Coffee Break
| Coffee Break NO.25 /9月24日fri. 「千の風になって」 絵本「千の風になって」(作・新井満、絵・佐竹美保/理論社)に出会いました。先般(9/12)行ったあるシャンソンの発表会で「千の風になって」の歌を聴き、その数日後、ある著名な絵本の「読み聞かせ」活動家がこの絵本を9月の「ベストチョイス」として紹介した文章を眼にし、この二度の切っ掛けで、「千の風になって」に誘われて、絵本を手にとってみたのです。 絵本の冒頭には作者不詳の詩「千の風になって」に纏わる出来事が紹介されていました。2002年9月11日のグランド・ゼロの追悼集会で11歳のお嬢さんが朗読したこと、1995年IRAのテロで亡くなった青年が書き残した手紙からこの詩が出てきたこと、1987年マリリン・モンローの25回忌で朗読されたこと、1977年著名な映画監督の葬儀でジョン・ウェインが朗読したこと。 愛する人の死を悼む詩として、長い年月を経て朗読され続けてきたのでしょう。 詩は、以下のものです。 作者不詳の詩「千の風になって」 私のお墓の前で/泣かないでください/ そこに私はいません/眠ってなんかいません/ 千の風になって/あの大きな空を吹き渡っています ・・(中略)・・ (和訳が分からない人のために原作を) I am a thousand winds Do not stand at my grave and weep; I am not there, I do not sleep. I am a thousand winds that blow. I am the diamond glints on snow. I am the sunlight on ripend grain. I am the gentle autumn's rain. When you awaken in the morning's hush, I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circled flight. I am the soft stars that shine at night. Do not stand at my grave and cry; I am not there, I did not die. この詩がいつ誰によって詠まれたのかは今だに分かっていません。だれが書いたのか分からないままに読み継がれている詩だから、それゆえ、あたかも天からの授かりものであるかのように、多くの人の心に留まっているのでしょう。絵本「千の風になって」は、この詩の生い立ちに纏わる寓話を描いたものです。新井満さんの想像したフィクションです。先に旅立ちし女性が、後に残される夫に贈った言葉として、そして逝くもの、残されるもの、その両者に希望を与えるものとして、この詩が描かれています。 愛する人との死別は、悲嘆に暮れる今日という日を私たちに与えますが、明日という日を連れ去ってしまいます。一緒に過ごした過去も二度と戻ってきません。そんなどうしようもない想いの中に佇んでいる心に、この詩は優しく語りかけてくれます。自然の息吹きとともに煌きながら、時を越えて、私はここにいますと。 |
| Coffee Break NO.24 /9月17日fri. 「彼岸花」 夏と秋と 行きかふそらの 通路(かよいぢ)は かたへすゞしき 風やふくらん みつね 来週20日はお彼岸の入り。もうすぐ曼珠沙華も花盛りでしょう。彼岸花とはよく言ったもので、お彼岸を待って一斉に咲くように私には思えます。昼と夜の長さが一緒になるから、それとも真東に日の出を見て、真西に日の入りを見るから?きっと日照時間を読み取って開花の時期を決めるプログラムがセットしてあるのでしょう。開花の時機を逃さないようにDNAの中のメモリーが、幾世代も何千年も連綿として継承されていると考えると、自然の摂理の精緻さに畏敬の念すら覚えます。だれが最初の仕組みをつくったのかと。やっぱりお釈迦様かな。 子供たちのDNAに書き込まれた学びの欲求も、時期を逃さず咲かせたいものです。神のお遣いではないけれど、子供たちの成長に小さな奇跡を創出していきたいと思います。くれぐれもDNAにセットされたプログラムのメモリーを壊さないように、楽しさに配慮して、親子の読み聞かせを広げていきたいものです。 ところで、お彼岸というと、食いしん坊のYumeの締めくくりは、やっぱり「おはぎ」。秋分は「おはぎ」で春分は「ぼたもち」です。秋は「萩」、春は「ぼたん」ですからね。漉し餡か潰し餡かというと、年齢を加えるに伴い、漉し餡の微妙な味を求めるようになりました。皆さんはどちらでしょうか・・・。 |
| Coffee Break NO.23/9月10日fri. 「写楽」 「枕とは、もともと『魂倉』(たまくら)と言って、魂を納める倉だった。人の魂は、夜になると使い慣れた枕に戻ってやすらぐのじゃ。」「だから夢の中に真の自分が現れるのじゃ」と夢占い師の月照さんは言いました。これは先日観に行った「写楽」というお芝居の一シーンです。昔から夢判断みたいなものがあったのですね。 演じたのは劇団Donden。この劇団の公演は年に一度、夏に一回きり。今年は「写楽」。これまでにも素晴らしい劇を上演されました。昨年は「左甚五郎」で「足利市生涯学習奨励賞」を受賞されたようです。今年の「写楽」も役者さんと言い、脚本と言い、「うーーん」と唸ってしまうほど見事でした。 写楽と言えば「役者絵」で有名です。歌舞伎役者は一瞬の表情の中に存在の全てを写し出します。その役者の姿をデフォルメして筆で捉えた写楽の絵は、江戸時代の人々に大きな衝撃を与えたようです。一度見たら忘れられない、今にも台詞が聴こえて来そうな役者絵として、一瞬にして多くのファンを作ってしまいました。 今回のお芝居では、江戸庶民の姿と同時に、名声に溺れて退廃しつつあった喜多川歌麿、描くことに純粋に取組んだ写楽、写楽の影響を受けて当にこれから羽ばたこうとしている若者の葛飾北斎も登場しました。浮世絵を知らない人も、知っている人なら更に楽しめるお芝居でした。3人の浮世絵師の姿は、過去と現在と未来の夢が重ね合わされているようでした。昨年の「左甚五郎」と言い、この劇団のお芝居は私たちに「夢」を伝えてくれます。 「起きているときに見る夢がある。その夢が人の未来を拓く」と最初に紹介した月照さんは語っていました。まさにそれと同じことばを子供たちに語りつづける大人でありたい、そう思いました。 |
|
Coffee Break NO.22/9月3日fri. |