Coffee Break NO.211/2009年6月15日
おおはくちょうのそら
絵本の原画には、水彩、油彩、パステル、切り絵、刺繍、版画、色鉛筆、ほんと色々あります。絵本を読み聞かせするとき、子どもたちに尋ねたり説明したりすると、子どもたちも絵のタッチに興味を示してくれます。
先日の読み聞かせ会でも新発見がありました。対象は20名ほどの幼児〜低学年です。楽しい絵本、おふざけの絵本、可愛い絵本など10冊ほど読み聞かせした後で、いつものように「今日のお気に入りの絵本」に挙手してもらいました。今回は手島圭三郎の版画の絵本「おおはくちょうのそら」に過半数の子が挙手しました。渋い!ですね。・・・事前に「版画で描かれた」という説明をしたから気を引いたのでしょうか。
確かに、読み聞かせの途中で「わあ、きれい!」という子どもたちの感動の声がしました。それは死んだおおはくちょうの子どもの姿が空一面に広がったシーンでした。版画の光と家族の哀愁が一体となった美しさを感じたのでしょうか。きっと純粋に感動したのでしょう。・・・北海道をこよなく愛し、北海道の自然をテーマに版画を彫り続けた手島圭三郎さんの一冊、お薦めです。
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Coffee Break NO.210/2009年6月1日
暦のズレ
皐月から水無月へ。いつも戸惑いを覚えてしまうのが旧暦と新暦の時の符号です。「五月雨」は梅雨のことだから6月の中旬で、「水無月」は「水が無い月」で新暦7月の頃でしょう。そう思っている人が多いと思いますが、水無月の「無」は「の」で、「水の月」であるとする解釈や、田に水を張る月だから「水張月」とするという解釈もあるらしいのです。つまり「五月雨」は「水無月」にあったと。
こんな相反するような両極端な解釈が創出されるのも、旧暦と新暦のズレという単純な理由からでしょうか。旧暦は新暦より20日から10日程度遅れています。完全な1ヶ月のズレではないところがミソ。新暦の6月について言うと、上旬が旧暦皐月であり、中旬が旧暦水無月となるわけです。
更に厄介なのが、旧暦は一ヶ月が約29.5日で一年が354日となり、365日より11日少ないのです。これを2〜3年に一度は一年を閏(うるる)年にして13ヶ月に調整していたわけですね。
もともと旧暦と新暦の感覚をピタッと合わせるのが無理というお話ですね。
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Coffee Break NO.209/2009年5月12日
金太郎飴
知り合いの方から金太郎飴をいただきました。贈り主のお顔を金太郎飴にしたものです。似顔絵細工が出来るのですね。笑い顔、澄まし顔、気取り顔、色々な表情のお顔の金太郎飴が混ざっていました。仕事の30周年記念に作ったそうで、「なめたり、かんだりして楽しんでください」とメッセージが添えてありました。
うーん、そう言われても、なかなか食べる気にはなりません。もったいないし、30年の想いが詰まっているようでもあり、仕事の精霊が宿っているようでもあり、何よりその顔がとってもキュートなものですから。ベネチアン時計に加工できないか、保存加工してお守り袋にも入れておこうかと保存対策に色々悩んでいます。素敵で可愛い金太郎飴、愛嬌とセンスが光ります。京都でお世話になった懐かしい方からの贈り物、気持ちがとっても豊かになりました。
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Coffee Break NO.208/2009年4月28日
奇遇
先週号の沖縄料理で触れました「味わいが記憶を呼び覚ます瞬間」という言葉は、プルーストというフランスの作家のパロディとしてご紹介しました。ちょっと補足しますと、元の文は「香りが記憶を呼び覚ます」(小説『失われたときを求めて』)です。仏文を勉強なさった先生からメールをいただきました。「私は、・・・テキストとして原書も少し読んだと思うんですが、(略)マドレーヌのくだりでは、フランス人も紅茶のむんだぁ・・・と思った覚えがあります。(略)石畳につまずいてベネチアを思い出すという描写もありましたね」と。きっと仏文では有名な作品なのですね。それにしてもプルーストのこの行に反応なさった方がいらしたとは、私には奇遇でした。
ところで先日は、オランダでフェルメールが描いた「真珠の首飾り」という絵画を観たという先生がいらっしゃいましたが、この絵を私はフランクフルトで観ました。これも奇遇というもの。
またある日、 ある先生のお部屋に備前の壷を発見。備前焼は私の大好きな焼き物です。これも奇遇です。色んな経験で色んな好奇心で、奇遇の出逢いが沢山。豊かな気分をありがとうという先週でした。
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Coffee Break NO.207/2009年4月21日
沖縄の味
10年ぶりの沖縄訪問。夕方、海にとろけかけた太陽を背に、空港から那覇市内に入りました。モノレールができ、首里城が修復され、街並みが変わって、空気が新しくなっていました。県庁前のホテルに入るや、すぐに25年前に住んでいた街に立ち寄り、すっかり変貌した町並みの間にほんのちょっと残っているあのときの風景を見つけては、ささやかなノスタルジーを満たして、その足で以前よく通った「うりずん」というお店に行きました。まずは沖縄料理です。どぅるてん、みみがー、らふてぃ、なーべらー、店構えも味も、懐かしい。やはり郷土料理はその土地の風景の中で食べるのが一番おいしい。
琉球料理を楽しむなら、夜の「うりずん」と昼間の「公設市場」というのが私のお決まりのルートです。どちらも庶民の料理で、昔からある素朴な家庭料理が楽しめるからです。
最終日に公設市場に寄りました。こちらも変化は全くありませんでした。アジアンの活気というか、雑然とした南国情緒というか、10年前、20年前の風景がそのまんな味わえました。そして、大好きだった「てぃびちぃ(豚足の煮込み)」も、昔のまんまの味です。プルーストではありませんが、味わいが記憶を呼び覚ます。旅は食にあり、なんちゃって。
補足:プルーストは「香りが記憶を呼び覚ます」という言葉を残しています。
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Coffee Break NO.206/2009年4月14日
春の山菜
桜吹雪のフィナーレの後は舌鼓で余韻をということで、先週末は春の山菜をいただきました。たらの芽、行者にんにく、こごみ、花うど、のびる、島らっきょう、わらび、うどの新芽。そのままでも美味しいものは、お塩や魚油でいただきました。お塩は、ドイツ、チベット、チリのそれぞれの岩塩やら浜松のわさび岩塩、スイスのハーブ岩塩、並べるだけでも楽しいです。どれもお土産で頂戴したものばかりですけど。
春の山菜、仕上げは天ぷらです。揚げながら、「苦いなあ」、「甘いぞ」などと評したり、形を見て「これがこごみか」などと初歩的な感動を表明しながらいただくわけです。今回は、デパ地下産の山菜たちですから、彼らの生い立ちをイメージしたり、子どもの頃の山菜や土筆(つくし)や蕨(わらび)を摘みに行ったときの記憶をたどったりしていました。つくづく「春は想像力だなあ」なんて思ってしまいました。
だからというわけではありませんが、子どもたちには、自然との触れあいにも色々経験を積んで欲しいなって思いますね。楽しみが増えますからね。
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Coffee Break NO.205/2009年4月7日
桜満開
里桜も山桜も、満開となりました。近所の公園や川沿いの染井吉野も、山の方の大島桜も、一斉に開いています。「これまでに見たなかで印象的な桜はどれですか?」と尋ねられたことがありました。皆さんは記憶に残りつづけている桜はありますか?
私は、そう改めて訊かれると、子供の頃に遡って、自宅の裏にあるお寺の境内の桜を思い出します。桜の木の下でおにぎりを食べて、遊びまわって・・我が家の庭のようなものでしたから、桜そのものというより生活のシーンとして記憶に残っています。
それから、瀬田の唐橋の近く、石山寺の桜も記憶に残っています。石山には1年間住んでいましたから、週末には石山寺に行って、四季折々の花を楽しんでいました。ちょっと贅沢ですが、我が家の庭のような感覚で紫式部の庭を眺めていたわけです。
花が咲いたときに見るのが花見ですが、花が咲きかけているとき、咲いたとき、散るとき、それを我が家の庭のように身近に感じていた、これが私の記憶に残っている花見です。見るというより肌触りってところでしょうか。皆さんはいかがでしょうか。
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