卒業生の手紙
    

2004年6月7日

筑波大学新聞掲載


 カストロの独裁国として今もアメリカから経済封鎖を受けているキューバ。このカリブ海に浮かぶ小さな島国が、ソ連崩壊に伴い未曾有の食料危機に陥り、窮余の策として有機農業を柱に持続可能な国づくりに果敢に挑戦している。そんな情報を五年前にインターネット上で偶然知った。以来、何かに憑かれたかのように七度も足を運び、立て続けに四冊ほどの現地リポートを書いた。有機農業に関心を持つ人々の間では予想外の反響を呼び、テレビやラジオに出演したり、北海道から沖縄まで各地から講演に呼んでいただいたりしている。多忙にかまけて最近は山中に開墾した小さな自給菜園も荒れがちだ。

 とはいえ、私はキューバの研究者でもなければ、著述業を生活の糧にしているわけでもなく、ましてや百姓でもない。地方自治体の公務員が本来業務で、取材や執筆、講演はすべて有給休暇や土日を使ってやっている。

 なぜ、一介のサラリーマンが、キューバや畑づくりにこだわるのか。よく人にも聞かれるが、その理由は筑波での学生生活と無縁ではない。地球表層における金属元素の濃縮が、地球史的・化学熱力学的にいかにして生じえたのかを研究する鉱床学。それが、私の専攻だった。

 だが、いざ卒論で鉱山に潜って目の当たりにしたのは、地下資源は掘り尽くせばなくなるという厳粛な事実だった。今の豊かな工業・情報化社会を支えているのは、石油を中心とした地下資源である。そして石油は40年を経ずして枯渇する。枯渇しない資源とは何か。土と水とバイオマスである。しからば、それに立脚する社会とは何か。里山を基盤とした農的循環社会である。興味と関心のおもむくまま、下宿の近くに畑を借り、やがては郷里での農業技師を職業にも選択した。その確信は今も変っていない。アフガン侵攻やイラク戦争も枯渇しゆく石油資源をめぐっての争奪戦だし、地下資源に依存しない農的社会にしか人類の未来はない。要するに、あいもかわらず同じテーマを追い続けているという意味では、私は学生時代から全然進歩していないのである。

 (東京都農林水産部食料安全室勤務、84年自然学類地球科学卒・87年地球科学研究科中退)