Coffee Break

Coffee Break NO.80/2005年11月27日Sun.

            「秋のフィナーレ」

  夕暮れ時には鴫(しぎ)が飛び立っていたのだろうと、昔の風情を想像しながら、大磯の鴫立庵に立ち寄りました。

   「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮れ」 
                              西行
    出家して、あわれや寂しさという世間並みの感情を捨てたはずなのに、鴫が旅立っている夕暮れを前にして、西行は「“あはれ”を感じてしまうんだよね」って言うわけです。心を捨てた人の心を揺さぶるほどの夕暮れ、これは相当なあはれだってことでしょうね。
  
   ついでに、海の夕暮れは藤原定家でしたね。
  「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」   
                             定家
   「花も紅葉も」で華やかさのイメージを膨らませておいて、「なかりけり」とあっさり言われると、戸惑ってしまいますよね。秋の華麗さの残像を意識させておいて、「ぽつんと佇む苫屋(あばらや)があるのさ」とここで具体的な情景を想像させられるわけですね。「どうですか、『花も紅葉も なかりけり』が効いているでしょう」という定家の声が聞こえてきそうです。それから「苫屋、あれですよ、あの『源氏物語の須磨の巻』のパロディですよ。光源氏の須磨でのわび住いの寂しさを思い出してご覧いただけましたか?」と定家がいったかどうかは分かりませんが、そんなところでしょうか。

  山の夕暮れもあります。寂連法師でした。
  「さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ」  
                            寂連法師
  抽象的な淋しさを伝えているのでしょうかね。「淋しさを感じるんだけど、それはこのあたりの特にどの景色に感じるというものでもないんだね」って言うわけですね。それで「何ともいえない淋しさをこの真木(杉松柏などの常緑樹)の立っている山の秋の夕暮れの景色に感じることだなあ」ということでしょう。常緑樹の山って紅葉もない、秋の夕暮れは淋しいよねってことでしょう。

  上にご紹介した、沢と海と山の秋の夕暮れ三点セットを称して三夕(さんせき)って言いましたね。秋の夕暮れの歌で優れたものということで有名なわけですけど、どれもストレートではありませんね。もともと「秋の夕暮れ」は「あはれなもの」ということを前提にしているのでしょうから、これらの歌はある意味で「あはれ合戦」をしていると言えるでしょう。「定家さんのは絶妙ですね」「いえいえ、寂連さんのも身に染みますよ」なんてことをお互いに言い合っていたのかもしれません。
 

  鴫も沢もありませんが、今日、海で出合う秋の夕暮れは格別でした。湘南の海にはつきもののセーリングをしている人の姿が夕焼けに飲み込まれていきます。海面にとろけるオレンジ色の陽光の中に、小さな黒点になって漂っていました。

 皆さんの、秋の夕暮れはいかがでしょうか。そろそろ秋もフィナーレですが。



Coffee Break NO.79/2005年11月19日Sat.

            「終了1分前」

  終了間際の駆け込みゴール。サッカー日本代表Vsアンゴラ戦、ビデオにとって観戦しました。あと1mmカーブをかけていたらゴールに入ったと思われるようなクロスバーに嫌われたシュートが何本もありました。プロ選手ですから、あと1mm、あと1g、あと0.1秒という精妙な力学に支配された足の運動感覚の問題なのでしょう。
  「惜しい」を連発するような試合展開のなかで、とうとう0対0のままでゲームセットを迎えようとしていました。その瞬間、俊輔から受けたロングパスを柳沢が折り返し、そこに松井くんがヘッドでゴールにどんぴしゃと流し込んだのです。松井くんの代表初ゴールという劇的な終了となりました。
  もし、無得点のままだったとしたら、「百里の道も九十九里をもって半ばとす」というか、「画竜点睛を欠く」というか、「良いゲームだったけど・・・」で終わっていたでしょうね。あの1分の出来事が90分を決定したのですから。

  解説者によると、後半に途中出場した松井くんが相手チームの守りを揺さぶったことで、相手のマークが厳しくなっていた俊輔に再び自由に動けるスペースを与えたことが、最後の得点シーンに繋がった要因だということでした。メンバー交代で流れを変えたということなのですね。

  専門的なことはさておき、スポーツ選手から教えられることもたくさんあるものだと思いました。一番大きなことは、最後まで諦めず集中力を持続する、単純ですが大切なことですね。最後の一手で、フィナーレや結果が大違いということなのですからね。



Coffee Break NO.78/2005年11月12日Sat.

      「世にも美しい数学入門」
  

  知人のIさんから珍しくメールが届き、「小川洋子さん(作家)と藤原正彦先生(数学者/お茶大教授)の対談、『世にも美しい数学入門』(ちくまプリマー新書)が面白い」とご紹介いただき、直ぐに読み始めたら止まらずに、歩きながらも読んでしまいしました。以前にこのコーナーでご紹介した小川洋子さんの「博士の愛した数式」の誕生秘話も登場し、この本を2度も読んでいた私の好奇心は、「まんぞくまんぞく」と呟いておりました。

  藤原正彦先生の数学のお話は、非常に専門的なことなのに、軽妙なタッチの語り口なので、数学の面白さや話の要旨が十二分に伝わってきます。小川洋子さんの合の手も絶妙ですし。
  藤原先生は「数学にノーベル賞があれば、日本人は20はいっているでしょう」と日本人の偉大な数名の数学者の例を紹介して仰います。なぜ多くの天才的な数学者が日本に誕生したかと言うと、日本人の美的感性が俳句などによって育っていたからだそうです。数学のオリジナリティーや創造性は美的感受性につながるもので、それは言葉や情緒によって育てられると。大数学者と人気作家さんが言うと重みがありますね。
  自分自身とは全く別世界の話なのに、日本人の感性を称えられると嬉しい気持ちになるものですね。子供たちにも日本の心を伝えたくなりますね。
  ・・・「博士の愛した数式」、3度目が読みたくなりました。
  


Coffee Break NO.77/2005年11月5日Sat.

       どんぐり拾い  

  「『どんぐり ころころ ドンブリコ♪』のどんぐり!」と5歳のお子さんが発見しました。先週の週末、子育てサークルで2〜5歳のお子さん方と一緒に新宿御苑にどんぐり拾いにいった折のことです。拾い初めのうちは、、面長の「どんぐり」ばかりだったのです。歌に出てくるドングリとはちょっと違っていました。場所を変えて拾っているうちに、ドングリらしいドングリに出会ったというわけです。

  子供たちと一緒に図鑑で調べてみました。面長のどんぐりは「マテバシイ」の木の実。歌に出てくる「どんぐり」は瓜実顔の「コナラ」の木やまん丸な顔が可愛い「アラカシ」の木です。子供たちは「マテバシイ」「アラカシ」という名を直ぐに口にしていました。スゴイスゴイ。

  お昼時、芝生の上でおやつタイム。幼児さんといっしょに図鑑で拾ったドングリや葉っぱを調べました。もちろん絵本の読み聞かせもしましたよ。私はドングリが出てくる「ありんこ こりん」を読みました。自然の中での読み聞かせは気持ち良いものですね。それから、木の実の工作の絵本を見ながら、拾ったドングリで工作もやりました。ドングリに顔を描いたり、楊枝で手足をつけて動物をつくったりしました。コマややじろべえも。3歳の子は、やじろべえを指の上に乗せて楽しそう。・・・アウトドアと絵本とのコラボレーション、実体験と絵本のハーモニーとでも言いましょうか。子供たちの好奇心満載の子育てサークルでした。