1996年秋

キューバの都市農業

 支援が失われ、あわせて米国の経済封鎖が強化されたことで、キューバは1959年の革命以来、突然にして、かつ、最悪の経済危機へと突入した。この経済危機は、公式には「平和時のスペシャル・ピリオド」と称されているが、この危機は、キューバの食料確保に破滅的な影響をもたらした。キューバ農業は、ソ連からの化学投入資材に大きく依存していたが、突然に石油、化学肥料、農薬が50パーセント以上も減るという事態に直面してしまったのである。総輸入額も1989年から1993年にかけ70パーセントも縮小したが、食料輸入量も低下した。1991年、フィデル・カストロは自ら「食料問題が最優先事項だ」との宣言を行う。

 スペシャル・ピリオドとその結果としての食料不足は、ハバナにも深刻な影響を及ぼした。ハバナは、キューバの総人口の五分の一にあたる約250万人を抱えるカリブ諸島域最大の都市だが、国内食料生産の落ち込みに加え、地方で生産された食料を首都に輸送したり、冷蔵・貯蔵するのに欠かせない石油も不足したのである。したがって、「国家食料計画」を策定するにあたり、ハバナが最優先されたことは驚くにあたらないだろう。食料確保を強化する手段のひとつとして、都市園芸が緊急的に計画された。

 ハバナの都市園芸には、家庭菜園(huertos privados)から国営の研究菜園(organicponico)に至るまで、実に多くの種類がある。だが、最も一般に普及し市民が身近に接しやすいのは人民菜園(huertos populares)だろう。人民菜園とは、国有地を利用した小規模な畑で、食料不足に対応するため、各個人やコミュニティ・グループによって耕作されているものである。人民菜園プロジェクトは、1991年の1月にまずハバナでスタートし、それ以来、それ以外の都市でも推進されている。ハバナ市は15区と、さらにその下に43地区があるが、1995年時点では、全部あわせて市内には26600もの人民菜園区画があると判断される。

 人民菜園の広さは、数メートル四方から3ヘクタールまでとかなり幅がある。広い場合は、たいがい小規模の個人菜園に分割されている。菜園はたいてい空いていたか、遊休化していた場所に作られており、自宅に隣接しないまでも、耕作者の居住区内に設けられている。菜園者は、きちんと畑を耕作すれば、人民評議会(Porder Popular)を通じて無償で農地を入手できる。菜園の参加者数も1人から70人とばらつきがある。圧倒的多数は男性だが、女性や子どもも参加している。人民菜園は、たいてい各家庭ごとに組織化されているが、一世帯以上が協同所有していたり、敷地を細分割しているケースも一般にみられる。菜園の目的は、各家族の食料ニーズに応じたり、市場出荷したり、土壌やコミュニティの持続性を保つためだが、野菜や果樹に加え、香辛料や医療目的用の薬草を栽培している人民菜園もある。菜園は、低コストで、直ちに適用でき、かつ、環境的にも持続的な有機農業によって生産されており、外部からの投入資材を最小限に抑えることでなされている。菜園者では、化学肥料はまず使われることがなく、その代わりとして、鶏糞や牛糞、家庭生ゴミ、稀にはミミズ堆肥が有機肥料として使われている。除草剤も使用されてはおらず、雑草は手でむしることで管理されている。間作も一般的で、野菜の畝にはときおり高い植物が用いられている。こうした高層植物は低層の作物を保護する被覆材として役立つ。つまり、土の中で育つ作物、土の上で育つ作物、地上で育つ作物と、空間を立体的に活用することで、土地利用率を最大にしているのだ。一般的には、日陰を作るキャッサバと地表を覆うサツマイモが組合わされ、窒素固定をする豆類が含まれることもある。

 人民菜園には問題がないわけではない。主な障害は、高人口密度地域では利用できる土地がほとんどないこと。そして、とりわけ11月から4月の乾期にかけての水不足である。都市域では土が劣化していて、ゴミやガラス、コンクリート他があること。建築物の日影になってしまうこと。病害虫問題、そして、生産物の盗掘だ。盗掘があるのは、食料不足が進行中だからである。だが、こうした課題を解決する上で役立つ資源がいくつかある。最大の資源は菜園者自身だ。彼らは、たいがい園芸倶楽部(Club horticulturas)を組織しているが、こうした倶楽部は資源や経験を蓄積し、菜園者の間で情報や技術的な知識普及を促進している。倶楽部は定期的な会合を持ち、種子、生産物、農具、アイデアを交換しあう。有機菜園のワークショップを行い、コミュニティを教育し、モデル菜園を維持するイベントを実施している組織もある。必要があれば、倶楽部が、農産物が盗まれないように菜園を規則的に監視する組織をつくることもある。現在では、ハバナで農業省に登録された園芸倶楽部は400以上もある。人民菜園にとってもうひとつの鍵となる資源は農業省で、都市農業を推進・支援する特別の部局を設けている。農業省の普及員たちは、有機農業の原理に基づくアドバイスを行い、知識を啓発している。そして、たいていは、人民菜園や園芸倶楽部を始めたり、立ち上げるにあたり、中心的な役割を果たしている。農業省はハバナで8カ所の種苗店(Casa de Semillas)も運営している。スペシャル・ピリオドの中では、野菜や薬草の種や苗、生物農薬や有機肥料、農具といった農業の必需品を手に入れることが困難だが、こうしたセンターが人民に販売しているのだ。農業省に加え、国内外のNGOも人民菜園を支援している。例えば、オーストラリアのパーマカルチャーの国際組織(グリーン・チーム)は、キューバの教会組織(Consejo de lglesias de Cuba)と協働して、パーマカルチャーのセミナーやワークショップを開催している。十日間のワークショップに参加したある菜園者は誇らしげにこう主張した。

「もう決して貧しい状態には不平は言わないよ。やることがあるんだからさ」

 誕生してから5年、ハバナの人民菜園はよく行われてきた。まだ、必要な食料を自給できているわけではないが、不足する薬草やスパイス、必須のビタミンやミネラル分、食事に欠かせない澱粉が提供されている。また、菜園では伝統的な穀物、とりわけ、澱粉質の根菜類(ヴィアンダス)も復活しているが、それが外部への食料依存度を引き下げる一助となっている。

 食料確保に加え、人民菜園が果たしたもうひとつの役割がある。それは、個人やコミュニティのパワーアップだ。人民菜園はコミュニティの団結や目的を新たにし、経済危機が進行する中で、人民のモラルを支えてきた。つまり、菜園はコミュニティの矜持を構築する助けになったのだ。かつてゴミ捨て場であった都市空間はきれいになり、緑の景観に変わった。菜園は、多くの菜園者たちにレジャーやリラックスの機会ももたらしている。ある菜園者は「菜園は、孫と時をすごしたい家族の公園のようだ」と口にした。

 まさに、政治的、経済的な力が菜園を産み出したように、ハバナの人民菜園の将来は、国家政策や経済の将来動向と深く結び付いている。キューバはいま新たなグローバル経済に突入しつつあるが、菜園が存続するかどうかは、この政治や経済の力によって決定されることだろう。「スペシャル・ピリオド」という言葉そのものが示唆するように、経済危機は、通常の状態とは受け止められてはいない。ベルリンの壁が崩壊し、米国の経済封鎖が強化されている一時的のこととみなされている。そこで、経済封鎖が撤廃されれば、ハバナのような都市へ食料を供給するため、再び海外から食料が輸入されたり、化学集約的な農業が復活するに違いない、と確信している人もいる。だが、将来がどうであろうと、現在の食料不足はまさしく経済危機による後退ではある。深刻な食料不足がなくなっても人民菜園は続くのだろうか。将来も人民菜園に携わった人から菜園がなくなることはないであろう。菜園への参加者たちの多くは、園芸倶楽部を通じてコミュニティに投資をしてきたし、地域的な参画や意思決定を促進するという食料確保以上のことを達成してきた。教育とコミュニティと菜園を強化する菜園の協働組織化を通じて、草の根原理も重視されてきた。ある普及員はこう語る。「運動を維持するには文化を創造することが重要なのです。園芸倶楽部やその他のコミュニティの努力はそのことをしてきました」開発上の問題解決策は、人々が参加し、地域の人々に権限が与えられるとき、より持続的なものとなる。このことからも、こうしたコミュニティレベルでの努力は重要なのである。

スコット・G・チャプローワはUCLA地理学の修士コースの卒業論文で1994年の11月と1995年の8月にキューバでフィールド調査を行った。最近では、国連の報告書「アフリカ開発におけるNGOの役割の明確化」や近々出版される世界持続的農業協会の「すべての世代のために、世界の農業をより持続的に」の著者や編集者として世界持続的農業協会と一緒にロス・アンジェルスで仕事をしている。

(カナダのHPシティ・ファーマーからの記事)
  Scott G. Chaplowe, Havana's Popular Gardens,1996. 

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