2000年1月13日

キューバ、世界で最も安全な食べ物を生産

 キューバ革命からの脅威はもはや過去のものだ。ハバナ郊外のミラマル(Miramar)にある人目をひかない地味な建物中で、フィデル・カストロの共産主義政権の技術者が、ラテンアメリカ各地からやってきた幹部たちをトレーニングしている。

 米国人は、キューバ革命の製品であるクリーンな食料から経済封鎖のおかげて保護されてはいる。だが、近隣のベネズエラ、コロンビア、ジャマイカ、その他のラテンアメリカ諸国、そしてはるか遠くヨーロッパまで、この新たなムーブメントが、イデオロギーをともないつつ輸出されているのだ。

 食べ物はクリーンである。化学肥料や毒性の殺虫剤や除草剤がない。偉大で強大なソ連が崩壊してからというもの、キューバはそれらを手にできないからだ。

 そして、この自然のなりゆきの必要性から、キューバは無化学有機の世界で最もクリーンな農産物を生産している。キューバ人たちの言うところによれば、キューバが有機で成功をおさめたことから、ラテンアメリカの全地域から、農業関係者たちがそれを学ぶため、植物防疫研究所(INISAV)にやってきているのだ。研究所は、安っぽく見られるセンターで、ミラマルの閑静な住宅地の旧個人住宅の中にある。そして、研究所でトレーニングを受け、煽動するために再び世界に送り出されていくのはメキシコ、コロンビア、アルゼンチン、ブラジル、コスタリカ、エクアドル、グアテマラ、ジャマイカからの農学者たちだ。それ以外も少なくとも6ケ国が登録をしているが、研究所の幹部はその国籍を教えない。幹部が言うには、トレーニングを受けている人たちの母国が米国から危害を被ると考えているからなのだという。

 研究所は「ビアサフ(Biasav)」のブランド名で、一連の完全な生物的除草剤や農薬を開発している。それは国全体でも売られているし、2000年には、キューバはビアザフを世界に輸出はじめる。もちろん、米国には輸出されはしないが、上述した国々やそれ以外のほとんどの国にはいくことになる。

 そして、国内の野菜需要のさらなる高まりに対応すべく、キューバには10万もの小中規模の都市菜園が芽生えている。菜園は100%有機だから、こうした農産物も100%有機だ。単純な中央からの規制ではあるが、どの市内であれ、農薬使用は禁じられている。そして、これは食の安全に貢献しているカストロ政権に由来するのだ。

 一体、何が起こったのであろうか。

 キューバには農業省だけで140人もの農学博士、それに1万人もの大卒の農業技術者がいるが、例えば、キューバのある10人の農学者に次のように問いかけてみよう。

「なぜキューバでは有機農業をやっているのですか」。

 同じ答えが10回返ってくるに違いない。

「農場での農民や労働者にとって安全だからだ。消費する労働者にとって安全だからだ。そして、労働者の家族にとって安全だからだ」。

 つまるところ、キューバは社会主義国なのだ。ある政府の役人は、「質素さの質素さによる質素さのための農業」と語った。だが、10人全員が強調はしないまでも、実際の動機はソ連からの支援の喪失であることを認めるであろう。

「ソ連が化学肥料や殺虫剤、除草剤を提供し、それを使うためにトラクターが動いていたときには、私たちは、毎日作物に散布していたものです。それが必要であろうと、なかろうとです」

 植物防疫研究所のエスペランザ・リホ・カマチョ(Esperanza Rijo-Camacho)技師はこう語る。

「幸運。その言葉は、注意深く選びたいのですが、1992年に屋根が空いたのです」。キューバ全国小農協会(ANAP)のマビス・アルバレス(Mavis Alvarez)さんはこう口にする。協会は、有機農業が持続可能であることから、可能なかぎり有機農業でやるように取り決めている。

「有機農業が、既にあったもっと合理的なやり方に関心を向けさせているのです。私たちは、それをエコロジカル農業と呼びたいのです。それは大地や環境との共生と言うよりも、もっと幅広い概念です。もし、私たちが天然資源を保全しなければ、発展の基盤を失ってしまいます。大地と密着している農民は、大規模農場にいるよりもずっと環境と調和できます。彼らは、土地への影響のために、伝統的に保守的であるのです」。

 同じミラマル地区内の富豪の邸宅を改装したANAPの事務所で、アルバレスさんはこう語る。そして、キューバの小農たちは、けっしてつまらない人物たちではない。

「私たちには約25万人の会員がいますし、その平均家族からして、約100万人が大地の上で働いているのです。そして、私たちは、NGOではないのです。私たちは革命の一部であり、それを支援しているのです。米国の有機農業者たちがときおりそうしようとするように、それは誰かを納得させるということではないのです。国家そのものがエコロジカルな農業に献身しているのです」。彼女はそう語ったのだった。

「まったく、そのとおりです」。農業省の六階の広いオフィスの中で、フアン・ホセ・レオン・ベガ(Juan Jose Leon Vega)農業省国際局長も言う。

「キューバにどれほど巨大な有機農業が本当にあるかを多くの人が知っているとは思いません。どれくらい大きいかですって。約150万ヘクタールが完全にバイオロジカルで、全体では約250万ヘクタールです。砂糖以外の農地でです。人工肥料が不足して貴重なために、それ以外の農地もわずかに入れているだけです。実際には、ほとんど農薬も除草剤もありません。コメのような例外はありますが、これが真実なのです」。

 レオン・ベガ局長は、それ以外も重要なことをいくらか口にしながら、大臣のような声音でこう語った。

「二つの理由によってです。一つ目は、ソ連の援助、1年のうちに、1年のうちにですよ、100万トンの肥料を含めて、殺虫剤、除草剤、トラクターのすべて、そしてより重要なのは、それを動かす石油が消滅したことです。二つ目は経済封鎖です。積み出しには一隻あたり、約80万ドルから100万ドルがかかっています。一切、内容を考えなくてもです」。145㎞離れたフロリダからなら、格段に安くなることをほのめかしながらベガ局長はこう語った。

 この二重の苦難による大きな成果が、1993年の大規模国営農場の解体と農民に土地をわけあたえるという決定だった。フィデル・カストロが1959年に権力を掌握したときには、土地の約20%がそれを耕す個人農家の手にあった。そして、ソ連式の大規模農場という形で、80%は国に握られたのだった。レオン・ベガ局長によれば、小さな土地での「家畜の耕起」が、広い土地でのそれよりも効率的なことから、政府は大規模農場(haciendas)での作業を小さな土地に分割し、そこで働く労働者たちに長期の抵当権で土地を渡すことによって、駆逐したのだ。結果として、今では砂糖以外の農地では74%が個人所有か協同組合組合か小規模農場の形を取っている。

「困難な時期には、私どもは広い土地を効率的に運営できないのです。個人農家は小規模生産を行えます。その目的で、我が省では20万頭の牛を耕作用に訓練しています。あなたは、それをご覧になりましたね。我々は、世界でも最も有機的な生産を行っているのです。なぜそれが確実ですかって。それは社会主義国だからです。省は化学肥料の100%を輸入しています。それは、旧ソ連時代の6分の1以下にまで減っています。すべての化学殺虫剤と除草剤が6分の1なのです。ですから、誰がそれを得るのかという決定をするわけで、一般的には、砂糖や米のように支援を求めている大規模なモノカルチャーとなるわけです」。

 想定上の質問を二つほど局長にしてみた。

(1)もしも、限りなく廉価な化学薬剤が供給されるとしたら、どうなるでしょうか。

「まず、第一に、私どもは完全に有機農業ではないのです。それは夢です。私どもは100%有機農業ではやれないでしょう。ですが、私どもは、バイオロジカルな農業で前進するはずです。それが基本的な哲学です」。

(2)もしも、経済封鎖がなくなったら、どうなるのでしょうか。

「市場が開放されたその日には、キューバは米国にとり、最も重要な有機農産物の供給源となりましょう。米国人は、味の良い食べ物を求めています。私どもはアメリカ大陸で最も安全な食料を生産しているのです。大陸上で、その能力と可能性と実行性を持っている国はほかにありません。ですが、私どもは経済封鎖されています。そう、あなたが今、飲まれているコーヒ、それは有機です。おそらくほとんど有機です」。

 政府のスポークスマン、ベガ局長に薦められ、レポーターは、西部のコーヒー産地に付添いなく車ででかけ、農民たちと自家製のラムを飲みながら、ぶっちゃけて語りあったと。

 一人の農民は言う。「手に入る時はいつでも、窒素が多い化学尿素を蒔いていました」。もう一人は、国営のコーヒープランテーションで、一日中、化学化合物を散布するのに力を使い果たしていたと語った。彼はそれを喜んでやったという。なぜなら、政府の政策に従っているからだし、もし質的にも量的にも生産性が向上すれば、農民たちはより多くの賃金が得られたからだ。だが、今、明らかとなった鍵は、まさにベガ局長が言ったこと。つまり、「利用できるもの」なのだ。農村部にはそれがなかった。農村にあったのは、個人的な土地所有者と働くという社会主義システムだけだった。

 体制が有機農業でやることを決意したときに、農民たちにはほとんど選択肢がなかった。彼らもまた有機へと進んだのだ。だが、農民たちは、多くの支援、とりわけ、バイオロジカルな害虫管理を得ることができた。キューバの個人農民たちは、たった一人でもそれを得ることができる。その場合には、政府が設置したクレジット・サービス会社から、トラクターを借り、種子、肥料、殺虫剤を買うのである。また、政府からトラクター、種子、殺虫剤を協同で買うために、協同組合に参加させられることもある。殺虫剤はバイオロジカルなものだが、それ以上に良いことは、それらは地場産なのだ。

 植物作物防疫研究所は、天敵・昆虫腐敗菌の再生産のための222の地方センター(CREES)を持ち、とても安い値段で生物農薬を生産している。それは、動物であれ、細菌、カビであれ、どこでも「疫病」と農民たちが称することと闘うため、害虫を食べる虫や悪性の菌と闘う細菌、他の害虫を殺す幼虫と、すべてが自然の武器から作られているのだ。

 ある場合は、散布薬は、害虫そのものを身体を刻んだものから作られている。水と混ぜて散布するとたいていは上手くいく。自分の死体の臭いを嗅ぎ回りたい生物種はいないからだ。どの場合でも、物質は害虫の消長を低下させる。そして、地域的に生産・分配され、必要とされている時に販売されているとしたら、社会主義諸国ではいつも最も名高いこと(訳者注・計画経済のことを皮肉)とまではゆかないまでも、うまく言っているとさしつかえないだろう。

 ピナル・デル・リオ州のビニャーレス(Vinales)にあるCCSチリ共和国(Republic of Chile Credit Services)もその例外ではない。訓練を受けた7名の専門家がたった33名が所有するグループに、そして一人ひとりは7.5ヘクタールの混同農場を持っているだけなのだが、サービスを提供している。農民シリロ・ロドリゲス(Cirrillo Rodrequez)に何か問題あれば、地方政府からの技術訓練を受けた7人が彼にサービスをする。そして、別に問題がないときでさえ、農業技術者たちがやってきて、「我々は政府からきた。我々はあなたと助けるためにここにいると、口にし、口にしたとおり支援するのだ。彼らは、コメ、根菜類、豚、鶏、野菜にどんな疫病がダメージを与えているのかを示すサインを知っているし、どの生物農薬がその助けになるかもわかっている。農民は、地区のCREEから散布剤を得るのだ。

 ロドリゲス氏は、工業的な砂糖やタバコ生産の廃物を野菜の肥料源として、委員会から手に入れる。乾期には、トラクターを借り、ピートモスと同じように沼に浅く堆積した植物遺物を近くから取ってくる。それは土壌に腐植をもたらす。

「それは農民たちが何世代もやってきた伝統的なやり方です」。そう同州の農業技術者ミゲール・ドミンゲス(Miguel Dominguez)氏は言う。

「ですが、いま私どもがやっているのは、それがどのように、なぜ機能するのかを説明することなのです。基本的に、土壌浸食で山から沼地へと流れた表土や腐植を回復しています。私たちはリサイクルするのです。ですが、それ以外の土壌保全の方法は伝統的なものではありません。例えば、私たちは、土壌保全の助けとするため、木を頼む農民に欲しい木を無償であげているのです。また、なにがベストでどうそれを扱うかのガイドもするのです」。

 ロドリゲス自身にとっては、1989年から何か変わったことがあるのだろうか。

「いまはトラクターがあることをのぞいて、私の祖父の時代と全く同じです。そして肥料は、そう、数年前には、米にたくさんの尿素をやっていたよ」。ロドリゲス氏は、地域委員会の5人のメンバーの皆見ている前でこう語った。それはちょっとした前置きのように聞こえ、その後、氏は、大量の尿素をやり、それを使ったとしても損失になることを認めたのだった。「そして、全部がばかみたいに成長して、それから、その高さのおかげで倒れちまった」

 だが、レオン・ベガ局長が説明したように、それ以上のことやる機会はなくなった。そして、ビニャーレスでは、誰が化学資材を得るのかという中央政府のコントロールを、ドミンゲス農業技師が固めたのだ。

 そして、理性的な決定では、大規模なモノカルチャー生産で働いていない片田舎の小規模農家には化学資材が、とても得られないことになる。そうでなければ、体制が壊れてしまう。そして、農村でも多くの化学資材が得られないとしたら、彼の都市の従兄には完全にそれがないのだ。カストロ政権は、労働者とその家族、彼らが飲む水を保護するため、キューバのすべての都市内での化学肥料と殺虫剤と除草剤の使用を禁じている。

 だが、これは取るに足らない一要素にすぎない。レオン・ベガ局長によれば、キューバ中の都市には大規模な有機菜園が確実に2,600はあり、3,600もの小規模な集約菜園、そして、自分たちのための93,948の小さな家族菜園がある。そして、それらのすべてのが有機農業なのだ。

「なぜ、そう正確にわかるのです、局長?」

「それは、我々が彼らに種子、肥料、農薬を売っているのです。それはすべて有機です」。

 結果として、重要なのはキューバ人のためのクリーンな食べ物なのだ。カリフォルニア・オークランドにあるシンクタンク、フード・ファーストは食料政策を世界的に研究しているが、マルチン・ボルクエ氏はこう語る。

「キューバ全体で農薬と化学肥料が急激に減少したため、キューバは他のどの国よりも総合的な意味でずっとクリーンになっているのです。農業ではとくにそうです。例えば、果樹と野菜はとても重要です。畑から鮮度の良いままやって来るからです」。

 砂糖やジャガイモ等、大規模に生産されている農産物でも、農薬はごくわずかだし、どうしても散布をしなければならず、徹底的に防除が必要な場合にだけ使われている。だが、米国では、それらが認められようが、認められまいが、必要であろうとなかろうと、防除暦によって農薬は使われているのだ。

「食品は有機とは表示されていませんし、認証もされていませんが、それはまさに有機なのです。そして、それは手に入れられる人のためだけの有機食品という市場ではなく、誰しものための有機食品なのです」。

 米国店舗にそれが届く機会はどこにあるのだろうか。米国市場への一つの入口は、生物防除の解決策を産み出すため、ヨーロッパ諸国とたち上げたジョイントベンチャーを通じることであろう。

「興味を持つ政党はたくさんありますが、彼らは恐れているのです。もし、彼らが私どもと取り引きをしたら、彼ら自身の米国への輸出が削られるのではないかと」。そう植物防疫研究所のエミリオ・フェルナンデス(Emilio Fernandez)博士は語った。

 そう、それが、今のキューバなのだ。世界や米国が将来そうなるのは、おそらく少し後になることであろう

The Earth Times からの記事)
 Roberte Sullivan,Cuba producing, perhaps,'cleanest'food in the world,2000.

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