In The Beginning Was The WORD!!


●03.31●


 FF10は断念。先が見えない。スフィアも辛い。次は・・

 神保町凄かった。RODを彷彿というかああいう世界は実在していたのだと。


●03.25●


 お、精霊の守り人アニメ化。これは読んだ時から予想していたんだ。これは小説だけで終わらせるには忍びないと言うか絶対にこれを漫画化(これは最低でもすべきいやむしろお・・)、アニメ化すれば広く人々に受け入れてもらえる資質と言うかその可能性が多いにありそれに気づくべき実現力があると言うかプロデューサーみたいな人が人が気づけばその達成すべき道は先までよく見通せ更に実力ある人たちが集まってより良い物を作れる事は間違いないのではと過言ではなく本当にそう思えるのだよ。で、製作がProduction I.Gとな。アニメ版バルサを見たが少し若めというかI.Gぽい(なんだそれ)というかあれ?黒(茶)髪だっけ赤髪・・いかんこりは中嶋陽子だ混同してるよ・・用心棒と王だけど雰囲気か何かはつかめないがそこはかとなく似ているような・・守り人は影というか裏みたいなのがあっていいなあとよくよく考えると少々ぐろい(言い過ぎではある)所とか。ただ一つ共通しているのは作者が女性であると言う点か。この部屋をぐるりと見回してもほとんど男の作ったものばかり。これをあたりまえと捕らえたらいいのかどうなのか。今目に付いたのは冬目景CLAMP以上う~ん少ない。

 やはり僕も鏡は異常でこの世にあっていいのか悪いのか世間からみればそれはいい物なんだろうけどたまに僕には恐ろしい何かを感ぜずにはいられなくなる時が瞬間ではあるが確かにある。まあこの恐れおののき感じは大乱歩先生の鏡地獄、目羅博士から来ているのは確かだろう。電車でドア近くに立ってると良く思う。左の手で本読んでてああこの人左利きだあとか思って視線をずらしてその本当の人をみると右手で本持っててあれ?おれの思ってたこの人は左利きであるし現に左で本持ってたけどおれの見間違え?この人おかしいぞいやそんなことはないもしかしておれの頭がいかれてしまって鏡像と現実がリアルに感じるようになり鏡像でおれは生きている実像の右手で本を持っているかの人は偽者でこのおれとは違う世界に生きているんだ。いやしかし芋虫はいかれてるというか今この時代でこれは文学だ!と言い張れるのかどうか・・この類の作品を世に知らしめて良いのだろうか・・しかし今僕が芋虫を読むことができたので認められたと言うか当時の世は受け入れたんだと思うよ思っちゃうよ。ああなんか書きたい事忘れてしまって書く気が無くなった・・無気力だ・・む、少し思い出したあれだこういう類の妄想はしていいんだ自分が自分が作り自分だけが面白いと思った妄想でも世に広まる(言い方は悪いが)のだと。大乱歩先生はどうだろうか運(あまり信じたくは無いが各人に及ぼす影響はあるだろう)があって当時をにぎわせその延長として今この僕が大乱歩先生の妄想を知る読む事ができたのだろうか。もし運がこの世で生きていくうえで重要な要素になりうるなら・・運はどうあがいても分からないのが辛い。辛いのは分からないことと言った方がいいのか。分からないのは不安だけど運はいいのも悪いのもあるからこれまた厄介だと思うよ。まあでも因果応報が日和見というか何時でも意趣変えはするだろうけどそう留めるのがいいかな。ああ。で、この妄想を受け入れてくれる可能性があるのが同人やネット唯一なんだろうと。文章、漫画などはやはり上と言うか編集を通すのが筋というかこの世、一般大衆に出てくるには当たり前必須なんだろうけど同人ネットは直接本人から受け手ととてもこの世のことわりを無視したしかし妄想を広めるためには手っ取り早くてその場、機会さえあればこの上ない各々の表現の最終手段、妄想者の手から受け手へとそれが渡る確かな空間、世界ん~あれをなんと言い表せばいいのか・・イベント?コミケ?いや代名詞固有名詞は避けて・・外国人はなんと言い表すのか(英語まかせだ)。ビエンナーレもあれ(わからんよあれ(妄想市場?))やって日本の文化として展示発表したし。ビックサイトはあのために作られたのだ!とか(2~3日間開催であれほど人を収容する建物はないんじゃないか?愛知万博も凄かったがいや特に性別年齢趣味志向を含めるとやはり恐ろしいまでの人の集まりやりとり意識の混濁いや違うな共有か?うむやはり共有は避けられんよ集合的無意識?(知らんけど))。おお、あとそうだ「模倣」と「妄想」だ。似てるようで似ては無いと思うけれど同人ではオリジナル、創作とそうでないものがあってそうでないものははたしてどちらになるのであろうか。完全な「創作」でなくまた完全な「模倣」でもない。およよ困ったねパロディという言葉もあるがその意味と違うものもあるだろうしん~本当に難しい。ってあまり同人の事を知らないだけかもアララギ?違うかこれも名前しか知らないし鼻水は出るし3月も終わるしああにしても久しぶりに金を使ったそれとようやく?が治ったようでいつの間にかその中心にあった黄色く変色した小さな皮だけがなくなっていた全く不思議その変色した皮の周りは白くなってそのうちはがれてくるだろう。しかし変てこな腫れ物(と言っていいのか?)だった ああ言いたい事は守り人漫画化よろしくと。
 シャナの人の日本語を知りたいと。
 カムイ伝は違うと。
 「なにやっただ?」「うんこだ・・・。」(驚き、汗)「め、めちゃくちゃだ!!」 あれが食い物もらって「カムイ!!」で泣く


●03.14●


 アカギがDBZのフリーザやセル戦のようになってきたとつくづく思う。あれはやっぱり正直ビビる「えっ?20分少々でこれだけ?」とかそう感ぜずにはいられなくなるよ今までのアカギを見ていると。市川戦良かったなぁ。あとfateもう~んいや書かないでおこうで、あまり関係ないというかなんだか激しく眠気が襲って座椅子にもたれたまま気を失ったように寝てるんだよねで最近分かったような気がしたのが12時を過ぎて眠くなる日は発売当初に買っておいたFF10しかもインターナショナル版をFF12の発売前までにクリアというか9からどのくらい変わったのか(僕の中では9はちょっと・・・という感じしか覚えてないあと奇妙なジダンのアップ)そして12を買うかどうか一応判断の基準になるのかなとまあ勝手な先入観と言わないのだろうけど例える語がないのでそれでいいけどちまちまとやってる最中にも気を失うんだよね。それで先週のfateは見逃したんだアカギも。で一つの原因に英語で喋ってるという事が挙げられるのかもしれないけどバトルとスフィアが厄介かもメンバー入れ替えとかスフィアはいいけどなんかほぼ一本道の様な。スフィアもある程度自由度があると言ってもいいけど女神転生の主人公じゃないけど魔力全く上げなかったりん~まあいいす。ただこの前やったDQ5では眠気というか24時間ぶっ通しで余裕綽々(しゃくって読めんぞ)プレイだった事は確かでいやまあそれはそれこれはこれだ。そうそう今さっきfate見たから書いておこうまあ僕勝手の推測じゃないけど密かに思ってる事と今日のエミヤシロウの言葉。まず前者、長い間「Fate/stay night」というタイトル(日本語で言うと何て言ったらいいかわからんぞ題目?表題?しっくり釈然としない)の「/」は「slash(なで斬り?)」という意味で採った方が僕は納得できるんだ。特にまあやってないのだけれど「Fate/hollow ataraxia」での「hollow(虚ろな)」と「ataraxia」の意味を肯定的え~「ataraxia」の本意はエピクロス派(肉体的苦痛の無い精神的快楽の求道(言い方が変))の「アタラクシア(心の平静)」だろうけどまあよく知らないのだけどエピクロス派は所謂快楽主義、エピキュリアンと同意かなと思うと「ataraxia」も快楽主義を差してるんではよって後ろ二語は「虚ろな快楽主義」となりどうも自分だけの世界で考えるとタイトルに使いたく無い様な言葉であって「運命、虚ろな快楽主義」と命名(う~ん)するだろうか。で、ここで「/」が出てくるこれを「slash」と考えると「運命が虚ろな快楽主義を撫で斬るすっぱ斬る」となり少々だが自分の中で納得というか「おお」と言いたくなる(なんじゃその自惚れ)。まあくどい様だがホロウやってないのだが。こんな風に思った人いるのかな?まあいいか。後者はアーチャーの投影の魔術に関する言葉。ありゃしろうに妄想しろといってるんだね?つーか妄想を広め様としてるんだね?へへ。ああそう広助が菰田夫人(名前忘れた千代子だ)を暗闇の中だが我を忘れ気が狂ったように二人がもつれるいやそのように見えるだけであって実の所は広助が千代子の首をギリギリと締めているのだがそこが百花繚乱、くらくらするような蜜の濃い香りで漂いその香りに酔ってただその勢いでじゃれあっているようでもあるそんな黒い闇の中に広助達を含む数多の花をぱっと赤色が光り二人の顔を赤く正に酒に酔ったかのように染め上げたかと思えばとても青の光が血の気が通っている人間とも思われがたい真っ青な死に顔の人間をこの世に呼び出しこの島でも広助が思い浮かびもしなかった様な死者の戯れまたはgame of death(ハキムはまずい)。そしで身全体を震わし肌がビリビリするほどの轟音そう何のことはない花火が打ち上げられているだけなのだが見る人が見れば正にそれは死亡遊戯(ああハキム・・)であり現実と空想の判別がつかなくなり目の前で起こっている惨劇はただの自分の頭の中で作り上げたただの妄想だと感じざるを得ないでしょう。そして僕はそれを京葉線に乗りその現実と空想をいやその空想を必死に想像して頭の中で現実にしようとしていたのだと思うそのときドン!ドン!と得体の知れない音を聞き訝しがっていると電車がホームへ停車しドアが開きその得体の知れない音の方位が分かるか分からないうちに右後ろを本当に何かに乗り移られたかのように振り返ると頭の中に現実に起こっているとイメージしていたあの広助達を照らし染め上げたあの光があの見るものを虜にして空想の世界へいざなうあの光が電車の窓のガラス越しにはっきりとそれはもうその驚き発見いや無心であったかもしれないがこの目に焼きついたのでした。これはもう大乱歩先生のこの上ない贈り物だと思うのであります。そしてアーチャーは自分の中では憎むべき存在とプレイしたあの二人がイコールとともに自分(僕)が存在する理由はどうあれ(僕はどんな理由があっても納得はしない・・・と思う)とてもとても許すことが出来ない自分殺しを望み実行しようとするために英霊(かどうかは分かりませんが)その気持ちが想いがあっただけでも僕にとってはアーチャーがそのような存在になりうるには十分すぎる理由となるのであります(ヴィルミナ風)。ああ書いてしまった。このアーチャーに対する思いはfateをプレイした時からあるのでコミケ等ではアーチャーの声を良く聞いていた姿を良く見ていたで少々辛かったのであります。まあ自分を否定されているような気になっていたのでしょう。いやそれは体のいいあああれだ群集人間小市民性だ。自分の癖がある他人(まあ単に他人でも)にとって嫌な事であることは辛いよね。あと利用する側と利用される側両方を体験(あくまで体験です)するのはやはりこの上なく複雑か?単純か?いや結局僕は利用されてる一番下の人間であることには間違いないのでその程度の浮き沈みでは答えなんてものは出ないんだ。


●03.08●


 癰だ癰。いや?か?「硬く浸潤」っていい表現かも。なかなか痛いつーか指の横って皮脂腺や汗腺はあるのだろうか・・とりあえず買ってきた抗生物質を塗布塗布。なんでこうなったか不思議でたまらん


●03.05●


 今日起きたら鼻が完全に詰まっていた。くしゃみも出るから風邪か?とか思ったが気温もあがるっつー事なのでああ、あれか花粉にやられちまったんだと春はいいのだけれどこればっかりは辛いというかどうにもならないというか対処のしようがなくて困る飲み物もがぶがぶと飲みたいときもあるというのに鼻が詰まってるので息ができん してたまたま見たエウレカ7だがレントン(だっけ?)の行動は自分にとってというかなかなかに理解ではないが受け入れ難いと言うか難しいぞ、と。ちびっ子もまねてはみたがまあ無理でしょうよ。まあいきなりあの場面を見せられるとそう感じるのかなエウレカも何時の間にやら髪型というか何かよく喋ってるし恐らく可能な限りのよりよいものを作ろう見せようとしているのかああ嫌な日記でもやはり何度見てもあの金の人の体操で言えばとても重要な着地に値しそうな最後のポーズがぐらついているあれは減点の対象にはならないのかな?と思うのでありますよ。

 あとK-1あれは凄かった。自分が決めた技で逆に失神させられてしまうゴールデンボーイとういうのも何か思う所があるというかなんと言ったらいいのか。それと最後のシュルト。ルールが変わって掴みに対して厳しくなったみたいだがやはりこれは圧倒的なシュルトに対しての牽制だろうと。キックでガードさせ縮こまったところに咄嗟に掴み引き寄せて膝蹴り。この引き寄せての膝蹴りというのが想像するととてつもなく破壊力があると思う。引き寄せるスピードと膝で蹴るスピードが合わさりおまけに膝はグローブなんかないからというか骨だしアッパーみたいに下から飛んでくるわけでもなし横からでも飛んで来るので厄介というかテンプルというかあの身長の高さだしもうその衝撃はいかほどのものになるのやら。シュルトはこれからどうするのか・・本当に最強なんだがルール一つでこうも変わるんだよね。ああそうだ今日は久方約10年ぶりかのまあ小さいのだがアジアアロワナを見た見たああいけないどだい実現は今の状態では出来んのだよこの気分感情はどうしたらいいものか・・


●02.27●


 すまぬ。私に情報を伝えてくれる人達よ私はこれだけは言いたいのだ。誰もが望んでいるソレを手中に収めその勇姿、No.1であることを国民の誇りとして大々的に報道し感動を与えようとして一つの心持にしていこうまたはいきたいそして羨望ではないのだがいかにも我々が勝ち取った物であるかのごとく他の選手の演技を見ていない人も含め錯覚を起こそう、気分を上に持っていこう・・ん~まあ率直に言うとだね得点、技術が全てでは無いのだとやっぱり思うのだよ。いくら技術が高くてもそれを表現する手段が無いとどうにもならない時が多々あると思う。人見広介なんか全くその通りの大乱歩先生の妄想ではあるがよく分かり果ては自分もそうじゃないか?とか勝手に期待やお得意の妄想をしてしまったりするのであります。村主選手の表情を見ると「ドキッ♥」だけでは言い表せない心情に陥ってしまう。もう一時も目が離せない。手の先の先まで美しかった。あれはフリーだったと思うが最後の高速スピンと音楽が限りなく一になっていてひどく感動した。ああこれがフィギュアスケートなんだなと心に刻み付けられた様だった。それとペア。見てよかった。どうしてあの恋する人が必ずその相手と望んでいるであろう心と体の一体感をジャンプでまざまざと表現しうるのであろうか。それとダンス。3位の組のJuno Reactorやインド、エジプトを彷彿させるような音楽でダンスが出来てそれが感動を与えてくれるなんてウリナリ社交ダンスを見てはいたのだけれど全く予想、期待も出来ずにただそれを受け入れるしかなかった。エアリアルは見れなくて残念。衛星だけでやらないでつか再放送してね。あとプル様にはやられたねエキシビジョンでの日本のメダリストは確かろくにジャンプもしてなかっただろうにプル様ときたら4-3-3だか4-3-2だか跳んでいらしゃって格の違いというかここまでできてこそ金・・・みたいにおっしゃっているようでこれまた深く考えさせられました。最後に。TVを見て練習でほとんど成功していない技を本番で試みようとするのは僕にとっては「成功したらラッキー♥」のように取れていたく心がむやむやして本番をどのように思っているのか問いただしはしないが僕にとっては不満、何かおかしいと考える。本人が「挑戦する事に意味がある」と言えばまあ僕は「はい、そうですね」としか言えない。 だがその選手の周りの人間達が挑戦を望んでいて無意識的に挑戦至上主義に押し固められていったとしたら悲しいなぁ、まあ本人の本心である事を願ってます。あ、後解説で3-3と言って別にマズい所が見受けられなかった(分からなかっただけなのだろうか・・)のだが何故か3-2(フリーで)だったりと・・ああもうこれ以上は書きませんでもこれだけ。○○人(ああいう感情を煽るような教育をする国はちょっと・・)にどうしても見えるのです。この印象は恐らく頭から離れないでしょう・・

 ああそうこないだのガキの使いで久方ぶりに笑い泣きしてしまった。誰だあんなこと考え出したやつは!全く予想できなかったッつーに!「ソ」がやばかったね確か。

 ん。今日の事だ。初めて小田急に乗った。乗り心地が快適で新幹線までとはいかないがあの電車特有の「カタン、カタン」というレールの継ぎ目の音や上下左右の揺れ加速、減速の具合が中央線(古いからだろうけど)に比べると格段の差があった。そして世田谷を見て私は東京不信になつてしまつた・・

 ただとあるサイトに村主選手に特別賞を管理人自らがあげそのコメントがその様な僕と同じ思いとも取れるのではないのかという事を書いていたのでなんかよかったよ。あらら2月終わりですか


●02.08●


 よしエスターク17ターンで倒したぞ。もう少しいけるかな。しかしあの裏技はすごい。おかげであのヘルバトラーの最強さを堪能できた。しかし思ったより主人公のちからが強くてびっくり。バトラーのしゃくねつ、ホイミンのたたかいのドラムでのピエールのはかいのてっきゅうでセルゲイナスもお話にならない関係ないけど皆口裕子そんの声を久しぶりに聞いたと思う。パール(主人公)、レッパ(息子)、パム((これには見覚えが・・)娘)まあまあな名前だとか思っちゃったりする。やはり感動してしまったよ。つーか最初のパパスが助けに来てくれる所で(笑)主人公があれほど成長し辛い経験(クロノは死ぬけども奴隷とか石像はどうだよしかも何年も・・)したり逆に子供ができたりそんな幸せも噛み締めることができたりそれはやはりいいと思いますたよ。

 ニュースを見てるとあれだね「恐るべき大人」だらけではないかと思いますよ亀井先生。あとウェルテルさん何故こういうのを学校で教えないのかと思ったりもするのだけれど自分でやらねば理解できないのかもしれないし大人もそういう事をなるべく考えないまたは隠したりなんかしてそれがモラルの欠如を引き起こすのか理性が保てないのか拙速巧遅何たらってあったと思うけどそれは否定したいと思うし自然を基にして考えると結果人が間違いであったのか法が自然(自由)に存在している人間を侵すもので律するものでは決してないものなのかと考えるとウェルテル(20pまで読んだだけではあるが)の場合は恋愛だったけれどもこれが当人の利益、金、概して満たしたい欲望だとしてとらえることも出来なくはないのではないかそしてそうとらえると彼らは果たして本当に悪なのかひょっとすると実は彼らこそが人間の欲望を満たし人生に満足して謳歌しているのではないかと結構毎日が不安で何も行動してないぼくにとって彼らをどういう目で見たり考えたりそれを罪と見定めたりする事が難しくなってしまう。亀井先生も恋愛小説家は二人の間に大きな壁・・・とあるけどもしかするとこの壁は法なのではととれるのではないかと思ってきた二人が外の力によって引き裂かれる事なく永遠にその誓いを実現する為に双方が非業の死を選ぶという類いのものはお目にかかった事がないのだけれどああ分かったこれは人と人なんだと。金の為に死ぬ者がいたとしてもぼくは感動しないぞ彼らはどうか分かりませんがDQ5も人がやっぱり生きていたなあと思うぞ。思う事はそこを履き違えてはダメだという事かな履き違えそうにぼくはなったけど(笑)

   追記:#04/25
 考えてみたが僕が考えたくない人と物の間のこれ以上できうることがないであろうしかし他人を利用せずとも自分から自分一人で完結する行動、金のための死の選択は往々にしてこの世に存在していると感じられる。悲しいですね。金の為に人命が失われるその事件性というか当人の物語性その話に関わっている程度は数で言えば相当数なのでは・・「I Want Out」は僕の心にあるのだがそちらへは踏み出さない決心心持まあそれはおれにとって嫌だからな大丈夫ですよカイ・ハンセン。



0512~0601