原始共産制〜未開人という選択3
 
未開社会は社会主義計画経済だった。自分だけが金持ちになるよりも、自分も持ち物を全部人にあげてしまって素寒貧になった方が尊敬される。それが、「贈与原理」に支えられた未開社会の掟だった。一見すると馬鹿馬鹿しいこのルールは、しかし、食糧危機を生き残びるという戦略からすると、コンピューター・シミュレーションからも優れ物であったことが見えてくる

2004年6月6日

■ごくわずかの農地開発で多くの住民を養う
 ブラジルのクイクル族は、土地が養える最大可能人口の7%の数しかいなかった。過去の事例を調べてみても、16世紀のトゥピ・ガァラニ族は150万人もいたが、居住地の約0.4%の耕地を使うだけで、この人口を養っていた。ポリネシアの主な10諸島には発見時、総人口で約53万人がいたが、農地は全体の30分の1ほどでしかなかった。この比率は、ハワイでも10%、ニュージーランドでも3.8%となっている。要するに、大部分の焼き畑耕作社会は、多くの土地を農地として開発せず、最大潜在力よりもはるかに下のところで暮らしていた。
 ニューギニアのチンブー族は、未開社会では最も人口密度が高い部族だったが、それでも潜在的な農業生産力の64%しか利用していない。だが、だからといって数が少ないわけではなかった。チンブー族の人口密度は平方マイル当たり85〜251人だったが、これは工業化されないヨーロッパに匹敵していた。19世紀末に地理学者ラッチェルが調査したヨーロッパの平方マイル当たりの人口は、粗放農業が行われていた東欧諸国では10〜125人、集約農業を営む中欧と南欧圏では100〜200人、大規模工業が実施されていた西洋では750人以上とされているからである。

■フランス農業に匹敵する潜在生産力
 未開社会の生産力は高かった。生産者一人がどれだけ消費者を養えるか、という比率にロシアの農業経済学者チャーノフが考え出した「消費者と生産者比率」がある。この指標で見てみると、サン族は、一人の狩猟・採集活動で、4〜5人を養っていた。労働社会学者G・ルフンによると、フランスでは農民一人当たりの扶養能力は18世紀で、2.5人、1925〜29年で4.3人、1956〜58年で8人、1973年で20人だった。ソ連では1910年で2.8人、1960〜63年で4人、1972年で5人となっている。
サン族の生産力がどれだけ高いかわかるだろう。しかも、サン族の場合、コミュニティ全体に占める生産者の割合は60〜67%にすぎず、生産者も週当たり13〜15時間しか働いていなかった。もし、彼らがコルホーズの農民と同様に週に48時間も働けば、一人で15人を養えてしまうことになる。これはトラクターを導入していた農業国フランスに匹敵する数値である。

■計画経済を実行していた未開社会
 
だが、未開社会も小規模農民社会も、資本主義社会ではなかった。家族や社会的ニーズ(ポトラッチ型の破壊的な消費を含めたニーズ)を含め産出目標を定めた「計画経済」が行われており、生産目標を到達すると、そこで生産を止めてしまうのだった。
 こうした社会では、色々な理由で家族の必要を満たせない世帯が出てくると、恵まれた世帯が過剰生産を行ない、不足分を「贈与の形」で補う必要がでてくる。つまり、生産過剰である資本主義社会とは違って、過小生産しかしない社会では、経済的に一番貧しい人が、豊かな人の余剰生産を搾取する権利を持っていたのである。親族やコミュニティメンバーへの責任として、有能な生産者は自分の世帯の必要以上の生産をすることを強いられていた。
 そうすると、一生懸命働く生産者だけがバカを見て、ナマケモノが得をするようにも思える。だが、そこにはフリーライダーの出現を回避する仕掛けがあった。

■相手を助けることが尊敬される社会
 文明社会では豪邸に住み、高級車やクルーザーを持ち、宝石や預金をたくさん持つ人が尊敬される。だが、未開社会では反対だった。気前よく、何もかも自分が持っているものを他人に与えてしまい、素寒貧になるほど、偉大な人物だとして社会的名声を得ていた。
 寛大さ、気前のよさ、親切なもてなしがこそがこの社会では最高の美徳とされ、ケチや出し惜しみ、貪欲さは最高の悪徳とされた。財は、欠乏したモノへと流れ、共同体全員の必要性が満たされたところで流通を停止するのだった。
 しかも、未開社会では、見知らぬよそ者がやってきても、遠い祖先が同じ一族だとわかるとたちまち大歓迎が行われた。無償で贈与をし、喜んだ相手の顔をみることそのものが無性に嬉しい。人間の共同体的な性質が、まだ開花していた。こうした愛によって結ばれた関係は、文明社会では、親子、夫婦、恋人、親戚などを除いてほとんど姿を消してしまったが、未開社会ではこの原則が広く普及していた。
 例えば、採取・狩猟民であるアンダマン島では、すべての食べ物は私有財産でそれを取得した男女に帰属していたが、食物を持つものは誰もが持たない人に与えることが期待されていた。
 農耕民のタヒチ島民も、誰もが友好的で気前が良く、貧乏でも誰にも見くびられず、貪欲は最大の恥とされていた。度し難い貪欲さを見せたり、皆が必要な時に自分の持つものを手放すのを拒んだりすると、たちまち近所の人々から財産をすべて破壊され、一番貧しい境遇に落とされてしまうのだった。
 パニアイ族では私的貯蓄を行なったものは「おまえだけが金持ちであってはならない。皆が同じであるべきだ。だからおまえも平等になるのだ」という理由で殺されてしまった。

■フリーライダーの出現を防ぐ神話的仕組み
 
資本家の目的は利潤を蓄積することだが、未開社会では、贈与を行なうことが、目的とされていた。
 M・モースはなぜ、未開社会では、贈り物のお返しを必ずしなえればならないのか、を説明している。例えば、マオリ族では贈り物には、贈り手の霊的な本質「ハウ」が取り憑いていて、絶えずその「元の巣」に帰りたがるのであった。そして、儲けを手元にとどめて私有化したり、横領したりするとハウ・ウヒティア(よこしまなハウ)が襲いかかってきて、病気になったり死んだりすると恐れられていたのである。このマオリ族のハウは、メラネシア一般ではマナ、マナガスカルではハシナと呼ばれ、モノに潜む超自然的な力という意味では一般的な概念であった。
 要するに、短期的に見れば、ナマケモノが得をするが、贈り物にお返しをしないと、対等な関係が上下の優劣関係にかわってしまい、送り手に従属しなければならなくなっていまう。贈与には必ず反対贈与をしなければならないルールがあったのである。
 スーダンの牧畜民のヌエル族では、無銭飲食は当然の権利であって、「買う」を意味する「コク」は同時に「売る」も意味していた。ヌエル族の考えでは、買うも売るも人と人との関係であり、同じことなのであった。これは近代的な社会概念からすると異常なことに思える。だが、与える義務、受け取る義務、お返しする義務という「贈与原理」を未開社会の「黄金律」としたM・モースは、同じ原理が古代ヒンズー法、ローマ法、ゲルマン法にもあったことを明らかにしている。言語学者E・バンヴェニストも「与える」を意味するインド・ヨーロッパ語が、「取る」という逆の意味を持つことから、この原則がかつては存在していたことを明白に示した。つまり、お礼制度は人類の普遍的公理だったのである。

■利己主義と愛他主義とどちらが有利か
 
互いが助け合うお礼制度の原理の方が、資本主義よりも優れていることは、科学的にも明らかになってきている。生態人類学者M・ヒグモンは、定住農耕民であるホピ族100世帯の半世紀に及ぶ農業生産と気候変動のデータから、@まったく世帯間で食料を分配をしない、A世帯で余った分だけを分配する、B小集団内で共同利用する、という三つのケースでどれがもっとも有効な戦略であるかをコンピュータ・シミュレーションしてみた。
 そして、臨界値以下に食料生産が落ちる食料危機を発生させてみると、50年平均で、@の場合は45.5%、Aの場合は92%、Bの場合は72.5%の生存率という結果がえられた。つまり、食料をわけあった場合は9割以上が生き残れるが、自分の家族だけで他人に一切わけないという戦略を取った場合には半分以下しか生存できなかったというわけである。
 自分の家族の余剰分だけをわかちあう方が、コミュニティ全員で共同所有するよりも有利なのは、共同利用システムはふつう安定性が高いが、各部分の相互依存関係が強すぎ、一種の超粘着状態にあるため、どこか一カ所で事故や失敗が起きるとシステム全体に影響を及ぼしてしまう。このことから、ヒグモンはわかちあいの愛他主義のほうが、奪い合いの利己主義よりも、社会の存続にとって有利である、としている。
 生態学者ウェンスタインもアンデスのケチュア族について250年の長期間にわたるデータをもとに同様のシミュレーションをしている。この場合は、家族間で食物分配を全く行わない@のケースの場合は、150年後には全部消滅していまう。だが、同一氏族内だけで分配したり、すべての家族で共同利用する場合は、ともに安定し続けた。
 人類学者、E・スミスは『囚人のジレンマ』のゲーム理論を用いて、独り占めとわかちあいとどちらが有利かを研究してみた。その結果は、互いにシェアしあった方が、相互の利益が大きいというものだった。もちろん、お返しを期待せずに相手に与えることは、フリー・ライダーの出現の危険性を招く。他人の善意を利用する不心得者だけが得することになる。いまの文明社会はフリー・ライダーの集団から編成されているとも言ってもよい。だが、未開社会には、こうしたフリー・ライダーの出現を拒むメカニズムが、きちんと備わっていた。

■種としての人間の基本的ニーズは共通している
 
人間の欲望は無限である。だから、この無限の欲望を満たすために、限りなくモノを生産し続けなければならない、というのが経済学の常識だった。だが、チリのニュー・エコノミストのM・ニーフは、この概念は間違っていると主張している。
ニーフによると、人間の基本的なニーズは、さしあたって、以下に掲げる9つしかない。しかも、これらの基本的なニーズは、あらゆる文化を通じてすべての時代に共通であって、時代や文化によって違いがあるのは、ニーズを満たすための形態や手段だけなのだという。つまり、以下の人間の9つの基本ニーズは、文明社会であろうが、未開社会であろうが相違がないというのである。
@生存のニーズ、A保護のニーズ、B愛情のニーズ、C理解のニーズ、D参加のニーズ、E閑暇のニーズ、F創造のニーズ、Gアイデンティティのニーズ、H自由のニーズ
 個別に見てみよう。例えば、衣食住や所得も、それそのものが目的ではなく、生存のためのニーズだし、医療や保健も保護のニーズである。教育は自分や他人、世界を理解するためのニーズということになる。最高級のブランドを身につけた女性も、ボディ・ペインティングを行い腰みのだけしかつかない「裸族」の女性も、同じことをしているにすぎない。美しくなって、愛され、自分のアイデンティティを実感することが、その目的だからである。

■基本的ニーズが満たされた豊かな未開社会
 そして、未開社会では、これらの基本的ニーズは満たされていた。飽食や餓死という悲惨な現象は起こらず、たとえ極寒の地であっても必要な毛皮は平等にわかちあわれていた。狩猟=採取バンドでは両親に先立たれた子どもは、バンド全員の子どもとして養育されたし、ある世帯が災難にあえば、すぐさま手厚い保護の手がさしのべられた。人間が生きていくために必要な知識、世界や宇宙についての理解も、神話を通じて世代から世代へと受け継がれていたし、動植物やその生態に関する理解度は驚くほど高かった。失業者もなく、女性や子どもへの差別もなかったため、社会参加のニーズも満たされていた。余暇のゆとりがあったことは言うまでもなく、絵画や彫刻など創造力についても、ピカソやゴーギャンを驚嘆させるほど高かった。
 例えば、ザイールの森にすむ狩猟=採取民族ムブティ・ピグミーの暮らしぶりは実に優雅だった。赤道直下にありながらも豊かな森林のおかげで年間平均気温は27度。一日数時間を働くだけで300種以上のグルメを楽しみ、おかしければ地面をころげまわって笑い、悲しければ一晩中心の底から慟哭する。争いごとや不和があると、からかいあったり、冗談を言いあうことで収めてしまい、それでも争いごとが続くと、自由にコミュニティを出て、別のバンドに移り住む。命令するモノも支配するモノもなく、誰もが好き勝手に生活しながら、しかし一定の秩序は保たれている。色々な遊びに興じて、プロの歌手並に最先端のニューエイジ・ミュージックを産み出す優れた音感を誰もが持っていた。

■愛他原理の上に数万年生きてきた人類
 M・ニーフのこの考え方からすると、モノを所有することでは、こうした人間の基本的にニーズが満たされるとは限らない。むしろ、存在の充実感のなさや心の虚しさが、飽くなき物質的欲望へと人々を駆り立てているともいえる。精神分裂病は未開社会には存在しなかったし、自然破壊も行われなかった。現代社会で見られる権威主義、抑圧、自然破壊といった行動は愛情ニーズの不足が産み出した現象といえる。
 こと生活の質や幸福の享受度という点からすると、未開社会の方が優れていたのである。労働力も出し惜しみをして自由時間を満喫していた。技術革新があっても、それを生産力の増強やモノの増産にはふりむけず、社交や旅行、祭りや遊びに費やしてしまった。自然を破壊せず、自然と共生していた。最高の科学技術を総動員して、ポスト産業社会がめざそうとしてもついには及ばない理想社会、それがムブティの暮らしだという人もいるほどである。モノを所有することではなく、人間としての存在感を充実させる。未開社会は、助け合い、与えあい、共に生きるという愛他的な相互性の原理の上に成立していた。そして、文明の興亡を横目に数万年も生き続けていた。
 したがって、人類がなお生き続けようとするならば、未開社会をベースに社会を再構築するとともに、そこに欠けていた長生きのニーズ、高度医療のニーズ、国際的な文化交流のニーズ、宇宙理解のニーズなどをさらに充実させることが理想だろう。
 人類学の創始者のひとり、H・モーガンは『古代社会』で一世紀も前にこう述べている。
「統治におけるデモクラシー、社会における同胞愛、権利における平等、普遍的教育。それは原古の氏族の自由、平等、友愛のより高い形態での復活であろう」

■絶望的状況の中でのみ有利な一人勝ち戦略
 ただし、自分だけが生き残ろうとすることが有利になる極限状況もある。以前のM・ヒグモンのシミュレーションでも、最悪の飢饉状態に見舞われた場合は、他人を全く省みない利己的な独立戦略が、5%という低率ながら何とか生き延びることができている。これとほぼ同様の状況は、実際にティコピア島で起きている。1952年と53年に島は猛烈なハリケーンに襲われ、作物収穫がほとんど得られない大飢饉に見舞われた。連帯性を保っていたティコピア人たちも、乏しい食料を奪い合い、こっそり隠して自分の家族だけで食べるようになった。危機的状況が人々を分断し、アトム化させてしまったのである。だが、ここからエゴイズムが人間の本質であると判断するのには無理がある。この時、すでに社会は解体し、人間は社会的存在ではなくなっていたのである。



引用文献
 
山内 昶『経済人類学への招待』(1994)ちくま親書