAKE YOUR SITUATION
                               21.VIVA LA REVOLUTION(LIVE)
 というわけで新年1発目、ってもう月末に入ろうかという時期ですが。考えれば考えるほど、サイトなり団体の責任者なりやってると二重生活を送るのは苦しいばかり。たとえそれが実家であってもです。もう、年末に帰らなければ、あのこともそのことも早めに処理できたのに! と悔やむばかりです。もう今年からは帰らん。邪魔ですね、もう。
 今年の最初は“ラフィン・ノーズ”から。曲名からもわかる通り、生粋のハードコア・パンク・バンドです。結成は81年、大阪でボーカルのチャーミーを中心としてでしたが、本格的な活動は83年にベースのポンが加入してから。同年にインディーズレーベル「AAレコード」を設立、そこから出したEP『ゲット・ザ・グローリー』がヒット、続いてオムニバス『ハードコア不法集会』、メジャーからでた『グレート・パンク・ヒッツ』といった盤で一気に知名度を全国的に広げることになります。85年におこったインディーズブームの中、ラフィンは一番に活躍、同時に名前を上げていた“ウィラード”“有頂天”らと並んで「インディーズ御三家」なんてイカさない名前を貰って呼ばれたりしていました。彼らの目標はインディーズという、メジャーの世界には囚われない部分から音楽業界を変化させていくこと。もっと商業的な視点に囚われない、自由な角度からの音楽作りができる世界を構築していくために、彼らは寄り集まってブームを形成していたのかもしれません。
 事実、その力はメジャーを超えるほどにまで迫り、ラフィンは新宿アルタ前で無料ソノシートばら撒きを決行、インディーズ史に残る1000人近い人数を集めて大成功に終わらせました。当時のアルタ前が『笑っていいとも』のヒットで一躍人気スポットになったとは言え、この数字は驚異的。その後も3000人以上収容の日比谷野外音楽堂でワンマンライブを成功、そのまま鳴り物入りでのメジャーデビュー、と絵に描いたような人気路線を貫いていったのでした。
 これはほぼボーカルにしてバンドのプロデユーサーでもあったチャーミーによる「カンと仕掛け」によるものでした。「この熱が一過性で終わってしまう前に、なんとしてもメジャーのフィールドに出て、その場所を変えていきたい」という考えが当時のチャーミーならずとも、大半のインディーズで実力を持ったバンドの考えでした。インディーズの理論で持って、メジャーを変化させていくこと。しかしその考えはメジャー自体がその時点で変質していたことから転換を余儀なくされていきます。メジャーの音楽シーン自体が、インディーズのブームに目をつけ、兎にも角にも「バンドとロック」で一括りにしてしまったためです。『宝島』の言う「一億総ロック化」の時代でした。バンドブームの初期段階、と呼ぶこともできます。つまりは彼らが持ち込もうとした「インディーズ」という考え方はメジャーに対しての絶対的な違いではなくて、相対的な差異でしかなくなっていたことです。メジャーは上であり、インディーズは下。それも絶対的ではなく、ただそういう位置付けがされてあるだけにしか過ぎませんでした。そういう考え方がされていた、とも言えます。この頃から音楽業界ではメジャーとインディーズの明確な敷居は無くなってきており、ある程度の実績を出せばインディーズのバンドも容易くメジャーデビューできるようになっていきました。それは本来、反体制であったはずの「ロックバンド」が商業体系に組み込まれた瞬間かもしれません。以後、バンドブームの中でロックは形骸化の一方を辿っていきます。少なくとも表層上は。

 で、“ラフィン・ノーズ”の彼らは“ザ・ブルーハーツ”よりも前にパンクをもっと“ポップに”聴かせてくれたバンドであります。彼らがいなくては、後にビートパンク系列のバンドは世に出てヒットすることは無かったかもしれません。シンプルでハードでありながらも充分にポップ性を内包している。ラフィンはそういった音を目指していき、それはファンにも後に続くフォロワー達にも伝わっていきましたが、1987年日比谷野音でのライブでファンが将棋倒しになる死亡事故が発生、彼らはラフィンは遂に一瞬よりも長い時代には選ばれませんでした。
 このCDは“ラフィン・ノーズ”がインディーズのAAレコードで発売した全曲を収録、まだまだハードコアの面が強かった彼らの音を聴くことが出来ます。ケース裏のチャーミーの髪型もハンパではありません。バクチク現象。曲も「DREAM DISC」がライブテイクや未発表のボーナストラックを数多く収録。歌詞カードがいきなり10曲近く「聞き取り不能」の一言で済まされていることにド肝を抜かされます。「HAPPY DISC」はインディーズでの名盤『プッシー・フォー・セール』を中心にしたメジャーデビュー寸前のもの。ポップさがにじみ出ています。ライブでガーゼシャツに皮ジャンで「ゲット・ザ・グローリー」を唱和した30後半から40代のロックな人もいたハズ。名曲です。他にも「パラダイス」「アイ・キャン・トラスト・ア・ウーマン」なども聴き応えがあります。ほぼ英詩ですが、“ラフィン・ノーズ”の音源で一番手軽に手に入るのがコレだったりします。レンタル屋に行けばメジャー時のラフィンのCDがあるかもしれません。1st『ラフィン・ノーズ』も名盤ですので、是非一聴。その中でボクのオススメはラストを飾る「フォーリン・フォーリン・イントゥー・ユア・ハート」。泣かせるバラードです。ベストにも入ってるので、ハードコア好きは一回聴いてみてくださいな。


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