今、ベンチャー企業が面白い 2〜労働から仕事へ

2001年3月24日

 右上がりの経済が行き詰まる中、従来型の組織マネジメントでは、優秀な職員も「負け組」の職員もやる気を失うだけだ。そんな中、ベンチャー企業からは新たな仕事の可能性が見えている。仕事人理論を提唱する太田肇はこう主張する。

■個性を抑圧され、暮らしと仕事が二分されたサラリーマン
 大組織のサラリーマンの世界では、仕事の進め方から勤務時間・場所までが組織によって決められる。安定した生活が一応は保証されるかわりに、宮仕えの不自由さが伴う。
 大量生産の世界では、個性は規格にあわない製品を生んだり、システムの乱れをきたす原因になる。このため、個性の発揮を排除せざるをえなかったのである。品質管理から職員の処遇、果ては制服にいたるまで、管理部門の仕事の大半は均質化を進めることにあったといってもよい。
 すなわち、日本的経営は、人間尊重の経営であるといわれていたが、そこでは個人を全人格的に抱え込み、私生活や考え方や心の内面までも直接・間接に管理することが多かった。本当の意味で、個人を尊重しようと思えば、個人への組織の介入を防がなければならない。
 また、サラリーマンの世界では、仕事の場と生活の場とが物理的にも制度的にも切り離され、公私混同は厳しく禁じられている。しかし、暮らしの質という面から考えれば、公私を厳格に切り離し、仕事から人格的な要素をいっさい排除することも望ましくない。

■あくまでも人まかせの組織人
 生産手段を持たない労働者は、組織に雇用されて働き、自らの労働力を売ることで生活する存在である。それが産業革命以来のイデオロギーだった。だから、資本家と労働者というステレオタイプの対立図式ができあがり、労働者は、労使関係という枠組みの中で「マス」として捉えられてきた。
 たしかに大組織では、マスとして捉えられる「組織人」が多かった。中でも管理職は組織と一体化し、ひとつの組織の中で職業生活を完結させる典型的な「組織人」となっていた。
 大組織では、組織や業務内容が複雑なために、個人の仕事の成果を客観的に把握することが難しい。働く側としては、アウトプットよりも、労働時間の長さや規則正しい働き方をアピールすることになる。遅れず、休まず、働かずという公務員の世界はその典型だろう。
 また、大組織では、どの部門で経験を積んでから、次にどのポストに移るかというコースがあらかじめ決まっている。組織にまかせておけば、自然にキャリアが形成されるという安心感がある反面、個人の意志や希望は反映されず、あくまでも人事部まかせだった。
 さらに、大組織で働く場合には、責任のある地位について社会的な評価を得たり、経済的な豊かさを享受できるようになるのは、組織に入ってから20〜30年もたった、いわば職業生活の後半からである。好むと好まざるとにかかわらず、「先憂後楽」のライフスタイルを余儀なくされるわけで、それが若者に一種の閉塞感をもたらしてきた。

■リスクをカバーしながら個性も発揮する
 さりとて、独立自営の道を選べば、個人の自由は保証される。だが、生活は不安定となりがちだし、リスクも大きい。とりわけ、セーフティネットが不完全なわが国では、一度失敗すると一生立ち直れなくなる恐れがある。そこで、雇用労働と独立自営の中間に位置する「第三の働き方」を模索する動きが高まっている。
 ベンチャー企業では、組織に属しながらも、独立自営のように稼ぐことができるシステムを取り入れているケースが増えている。このようなベンチャー企業の中では、個人はサラリーマンに比べると独立自営に近く、仕事と私生活を融合させやすい。当然、仕事と私生活の関係も変わってくる。
 ゲームソフト、音楽、デザインといった世界では、オリジナルな作品は、いずれも個性の産物である。個性がなければ新しい価値は生まれない。そして、個性は私生活の領域とも密接にかかわってくる。趣味の中から独創的なアイデアが生まれることがあれば、特異な個人体験が他人にはまねのできない発想や感性を育てることもある。
 そして、公と私とをうまく結びあわせることができれば、組織の力を使って個人的な思いを実現することも可能なのである。
 森清氏(『仕事術』岩波新書1999年)は、公のために私を犠牲にする「滅私奉公」や公のものを私のために流用する「公私混同」を批判し、公と私とがそれぞれ独立しつつ融合し、互いに補完しあうことを「公私融合」と呼んだが、いま、個人主導による「公私融合」が求められているのである。

■従来の図式があてはまらないベンチャー企業
 いま雇用労働と独立自営業との境界がぼやけてきている。実際、ベンチャー企業では両者の区別はあいまいである。ベンチャー企業では、将来的な起業を考え、経営を学ぶために一時的に働いているものが少なくないし、自社の株式を所有している社員もいる。
 実際に仕事をする上でも、経営者と従業員の役割は明確ではないく、トップから一般職員まで一緒になって働いている。
 大企業と中小企業、正社員と非正社員という古典的な二重構造論も、ベンチャー企業にはあてはまらない。従来の経済学では、非正社員を不安定で劣悪な環境に置かれた「縁辺労働力」として扱ってきたが、ベンチャー企業では、実力のあるプロは、正社員であるよりも、契約社員や業務委託で働くことを選択し、成果主義の下で大きな報酬を手にしている。
 そうした状況を背景に、身軽で自由な非正社員を志向するものも増えてきている。規模の経済が働く大量生産システムとは異なり、知識創造やコンサルティングのような情報・ソフト系の仕事では、大組織の企業は有利ではない。独自の技術やノウハウを持ったベンチャー企業は、リストラや賃金カットに悩む大企業を尻目に多額の利益をあげている。

■ベンチャー企業ではプロが求められる
 伝統的な大組織では、分業化・細分化が進み、個人はごく狭い範囲の仕事にしか携わらない。また、ひとつの事業に携わる人数が多いため、仕事を行う上では個人よりも組織が優先される。
 ところが、ベンチャーでは、個人が処理する仕事の範囲が広く、仕事上でも個人のウェイトが大きい。ひとりで市場や顧客を相手にし、個人の判断で主体的に仕事を遂行することが多い。
 プロジェクトチームによる仕事であっても、ひとりひとりがいわば「自営業者」のような感覚で仕事をこなさなければならない。
 そこで、ビジネスの種になる新しい価値を見つけだす能力、事業を企画して立ち上げたり、それをコーディネートしたり、交渉をまとめあげる能力が求められる。ベンチャーで求められる人材は、広くて浅い知識・経験を身に付けた従来型のジェネラリストではなく、スペシャリストでもなく、プロなのである。
 
■良質な実務経験を育む
 個人の能力は、特定の組織内部でだけ通用する「特殊能力」と、組織外でも広く通用する「汎用的能力」とにわけられる。そして、特殊能力はOJTによって、汎用的能力は留学や研修で身につくと考えられてきた。
 だが、ベンチャー型プロフェッショナルに求められる能力は、各種の教育訓練プログラムで一朝一夕に身につくものではない。MBAコースを含めて、研修で獲得できる知識や技術はあくまでも基礎であって、他と差別化できる能力の「コア」を形成する上で重要なのは何といっても実務経験である。判断力、勘、創造性といったマイケル・ポランニーの言う「暗黙知」に属する部分は、経験なくして身につけることは不可能である。
 実際に、プロと呼ばれる人材は、自らが主役となって新しいことに挑戦し、新天地を切り開いたという良質の実務経験をとおして育ってきている場合が多い。すなわち、人材育成の上でもっとも重要で効果が高いことは「困難な事業の経験」である。
 しかも、ひとつの組織の中だけではなく、関連企業を含めて複数の組織で積み重ねた経験が、本人の知識や考え方の幅を広げるのに役立っている。ペンチャー型のプロは、組織主導の能力開発システムではなく、個人の自発的な挑戦と経験の積み重ねによって育てられるのである。

■ベンチャー企業は「仕事人」に適した職場
 働く人の意識もベンチャー企業と大組織とでは大きく異なる。ベンチャー企業は、組織や仕事がシンプルで、個人がどれだけ業績に貢献したかが見えやすい。そのため、仕事の成果が厳しく問われる反面、プロセスの自由度が大きい。どのような働き方をしようが、結果さえ出ればよいことになる。業務さえこなせば、何時に出社してもかまわないし、自宅で仕事を行っても問題がない。同時に、個人の能力差が大きく、一流とそれ以外の者とでは天と地ほどの差が生じる。個人のキャリアも組織ではなく仕事を軸に形成されるようになる。

 さて、ここで、組織の内側ではなく、組織の外部の市場や顧客の方を向いて仕事をし、組織よりも仕事と一体化し、仕事を通じてキャリアを形成する人々のことを「仕事人」と呼ぼう。日本でも伝統的な「組織人」にかわって「仕事人」が増えてきており、仕事人的な生き方をしたいと希望を持っている人が増えている。だが、大組織は依然として組織人を前提としたマネジメントを行っている。
 一方、ベンチャー企業は「仕事人」に適した職場であるといえる。個人の組織への貢献度を正確に把握し、処遇に反映させなければ、優れたメンバーを確保できないから、ベンチャー企業では、「個人」に照準をあてたマネジメントが必要となってくる。
 さらに、仕事人は、まず仕事がありきで、組織は仕事を達成するための手段にすぎないと考える。仕事が終われば組織を解体し、それによって得た成果を元手に、また新たな組織を構築していく。シリコンバレーの経営スタイルは、まさにそれを象徴している。
 仕事人のキャリアは個人主導で形成されるし、キャリアは横方向にも広がっている。ソフト開発の技術者などは、複数の会社の仕事を掛け持ちでこなしているものが少なくないし、バーチャルカンパニーの段階に入ると、兼業という言葉そのものが意味をもたなくなるのである。

■「先憂後楽」から「先金後農」へ
 多くの若者は、体力もやる気もあり余っている若い時期に全力で何かに挑戦したいという強い欲求を持っている。欧米では若い時期に富を築いて生活基盤を確立し、後半の人生は田舎で悠々自適の生活を送ったり、趣味やボランティアを生き甲斐にするといったライフスタイルを取る人が珍しくない。日本でもベンチャーで働く機会が増えれば、そのような生き方を選択する人が増えてくるのではないだろうか。 


引用文献
 
太田肇『ベンチャー企業の仕事』(2001)