2003年3月24日

キューバの異質な緑の革命

 私は最近、進歩や世界の人々への食料供給について、これまでのすべての仮定に挑戦したことへの研究旅行から戻った。ふつう、農業生産の話題は、1970~1980年代の緑の革命から始まる。この時代に、コメや小麦、その他の国際貿易作物を生産する農家は、新たな品種と化学物質でその収量を高めた。そして、今、緑の革命の推進者たちは、グローバルな新ステージの進歩として遺伝子組換えを鼓舞している。この人たちは、低収量で増える人類に食料を提供できないとの理由で、有機農業や持続可能な農法を軽侮している。

 1990年までのキューバ農業の特徴は、ハイテクの化学集約的な農法だった。私は、キューバの牧場を農場長とともに歩いたが、以前はアイオワ州の農家がトウモロコシ畑に施肥するよりも3倍以上多くの窒素を牧草に施肥してきたとの説明を受けた。

 だが、災害という形で変化がキューバにやって来る。ソ連圏が崩壊し、米国の経済封鎖が強化されたとき、キューバ農業はシフトを強いられたのだ。食料供給量は急落し、キューバ人たちの平均カロリー摂取量は、最低水準以下まで落ち込んだ。化学肥料も農薬もない中、キューバ人たちは有機農業に転換する。機械部品がない中で牛耕に転換し、交通が麻痺する中、空き地、校庭、中庭、裏庭とありとあらゆる場所でキューバ人たちは食料生産を始めたのだ。

「キューバが有機的になったのはなんと魅惑的なことではないか!」。あなたもお読みになられたかもしれないが、そんなキューバ農業についての記事を私は読んだ。もちろん、私はたいがいのことには驚かされるような人間ではない。サクセス・ストーリーにも、かなり疑い深い。というのは、成功の物語の背後には、たいがい隠された補助金があり、しばらくたつとバラバラに壊れてしまうからだ。私は政治的な反体制派への抑圧やちゃんとした仕事が不足していることも読んだ。

 空港からハバナまで車で走ると、煙を噴き出す車や壊れたビル、崩れたコンクリートを目に逃がすことはあるまい。だが、それから奇跡が目立ち始める。この記事は農業にこだわるつもりなのだが、まず最初にそれ以外に目にしたことに最低限は言及しなければなるまい。驚くほど美しいハバナの旧市街、通りの人形劇、野外の絵画ギャラリー。そして、ダンスとともに普及している音楽は、アングロサクソンのルーツよりもはるかに深い文化伝統からきているのだ。

 キューバには並はずれたコントラストがある。福祉医療と教育システムは、ラテンアメリカでも最良だが、教育を受けた専門家にはわずかの仕事しかなく、中産階級は貧しく、政治的権威主義がある一方で、コミュニティにはバイタリティーがある。医師の給料は、道路の清掃夫以下だが、キューバの乳児死亡率は米国のそれより低い。

 キューバ農業もコントラストに満ちている。ハバナ農科大学のある教授は、農学士の資格を得たとき、フィデル・カストロが一人ひとりの卒業生にレイチェル・カーソンの「沈黙の春」のコピーを与えたと語る。だが、この1963年は、まさにキューバが化学集約的で機械化された緑の革命を導入しはじめたときでもあった。そして、化学投入資材や機械が利用できる限り、この最初の緑の革命は続いた。だが、いまでは、キューバの科学者や農民たちがエコロジカルな緑の革命のパイオニアとなっているため、化学合成投入資材や化石燃料の利用ははるかに少ないし、人間の知恵がもっと多く投じられている。「衰退」の最初の頃は、ほとんどの食用作物の収量は低かったが、今では収量は以前の最高平均を超えている。

 キューバ農業のこの転換は、方法の違いだけでなく、様々な所有形態によっても特徴づけられている。ほとんどの国営農場は個人農場や協働組合農場に解体され、キューバ人たちの食の大半は自宅近隣の都市内や都市の周辺に分散された小規模農場や菜園で生産されている。

 食物市場と配給は、整理するのが大変なほど複雑だ。キューバ政府は、いまだに多くの食料を買い入れ、助成金を支給し、廉価で全人民に基礎食料を保証している。例えば、日あたり1リットルのミルクをすべての子どもに保証しているが、それは経済の最悪時にさえ行われた。比較的大規模の野菜農場はいずれも低価格で農産物を学校、保育園、病院に提供している。だが、こうした正規の流通に加え、多くの食品が自由市場でも手に入る。それは食料をさらに豊かにし、キューバでも最高収入の農民の収入として還元されるのだ。

 食料生産が自発的に分散化し、市場指向の有機生産に向け発展すると、政府はさらなる進展を調整・支援し始めた。大学での農業研究のほとんどすべては、実用的な課題解決の支援に向いている。全国に配備された小規模な製造プラントが、生物的病害虫管理資材や小規模な農具を生産している。キューバのどの場所でも誰かが病害虫を監視しており、警告を発する。

 キューバ人に比べれば、北米人たちは物質的には格段に豊かだが、私たちがキューバから学べることは数多い。私たちは、彼らのリーダー、カストロの立ち振る舞いが好きではないかもしれない。だが、私はそうではない。並はずれた成功で飢餓や持続性の問題に取り組んだ私たちの隣人のことを誇りに思っている。

 緑の革命の推進者たちは、技術を行商するより人々をきちんと食べさせている世界で最も魅惑的な農業実験のひとつから、洞察を得るべきだろう。

ハル・ハミルトン氏は、兼業農家で米国バーモント(Vermont)州ハートランドに1996年に設立された持続可能研究所(Sustainability Institute)のディレクター

(Successful Farming magazineのウェブサイトに掲載)
  Hal Hamilton, A Different Kind of Green Revolution in Cuba, March 24, 2003.

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