Coffee Break


Coffee Break NO.18/7月30日fri

          「危機に立つ国家」

 表題の言葉は既にご存知の方も多いと思いますが、1980年代のレーガン政権はこの報告書をスタートとして教育改革に取り組みました。当時ベストセラーになった「読み聞かせ」ジム・トレリース著を読んでいたら、「世界中で日本ほど印刷された言葉を大切にする国はないが、その日本の父母の大多数はいまも子どもたちに読み聞かせをしている」と記されていました。「そうだったのか、そう見られていたのか」なんて思いました。今は大多数でしょうか?心配です。「おかげで子供たちは1900もの文字をマスターし、識字率は99パーセントと・・」と続きます。確かに識字率はキープしているとしても、これは一体いつの時代の日本だろうとまで思ってしまいます。そのようなよき時代があったのでしょうね。
 しかしその名残であるかどうかは分かりませんが、今も絵本大好きな子供たちになって欲しいと願って、わが子と読み聞かせを楽しんでいる親御さんがたくさんいらっしゃいます。

 草の根かもしれませんが、家庭での読み聞かせが日本のカルチャーに育つように、コツコツやっていきたいものです。




Coffee Break NO.17 /7月23日fri

        「父親の読み聞かせ」

 先日、ある若いご夫婦とお話をしました。ご家庭ではお子さん方とのスキンシップを大切にしていらっしゃって、休日はお父さんが子守りの主役だそうです。素敵なだなあと感心していたら、休日の「読み聞かせは父親がやる」のだということをお聞きして、二度感心。そこで「父親の読み聞かせ」つながりで映画「アイ・アム・サム(I am Sam)」のことを思い出し、その映画の話を父親にしました。もちろん、このお父さんとサムは知能も状況も全く違うのですが。

ストーリーは・・・7歳程度の知能しか持たない知的障害者のサムが、ある日突然父親になります。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、サムはその子の命の美しさにうっとりしていました。そのとき看護婦さんに名前を聞かれ、「ルーシー・スカイ・ウィズ・イン・ザ・ダイヤモンド」というビートルズの曲を思い浮かべ、「ルーシー・ダイヤモンド・ドーソン」と咄嗟に答えます。サムはビートルズおたくだったのです。

 さてさてルーシーの母親はというと出産後に逃げてしまい、サムの子育て奮闘記の始まりとなります。教育については、サムは自分の大好きな「I am Sam」という台詞が登場する絵本を毎日読み聞かせします。ルーシーが小学校に入ると教科書も読んであげます。ところがルーシーの知能がサムの知能を超えるときが来ます。ルーシーは自分が父親を超えることの恐れから、急に勉強をするのを拒みます。するとサムは「僕はルーシーが勉強するのが嬉しいんだよ」と諭し(?)ます。ここには読みかせの本質もあります。親自身が楽しんで絵本を読むこと、子どもに読んでもらうことを親が嬉しいと思うこと、そして何よりもスキンシップ。サムにはそれが人一倍あります。知的障害の父親が、我が子ルーシーを、思いやりに溢れ、父親を愛する子、そして同時に賢い子に育てる。健常な両親に欠けつつあるもの、社会が失いつつあるものを身をもって教えてくれるサムです。さて、ドラマは徐々に波乱に満ちた展開になりますが、後はご覧になってのお楽しみ。2年前の映画です。ビデオはお勧めです。



Coffee Break NO.16/7月16日fri

          「夾竹桃」(きょうちくとう)

 子供たちももう直ぐ夏休みです。この時期になると気になる街路樹があります。夾竹桃(きょうちくとう)です。先日訪れた平塚市でも中郡の二宮でも白やピンクの花が盛りとなっていました。観賞される花というより、暑さを醸し出す花という印象です。元々インド生まれの夏の花だから暑さを連想するのは当然ですが、同時に私には「不死鳥」や「再生」という連想も働きます。
 ・・・ 再生、広島の廃墟からの。目も眩む閃光に、命の陰が地面に貼りついたあの出来事、広島の原爆です。一瞬にしてあらゆる生命を溶かしてしまって、もう広島には草花は永遠に生えないだろうとさえ言われました。ところが不死鳥のように蘇った花がありました。それが夾竹桃だったのです。この生命力の強さに因んで、夾竹桃は広島市の市の花に指定されているそうです。・・・夾竹桃の花の一つひとつが原爆で亡くなった人々からの平和のメッセージと受け取り、この花を眺めます。また、この木には毒がありますが、それは原爆の痛みを表しているのでしょうか。外を歩いていて夾竹桃を見るとついそんなことを思います。毎年この時期、暑さと夾竹桃と生命の重みを感じます。



                                     
Coffee Break NO.16/7月 9日fri

          「てんてこ舞い」

 知り合いからのメールに、このところ夏の仕事や家事で「てんてこ舞い」していました、というような内容のことが書いてありました。「てんてこ舞い」とは日常的に使いますが、よく考えてみると面白い語感だなあと思い、「てんてこ舞い」を調べてみました。

  「てんてこ舞い」とは
     「てんてこ」は里神楽などの太鼓の音のこと。
     その音に合わせた舞の意。
     休む暇もなく、忙しく動き回ること。

  と辞書にありました。

 なるほど、てんてんつくてんてん♪と・・テンポの速い和太鼓の音が聴こえてきそうです。軽快な印象もあります。メールを下さった方は、そう言えば仕事も家事もいつも軽快なフットワークで楽しそうです。
 ところで他の知人に「「『てんてこまい』ってどんな『まい』?」って尋ねたら、「おいしそうじゃないなあ」って(?)冗談で答えた人がいました。「てんてこ米はまずい」と。米と舞が違うってば。



Coffee Break NO.16/7月 2日fri

           「七夕祭り」

 「平塚は七夕祭りがスゴイよ」と知人から聞きました。「湘南平塚七夕祭り」、昨日から始まりましたが、ホント盛大でした。織姫も牽牛もたくさんのサポーターがいて、心強いでしょう。


 天の川に隔てられた牽牛星と織女星が年に1度きり、逢瀬を許されるというなんとも過酷でロマンチックで壮大な話は、中国発祥の星辰伝説を元にしていますが、今でも中国人は天の川を見て感動しているのでしょうか。
 ところで織姫というと先日行きました栃木県の足利市を思い出します。足利学校で有名であるとともに「織姫神社」でも有名なところです。足利で「織姫」というと、色んなサークルや団体、お稽古事の会などに、その名前が使われています。「おりひめ子育てサークル」というように。「織姫」はそれほどポピュラーで今でもたくさんの織姫がいるのです。足利市は奈良時代(1300年前)から織物が盛んになり、もともとあった土地の信仰と星辰伝説が結びついて、そこに織姫信仰が生まれたそうです。
 足利市のように織物の町にまで発展しなくても、日本のいたるところで織物は行なわれていましたので、織姫信仰が日本全国の庶民の祭りとして定着したとしても不思議ではありませんね。

 短冊の風習は、おそらく貴族たちが短冊に歌などを詠んで遊んでいたのが始まりでしょう。そこに願い事を書くようになったのは至って庶民的で楽しい日本人的な発想ですね。

私も願い事は大好きです。タナボタ、果報は寝て待てというのは一層大好きです。
 今宵はタナボタではなくて、日ごろから願っていること、「読み聞かせが日本のカルチャーに育ちますように♪」とお願いしましょう。