Coffee Break

Coffee Break NO.45/2005年2月25日Fri.

    「いっちょうやるか♪」


   先週のお茶の話つながりで、今回は「いっちょうやるか」。とは言ってもお茶をいただくのではありません。「いっちょうやるか」とお茶とのつながりです。
   鎌倉時代に健康ドリンクとしてのお茶が愛飲され始めたと申しましたが、この「お茶する」の習慣は闘茶と言う“利き茶”、つまりお茶を飲み比べてその種類を当てるというゲームを生んだのです。
勿論、庶民の場合は利き茶するほどの種類のお茶をそろえることができませんので、利き茶ではなく、茶柱が立つかどうかいうゲーム(博打)をやっていたようです。「さあて、一茶(いっちゃ)やるか!」などと言ってやってたわけですね。それが「いっちょうやるか」になったらしい。
   他の説。そもそも「いっちょ」とは「一つ」ということですので、「いっちょうやるか」は単純に「一つやるか」ともとれます。また、博打ということで言えば、「丁半博打」があったわけで、「いっちょう」は「一丁」でもあったとも想像できます。どれが正しいのでしょうね。いずれにしても、「いっちょうやるか」が意味するところは「さあ、やってみよう」ということには変わりはありませんが。

  「いっちょうやるか」を「一長やるか」と教えてくれた先輩がいました。「一つの成長」のためにやってみようということだよと。一つの長所を伸ばすと欠点も補える、少しずつでも長所は伸びる、集中し前向きになる、遣り甲斐も感じるというもの。この語源の説明は何の根拠もありません。でもこちらの「いっちょう(一長)やるか」の方が楽しいですね。
  楽しくことば遊びして、子供たちの成長のために「いっちょうやりましょう!」。



Coffee Break NO.44/2005年2月18日Fri.

    「椿あれこれ」


   近所の小学校の垣根に、白椿が顔を覗かせていました。白椿の花言葉は「愛らしさ」とか。因みに赤椿は「慎み」。椿は日本を代表する花木で、縄文の頃から、硬い木は利用した石斧や櫛などに、椿油は食用、灯用、化粧用、不老長寿の薬などに、奈良時代から灰は草木染めで特に紫を染めるときの媒染剤として、また平安時代になると宮廷で珍重され、呪木として厄除けに使われていたそうです。つまり生活に密接に繋がった存在だったということでしょうね。
   椿の花の方は、茶花というイメージがありますよね。鎌倉期に健康ドリンクとして飲用され始めたお茶が、次第に嗜好飲料として普及し、それに伴って色々なお茶の飲み方や作法が生まれてきたわけですね。季節感を楽しみながらお茶を一服という極めて日本人的な趣味が転じて、茶花なるものも誕生したということでしょう。安土桃山時代になって千利休は侘び茶を完成させますが、彼は「花は野にあるように 」と言い、「花は華美にならないように控えめに楚々して、野にあるようにあっさりと自然に生けましょう」と教えたそうです。侘びの心を伝えているのか、それとも花が咲くその一瞬との出会いを大切にしましょうという教えであるのか。侘びにも寂びにも疎い無粋な私には知る由もありませんが、控えめにして場の空気を作っているという花一輪の存在の妙であることは確かですね。
   こうして椿は観賞用としても日本人の心に浸透していきました。そうそう、椿は吉祥花にもなって、江戸の前期あたりまで「松竹梅」ならぬ「松竹椿(チン)」と言っていたそうです。偶然にも文芸春秋の3月号に鎌倉彫りの写真が掲載されていましたが、当時の彫り物や蒔絵などには、椿のレリーフがたくさんあったと書かれていました。椿の純和風としての存在感はここにも見出せますね。
   椿は国際派でもあります。以前にテレビで観たのですが、日本に来た宣教師が1738年欧州に持ち帰った藪椿が、現在もドイツのピルニッツ城の庭園で、大きな温室の中で大切に守り育てられています。この日本産の椿、19世紀にはヨーロッパで一大ブームになったそうで、あのデュマとベルディの「椿姫」が誕生した程です。今や世界の三大花木(バラ、シャクナゲ、ツバキ)の一つとなっているというのですから、椿の存在感もグローバルになったものです。
   田舎の実家の庭に父親が育てた椿があります。昔、両親が京都旅行に行ったときに、雪が降り積もった銀閣寺の垣根に紅い椿がぽっと顔を覗かせていたのですが、それが余程印象的だったのでしょう、それから庭に苗を植え、花が咲くのを何年も楽しみに待っていたようです。その椿も数年前からこの時期になると花を咲かせるようになり、花が咲くたびに、「銀閣寺の椿は綺麗だった」と言っております。単純ですが、椿は心の一輪となっているのでしょう。



Coffee Break NO.43/2005年2月13日Sun.



    Saint Valentines Day


  

  今夜は、バレンタインデーに因んでJazzのスタンダードナンバー「My Funny Valentine」でも聴くことにしましょう。マイルス・デイビス、ケニー・ドリュー、チック・コリアの「My Funny Valentine」を聞き比べて楽しみながら、古くて新しい「バレンタインデーの始まり」をNetで覗いて見ましょう。♪♪
   
   調べてみると・・・西暦3世紀のローマで、「若い兵士たちが家族や恋人のことを思って戦争に出たがらないので困る」と思った当時の皇帝クラウディウス2世は兵士の結婚を禁じました。ところがキリスト教者のバレンタインは、兵士たちの結婚を皇帝に内緒で執り行ったのです。結局、聖バレンタインはこのことがもとで処刑されることになったのですが、以降、中世ヨーロッパでバレンタインは愛の守護神とみなされるようになりました。
   2月14日は古くはローマのルペルクスと呼ばれる豊穣の祭りの日だったのです。このお祭りが次第に形を変えて、14世紀ころからこの日に恋人たちが贈り物やカードを交換するとか、その日の最初に出会った異性を「バレンタインの男性」「バレンタインの女性」と向こう一年間呼び合うという風習などが出来てきたと言われます。そして第一次世界大戦後にアメリカで急速に恋人達の日として普及し、日本でも昭和50年代前後から「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」として広まったのでした。
   日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは昭和11年のモロゾフで、当時はチョコレートを贈るという内容ではなかったそうです。チョコレート業界としては、昭和33年にメリーが新宿伊勢丹デパートでキャンペーンセールをしたのが最初で、その日売れたチョコレートはたった5個だったにもかかわらず、その頃からメリーと森永が毎年バレンタインの広告を出すようになったとのこと。
   蛇足ですが、3月14日のホワイトデーを仕掛けたのは鶴の子で有名な博多の老舗のお菓子屋さん、石村萬盛堂です。昭和52年3月14日に福岡の岩田屋デパートでマシュマロデーのキャンペーンを行ったのが始まりだとか。   



Coffee Break NO.42/2005年2月4日Fri.

    「立春の桜」


   先日、熱海で五分咲きの桜を見つけました。この早咲きの桜、東京では例年2月下旬〜3月に咲くもので、寒桜と呼ばれています。熱海は東京より一ヵ月半早く春が訪れるということなのでしょう。熱海の地元では、この桜を「熱海桜」と名づけていますが、こちらの呼び方の方が「寒桜」よりも暖かいイメージがしますね。南国の桜って感じです。
   早咲きの桜とくれば、「寒緋桜」(=「緋寒桜」)があります。以前、沖縄の本部町の桜祭に行きました。1月にある日本一早い桜祭りです。暖かい日差しを受けて見物したことを記憶しています。亜熱帯の沖縄に桜、南の島の快活な気質と桜の華やかさとの饗宴ということで、これも一興でした。この桜は名前の通り、緋色(=赤い色)の鮮やかさが特徴で、形も釣鐘のようでいて、俯いて咲いているのがとても愛らしい。地元では本部岳桜と呼んでいます。
   桜前線は染井吉野を基準にしていますので、寒桜や寒緋桜を以って桜前線発生とはいきませんが、これから半年余りの間、日本列島の各地から寄せられる桜だよりの、まさにその第一報が寒桜と寒緋桜の開花でしょう。これらは冬と春の通い路に咲いて、春の所在を告げる一番桜なのです。