◆愛恋処方箋 その壱
和の様子がおかしい。
おかしいけれど、なんともない振りをしている。
成瀬がそう気付いたのは、ほんの些細なことがきっかけだった…というよりも、偶然知ったという方が正しいのかも知れない。
あの夏以来、それまでと比べたら随分と仕事が入るようになった成瀬壮一郎だったが、主な仕事はまだ脇を固める役のせいか、連日仕事に明け暮れるとまではいかず。
それに明日は久々に丸一日オフだからということで、ゆっくり風呂から上がってきた時の事。
「和、風呂いいぞ」
「………」
風呂に入るようにと声をかけた相手…一柳和は、他愛もないバラエティの番組を見ていた筈なのに、心此処にあらずといった様子でぼんやりと天井を見上げていた。
「和?」
「わあッ!」
成瀬が風呂から上がった事に気付かぬ様子に、珍しいと思いながら今度は側に寄って軽く肩に手をかけ。
そして成瀬がごく普通に再度声をかけてみれば、和は文字通り跳び跳ねる勢いでこちらを振り返る。
「び、びっくりしたぁ!」
「そりゃ俺のセリフだっ!」
「ご、ごめ……ごめんなさい、あ、と、その、おおおお風呂だよね、入るねっ」
お互い驚愕のあまり声が大きくなってしまったが、何故か和は一人赤面した挙句、足をもつれさせながら浴室へ逃げようとした。
「…待て」
「駄目っ!」
「駄目ってなにが……あっぶねー!こら!お前は人一倍鈍いんだから少しは注意しろ!」
そう注意した矢先に足を滑らせ、器用にも顔面から床に激突しそうになった和を抱き止めた成瀬にしてみれば、あまりにも挙動不審すぎる態度が気になっただけなのだが。
「お、お風呂は大事だよ、うん!」
「はぁ?」
和の慌て振りだけでも、一体何事かと十分興味を持ってしまうのに、こんな言葉で制止されれば余計にその理由が知りたくなるものだ。
「判った」
「そ、そう?」
成瀬があっさりと引き下がり、興味は失せたと言わんばかりに両手を挙げて見せれば、案の定和は明らか様に安堵の表情を浮かべて身体の力を抜いた。
「…な、ワケはない」
「壮くんッ!」
その瞬間、成瀬は素早く和の体を自分の方へと引き寄せ抱き込んでしまう。
「はな…ッ」
「駄目だ」
そして和が逃れようと身じろぎするより早く、成瀬は唇を重ね抵抗を奪う。
…あの夏の日。
成瀬の親戚が所有していた曰く付きの館で、幾重もの偶然が重なって出逢い。紆余曲折ありながらも世間で言う所の【恋人】同士になった二人だったから、こうしてキスをしたりするのは別に今更驚く事ではないのだけれど。
「!?」
だが今までのそれは、どちらかと言えばスキンシップの延長上にあるような、そんな可愛らしいものだったのに。
「壮く…っ」
「……」
いつもなら成瀬と触れ合うことが嬉しくて、和は赤くなりながらも彼にしがみつき抵抗らしい抵抗はしたことがなかったけれど、どうやら今回は違ったらしい。
「そ…!」
「黙ってろ」
「んー!んー!んンー!」
突然の事で驚きに和が目を見開けば、間近以上の近さに精悍な成瀬の顔があって。それに更に驚いて目を閉じれば、自分の口内へと強引に入り込んできているモノの感触に驚いて。
咄嗟に思考がついていかず、何とか離れようとしても身体はしっかりと成瀬に抱き込まれていてどうにも叶わない。
「…は…ッ……、そう、く…」
しかも力関係においては差が歴然としていることもあり、和は逃げることが出来ず、成瀬の唇と舌に翻弄される合間に酸素を求めるだけで精一杯になっていた。
「……ふ……」
「和?」
程なくして、抵抗する力を奪われ心なしほんわりと瞳を潤ませていた和を、成瀬が漸く解放してやると。
「び、びっく、りした、よぅ…」
この上なく情けない声で和が抗議してきた。
「これくらいで泣くな。なんか俺がスゲー悪いことしたみてーじゃねーか」
完全に力が抜けたのか、和がくたりと身体を寄りかからせてくるのをしっかりと抱き込む形で受け止めて、泣きそうな声を宥めるように成瀬は背中を撫でてやるのに。
「………なあ」
そんな成瀬の視線は、自分の腕の中にいる和ではなく、今まで和が座っていた所に向いて居た。
「…あれ、お前のか?」
「へ…?」
はっきりと言い難いのか、少々言葉を濁してそう呟く成瀬の視線の先にあったのは、今ではコンビニでも容易に手に入る薄い包みの避妊具が一つ。
「お前でも、ちゃんとこういうことに気が回るのな」
「…………わあああああああー!」
先ほどの余韻でまだ頭が回転していないのか、ぽやっとしたままの和にそれを拾って見せれば、恥ずかしさに憤死するんじゃないかといった具合で大きな悲鳴を上げた。