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旧千ヶ滝プリンスホテル 今は守衛所も取り払われ樹木に覆われ朽ちた建物は確認できない かって皇族方の夏の保養所として使われた。
夏期秋篠宮さま、紀宮さまはここから大日向の聖ヨゼフ保育園に通われた |
満蒙開拓団には直接関係ないが、かっては夏の社交場的賑わいを見せた西武百貨店ピーコック 道を隔てたテニスコートもひっそりと静まり返り、コートは荒れ駐車場に
以前若いガイドさんがここが皇太子殿下と美智子さまのロマンスのテニスコートであると紹介されていた。
旧軽井沢の軽井沢会テニスコートと勘違いされているのかと思わず苦笑、時の流れを知らされたことがある |
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左:千ヶ滝西区入口にある千光稲荷神社敷内に建つ開発者西武グループの始祖堤康次郎翁の像
氏の功績に対し、町内外の有志が感謝の念を結集、昭和46年10月尊像を建立、永遠にご遺徳を仰がんとしたもの。揮毫は元首相佐藤栄作
-彰徳協賛会 会長佐藤今朝市郎-
下:道を隔てた戸板学園セミナーハウス
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昭和天皇御巡幸記念碑
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「あさまおろし つよきふもとに帰りきて いそしむ田人 とふとくもあるか」
昭和22年10月7日昭和天皇が甲信越地方御巡幸の折、大日向にも立ち寄られ、死闘苦難の開拓団民をお見舞いなされたその時のことを翌年の歌会始めに読まれた。その感激を永遠に伝えようと開拓民一同が20年後の昭和42年10月7日に建立した記念碑
-選文者 竹内風聱謹書 建設 大日向開拓農業協同組合員一同-
昭和42年8月20日皇太子殿下同美智子妃殿下、ネパール皇太子ビクラム殿下行啓される
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記念碑前に広がる開拓地 季節になると高原野菜が栽培される
今では開拓団の人達の2世3世となり極一部の方によって耕作され高原野菜などが栽培されている |
浅間山をバックに聖ヨゼフ保育園 1953年設立以来58年間の歴史に終止符を打ち、2011年3月の最後の卒園式をもって惜しまれつつ閉園
天皇家が夏期旧千ヶ滝プリンスホテルで静養中は秋篠宮さま黒田清子さま(紀宮さま)が1ヶ月近く通われた (脚注)
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軽井沢研修所 毎夏8月天皇皇后両陛下が草津国際音楽アカデミーに出席される折、軽井沢経由数日間お泊りになる
町が管理 研修やセミナーでの使用目的であれば宿泊利用可能 |
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右:大日向公民館敷内の満蒙開拓団慰霊碑
昭和39年9月1日皇太子御一家の御来啓を賜り、同年11月3日に建立された。入植以来15名の御霊も慰霊。
左:前掲の昭和天皇御巡幸記念碑と同じ歌碑がここにも
「あさまおろし つよきふもとに帰りきて
いそしむ田人 とふとくもあるか」 |
皇太子明仁殿下賜る 浅間キスゲ、アヤメの記念碑 未だ芽吹き前のため開花時期に再訪したい |
公民館内にある満蒙開拓団の第3の故郷“大日向”に関わる記念館
管理者非常駐のため入館は電話連絡が必要 |
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―両陛下大日向開拓地を訪れる―
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平成27年8月静養のため軽井沢に滞在、恒例の開拓地を訪れ住民らと懇談。
昨年は、直前に起きた広島の土砂災害の犠牲者を悼み、来訪は中止された。
両陛下は、数年前から毎年8月に静養のため軽井沢大日向地区に滞在、大日向の開拓民達と懇談され、その後に群馬県草津町で毎年開催される「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」を鑑賞されることを恒例行事とされてきた。
■両陛下 開拓地を訪問
天皇、皇后両陛下は22日、長野県軽井沢町で、旧満州かの引揚者が入植した「大日向(おおひなた)開拓地」を訪れた。
住民との懇談では戦中から戦後の体験談に耳を傾け、天皇陛下は「ご苦労が多かったでしょう」といたわった。
皇后さまは「いつまでもお元気で」と体調を気遣っていた。
両陛下は29日まで、軽井沢町と群馬県草津町で静養する。 ―8月23日 朝日新聞―
■両陛下、軽井沢入り ㏺に草津へ
天皇、皇后両陛下は22日、静養のため北陸新幹線で長野・軽井沢町に到着された。
JR軽井沢駅前には歓迎のため多くの人が集まり、両陛下は笑顔で手を振って応えた。
26日まで滞在し、27日に草津町に移り、29日に帰京する予定。
両陛下は22日午後に、中国の旧満州から引き揚げてきた人たちが戦後入植した大日向開拓地を訪れ、引揚者らと懇談した。
開拓地内の野菜畑も散策した。
草津町では27日に「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」でコンサートを鑑賞。
皇后さまはピアノのワークショップに参加する。 ―8月23日 上毛新聞―
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