山荘だよりVol.13 
<Vol. 13の内容>

 ○Potting Shed (ガーデニング準備小屋) ガーデニングの愉しみはPotting Shedから。(Feb. 2011)

LUOMUの森 FINLAND 自然に従う生き方 森と暮らしの文化展

○インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK) 浅間山の懐に抱かれて2014年秋開校する  (Sept.8.2011)
ISAK代表理事 小林りん氏講演会

○浅間南麓高原から信楽や志野が焼成される 元首相細川護煕さんの穴窯(Apr.24.2012)

○浅間南麓高原大日向に満蒙開拓団の歴史を歩く

森のBreakfast Cafeで朝食、浅間連峰の雄大なパノラマを望み厄落とし“あぐりのこもろ”
 

                     
                     ~
Potting Shed  こぶしざわ
                          Potting shed のある暮らし ガーディニングをもっと愉しく。
    
Step into the potting shed and the hum of the everyday world dwindles into silence.
The air is warm and smells of earth. Wood flats checkerboard the potting bench, terra-cotta pots tower
in the corner like soup bowls on a kitchen shelf, and bins of soil beckon, their contents rich and deep.
 

       
 辛夷の木彫ロゴ   寂しい冬のプランター 北欧のクロスマーク付   防犯ステッカーまで貼られてしまう  ミズキの 木彫パンリース

  ポッティングシェッドはガーディニングの必須アイテム。本来はガーデニングの道具、球根、種子、雑誌などの収納小屋として、ガーデニングの準備、作業小屋の役割を持つ。

オーナーの好みを写す小屋として、使い方も多様。季刊の種苗雑誌を見ながら植栽、播種計画の思いを巡らす場所であったり、時として静かにまどろむ場所ともなる。
電気を引き、椅子やテーブルランプを持ち込む。

お気に入りの額を掛けたり、冬季の作業オフには暖房器具まで持ち込み我が城と化す。

       
 鍛冶屋に造らせたらしい異国風の枝切りバサミ  外壁に吊るされたシャベル、カケヤ、ライナー、鍬、金盥、篩など  何に使われた物か 古道具屋で見つけハンギングバスケットに

     
 経年古色が欲しい真新しい外観   terra-cotta potの山   年期の入った道具類

Potting Shed こぶしざわは、北軽井沢の木工作家Kさんへお願いし、レッドシダー材で内装のツーバイフォー工法で建てた
1.5坪程の小さな小屋。床、カウンターも付け、電気を引き、金の鈴ペンダントライト、クリントシェードのテーブルランプ、ポールセンの玄関灯を付けた。

小さな2つの窓には市販のブラインドを付け、窓飾りにシジュウガラとシギの木彫を飾る。
内部はPotting Shedらしさの鄙の匂いや土臭さはなく、レッドシダーの清々しい香りが満ちている。
抗菌の強い樹種のためカビの心配はない。

このてのものはポッティングシェッドと言うより書斎小屋とでも言った方が適当のようだ。
中には家具や道具、インテリア小物、園芸雑誌、絵などがガーデニング用材と混在している。

綺麗に造り過ぎたためか、留守中に防犯委員の方に防犯スティッカーを玄関ドアに貼られてしまった。体裁とすると失敗だ。
人の住む居宅と勘違いされたようだ。材や塗装から新築の真新しさが際立ち、鄙びたアース色は望むべくもない。
Potting Shedらしさの風格は時の経過を待つより仕方ないが、経年変化はそう簡単ではない。オーナーの代替わりを待つより仕方ない。
これからPotting Shedを作られる方には古材を多様するなどの工夫を薦めたい。




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FINLAND    自然に従う生き方  
 
 

森と暮らしの文化展 2010 11/12Fri.)⇒2/28(Mon.) 於 北軽井沢 LUOMUの http://luomu-mori.com/
ルオムとは、フインランド語で自然に従う生き方                               TEL 0279‐84‐2512

フインランドの長く続く冬の厳しさ、雪が溶けて遅い春を待ち望む人々、短い夏を慈しむ人々、その人々のありのままを生活や文化、伝統、芸術、
自然環境などを様々な展示物や写真パネルを通して紹介しています。
彼らの冬の生活、長い夜の楽しみ方、その土地に伝わる生活の知恵、ライフスタイル等々に触れる事によって私達が感じ取ることができる
「知識」や「アイデア」に出会える場(森)として開催しています。-案内リーフレットより-


 146号脇に立つ大きなキノコ案内   途中いくつかの案内板に従って進む
 広い敷地の入口 遠方に古い洋館の本館
     
     
  Forest Adventure 森林樹上冒険施設エリア
 大正9年の浅間高原北麓最古の洋館 アメリカ屋建築   
     
 
温かさを感じる木製やガラス器の小物と家具工房WAKIのキャビネット 外材の針葉樹で作られた家具は経年変化が美しい   

     
 黒漆の木製皿やトレイなど     落ち着いた色使いのトナカイ案内板
     
     
 北欧らしいビビッドな色使いのインテリア小物  富山の工房KAKIの家具が北欧のライフスタイルに溶け込む  大広間のあさまストーブショールーム 
     
     
中軽井沢駅前から千ヶ滝通り(沓掛通り)を北軽井沢へ向かう。
峠の茶屋を過ぎ、車で20分程で北軽井沢交差点、そこを過ぎると間もなく左側に大きなキノコのオブジェ標識が出現、斜め左に入り、標識に従い2km程進むと、
浅間山北麓の美しく開けた高原にアカマツ、雑木の巨樹を抱くルオムの森。

浅間高原北麓最古の洋館はそんな中に佇む。
軽井沢に多く見られるアメリカ屋建築の遺産であると言う。和洋折衷の建築様式による極めて貴重な文化遺産である。
かっての主は、神奈川県出身の実業家田中銀之助(1873~1935)。英国に留学、日本にラグビーを伝えた人だ。
銀行、鉱業、鉱山などを興し、日本製鋼所の役員にも就任した。

大きな2階建の夏用山荘は、断熱材を入れ屋根、外壁の張替えなどの大補修を終え、100年の歴史を感じる美しい館に仕上がり、建築的にも見るに値する。
外壁のドイツ下見張りと部分的に張られたウッドシェイクが美しい。

暖炉を備えた大きな居間は、社交場としての栄華を彷彿とさせる。
こんな中に、北欧フインランドの自然豊かなテイストが静かに再現され、ライフスタイルの一端を垣間見ることができる。
富山の家具工房KAKIの白木家具、鮮やかなテキスタイル、小物インテリアなど温かなぬくもりが100年の洋館にマッチ、心地良い空間に仕上がっている。        
 2/17 2011

 




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日本初の高校全寮制のインターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK) 2013年秋開校予定~

国内外から募集した150名が学ぶようになる。3~4割はアジア各国から留学生を受け入れる。
うち40人ほどは年間350万ほどの学費・寮費を奨学金で全面免除する。

設立準備財団の代表小林りん氏は、「才能を持ちながら、貧しいためにチャンスを得られないアジアの若者を集めたい」としている。
既存のインターナショナルスクールにはない教育の機会均等を目指し、一つの価値基準に縛られることなく、アジアの若者同士が刺激を受けながら、
自分の人生を思い切り生きる人間を育てると言う基本理念が学校づくりの構想だ。

注目したいのは、学校のカリキュラムのうち、
「デザイン力」が特に重視される。
と言ってもものをデザインすることだけではない。
さまざまな引き出しから、自由な発想で問題解決の手だてを考える力、つまり、理系・文系の枠ではくくれない「柔軟な対応力」だと言う。

アジア各国の未来のリーダーを、日本で育てたい。自由な発想で、「格差を」を超える。
                   ― 一部The Asahi Shimbun Globe Aug.21-Sept.3、2011「Breakthrogh 突破する力」より抜粋―

設立発起人役員には元ソニー会長の出井氏や建築家のエドワード鈴木氏等が名を連ねる。 


                                            http://isak.jp

     
入口より望む建築予定地 標高1,100mのかって西武鉄道グループのデベロッパーであった〈株)国土計画によってゴルフ場造成が計画され、カラマツやアカマツ、楢の雑木林の一帯は浅間の山懐に抱かれた勉学には適した別天地と言える 。
平成2年(1990年)にゴルフ場計画が断念された広大な森の一角。一部北域は“別荘地浅間テラス”として分譲中
     
   
予定サイトからは樹木のため浅間の山容は望めないため1.5~2km程下ったコスモス咲き乱れる高原の開拓された草地から予定地を望む   雑木の中に完成した寮棟などが望める 本体は未だ急ピッチで工事が行なわれている 4/5 2014
  


 育て!世界のリーダー  インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)予定より1年遅れ開校

世界をより良く変えるリーダーの育成を目指す全寮制国際高校「インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢」の開校式が2014年8月24日、
長野県軽井沢町で開かれ、国内18人はじめタイやマレーシア、アメリカなど内外15カ国から応募の233人の中から49人が一期生として顔をそろえた。
男女比はほぼ同率、全生徒のうち56%が全額、または部分的に奨学金を利用するという。


小林りん代表理事(39)が「資金調達など苦難の道のりだったが、素晴らしい生徒が門をたたいてくれた」とあいさつ。

約200人が参加した開校式には、下村博文文部科学相も駆け付け「国もしっかり応援したい」と期待感を示した。

文科相が個別の学校の開校式に出るのは異例という。
 ―上毛新聞 2014年8月25日より― 

 下村文科相が個別の学校の開校式に出るのは異例といわれるが、
文科相の出身地である群馬県の高崎から見れば軽井沢は隣県で若い頃から親しんで来られた土地
加えて、アジアのリーダーを育てる国際校となれば大臣の期待感も推して知れる。
因みに中央紙でなく開校を掲載した上毛新聞も群馬県前橋市に本社を置く地方紙。







 建築士会佐久支部 平成26年度新春講演会 
 —ISAK 代表理事 小林りん氏— 

 ~明日のアジアを担う子ども達のために~

       2/7 2015 16:00~於佐久グランドホテル
 
 
 

昨年㋇㏷の開校後も新聞や雑誌に取り上げられている小林りん氏、
幸い建築士会の講演会で登壇願うということで拝聴。

浅間山麓の雪深いISAKからブーツ姿で登壇。
演題の「明日のアジアを担う子ども達のために」に拘らず、今日は、皆さんと自由なお話が出来たらと。開口一番。その柔軟な発想に驚かされる。

都内国立の付属高校に在学するも、全教科万遍なく成績向上を求められる画一教育に疑問を感じ? 経団連の奨学留学に応募、カナダのインターナショナルスクールに入学。
在学中に国際バカロレアディプロマ取得、奇しくもISAKはIBディプロマ認定校となり、高校2年次から所定のカリキュラムを履修すると世界各国の大学受験資格を得ることができるという。

自身取得した時はまさかご自分で将来教育関係に携わるとは思っても見なかったと言う。

ISAKに携わることとなった経緯、なぜ軽井沢か、資金面の苦難など多難を乗り越え、今日に至った熱の籠った話に聴衆は惹き込まれた。

日本の教育は今、地殻変動が起きているという。既に初等教育は着手されているが、今後5~10年の間には入試の方法をはじめ、高等教育がすごいスピードで変わって行くという。
このタイミングで日本の教育界に身を投じたことは、とてもやりがいを感じると言う。
フランスの哲学者アランの「悲観は気分に属するが、楽観は意志である」
を座右の銘とし、自分が志した道を楽観できるように、悩んだり悔んだりするよりもアクションする、ということ。
話の中での一貫した行動力は真に感服に値する。

ご家族には1歳と5歳のお子さんが居ると言う。厳寒の浅間山の森の中での寄宿生達との日々は凡人には到底想像もできない。




 

―小林りん(1974年10月29日東京都生まれ~)

1991年東京学芸大学附属高校中退
同年カナダ ピアソンカレッジ入学
1998年 東京大学経済学部卒業
2005年 スタンフォード大学大学院国際教育政策学修士号取得


1998年 モルガンスタンレー日本法人勤務
2000年 インターネット関連のベンチャー企業経営
2003年 国際協力銀行(JBIC)勤務

2006年 国連児童基金のプログラムオフィサーとしてフィりピンに駐在、ストリートチルドレンの非公式教育に携わる
2009年 ISAK設立財団代表理事に就任


2013年 日経ビジネス主催「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー2013」に選ばれる
2012年 アエラ「日本を立て直す100人」に選ばれる
2012年 日経ビジネス「次代を創る100人」に選ばれる









 
浅間を望む高原 左手前が ISAKから程近い細川護煕元首相の畑 高原インゲン、ズッキーニ、オオバ、茄子、ニンニクが栽培されている

*** 畑の草取りに忙しいものですから・・・・・・
人事や政策面で野田首相に様々なアドバイスをしている細川護煕元首相は、野田佳彦首相の「指南役」と言われている。
朝日新聞のインタビューで、再び政治の表舞台に立つ考えはありますか?「全くそういう気持ちはありません。
「畑の草取りに忙しいものですから」と自身の政界復帰は否定した。
―朝日新聞平成23年9月18,19日 上・下―

浅間南麓山荘をベースに至近距離に在る畑と窯場。畑はニンニクやズッキーニ、オオバが草と共存。
窯場は、湯河原に持つ炭窯で焼く楽茶碗とは違い、ここ中軽井沢では穴窯、赤松の薪がうず高く積まれ、志野や信楽が焼かれている。
大きな壷から徳利、猪口などの小物、「阿」のポーズをとる雅味溢れる狛犬などが作陶される。
人の気配は稀なこの辺りの自然の大地に汗を流す氏にとっては、心身を削る政界はもはや身を投じることのできない別界であろう。

数年前小学館の「和楽」に氏の湯河原と中軽井沢の窯での作陶を追った興味深い記事が組まれた。氏はインタビューの中で、
ここでも「草取りしなきゃ」と結んでいる。雑草に気を揉んでいるのか、それとも誘いをはぐらかす格好の逃げ口上かはわからない。


 




 中軽井沢穴窯で作陶される志野や信楽~ 


 
軽井沢と言ってもここは標高1,000mを超えるまさに浅間の南麓高原。
元首相の細川護煕さんの焼成拠点は、ここの唐松林の中にある。

2004年8月に開窯、氏が湯河原の不東庵で作陶される電気窯による楽茶碗と異なり、
1週間昼夜を分かたず焚き続ける穴窯は、白熱の溶鉱炉、おのずと御自身の山荘や畑がある天空のこの地に築窯することになったと言う。

この日、Oさんのご好意で初窯開けを見せて頂いた。

出しされた作品は、焼成中の灰や土の落とし、作品の選別、ひっつきの処理、
番号を貼り最後の仕上のための搬出などスタッフの人たち3人が馬場さんを中心に手際よく働いていた。
湯河原に運び最後の仕上げや選別を行い共箱として、展覧会やお店に並べる体裁に整えると言う。

Oさんの案内で、興味深く貴重な体験をすることができた。(4/4 '12)

     
 赤松の薪束、2年先のものまで乾燥させている  窯出しされた作品群 
     
     
 焼成前の信楽狛犬 阿吽の「阿」のポーズ   景色が面白くないものや焼漏れなどは「二度焼き」に回し新たな雅味に期待をかけると言う 
     
     
井戸の徳利に種子島焼ぐい呑に御神酒 を入れて  二度焼きに回すため撥ねられたもの 
   
     
ユーモラスな唐子人形なども  穴窯の全景焼成時は焚口を残し塞がれる  内部奥まで階段状 炎が通る道を挟み作品が並ぶ 
     
     




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浅間南麓高原大日向に満蒙開拓の歴史を歩く 

大雪が融け春の気配を感じる。
朝青空を確認、今日こそはと外に出て木立の間に雪の残る浅間山がくっきり見えるのを確認。

何故かここ数日寒さ再来で冷気が身にしみる。綿入れパーカーにネックウオーマーの出で立ちでカメラとメモを手に出発。

満蒙開拓団関連サイトの巡回手順メモを手に。
西武の千ヶ滝別荘地から入り、大日向まで約2時間をかけて巡った。

10時頃山荘出発―千ヶ滝西区 旧千ヶ滝プリンスホテル―千ヶ滝別荘地開発の西武グループ創始者堤康次郎翁像、千光稲荷神社―御巡幸記念碑―
International school of Asia Karuizawa(ISAK)サイト―聖ヨゼフ保育園―軽井沢町研修所―大日向公民館―帰荘

 

~満蒙開拓団~ 
浅間南麓へ入植第3の「大日向」を築いた人達

1931年満州事変以降太平洋戦争までの期間に日本政府の国策により推進された中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した移民の総称で、1936年~1956年の間に500万人の移住を計画推進した。
結果的には移民総勢は27~32万人といわれる。

日本軍が敗れ日本海および黄海の制空、制海権を失った段階でこの移民計画は中止となった。

敗戦後の混乱の中、大陸から引き揚げて来られた「引揚者」は居住のあてもなく、戦後苦難の生活を余儀なくされた。
政府は、彼らに移民用の土地を各地に割り当てた。その多くは当然のことながら非耕作地が多く開墾の必要な土地であった。
土地は荒れ、耕作には適さない劣悪な環境の中、多くの人が過酷な状況に晒された。

後に成田空港建設時の「三里塚闘争」も成田市三里塚地区に移住用土地を割り当てられた引揚者たちの闘争であったといわれる。

ここ大日向地区も佐久地方の大日向村(南佐久郡大日向村、1956年に現佐久穂町に編入佐久穂町大字大日向となる)は昭和12年に分村計画を立て、満州国吉林省舒蘭県四家房(きつりんしょうじょらんけんしかぼう)の地へ第2の故郷大日向建設の希望を抱いて渡った人たちが引き上げ新天地に第3の大日向を築くべく再入植した場所だ。
当時村は、村民の半数の人々216戸674名を満蒙開拓団に送り出し、国策に応えた功績は政府から表彰されたという。

大東亜戦争(太平洋戦争)により入植地吉林省は1945年8月8日ソ連軍の攻撃で幕切れ。昭和20年8月15日終戦の宣勅は下り、混乱の中374人もの多くの犠牲者を出し、第2の大日向建設の夢破れ途方にくれ、追い出されるような状況下日本へ逃げ帰って来たと言える。

1946年帰国した移民達は、既に旧故郷の大日向村には帰るところは無く、1947年(昭和22年)に浅間山南麓標高1,100mほどの火山灰地を政府から割り当てられ、65世帯が再入植し、第3の大日向の建設が始まった。

標高1,100mほどの浅間山南麓の高原は火山岩と火山灰の積もる荒地であったことは言うまでもない。
地下水がなく厳しい寒さと闘いながらの開墾生活は想像を絶するものであったろう。


 
 
旧千ヶ滝プリンスホテル 今は守衛所も取り払われ樹木に覆われ朽ちた建物は確認できない かって皇族方の夏の保養所として使われた。
夏期秋篠宮さま、紀宮さまはここから大日向の聖ヨゼフ保育園に通われた 
満蒙開拓団には直接関係ないが、かっては夏の社交場的賑わいを見せた西武百貨店ピーコック 道を隔てたテニスコートもひっそりと静まり返り、コートは荒れ駐車場に
以前若いガイドさんがここが皇太子殿下と美智子さまのロマンスのテニスコートであると紹介されていた。
旧軽井沢の軽井沢会テニスコートと勘違いされているのかと思わず苦笑、時の流れを知らされたことがある 
     
     
左:千ヶ滝西区入口にある千光稲荷神社敷内に建つ開発者西武グループの始祖堤康次郎翁の像
氏の功績に対し、町内外の有志が感謝の念を結集、昭和46年10月尊像を建立、永遠にご遺徳を仰がんとしたもの。揮毫は元首相佐藤栄作
-彰徳協賛会 会長佐藤今朝市郎-

下:道を隔てた戸板学園セミナーハウス
 
 
昭和天皇御巡幸記念碑

「あさまおろし つよきふもとに帰りきて いそしむ田人 とふとくもあるか」

昭和22年10月7日昭和天皇が甲信越地方御巡幸の折、大日向にも立ち寄られ、死闘苦難の開拓団民をお見舞いなされたその時のことを翌年の歌会始めに読まれた。その感激を永遠に伝えようと開拓民一同が20年後の昭和42年10月7日に建立した記念碑
-選文者 竹内風聱謹書 建設 大日向開拓農業協同組合員一同-

昭和42年8月20日皇太子殿下同美智子妃殿下、ネパール皇太子ビクラム殿下行啓される
 
     
     
     
記念碑前に広がる開拓地 季節になると高原野菜が栽培される 
今では開拓団の人達の2世3世となり極一部の方によって耕作され高原野菜などが栽培されている
浅間山をバックに聖ヨゼフ保育園 1953年設立以来58年間の歴史に終止符を打ち、2011年3月の最後の卒園式をもって惜しまれつつ閉園
天皇家が夏期旧千ヶ滝プリンスホテルで静養中は秋篠宮さま黒田清子さま(紀宮さま)が1ヶ月近く通われた
(脚注)
軽井沢研修所 毎夏8月天皇皇后両陛下が草津国際音楽アカデミーに出席される折、軽井沢経由数日間お泊りになる
町が管理 研修やセミナーでの使用目的であれば宿泊利用可能 
     
     
右:大日向公民館敷内の満蒙開拓団慰霊碑
昭和39年9月1日皇太子御一家の御来啓を賜り、同年11月3日に建立された。入植以来15名の御霊も慰霊。


左:前掲の昭和天皇御巡幸記念碑と同じ歌碑がここにも
「あさまおろし つよきふもとに帰りきて
いそしむ田人 とふとくもあるか」
皇太子明仁殿下賜る 浅間キスゲ、アヤメの記念碑 未だ芽吹き前のため開花時期に再訪したい  公民館内にある満蒙開拓団の第3の故郷“大日向”に関わる記念館
管理者非常駐のため入館は電話連絡が必要 
     
 
 

 ―両陛下大日向開拓地を訪れる―
平成27年8月静養のため軽井沢に滞在、恒例の開拓地を訪れ住民らと懇談。
昨年は、直前に起きた広島の土砂災害の犠牲者を悼み、来訪は中止された。

両陛下は、数年前から毎年8月に静養のため軽井沢大日向地区に滞在、大日向の開拓民達と懇談され、その後に群馬県草津町で毎年開催される「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」を鑑賞されることを恒例行事とされてきた。

■両陛下 開拓地を訪問
天皇、皇后両陛下は22日、長野県軽井沢町で、旧満州かの引揚者が入植した「大日向(おおひなた)開拓地」を訪れた。
住民との懇談では戦中から戦後の体験談に耳を傾け、天皇陛下は「ご苦労が多かったでしょう」といたわった。
皇后さまは「いつまでもお元気で」と体調を気遣っていた。
両陛下は29日まで、軽井沢町と群馬県草津町で静養する。   ―8月23日 朝日新聞―


■両陛下、軽井沢入り ㏺に草津へ
天皇、皇后両陛下は22日、静養のため北陸新幹線で長野・軽井沢町に到着された。
JR軽井沢駅前には歓迎のため多くの人が集まり、両陛下は笑顔で手を振って応えた。
26日まで滞在し、27日に草津町に移り、29日に帰京する予定。
両陛下は22日午後に、中国の旧満州から引き揚げてきた人たちが戦後入植した大日向開拓地を訪れ、引揚者らと懇談した。
開拓地内の野菜畑も散策した。

草津町では27日に「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」でコンサートを鑑賞。
皇后さまはピアノのワークショップに参加する。          ―8月23日 上毛新聞―
 



 (脚注) 聖ヨゼフ保育園
カトリックの神父コロンビア人コンラード神父(故人)が引揚者やここから東へ5kmほどの国道18号中軽井沢上の原信号近くのクララ会修道院のシスター達の助けを借り、1953年(昭和28年)に開園。

開拓民が開拓地で作業に勤しむ間、子供達が木に繋がれたり、蟻が全身に付いたりの目に余る状況を何とか助けたいと開園した保育園。
以後村の子供たちを中心に2011年まで続き、秋篠宮さま紀宮さま(黒田清子さま)も夏期軽井沢での静養中通園された。

当時夏になると皇太子陛下御一家はここから車で10分ほどにあった前掲の千ヶ滝プリンスホテルに静養されていた。
時に美智子皇后さまが紀宮さまをお連れされたこともあると村人は語る。

私の山荘ご近所のHさん(故人)が当時保母さんとして当園に勤務され、紀宮さまがお昼寝されている可愛らしい写真を大切に保管されていたものをご自宅で拝見させて頂いたことが懐かしく思い起こされる。

こんな長い苦難の歴史を持つ当園は惜しまれつつ
2011年3月の卒園式をもって、58年の歴史に幕を閉じた。
卒園式の席上、時の松本文恵園長〈70歳)から、皇后美智子さまから労いの電話をいただいたことが披露されたという。

町に知らされた閉園理由は、
1.園長の高齢化と後継者の不在。
2.カトリック教会として再入植地の大日向地区での手助けする役割を終えた。
としている。

今後の利用計画はないというが近年インターナショナル校の開校はじめ話題の多いここ浅間山の山容に抱かれた大日向高原にある当建物が歴史遺産としていつまでも活用されていくことを願って止まない。 (現所有管理者 アントニオ愛児会 長野県長野市西鶴賀町1491-12 ℡026-238-6767))

  




             
                     満蒙開拓団を考察・研究した力作が出版された。
                     朝日新聞に掲載されたその書評をここに紹介。

                 
 世界思想社 著者・小林信介 72年生まれ。金沢大学准教授(近現代日本経済史)


                 
人びとはなぜ満洲へ渡ったのか~
                                   長野県の社会運動と移民 

                                  「貧しさゆえに」の移民像を覆す

 関東軍の武力を背景に日本が中国東北部で建国を宣言した「満州国」。
 一時は百万人を超える日本人が暮らしていた。本書はその約三分の一を占める開拓団員、青少年義勇軍ら、
 「農業移民」を研究対象とする。
 移民たちは「貧しいがゆえに、新天地を求めて自ら満洲に渡った」とされてきた。しかし著者は両者の因果関係は存在しないと考える。

 その代わりに仮説として示されるのが「バスの論理」、つまり「あの村が行くなら自分の村でも」と移民送出を競い合う構図だ。 

 もうひとつ、注目されるが教育の関与である。
 多くの教員が社会活動で検挙された「二・四事件」が1933年に起きた後、長野県の教員組織「信濃教育会」は
 身の潔白を証し立てるかのように国策追従色を 強める。
 教師たちは次男、三男のいる農家を回って「一人ぐらいは行ってくれ」と家族を説得した。

 このように農業移民が国境を越えたのは「貧しさ」のせいではなく、「自発的」な選択でもなかった。
 それを実証的に示した意義は専門的な研究領域に留まらない。
 競争心を駆り立てたり、教育を媒介に動員を図ったりするメカニズムは戦時下の長野県に限られず、どこにでも発動しうる。
 開拓移民の前例が広く知られれば、それに対して注意深い検証の構えが取れよう。

 農業移民は残留邦人問題に通じ、帰国定住や就業上の困難は今も消えていない。
 国境を跨いで長く影を落とし続ける満洲植民活動の実態を確かめる本書の作業は、歴史認識の違いを非難しあって対話が成立
 しにくくなっている東アジア圏の現状に向けて、共通の議論の場を提供する機会にも繋がるはずだ。 


                                評・武田 徹 評論家・恵泉女学園大学教授 5月31日 2015年朝日新聞より抜粋

 




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~森のBreakfast & Cafe“キャボットコーヴ”で朝食
浅間連峰の雄大な眺望を見ながら厄落とし
“あぐりのこもろ”へ~

1/8 '12 

新年の挨拶で来荘された南が丘のIさんと朝食カフェと言う、当地では初の新業態へ見学を兼ね出掛ける。
早朝6:30からオープンの朝食カフェ“Cabot Cove”は軽井沢の西端追分の御影用水に程近い、アメリカニューイングランド地方の田園風景を彷彿とさせる森の中
にある。9時過ぎに入ると、既にほぼ席は埋まり、人気の程を伺わせる。一人での来店客のほか家族連れもいる。見たところ土地の人ではなく、所謂別荘族のようだ。

インテリアはアーリーアメリカン風情、デコイなどプリミティブなフォークアートの小物が並ぶ。壁にはアメリカンスクール風の素朴な絵が架けられている。
空いていた薪ストーブ前の二人席に着き、アメリカンらしいポップオーバーとスープを戴き体が温まる。久しく朝食での満腹感を得た。

お腹を満たし、温泉好きのIさんのお誘いで、小諸JAが運営する大型天然温泉施設
“あぐりのこもろ”へ。Iさんは家族ぐるみで温泉好きここを贔屓にしていると言う。
浅間連峰のパノラマを望む大浴場は連休とあって賑やかで活況を呈していた。大きな浴槽で心底温まり、厄を洗い落とし清々しい気持ちだ。
新年から商売繁盛の模範を垣間見、見聞を拡げることができ、充実感に浸る。
 

 
     
 追分の御影用水からほど近い山荘地帯に開店 早朝から賑わう 朝食カフェ   見たことのないタイプ、シンプルな大型ストーブ オーストラリア製と言う
     
     
  ポップオーバーと量たっぷりのスープ(注)   小諸市郊外の高台にある天然温泉 近くに布引き温泉も     休憩大広間から望む浅間山、黒斑山、高峰山と続く

     
 休憩大広間のガラス越に望む浅間連峰の大パノラマ、 高峰山に続き、水ノ塔山、篭ノ登山、湯ノ丸山、烏帽子岳と連なる浅間連峰の雄大な絶景
     
(注)ポップオーバーとは1800年代後半アメリカに渡ったイギリス北部のヨークシャーの人達によってつくられたヨークシャープディングが原型
Popoverは「弾けて飛び出る」の意。
http://spoonbread.jp/popover/index.html



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