親馬鹿具合がダダ漏れ中。




「ああ、その『那須さん』は大きいけど温厚な性格なんで大丈夫ですよ」
「は、はあ…」


磯前の飲み仲間である氷室から紹介を受け、すぐに足を運んだ鳴海動物病院にて。
院内へと招かれ、そのまま足を運ぶ磯前と日織だったが、相変わらず自分(というか懐の中の和)に付いてくる『那須さん』に少々腰が引けていた。
日織は最初から元気のいい女性の獣医師とその助手の青年の勢いに飲まれているのもあるが、そうでない磯前だとて『那須さん』の大きさには正直たじろいでいる。
しかしそんな二人の様子は珍しいことではないらしく、いともあっさりと京香先生が説明し始めた。

「あら、もしかしてセント・バーナード犬を見るの初めてですか?でも那須さんはここの看護犬ですし、飛び掛ったりしないいい子なんで安心してくださいね」
「俺は初めて見ました。…旦那は?」
「俺も初めてだ。そもそもここまで大きい犬を見たこと自体初めてだがな」

二人ともセント・バーナード犬が大きい犬種だということは理解していたが、いざ目の当たりのすると大きいというよりも、先ほど磯前が呟いた「デカい」という言葉がこれほど似合う犬も居ないと思ってしまう。
だが聞けばこの『那須さん』はここの看護犬らしく、初めてだったり恐怖や不安の大きい患畜に対し、付き添ったり時には宥めたりといった具合で診察を手伝っているとのこと。

「さ、診察を始めましょう」

診察室へと足を踏み入れ改めて促され、日織は己の懐からタオルに包まれたままの和を体重計を兼ねた診察台へと下ろすと、京香先生は手際よく和を診察し始めた。

「目は大丈夫、耳もノミダニ問題なし、四肢問題なし、と。それとこの子、男の子ですね」

捨て猫ということで心配されるのは栄養状態やダニやノミだが、実際に口内や目の炎症、耳に虫や膿が湧いていないかを確かめれば、いずれも問題ないと笑顔でさらに診察を進めるものの。

ぴゃー!!

「和さん、ちょっとの辛抱ですから落ち着いて!」
「…落ち着くのはお前の方だ」

突然始まった診察に余程驚いたのか、和が小さな身体で、しかも毛を逆立てて身を捩りだした…ことにより、側で見ていた日織(の、何か)が壊れた。
人目があるために窘めることしか出来ない磯前を他所に、診察を嫌がっているのか和が切なそうに鳴き声を上げる度、自分のほうが泣きそうな顔で励ましている有様だ。

「ちょ…こ、これだけ元気があったら大丈夫だと思うんだけど…。京香先生、検温どうしますか?」
「もちろんします。ちょっと我慢してね…あら那須さん、邪魔しちゃ駄目よ?」

バウっ!
みぃ…。

検温のために肛門から体温計を差し入れたことで更に和が嫌がって鳴き声を上げるが、傍らにいた那須さんが顔を近づけ一舐めすると、そこで力尽きたのか和はか細い声で鳴いてくたりと力を抜いてしまった。

「和さんしっかり!」
「…だから。しっかりするのは和じゃなくてお前の方だ」

それを見て和に声援(?)を送っていた日織は益々泣きそうになり、その様子に磯前はほとほと呆れ果てて大きなため息を零す。

「うん、和くんは大事無いですね」

その後診察を続けた結果、和は外に捨てられてはいたがそう時間が経っていたわけでなく、そしてダンボールで雨を凌いでいたこともあり、危惧していた衰弱も程なく回復する程度のものだと判明して。
獣医という専門家からきちんと告げられたことにより、日織は漸く安堵の息を吐いた。

「じゃあ今日の診察はこれで終了です。診察券をお出しするのとあと子猫用のミルクを用意しますから、ちょっとお待ちいただけますか?」
「何から何まで申し訳ない」
「いいえ、当たり前のことをしているだけですから。えーと…真神くん、カルテお願いしてもいい?」
「はい、判りました」
「おいで和さん。俺と一緒に待ってましょう」
「………」

今日拾ったばかりだというのに、診察が終わるや否やそそくさと己の懐に和を招き入れる日織のすさまじいまでの入れ込みっぷりには閉口するが、こうして診察を受けさせて異常がないと判ると磯前だとてやはり安堵は隠せない。

「予防接種やその他まだ通っていただく必要がありますから、それぞれこの予定表を見ながら忘れずに来院してください」
「あー…頃合を見てで構わないかね?仕事柄どうにも時間が不規則でな…」
「そうですね、あくまで目安ですからそんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ」
「なるほど」
「ワクチンその他は命を守るための大事なものですから、忘れないでだけ下さい。じゃあこれ、診察券です」
「朝から騒がせて申し訳ない。助かった」

診察券や子猫用ミルクを受け取り、いくつか説明を受けながら会計を済ませた磯前が振り返ると、和を懐に抱いて(いつの間にか)那須さんと打ち解けていたらしい日織の姿があるのだが。



「旦那…」
「ガキじゃねえんだ、一々下らんことで拗ねるなよ」
「…………」



明らかに意気消沈といった具合でこちらの手元を覗き込む日織に、磯前はしっかりと前もって釘を刺すその理由は。




「なんで診察券に書いてある名前が『磯前和』なんですか…」
「知るか」





診察券に真神青年が迷うことなく書き記したのは『磯前和』という名前。

氷室から電話を受けた時磯前の名前で紹介されたのだから、真神青年がカルテに飼い主として磯前の名前が記載されるのはごく当然のこと。

そして、診察券にもそう記載されるのはさらに当然のこと。

しかし勝手に『高遠和』と記載されるものと思い込んでいたのか、それを見た日織の背後にはなにやら酷く物悲しげな木枯らしが吹き荒んだ。




「ほれ、帰るぞ」




…普段日織の暴走に振り回されている身として意趣返しとでもいうつもりなのか、ちょっとだけ優越感に浸ることが出来たため磯前の溜飲が下がったのはナイショの話。

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