1997年6月12日

キューバ、グローバル市場とは別の農業づくり

 いま、キューバについて耳にすることを信じることは難しい。一部の人たち、とりわけ公的立場にいる人たちは、「キューバは正しくない」と思い込ませることを願っている。だが、「キューバは悪くはない」と思って欲しいと願っている人たちもいるのだ。私は、キューバを訪ねた人たちから、魅力的な物語を聞かされていた。この人たちは、いろんな面で偏った人たちなのだろうか。それとも、そうではないのだろうか。だが、たとえ、彼らが口にすることの半分が真実であるとしても、驚くべきことがキューバで起こっていると言えるのだ。

 これは、極めて確実なことなのだが、ソ連崩壊は、キューバにとっては、大打撃だった。1990年には、キューバは、ラテンアメリカで最高の平均寿命、最低の乳幼児死亡率、三番目に高い識字率、そして、一人あたりでは最高の教師や医師数と、二番目の作物収量とカロリー摂取量を誇っていた。飢えたキューバ人は、ただ一人もいなかった。だが、こうした感動的なまでの成果は、大きな依存によって成し遂げられたものだった。主には砂糖だが、熱帯産の農産物との引き換えに、ソ連が、石油、トラクター、化学肥料、農薬、家畜飼料、そして、キューバの人々が消費する食料の半分以上を提供していたのだ。農場は政府が所有し、大規模な化学集約的なモノカルチャーとして運営されていた。農地の60%にはサトウキビが作付けられ、それが国の外貨の獲得源の75%を占めていた。そして、ほとんどの資本主義国との貿易は経済封鎖されていたから、1990年に社会主義圏との貿易が崩壊すると、キューバは突然にして、その食料供給源の半分を失い、残りの半分を生産するのに必要な燃料、化学肥料、飼料作物と農薬の大半も失ったのだ。

 状況は絶望的だった。だが、配給を通して、食料は平等に分配され続けた。卵、料理用油、パン、肉、ミルクはほとんどなかったが、人々は、コメ、マメ、魚、食用バナナ、タロイモ、ジャガイモ、キャッサバによって生き伸びることができた。誰もが奪われてはいたものの、栄養失調の徴候はほとんど見られなかった。キューバはラテンアメリカの人口の2%を占めるにすぎないが、科学者の11%がいる。経済危機の以前から、一部の科学者たちは、すでに病害虫を管理し、地力をつける自然農法に取り組んでいた。その農法はキューバの圃場で幅広く用いられることはなかったものの、研究センターではテストされていた。

 そして、既存の害虫モニタリングシステムもあった。キューバ全域で、調査ステーションが、試験作物を作付け、病害虫や農薬抵抗性をチェックしていた。害虫発生を予測するため、天候観測も労を惜しまずなされていたし、どんなトラブルの徴候があっても、農民たちは警告を受けた。

 もっと以前は、農民たちはこの警告に対して農薬で対応していた。だが今では、天敵で対応しているのだ。もし、サトウキビシンクイムシが発生すれば、彼らはシンクイムシに寄生するヤドリバエ(Lixophaga)の群れを放出する。害虫を防除するため、害虫の卵で育つ小さなスズメバチ、トリコグランマ(Trichogramma)を放出する。そして、農民たちは、バナナゾウムシ(banana weevil)を殺すボーヴァリア菌(Beauvaria bassiana)といった、害虫を感染させる一連のバクテリア、真菌、ウイルスを手にしているのだ。こうした生物兵器は、協同組合農場や国営農場にある218ヶ所のセンターで生産されている。センターは小さいハイテク工場で、害虫の天敵を増殖しているのだ。そこで働いているのは、教育を受けた地元農家の息子や娘たちである。

 キューバの科学者たちは、新たな生態的な防除法を発見している。病気に対抗する土壌菌や害虫を殺すネマトーダを特定しているし、アリモドキゾウムシ(sweet potato weevil)を防除するのに、捕食性のアリをどう使うかを農民たちから学んだ。組織培養によってウイルス・フリー苗も増殖していれば、雑草管理のための輪作試験も行っている。どうしても雑草が手に余るときは、サツマイモを植える。「サツマイモは濃密度で育つから、どこでも影をつくる」そう地元の農民たちは研究者に言った。こうした研究者たちと農民たちとの協力的な努力によって、効果的な天然の害虫管理体制が構築されているのだ。

 だが、キューバの農業問題は病害虫だけではない。旧式のソ連製の大型トラクターは、石油がなければ動かない。そこで、キューバ人たちは牛を繁殖し、それで牽引するための巧妙な農具を発明した。牛は土に厩肥を提供する。地力をつけるため、マメ科植物が栽培され、産業規模でのミミズ農場の腐植や都市ゴミコンポストが使われている。また、キューバの科学者たちは、窒素を固定したり、土壌中に燐を放出する独立栄養微生物も発見した。それは、生きている肥料工場である。

 新たな農法は、以前の機械集約型のやり方と比べれば多くの労力を必要とするし、都会化が進んだキューバでは問題ではある。だが、石油の不足によって都市では失業が発生しているため、政府は人々が大地に帰還することを奨励している。農村部では新たな住宅建設も始まっている。若者たちは、二週間から二ヶ年にわたる農場での労働割当を受け、それには賃金が支払われている。

 都会の空き地では、コミュニティ菜園が出現している。ハバナには年間45,000トンの野菜を産み出す5,000もの菜園があると言われている。農民市場も、かつて一度禁止されたことがあるが、いまは成功している。国営農場の土地も、いまだに大半が輸出用の砂糖ではあるとはいえ、農業協同組合へと解体された。

 数多くの情報が、時節はいまだに厳しいものの、状況が改善してきていることを伝えている。まだ倍増はしていなため、かつてそうであったほど食事も豊かではないが、食料生産も向上している。化学製品がなくなったことで、農業労働者たちの間では病気も減っている。土も良くはなってきている。とはいえ、何十年も化学肥料漬けになった後だから、以前の有機質や微生物を回復するまでには、まだ長い道のりがかかるだろう。

 もし、あなたにキューバにネガティブな偏見があるなら「まだその食料供給は心もとないじゃあないか」と言えるだろう。だが、もし、ポジティブな好意を持つならば「キューバは突然、その食料の半分と農業投入資材の大半を奪われたにもかかわらず、環境を改善し、雇用を創出するやり方で、その食料供給を維持・増産させている」と言える。もちろん、この結論は、次の二つの偏見に対しての挑戦であろう。その一つは「キューバは正しいことを何もできない」という偏見であり、もう一つは「食料を生産するには化学製品が必要だ」という偏見なのだ。

(カリフォルニアのグローバル・シティズンというニューズレターからの記事)
 Donella (Dana) Meadows,Cut Off FromGlobal Markets,Cuba Invents a New Agriculture,1997.

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