今、ベンチャー企業が面白い 1

2001年3月24日

 右上がりの経済が行き詰まる中、従来型の組織マネジメントでは、優秀な職員も「負け組」の職員もやる気を失うだけだ。そんな中、ベンチャー企業からは新たな仕事の可能性が見えている。仕事人理論を提唱する太田肇はこう主張する。

■人は仕事に三つの価値を求める
 人は何のために働くのか。経営心理学や労働社会学は、この答えを求めて研究をしてきたが、様々な分析結果によると、人は仕事に次の三つの価値を求めているという。

□夢や目標(G価値)
 人は仕事を通じてさまざまな夢や目標を追及する。その内容は千差万別で、地位や富の獲得を目指す夢もあれば、社会的な貢献に重きを置く人もいる。また、外的なことではなく、自分の内的な能力の発揮による満足を求める人もいる。だが、内容は様々であっても夢や目標が人に仕事をさせる原動力になっていることは間違いない。

□仕事のプロセス(P価値)
 夢や目標は大切だが、日々の仕事の内容そのものが退屈で魅力に乏しければ活力が生れない。つまり、人は仕事そのものに面白さや楽しさを求めている。

□生活の維持(S価値)
 夢や目標、仕事の内容が重要であるとしても、人は不安や不満がなくなって初めて前向きな姿勢で仕事に取り組むことができる。安定した暮らしを維持するために経済的に不安がないことはもとより、職場でも良好な人間関係が維持され、肉体的・精神的な健康が保たれていなければならない。
 それでは、この三つの価値が大企業とベンチャー企業とで、それぞれどれだけ実現できるのかを見てみることとしよう。

■なぜ、サラリーマンは出世を目指すのか
 中小企業庁が行った調査によると、起業家が会社を立ち上げるにあたって最も大きい動機としてあげるのが「自己実現を図りたい」で、次に多いのが「自分の能力を発揮したい」であるという。暮らしが豊かになり、多くの人が「生きるための労働」から解放された今、「自己実現」は働く目的の中で大きなウェイトを占めるようになっている。
 だが、大組織では、トップか、またはそれに近いポストにつかない限り、仕事の方向性を決めることができないし、その成果を手にすることもできない。仕事も細分化されているために、幹部にならない限りは、全体を動かす体験もできない。そこで、組織内でのポスト獲得が大きな目標になる。
 日本社会では、皆から尊敬されることを求めたり、自分のプライドを表に出して行動することを認めない風潮がある。名誉欲や自己顕示欲は、メガティブなものとして受け止められてきた。だが、それが人間としての基本的な要求である以上は、否定しても消えうせるわけではない。事実、サラリーマン社会では、そうした欲求が出世競争の原動力となり、多くの功罪をもたらしている。

■ポストの減少で立身出世は昔の夢に
 だが、伝統的なサラリーマン社会で出世することは容易ではない。まず、出世のプロセスそのものが組織論理に支配されている。学歴や能力に加えて、人柄や勤勉性など組織としての一員としての必要条件をすべて兼ね備えた、いわゆる優等生タイプの人間でなければ出世できない。しかも、組織の簡素化に伴い、役職ポストが減少し、ますますその競争は激化している。一方、大組織で高い地位についた人に対する尊敬や畏敬の念も昔に比べると薄らいできている。旧来型の出世はもはや万人の目標ではありえないのである。

■ベンチャービジネスでは若くして社会的に成功することが可能だ
 ベンチャー・ビジネスではどうだろう。客観的に実現できる可能性があるかどうかは別として、自分の実力次第で、いつでも夢や目標を達成できる。そもそも、大きな夢や目標を目指すからこそベンチャー企業と呼べるのである。そのシンボルが、シリコンバレーの起業家であり、本田宗一郎や盛田明夫といった人々のサクセスストリーである。ベンチャー企業への就職や起業を志す人の多くは、ここに魅力を感じている。
 例えば、自己実現の成果のひとつとして、富や報酬の獲得がある。資本主義社会では、富や報酬は、個人の能力や業績を反映する指標となっているから、どれだけの財産を築いたか、いくらの報酬を受け取るかは、その人の能力や業績の社会的評価となっている。
 豊かとなった現代社会の中では、所得は成功の社会的評価のシンボルとしての意味が大きい。例えば、米国にはフェアな競争に勝ち抜いたものを称賛する風土がある。それが、達成要求の強い人々を起業家への道に進め、それが企業活力や経済発展につながっている。
 日本でも、最近は、単なる結果の平等だけではなく、個人の能力や成果に応じて報いられることがフェアであるという考えが広がりつつある。
 ベンチャーには、組織論理によるハードルがほとんどない。出世を文字どおり「世に出ること」と解釈すれば、たとえ優等生ではなくても、実力と努力と運次第で、若くしてビジネスの桧舞台で活躍し、時代の寵児になることも夢ではない。
 大組織が敷いたレールの上での速度を競いあうのが、大企業型の出世であるとすれば、何もないところに自分でレールを引いて走るのがベンチャー型出世なのである。失敗が許される社会的なインフラが整えば、ハイリスク・ハイリターン型の仕事にチャレンジする人がいっそう増えるのではなかろうか。

■自分のルールで仕事ができるベンチャーは面白い
 仕事の面白さや楽しさは、自分の判断や裁量でどれだけ仕事がやれるかで決まってくる。大企業や官庁では、業務が多岐にわたり、画一的なローテーションで異動するため、自分が希望する仕事につける保障が少ないし、業務が細分化されていて、制度や慣行による制約も多い。
 だが、ベンチャー企業では、具体的に仕事の内容を選んで入社するため、好きな仕事を続けられる可能性が高いし、制度やルールも比較的少ない。メンバーの平均年齢も低いため、比較的早く重要な仕事を任されるようになり、自分の裁量で仕事を進めることができる。一般的に、大企業や公官庁よりも楽しんで仕事をしている人が多い。
 起業家の中には、学生時代からのアマチュア無線やゲーム等の趣味が、そのままビジネスになっているケースも多い。三度の飯よりも仕事が好きで、徹夜も苦にならないという人間が多くいるのも、仕事が生きがいそのものだからであろう。

■ベンチャー企業は不安定だが、そこには無形のメリットがある
 だが、ベンチャー企業そのものの平均寿命が短いことからわかるように、ベンチャー企業では安定した雇用を望むことはできない。報酬、労働時間の長さ、物理的な職場環境、福利厚生といった面まで含めると、大企業に比べて不利であることは明らかだ。多くの人がベンチャーに魅力を感じながら、実際に起業したり、就職したりすることを躊躇する最大の理由は、この不安定性にあるといっていい。日本で起業家がなかなか生まれない原因のひとつは、こうしたリスクを個人が負えない状況が背景にあった。
 そして、リスクを冒せない安定指向タイプの方が、転職する可能性も低いために、組織としては扱いやすく重宝されてきた。
 だが、組織の安定性と個人の暮らしの安定性は必ずしも一致しない。いまや倒産やリストラで大企業といえども従業員の生活保障を保証できなくなってきている。その一方で、実力を蓄えたプロや手に職をつけた人々は、組織の窮状を尻目に次々と転職していく。彼らは、組織ではなく、市場の中で「保証」を獲得し、「変化の中での安定」を築いているのである。こうした個人的な実力を養うという点では、ベンチャー企業の方が有利である。なぜなら、ベンチャー企業には「実力を高めて経営」を学べるというメリットがあるからである。
 大企業では、年功序列とヒエラルキー組織の中で、若いうちから責任ある仕事を任させることは希である。トップも一般従業員にとっては遠い存在で、社長の姿を目にするのは、入社式の時くらいでしかない。
 だが、組織や事業の規模が小さいベンチャー企業では、一従業員でも組織全体の業務を把握できるし、経営活動の一部に参加できる。トップと身近に接し、ともに仕事をしていく中で、成功や失敗を重ねながら、組織がどう成長していくのか、創業プロセスを学び取ることもできる。これは重要な「無形の報酬」である。将来的に独立・起業するという明確な目標を持ち、経営を学ぶ場として職場を位置づければ、多少の収入の低さや勤務条件の悪さは問題にはならない。
 また、仕事と生活の両立という面でもベンチャー企業は有利である。転勤がほとんどないか、あってもその範囲が限られるため、家庭が受ける影響は小さい。また、地域活動への参加や副業等、地域に定着できることを事業の利点として生かしているベンチャーも多い。
 要するに、現状はともかくとして、将来的には「生活の安定」という点でもベンチャー企業の方が、大企業よりも有利になってきているのである。

■ベンチャー企業は地方の方が面白い〜周辺からの挑戦
 情報技術の発達は、仕事の物理的な制約を取り払いつつある。その象徴がテレワークである。テレワークの発想は、「仕事のあるところに人が行く」ではなく「人がいるところに仕事を持っていく」である。
 地方での起業には多くのメリットがある。まず、東京に比べて競争が少ない。創業当初にまわりから足を引っ張られることが少ない。また、ライバル企業が少ないことで、公的な支援を受けたり、マスコミで紹介される機会も多く、突出しやすい。その結果、比較的容易に地域でのプレゼンスを高め、○○で一番という社会的なスタンスを早期に確立できる。
 また、地方では就職先が限られているため、地元出身者から優秀な人材を獲得しやすい。イノベーションは、中心よりもむしろ周辺から生まれるといわれるが、今では、地方での方が活躍機会はいっそう広がりつつあるのである。

■大企業システムが排除してきた女性や高齢者を生かすベンチャー企業
 地方と共通して「周辺」に置かれてきたという点では、女性や高齢者も同じことが言える。だが、ベンチャー企業では、こうした大組織のシステムから排除されてきた人、補助的労働力として周辺に置かれてきた人に活躍の場を与える。
 日本の大企業は、男性の正社員、40〜50代が枢要ポストを独占し、実質的に組織を動かしてきた。この終身雇用システムの下では、女性がいったん退職すると、子育てを終えた後に復職することが難しい。パートタイムで再就職できたとしても、大きなハンディを負う。だが、インターネットはこうした女性にも大きな雇用の機会をもたらす。

 年功序列制度の下では、ある年齢を超えると、賃金がその貢献度を上回るようになる。加えて、急速な技術革新や仕事内容の急変によって、賃金と生産性との乖離はいっそう拡大している。これは、定年までは石にかじりついてでも、現職に留まり続ける方が有利であることを意味する。だが、定年を迎えると、就労条件は一挙に「市場価値」の水準まで低下する。そこで、年金で生活を維持しながら、退職金を元手に起業するという生き方が現実味を帯びてくる。
 高齢者は年金や退職金で老後の生活を維持できるため、比較的低い収入でも働ける。起業家として大きな投資はできなくても、働くことに関してはリスクを負いやすい。すなわち、伝統的な雇用制度で排除されたことを逆手に取って、起業家への道を歩むことができる。高齢者だけが集まり、ベンチャー企業を立ち上げ、人生でやり残したことや夢に挑戦でき、充実感を味わっている人も多い。
 また、人材不足の既存のベンチャー企業にとっても、高齢者は魅力的な労働力である。経験、人脈、相手に与える安心感等、若者に欠ける要素を補えるし、生活が保障されているため比較的低い賃金で雇用できる。

 要するに、東京中心の大企業システムが、その雇用から排除してきた、地方、女性、高齢者といった「周辺」が、いま新たな可能性を手に入れつつある。それは、地方や女性や高齢者への排除というゆがんだ社会構造の産物であるだけに手放しでは喜べないが、ハンディを有利な条件に転換できる実力主義の社会的受け皿ができたことは評価すべきだろう。


引用文献
 
太田肇『ベンチャー企業の仕事』(2001)第一章「可能性を求めて」中公新書