益子の道祖土(サヤド)地区には山車がなかった。
ならばと若組衆は自分達で作った。
私は「道祖土」「若組」と書き、龍を描いた。
妻も彩色龍を描いた。
プロもアマも上手も下手もどうでもよく
祭りたい、という彼らの意志が山車を生んだ。