Coffee Break
| Coffee Break NO.53/2005年4月24日Sun. 「鎌倉古道」 山桜が綺麗でした。大島桜の白、山桜の桃色、枝垂れのピンク。新緑も空気も緑で、街中の桜と違って自然の中の桜は簡素な美しさがあります。 先週、「鎌倉古道」の山を歩いてきました。鎌倉時代には鎌倉に通じる道が幾つも拓かれて「鎌倉街道」と呼ばれますが、中でもこの箱根超えの油坂道は「鎌倉古道」という固有名詞を頂いています。確かに、木漏れ日の中の大きな石を積んだ段々の途中で、草鞋(わらじ)を履いた昔の旅人がふと現れて来そうな、そんな古風さを感じる箱根の山道です。 路の脇にはすみれが咲き、草ぼけもたくさんありました。野の草は良いですね。気取りがなくて、可憐で、ひっそりしていて。「 山路来て なにやら ゆかし 菫草 」って言いますし。「なにやら ゆかし」なんだなあ。「ゆかし」=「行きたい」ですよ。「なにやら ゆかし」は「何となく(心が)行ってみたい」ですね。菫草に心惹かれるのは古今を問わず一緒なのですね。 油坂道から「千条の滝(ちすじのたき)」へ行きました。蛇骨川上流にかかる小さな滝です。高さ3m、幅10mほどの滝ですので、水音も静かです。その名の通り、千条の糸のように見える水の模様が綺麗です。小鳥の鳴き声と水音をBGMにして、そこでお弁当を頂きました。山路を歩いておにぎりを頬張る、至福のひと時です。山歩きはこのひと時のためにあるようなもの。 |
| Coffee Break NO.52/2005年4月17日Sun. 「人生はあなたに何を期待しているか?」 田坂広志さん(シンクタンク・ソフィアバンク代表)の「未来を拓く君たちへ」という子供たちや若者向けに著された本を読みました。田坂さんは、世の中に役に立つ仕事を起こすという「社会起業家」を目指す人材の育成に力を注いでいらっしゃるとのことです。 この本には5人の偉大な人物の言葉が登場します。ニーチェ「永劫回帰」、最澄「一隅を照らす」、サルトル「実存は本質に先立つ」、ビクトール・フランクル「あなたが人生に意味を問うのではない。人生があなたに『意味』を問うている」、エリザベス・キューブラー・ロス「死とは人生の終わりではない。死とは成長の最後の段階である」。ふむふむ。あっさりと書いてあるけど、それぞれが大思想なのですよね。大思想家の意味深い言葉たちです。子供向けなので、その個々の思想は深くは掘り下げていませんでした。 今回はビクトール・フランクルにスポットを当ててみましょう。ヴィクトール・フランクル(1905〜1997)、実存主義心理学者。著書「それでも人生イエスという」「夜と霧」「死と愛」他。 彼はユダヤ人で、ナチの強制収容所に送られていました。その苦しい環境、極限の状況の中で、彼は人間の存在する意味を体感したのです。強制収容所では、希望の光を失っている人々で溢れ、生き延びるためにエゴをむき出しにした人もいます。それでも極限状態のなかで、他人に対し優しい言葉をかけ、かけがえのない自分のパンを分け与えた人もいたのです。自分の生き延びるための糧を他人に分け与えている人を見て、彼は、人が例え過酷な運命の中で極限状況にいても、人間は高貴な態度を選択できる存在であるということを実感しました。 彼は、「人間には実現すべき価値・意味があり、人間の心は幸福ではなく意味を目指すべき存在である」と言ってます。標題の「人生はあなたに何を期待しているか」は、まさに人生の意味の実現を促す言葉ですね。あのパンを与えた高貴な心の持ち主たちの言葉です。「一日一日を、一時間一時間を、一瞬一瞬を、過ぎ去ったものにしないように」、かけがえのない人生の「意味」を見出すための心の支えとなる言葉です。 戦後、強制収容所から解放されたフランクルは、精神医学者として患者さんたちへ、人生の意味を見出すように促すという治癒法を確立したのでした。サルトルも最澄も根底では同じ(実存主義)ですが、フランクルは一味違うのですね。下世話な私でも、フランクルの書物を読むと、高貴な生への憧れが湧いてきます。田坂さんの本を読んだ子供たちには、是非、フランクルの本を読んで欲しいと願うのでした。 |
| Coffee Break NO.51/2005年4月11日Mon. 「花見酒」 桜、一気にきました。そして今日は既に花散らしの雨。先日の休日はどこかお花見にいかれましたか? 私は隅田川のほとりの散歩。川面にうっすらと桜が映るのが好きです。例によって、「長命寺の桜餅」を買いにブラブラ。今年はお客さんの長蛇の列でした。また行くことにしました。墨田川沿いの花見客は今年は例年になく多かったなあ。みなさんそれぞれに陣取って、花見酒を楽しんでいらっしゃいました。 花見酒というとこんなことを思い出します。大野晋さんか誰だったかはっきりとは覚えていないのですが、桜の「さ」は古来神様を表す音だとかいうことを、書いていたような。「さくら」は「さ」の「くら」で「神」の「座」、そう神様の宿る樹だというのですね。日本人に特別な感慨を引き起こすのもこんな謂れがあったからなのだと信じきっていました。なるほど。榊は神にお供えする樹ということも頷けます。でも、桜の語源は他にもあって、これも含めて3つほどあるらしいと後から知りました。それはそれとして、「さ」の神様説を続けてみましょう。 皆さんが大好きな「酒」も「さ」が付きますね。神の水だという思いがあったらしいのです。お神酒(おみき)と言いますしね。ありがたやありがたや。お酒は飲みに行くなんて言わずに、神様をお参りに行くと言えそう。お神酒は古代は巫女が米を口に含んで、くちゃくちゃくちゃと噛んで、ぺっ、ぺっ、ぺっと口から出して作ったそうです。それから醗酵するのですね。濁酒だったわけですが、これが神の水の謂れなのかも知れませんね。 桜の下での花見酒は、神様に見守られて、神様から授かった水を飲むというありがたいことなのだと思っていることにしましょう。ことの真偽は神のみぞ知るということで。 なんともいい加減なことを。思い違いだったらごめんなさいです。 それにしても、冷たい雨。桜、持ってくれるといいですね。やっぱり桜は花吹雪でしめくくりたいですからね。 |
| Coffee Break NO.50/2005年4月2日Sat. 「棚ボタゴール」 先日のバーレーン戦はご覧になりましたか? 今から3年前、2002年五輪予選、U23日本代表対バーレーン戦では埼玉スタジアムで日本は苦戦しました。そのときの様子が一瞬、記憶から蘇ってきました。先日行われた2006年ドイツWCアジア地区最終予選も同じ埼玉でバーレーン戦。不安がよぎる。 日本代表はボールをキープしつづけるのに、攻めても攻めてもなかなかしっくりこない。観戦していた人はみんな焦れて焦れていたことでしょう。攻めの形になりかけていたのに、詰めきれないもどかしさ。そして後半、FWの交代。なにか起きて欲しいと願っていた、ふとした瞬間、「ごっつぁん!」オウンゴールです。 これを棚ボタゴールを名づけました。こんなこともあるもんだ、運を味方につけたのです。ジーコには運があると誰もが思ったことでしょう。 好時は常には在らず。運は神様仏様の掌の中にあっても、それが落ちてきたときに拾えるかどうか、ラッキー♪をモノにするかどうかは、日頃の行いの中にあるということでしょうか。あのゴール前、あの一瞬、高原もサントスも中澤もゴールに向かって突進していました。見えざる気持ちが、影となって敵の焦りを誘ったように見えました。あの1センチだけ長く伸びた足の影が棚ボタゴールを生んだように見えました。 いつもスマートに点がとれるものではありません。ぎこちなくても心がこもっている、こんな棚ボタゴール、私は大好きです。決定力不足を粘り腰に変えた日本代表の試合でした。 1cmの粘りと気迫を与えたのは、サポーターの後押しだったのかも知れませんね。 |