白の真珠と実直な逃亡者








満月から幾分欠けたものの、ぽっかり浮かんだ月がとても綺麗な、そんな明るいある夜のこと。




「…驚いた。貴殿とこんな場所で会うとは」
「それは私も同じデスよ…」



何をするでなく《そこ》にたたずんでいたロジャーは、見知った人物がひょっこりと現れたことに驚きを隠せなかった。

「お元気そうで何よりですネ」

しかしその相手は、いつもの見当違いな忍び装束でない、すなわち《セプテントリオン》の一員であることを示す、黒い服装に身を包んでいる『白の真珠』としてのロジャーにとっては、かけがえのない《友》の姿で。

「私何かおかしな事、言うしましたか?」
「いや…そうじゃないよ」

偶然の再会に事にロジャーが思わず笑みを零すと、生真面目な彼は小難しげに考えながら首を傾げた。
そんな彼の変わらぬ仕草が嬉しくて、偽りでないロジャーの笑みは更に深くなる。

「俺は相変わらずさ。でもそれはお互い様、だろう?
貴殿も大事なくて何よりのようだ」
「ハイ、そうですネ」

笑みが偽りのないものならば、その口から紡がれる言葉もまた、作り上げたものではない本当の言葉。
おかしな発音と英語混じりでない、流暢な日本語。

「何していたのですカ?」
「別に、何も」

近づいてきた彼に手を差しのべると、何ら躇うことなくその手を取る。
そして傍らに腰を降ろすように促しかけたところ、彼は少しだけ寂しそうな面持ちで首を左右に振った。

「先ほど私の顔を見た時、あなたはとても深く溜め息を吐く事をしました。
…ここに現れるしたのが、私で良かったとでも言うように」

しかも先ほどのほんの僅かな行動を見透かされ、ロジャーは彼の手を取ったまま今度は苦笑いで見返す。

「ばれているのならば隠す必要はないな。
…貴殿の気付かれた通り、少し考え事をしていた」
「……」

静かな声でそう呟いて月を見上げれば、彼は余計な言葉を発することなく、同じように月を見上げる。

「……」
「ロジャーさん?」
「何を、と聞かないのか?」

しかし、見上げるだけで一向に続く言葉を促そうとはしない彼に、ロジャーはついこちらから口を開きそうになった。

「貴方が話をしたいと言うならば、私は耳を傾けるシマス」

少しだけ硬くなったロジャーの声音に気付いたのか、彼はゆっくりと見上げた視線を傍らに移す。

「でも、話すしたくないというのであれば、私は無理に聞く事をしようとは思いまセン」
「大正殿…」

そういって彼…金大正は再び月を見上げ、その柔らかな光を浴びながら静かに微笑んだ。

「貴方はコータローさんを守るために、とても強い力と心を持つ、していますね。
…だから私は、貴方のような方が簡単に胸の内を明かすような事はないと、そう思うのデス」
「……」

金は変わらず月を見上げたままだが、ロジャーの方は月ではなく金を見つめたままで。

「…ただ、そんな貴方が私に何か聞くして欲しい事がある、言うのならば。
私は貴方を思う《友》として、出来る限りの事をして差し上げたいと、そうも…思うのですヨ」

『世界忍者』であろうが『白の真珠』だろうが、金にとってはどちらも『ロジャー』という大切な友だと。
言葉こそないけれど、そうなのだという金の心が痛い程伝わってくる。

「…大正殿」
「ハイ?」
「貴殿は…優しすぎるよ」

ロジャーはそう呟くと金の掴んでいる手側の肩口に自分の額を預けて、空いている腕をそっと金の身体に回して引き寄せた。

「ロジャーさん…?」

これにはさすがに少々ためらいを見せる金だったが、自分の肩口に額を埋めて抱き締める以外ロジャーは取立て何もしないせいか、自ら空いている腕を彼の背中に回し、ぽんぽんと子供を宥めるように軽く叩いてやる。

「どうしましたカ?」

しばらくの間そうしていると、ロジャーは大きく深呼吸してから、漸く頭を上げて金と視線を合わせた。

「……ロイだ」
「エ?」
「ロイと呼んでくれないか、大正殿」

ロジャーからみても、金はかけがえのない大切な《友》だから。
光太郎とは全く違う意味合いで大切な《友》だから。

「俺を友だと言うのなら。コウと同じように、俺を呼ぶ時はロイと呼んで欲しい」

金がロジャーを気遣うように、ロジャーもまた、金のことを気遣いたくて。
金にとって自分は弟子の仇の一員であるというのに、その自分を気遣ってくれるその優しさが。
…それが結果的に金を苦しめたりはしないかと、そのことがずっと気になっていたのだけれど、ロジャーがそれを口にする事は出来ない。

「……ロイ、さん」

金が確認するように名を呼ぶと、ロジャーは満足げに頷いてから両腕で彼を抱き締めた。

「…コウを守る。何があっても、絶対に、守ってみせる」



その呟きは誓い。
金にではなく、己に立てた遠い日の約束。



「俺は、その為に、生きている」



あの時は自分一人の為の誓いだった。
自分が命をかけてでも《彼》守る、それが幼い頃からのロジャーの生き様。
それだけが生きる糧だった。少なくとも、主を求めてねじれた城が出現するまではそうだった。

「…コウが無事であれば、他がどうなろうと気にすることなどなかったのに。
…何故だろうか。大正殿、貴殿の事が頭の隅から離れない」
「ロイさん…」
「コウと同時に貴殿の安否が気にかかる。あれの無事を知る度に貴殿の事を探してしまう。
あの冬の事件以来今宵こうして偶然出合い、貴殿の変わらぬ優しさが…消えぬ事を願う自分に驚きを隠せない」
「……」





大切で。





玖珂光太郎とはまた違う意味で、ロジャーにとって金は大切すぎるのだと気付いてしまった。
一人欠け始めた月の光を浴びながら、ロジャーはそんな事を考えていたのだ。

「でも俺は…貴殿を守る自信がない」

これは弱さとは違う。でも、弱みには十分なり得る。
その事に気付いたら、自分が今の組織の中に籍を置くことに躇いが生じた。

「…大丈夫デスよ。ロイさん」
「大正、殿…?」

しかし先ほどよりも強く抱き締められながらも、相変わらず金の腕はロジャーの背中に回されていて。
そして同じリズム、同じ強さでぽんぽん…と叩き続けていた。

「皆、繋がっているでしょう?コータローさんという、その存在で皆繋がるしています。
…だからロイさんは、一人ではないです。そしてまた、私も一人ではナイのです」
「……」
「違う、そう言われても反論するはデキマセンが。
あなたが守るように、皆、コータローさんを守ることをしてイマス。自分達ができる、それぞれの方法でコータローさんを守ることをしてイマス。
…ならば。コータローさんを守るあなたの背中は、私が守るしましょう」
「………」
「私はあなたの足枷になるしないように、自分の身は自分で守るシマス。そしてあなたの背中を守る私がいるように、私の背中を預けられる方がイマス。
だからロイさん。あなたはコータローさんだけの事を考えるして下サイ」
「しかし……」
「それとも…私はあなたの不安になる、そんな力のない存在でしょうカ?」

少しだけ突き放したような冷たい口調で問いかけると、ロジャーは何かに気付いたのか、はっと面を上げて金を見つめた。

「大正殿…」

そこにあったのは、月の光の下で力強く微笑む金の姿。

「…貴殿は、強い」
「ハイ」
「…そうだ。俺は貴殿の強さを信じている男だ」
「ハイ」

金のその微笑みと自分の言葉に、ロジャーの顔にいつもの自信が戻ってゆく。

「…は…ははっ!すまない、大正殿。
俺はつまらないことを、馬鹿みたいに考え込んでいたようだ」
「気付く、しましたカ?」
「ああ。貴殿のおかげで」







そしてようやく身体を離し、一度共に月を見上げてから再び顔を見合わせて、二人は同時に声を出して笑い出した。











(後編へ続く)
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