Coffee Break


Coffee Break NO.29 /10月29日fri. 
        
      「おつきさま こんばんは」 

  一昨日、満月が雲ひとつ無い空に綺麗に輝いていました。今宵あたりは少し陰って、雲もかかるかもしれませんが、まん丸じゃないお月様もとても良いものです。
 お月様に雲がかかる場面が好きという面白いお話を、先日の都内での子育てサークルで聴きました。0歳から1歳児に大人気の絵本「おつきさまこんばんは」は、お月様の笑顔や舌を出しているシーンが多くの子に好まれているのですが、そのサークルのある1歳半のお子さんは「雲が月をかくしてしまうシーン」と「雲が月の前を去るときに言う台詞『ごめん、ごめん、ちょっと おつきさまとお話していたんだ』」が大のお気に入りなのだそうです。雲に隠れているときに「お月様はどんな顔をしているのかな」などと色々楽しい想像をしているのでしょうね。このお子さん、本物の月も大好きになったそうですよ。
 「おつきさまこんばんは」が日本人の美意識を育てる絵本であるなどとは思いませんが、子供たちが様々な発見をしてくれているのが面白いですね。まさに、想像力を掻き立てる絵本ということなのでしょう。
 「花はさかりに 月はくまなくをのみ 見るものかは」と兼好法師も教えています。「満開の花、陰りがない満月ばかりが見所があるというわけではないですよ」、「完璧で非の打ちどころがないものよりも、少し陰りがある方がむしろ味わい深いものですよ」ということなのでしょう。目に映るもの以上のものが心の中に生じる、なんて素敵で遊び心に満ちた日本人の美意識なのでしょうか。日本人の美意識ってつくづく繊細だと感心します。さて、今夜もお月様を眺めてみましょうか。
 



Coffee Break NO.28 /10月22日fri. 
        
            「Amy♪」 

 「エイミー」に再会しました。・・と言っても映画のエイミーです。DVDを見つけたのです。7歳の少女が歌うエイミーの主題歌を聴いたことがある人もいらっしゃるでしょう。そう、以前TVのCMにも使われていたのですから。
 ストーリーはこうです。・・・人気ロック・スターの父がコンサートのときにエイミーの目の前で感電死しました。幼いエイミーは自分のせいでその事故が起こったと思い込んでしまいます。彼女はそのショックで口もきけず、耳も聞こえなくなってしまいます。しばらくして福祉局の役人がエイミーを聾唖者の施設に入れようとします。母親は普通学級に行かせることを主張しますが、その主張は通りません。母親は逃げるように娘を連れて町を出ます。
 親子はメルボルンの下町で生活を始めながら、母親はエイミーを色んな心理学者に看てもらうのですが、エイミーの症状は一向に変わりません。ところがあるとき、隣人の売れないミュージシャンが歌っていると、エイミーがその歌に反応するのです。「歌詞が分かっているのかもしれない」と彼は思います。そう、エイミーは歌詞が聞き取れて、歌を歌う事で意思表示することができたのです。歌でコミュニケーションがとれるようになるのです。
 ストーリーは展開し、ラストシーンでは、エイミーは父親の事故が自分のせいではないことを確信し、そのときトラウマから解き放たれ、普通に会話できる少女になって映画はハッピーエンドとなります。
 歌でコミュニケーションを取るシーンがたくさん出てきますので、ちょっとしたミュージカルみたいで楽しいです。それに子役のアラーナちゃんの歌、ちょっとブルースタッチでずば抜けて上手で、つい聞き惚れます。
 ところで「ミュージック・セラピー」はご存知ですか?事故などで負った心身の障害を音楽で回復させるというものです。エイミーはフィクションですが、実際には失語症などの障害を歌で治したという事例を報告しているミュージックセラピーの協会もあり、その協会もエイミーの映画を音楽セラピー効果の映画として評価しています。
 
 幼子が歌う「童謡」や「わらべうた」も音楽セラピーの要素があるかも知れません。もしかしたら将来、医療の分野で証明される日が訪れるかもしれませんね。童謡をたくさん歌い覚えている幼児の大半は賢く育っているということが分かっています。言葉がメロディーにのって自然に記憶されるからでしょうか。また、わが子に童謡を歌って聞かせる時の親御さんの表情は穏やかで柔和です。当に親子が優しい時を共有しているのですから、セラピー効果もあれば知的な成長も促されるというものでしょう。子供たちの童謡で満ち溢れる国にしたいもの、なんてことをDVDを見ながら思ったのでした。



Coffee Break NO.27 /10月11日mon. 
        
            「金木犀」 

 台風のあと、金木犀が風の吹き溜まりに散らばっていました。今年は甘い香りを嗅ぐこともないのかなあ。
 昨年、金木犀が香り始めるころ、鼻風邪を引いたことを思い出しました。散り始めた金木犀に、風邪が治るまで待ってて!と鼻水を流しながらお願いしたのでした。鼻水の記憶に結びついている金木犀の香りです。香りが記憶を呼び覚ます、これをプルースト効果と言うそうで、プルーストの「失われた時を求めて」にあるそうな。秋の代表的な芳香なのに、悲しいかな私の連想は鼻水とは。これでは金木犀にもプルーストにも申し訳ない。
 
 金木犀が散ると散らかってしまうと言う人もいるけど、私は散っている瞬間も好きです。潅木の中をそっと伺うと、金木犀は秋風に揺れて、花ごと落ちています。スルスル、カサカサと微かに音を立てて、葉っぱの滑り台で遊んでいる小人みたいに落ちていきます。飛翔することはないけれど、落下しながらも、最後まで生を楽しんでいるようです。こうして金木犀は独特の秋の寓話を披露してくれます。
 今年は滑り台で遊ぶことはありませんでしたが、みんなで一気に大風に乗ってはじけたみたいです。その瞬間に出会えなかったのは残念ですが、こうして金木犀の溜まり場をみていると、精一杯遊んで、初秋を存分に楽しんで、そして疲れ果てて眠っている子供を見るような想いがします。こうして季節は、今年も香りの秋から本格的な落葉の頃へと転調して行きます。 
 Fairy tale の秋から Non fiction の秋へと。 



Coffee Break NO.26 /10月4日mon. 
        
            「自然は恋人」 

  
 尾瀬に行ってました。秋晴れの初日、雨の二日目、清々しい秋晴れと雨に煙る尾瀬を同時に満喫しました。 
 山小屋でバングラデシュの若者と出会い、たくさんの話をしました。日本に来て7年、尾瀬の四季に魅せられて、尾瀬には頻繁に来ているそうで、最近は毎週のように来ては移ろい行く尾瀬をカメラに収めているとか。
 どうしてそんなに尾瀬にほれ込んだのかって・・それは尾瀬の四季が彼の価値観を一変させたからです。自然の変化を追っていくうちに、自分が何者かと思うようになったのです。長い歳月の間に徐々に変化を遂げ、今も変化し続けている自然だけど、太古の命が悠久の時の流れのなかで連綿と受け継がれているということを尾瀬の自然から学んだとき、彼は自分自身が自然の時の流れの瞬時の出来事だと思うようになったそうです。
 古代の文明を築いてきたバングラ人の子孫として、数年前の彼は非常に大きなプライドを持っていたのですが、自分が自然のホンの一コマであると感じた頃から自然に対して謙虚になったそうです。
 カメラで尾瀬の息吹を戴き、「太陽が揺れる水の楽器を奏でていた」とベンガル語で朝の尾瀬の風景を詠っていました。自分の価値観を変えてくれた尾瀬の自然を表現してみたいと。納得のいくものが表現できたとき、故郷で個展を開きたいと。
 「尾瀬の自然は僕にとっては恋人です。日本の自然はあなた方日本人にとっては母親です。」とは彼が最後に言った言葉です。言い得て妙です。「僕は自然に惚れた、あなたたちは自然を愛している」と。雨の朝、今日は水滴で輝いている枯葉を撮りに出かけようと、ベンガル人の彼は山小屋を出ました。
 瑞々しい感性の若者との一期一会、尾瀬は益々輝くものに感じられました。