Coffee Break
Coffee Break NO.248/2011年1月28日
     
    故あって子育てサークルの休会に伴い、CoffeeBreakも一旦休刊になります。継続は自己満足なり!エッセーは年季の冷や水なり!でつづってきましたが、しばらくのお別れです。
 
    248号は椿の思い出を。
    実家の庭に、一度も花を着けたことのなかった椿が、可愛い顔を覗かせました。一昔前に吹雪の銀閣寺で出会った紅の雪中花と同じ景色がそこにありました。私が社会人になって初めて両親を旅行に招待し、雪を踏みながら歩いたあの日、父親は銀閣寺の建物よりも、生垣の椿に感激しました。彼が実家の庭に椿の樹を植えたのは旅のその直後でした。    椿は、鎌倉期に流行した茶道の花となり、古くから日本の花の代表格。宣教師が欧州に持ち帰り、19世紀には西洋で一大ブームを起こしました。デュマ・フィスは「椿姫」を書き、ベルディが歌劇に仕立てたほどです。そうそう物語が多い花でもあります。
    雪の中に咲いて可憐。両親にとってあの時は思い出深いものだったようです。過去はもう戻らないことは承知して、モノに託し、花に託して「あの時」を育てようとしたのでしょうか。私も皆さんとのあの時、詩のような日々、絵画や転調する音楽のようなあのひと時を、他愛ない言葉に託して書いてきたのかも知れません、父親の椿に似て。
    CoffeeBreak、形と影がいつもいっしょにあるように、言葉に思い出が寄り添ってきます。稚拙な文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

  
         
Coffee Break NO.247/2010年12月28日
     
             
   今年も残り僅かとなりました。「はやぶさ」やふたご座流星群、ちょっとした天体ブームもありました。「流れ星が見えている間に、願い事を唱えると、それが叶う」と言われます。願い事は「3度唱える」と言われることもあります。
   「3度も言えるものですか。1度すら言えないのに」という独り言が聞こえそうですね。
流れ星・願い事の真意は、きっとこうだと思います。「流れ星を見つけて、咄嗟(とっさ)に願い事を口にする、言葉にだして言う」、常日頃から夢や願い事をしっかり言葉にしておいた人ならそれも可能でしょう。願い事が叶うという幸運は、それをいつも強く心に描いて、言葉にしておいた人に訪れるってことでしょうね。

   When You Wish upon A Star♪も、意志の問題になると、味気ないですかね。
   ことしも駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。どうぞ、良いお年を♪

         
Coffee Break NO.246/2010年12月17日
     
                  青いサンタさん 
   
   先日テレビで青いサンタさんをみました。カトリック教会らしい。セント・ニコラウスの祭と言ってました。・・・4世紀頃のこと、サンタクロースのモデルとなった聖セントニコラスという聖人が、子供のために色んな奇跡を起こしました。その伝説に因んで、カトリックでは「聖セントニコラウスの日」が出来たのだそうです。聖セントニコラウスは、青いマントを羽織って、ロバが引く馬車に乗って現れたそうです。今でも、スイスの一部のカトリック教会で行われている祭りだそうです。
   青い服が赤い服に、馬車がソリに、ロバがトナカイになったのは、18世紀あたりからだそうです。トナカイの鼻が赤くなったのは20世紀。多分、サンタさんは世界で一番の有名人で、中世からの長寿ヒーローということですね。
 

    
         
Coffee Break NO.245/2010年12月1日
     
    
    “秋の日の ヴィオロンの ため息の 身にしみて ひたぶるに うらがなし
                         (ベルレーヌの「落葉」上田敏訳より)”

    中学の頃、「ヴィオロンのため息」って言葉に酔ったことがあります。翻訳とは言え、過剰に情緒をくすぐってくれたボードレール、ベルレーヌ、ランボーの言葉たちを身近に置きました。ボードレールの「巴里の憂鬱」はダイレクトに脳天を刺激し、漢字の書きも直ぐに覚えました。「パリの憂うつ」だと興ざめです。さて、昨日は新常用漢字の告示、「鬱」も加わりました。言葉は思考の乗り物、言葉が増えると感性も冴えるというように、思慮深くて情緒豊かな社会になりますように。


    
         
Coffee Break NO.244/2010年11月22日
     
    見渡せば 花も紅葉(もみぢ)も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ 
                                     藤原定家 

   この歌にはたくさんの解釈があります。代表的な解釈はこうです。「見渡したところ、桜も紅葉もなかった。“花と紅葉”なんていったから、真っ赤かなイメージが頭に残るでしょう。真っ赤な残像の中にいると、浜辺のあばら屋はなんと孤独で寂しいことか」というものです。「桜」「紅葉」「なかりけり」で生まれる残像効果をねらったという解釈です。夕暮れの海の色とあばら家の孤独の対比、夕暮れの情景と秋の寂しさの心象が彷彿とするものです。
   別の解釈に出会いました。「花も紅葉もないけどそんなの関係ない。浦の苫屋の秋の夕暮れ、その感慨は花や紅葉(巷の美)を越えて、深く広い」というものです。浦の苫屋には、目の前の風景でも心の風景でもない、景色を昇華した感慨があるものだという解釈です。   ・・・一つの歌に多様な解釈がある、それこそ秋の夕暮れの妙です。



    
Coffee Break NO.243/2010年11月17日
     
                 ミニ・コンサート

   先月、ピアノのミニコンサートに行きました。ミニと言っても会場が小さいだけ。目の前のグランドピアノで演奏するのですから、こんな贅沢はありません。しかも、レコードやCDで何度も聞いているショパンのスケルッツォ♪や雨だれのプレリュード♪が演奏されました。スピーカーを通さずに聞くというだけで、新鮮ですし、奏者の息遣いが聞こえてきます。このライブ感と温かみはファミリーコンサートの醍醐味です。

   いつも聞いていたCDの曲とは、同じ楽譜なのに、テンポや強弱感や音のつながりなどが、違って聞こえました。素人ながらにわかります。演奏者の解釈や、奏法の違いでしょう。時代とともにピアノも進化しているのですから、ショパンを楽譜どおりに弾いても当時と同じにはならないと言われます。だから、演奏する人の解釈が大切になるらしいのです。ピアニストも色々勉強しているそうです。一芸に秀でるために百芸を学ぶ。


         
Coffee Break NO.242/2010年10月15日
     
                  秋の花

    電車の窓から、江戸川の土手に群生する彼岸花をみつけました。お彼岸を過ぎて久しい頃に満開とは、今年の猛暑は植物の遺伝子情報を狂わせるほど凄かったということですね。今年初めて秋を実感したひと時でした。
    秋を感じ始めたら、近所の公園でも妖艶な香りが人々を誘(いざな)っているような気になりました。植え込みの辺りには、金木犀の絨毯(じゅうたん)が。木々の中を覗き込んでみてみると、金木犀の小さな花々が小人のように、葉っぱの滑り台を転がって地面に楽しそ
うに転がっていました。

    自宅のマンションのエントランスに入ると、管理人室のところに竜胆(りんどう)の一輪挿しが差してありました。ああ、今頃、山の方では草紅葉(くさもみじ)かなあなどと紅葉の高山を思いながら一輪の竜胆にごあいさつ。自然を愛でる秋、しっかりと感じて豊かさを味わいたいものです。

    可憐な花なのに竜の肝(きも)と書く竜胆(りんどう)、なぜ? 実は漢方薬に使われているのです。今朝飲んだ鼻炎の漢方薬にも竜胆が入っていたようです!?愛でてもよし、飲んでもよしの、秋の花です。