2002年5月

キューバの有機農業の展望

 ソ連圏に属していたときには、キューバはその主食のほとんどを輸入に依存していた。そして、工業的農業も、何千トンもの化学肥料、農薬、除草剤、家畜飼料と、さらに輸入品に依存していた。機械類や輸送用のガソリンも同様だった。だが、これらは1990年から91年にかけてのソ連圏の崩壊で停止してしまう。キューバは一年もたたないうちに、その海外貿易の80パーセント以上を失ってしまう。深刻な経済危機に直面する中、かつて、キューバに見られた大規模な飢餓や栄養失調が再び現れた。この事態を前に、キューバ政権が崩壊することを望む米国は、経済封鎖をさらに強化する。キューバ政府は、その人民のために食料を増産する手段を講じるが、政府が直面したのは、半分以下の化学資材をもってして、食料生産を倍増しなければならない、という実に大変な仕事だった。

■本当の緑の革命

 食料生産を回復させ、かつ国内資源をもっと活用するため、キューバ政府は、持続可能な有機農業に目を向ける。輸入農薬の損失がこれを後押しし、慣行農業が引き起こした環境破壊への人々の意識の高まりがこれを牽引した。実は、数は多くはなかったものの、1970年代からすでに農学者たちは、持続可能な農法を主張し、その研究を続けていた。政府が助言を求めたのはこうした人々だった。

 大半の農地で、輸出用の換金作物から食用作物への切り替えがなされ、都市で失業した人々が再び農業に従事するよう政府の支援策がこれをバックアップする。耕起や輸送トラクターの代わりとして、多くの牛が育てられ、輪作、堆肥、栽培作物の多様化、害虫天敵の奨励、土壌や水の保全といった有機農法が導入される。研究所は、ミミズ堆肥や土壌への菌の接種、バイオ肥料といった洗練された技術開発に取り組んでいく。200以上ものバイオ農薬や生物的防除生産センターが作られ、大学の卒業生や地方の農家の子弟によってそれは運営された。1996年には、ハバナでは、法律によって食料生産は有機農法だけが認められることにすらなった。

■有機による都市農業のためのインセンティブ

 それまで、多くの都市住民の食料は、食料雑貨店やスーパーマーケットで入手されていた。農業を行うことは、都会へ人々が移住した後に農村に残った農民たちの暮らしと考えられきた。だが、都市での小規模な食料生産を促進するため、いま政府は、耕作を希望する誰に対しても遊休地を提供しはじめた。ハバナには220万人と国民の5分の1の人口がいるのだが、このハバナが、都市食料生産上、最優先された。ハバナ市農業省は、新たに農業を始める菜園者たちを支援するため、都市農業局を設立する。そして、努力するコミュニティに対して、各地区ごとに、社会福祉ワーカー、すなわち普及員たちが直接的な支援を行った。さらに、都市農業局は、菜園者に種子、農具、バイオ生産物、その他を提供する「種子店」も設置。こうした取り組みが、ほぼ一夜にして、新たな都市菜園文化を生み出したのである。有機農業は、政府の研究者と普及員と連携したキューバ有機農業協会により、とりわけ促進された。

■将来展望

 政府が食料生産に対して持続可能なアプローチを支援し続けるかどうかは疑問であった。経済封鎖が撤廃され、農業化学資材が再び自由に使えるようになれば、政府は、これまでのアプローチを変えるだろうと口にする人もいた。だが、大規模に有機農業を取り入れたことは、実に大きな影響をもたらした。有機農業への支援策は政府内で部局横断的にも広がっているし、実施していない部局はごく少ないようにすら思える。1998年には都市農業局は、ハバナ農業省の一部となり、農業省全体が有機農業を導入した。

 地元での食料生産として、学校菜園も一般的になったし、環境問題が授業カリキュラムの一部にもなった。農村部の家庭では、マメや伝統的な根菜類を含め、自分たちで主要食料を生産している。国中で開かれている移動図書館や普及学校、デモンストレーションや実験センターとも結びついて、持続可能なエネルギーや適正技術への関心も高まっている。

 いま、キューバの生産者たちは、自分や家族のため、そして生産されたものが有機栽培されたことを理解している消費者のために生産を行っている。だが、キューバは、土壌協会やIFOАMその他の国際団体とも連携して、有機認証手法の開発も始めている。果物のような高価値作物の輸出も考慮してのことだ。もし、有機認証が可能ならば、観光業関係に認証ラベルが付いた農産物をプレミアムが付いた価格で販売することで、農民たちはもっと収入を改善できるだろう。

(オランダのHP都市農業マガジン5月号からの記事)
  Esther Roycroft Boswell, Cuba's Organic perspectives,2002. 

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