キューバは、世界最後の社会主義政権のひとつだが、40年以上も続く米国の経済封鎖の中を生き残り、多くの経済学者たちを驚嘆させている。この小さなカリブ海の島国は、国家経済が荒廃する中、「瓦解するに違いない」との期待を無視し続けている。そのひとつの理由は、キューバ農業のラディカルな改革にある。持続可能な農業のための米国の機関、フード・ファーストの最近のリポートによれば、果樹や野菜生産が毎年250%の率で成長し続けているという。そして、その農産物は、化学肥料、殺虫剤、除草剤なしで栽培されているのだ。
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果物と野菜生産は年間250%の率で伸びている |
■都市農場
クララ・エルナンデス(Clara Hernandes)は、キューバの首都の郊外にある小さなコミュニティ農場で、彼女の労働の成果を誇りを持ってしめす。彼女は、ナス、ミント、キュウリ、タマネギからハツカダイコンにいたるまで、ありとあらゆるものを作っている。彼女とそれ以外の5人ほどの労働者がここで栽培しているものの多くは、地区全体を養うだろうし、その残りは、外国からの外交官やビジネスマンに販売されている。エルナンデスさんは、ハバナの周囲に点在する何百もの小規模な都市農場のひとつを担当しているにすぎない。そして、キューバ全土の何千ものそうしたウエルトス(huertos)や菜園と同じく、彼女も有機だけで野菜を栽培している。
「2000年に、私たちは、1正方メーターだけで27㎏の野菜を生産しました。私たちが3年前に初めてこの農場を始めた時は18㎏でした。そして、今年の収穫は少なくとも30㎏になることを期待しているんです。それは年に約30%増加していることになります」。
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キューバの農場生産は急速に成長している |
必ずしもきちんとすべてが装備されているとは限らないが、最先端の灌漑技術や作物用の温室や育苗施設が、今では都市農場の一部となっているのだ。
■食糧不足
1993年から1994年にかけ、キューバ国民は、飢餓の瀬戸際の深刻な食料不足を経験した。キューバの冷戦時代の貿易相手国、ソ連とその社会主義衛星諸国が崩壊したことで、人工肥料や殺虫剤の輸入がストップしてしまったのだ。では、何がなされたのだろうか。キューバ政府の回答はこうだった。有機農業協会の指導下のもと、放棄された都会の土地を潤沢な野菜菜園に変形することだった。
フェルナンド・フネス(Fernando Funes)博士は、農林技術協会(ACTAF)を率いているが、食料の値段が高騰した1990年代を想起し、こう語る。
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キューバの農民たちは有機農業に転換した |
「多くの人民が絶望していました。ですが、私や他の人々は、決意とあらゆる科学的なバックグラウンドを動員して働き始めたのです。そして、私どもは成功しました。キューバは、今、有機生産で他のラテンアメリカ諸国の先頭に立っています」。
キューバ政府は、国有農地の80%以上を民間企業に手渡し、有機農業を最優先事項とした。クララ・エルナンデスさんのような農家は、今、多くの医師や学者よりも所得をあげ、稼ぎ手のトップ10%に位置している。政府は有機農業を義務づける法を、2001年に可決した。ACTAFの科学者の一人、ニルダ・ペレス(Nilda Perez)さんはこう語る。
「すべての食料生産は、国産であれ、産業用であれ、いずれも有機的な要素に基づくべきなんです」。
有機オレンジや有機サトウキビのような作物を生産する大規模農場には、生産物の一部の輸出さえ始めている。だが、野菜生産を高めるためにあらゆる努力が注がれたにもかかわらず、いまだにキューバのスーパーマーケットの棚にあるそれ以外の食品価格は高いままだ。いくつかの基礎的な産品はまだ配給されており、その結果、ミルクは7歳以下の子どもだけが手に入れられる。キューバが、食料輸出国となるには、まだ長い道のりを要するだろう。とはいえ、キューバは、確実にその食料供給の最悪の事態を克服した。それは、有機農業のおかげなのだ。
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