大後退 01
「毎回毎回、よくもまぁ…」
…と、日向は呆れずにはいられなかった。
意識を失い己の腕の中でぐったりしている金と、それに対してあてが外れたと肩をすくめるふみこを見比べて、本当にもう、呆れる以外どうしろと言うのだとヤケクソ気味に悪態をつかずにはいられない。
「おい金さんやっ、大丈夫か金っ」
「ちゃんと若返るはずなんだけど…おかしいわね」
「お前は!どうしとこうも金で遊ぼうとするんだ!!」
「そんなの私の勝手でしょう。それにこれはあなたには何も関係ないわよ」
「ある!こいつは俺のだ!!」
「男の嫉妬と犬の嫉妬で暑苦しいことこの上ないわね。みっともないから、牙をむきだしにして威嚇しないで頂戴」
気を失ったままの金を懐に抱いたまま、本来の姿そのままの唸り声を上げる日向に、ふみこは取立て気にした様子もなく軽くそう言い放つと。
「起きなさい、大きな可愛い坊や」
(日向の目の前で)これ見よがしに金の額に口付けた。
「オゼットぉぉッ!」
「お黙りなさい。金が起きたわよ」
「…………」
かすかなうめき声を耳にした瞬間、日向は続けようとしていた怒声を飲み込み金の顔を覗き込む。
元々目が細いせいで見辛いが、ふみこの言う通りうっすらと目を開けていた事にほっと安堵の吐息を吐いた日向だったが…。
「…誰?」
「あ?」
「え?」
金の口からこぼれた一言に、日向のみならずふみこまで惚けたような返事をしてしまった。
しかも。
「おじちゃん、だぁれ?」
「ンなッ?!」
「……」
などと言われ、驚愕にそろって目を見開くのだった。
更に、金の爆弾発言はこれだけに留まらなかった。
金は自分を抱き締めて顔をのぞき込みながらも、絶句したままでいる日向をしばし不思議そうに見つめていたが、そばにもう一人居る事に気付いてそちらへ顔を向ける。
そして先ほどのようにきょとんとした面持ちで、今度は「おねえちゃんは、だぁれ?」と口にしたのだ。
「まてよオイ…これは何の冗談だ?!誰が『おじちゃん』だっ、この状況でふざけてるのかお前はッ!?」
「ッ!!」
「止めなさい日向っ!」
しかし日向にしてみれば、心底心配していたのにこのような事を言われて、とても聞き流せるものではなかったらしい。
横抱きにしていた身体を強引に引き上げ、無抵抗なのを良いことに胸倉を掴み上げた。
「誰がおじちゃんだ、誰がッ」
「…?……ふ…ふぇ…っ」
「止めなさいと言っているでしょうッ!」
「痛ェッ!」
しかしさらに詰め寄ったところで、ふみこから凄まじい力で引き剥がされた。
「うわぁぁぁん!」
すると金は普段の彼からは想像できない程の積極性でふみこにしがみついた上に、これまた普段の姿からは想像もつかない程の勢いで激しく泣き出した。
「大丈夫、大丈夫よ。あのおじちゃんはあなたが心配で、あんな事を言っただけだから。恐くないわ。泣かないでいいのよ」
「…な…」
しかもふみこまでが、普段の姿からはかけはなれた勢いで優しく金を宥めているのだから、日向にしてみれば何がどうなっているのかまるで見当がつかない。
「日向。金に強く出ては駄目よ」
「あ?」
「もしかしたら、この子は今…」
大泣きする金をあやしながらふみこは少しだけ言い澱むと、そばにあった鏡をのぞき込むように促した。
「ぅえっ、ッ、ふ…ひくっ」
「泣かないで。これが誰だかわかる?」
「…ふぇ…?」
「………」
己の顔を見せられたのに泣きながらも首を振る姿に、さしもの日向でさえ事態の異常さに血の気が引いた。
「お名前、言えるかしら?」
「っ、ふぇ…『きむ でじょん』…っ…」
「そう。じゃあ幾つなのかしら?」
有り得ない程に優しく微笑むふみこに宥められ、それでも日向に怯えているのか、大きな身体で彼女の背に隠れるようにすがり直してから、おそるおそる片手の指を全て開いてみせた。
「冗談だろ…?」
しゃくりを上げる金を茫然と眺める日向に、ふみこは軽く溜め息をついて否定してみせるのだが。
「これが冗談に見えるのなら、貴方の愛なんてたかが知れたものね」
「……」
と、手厳しく言い切った。
「今の金は肉体的ではなく、精神的に若返ったみたい」
「感心してないで、早くもとに戻してやってくれ……」
相変わらずしゃくりを上げる金の頭を撫でながら、まるで悪びれずにおかしいわねぇと呟くふみこに、怒る気力も失せた日向は力なく懇願する。
「取り立て何かしなくても、そのうち戻るわよ」
「そのうちってお前なぁっ」
「仕方がないでしょう。金に飲ませた薬は私がいつも利用しているモノとなんら変わらないのよ?効力が切れるまで待つしかないわ」
「……」
「それよりも…」
日向から逃れるように自分にしがみついている金の異変に気付き、また軽く小さな溜め息をついた。
「……これ、なぁに…?」
幾分落ち着いたらしい金が、ここでようやく自分の姿がおかしいことに気付いたのだ。
「うぇ…っ…」
5歳児に戻っている金にとって、今自分が大人になっていることが理解出来る訳もなく。
「……やっぱり早く元に戻れるようにしてやれよ」
「……そうね」
再び(今度は火がついたように)大泣きしはじめた金の泣き声に耳を塞ぎつつ、さすがにいたたまれなくなった二人だった。